第一話 取り替え王子
「おはようございます、セシル様。本日も良いお天気ですよ」
カーテンを開ける音がして。
明るくなったまぶたの向こうから、やわらかな青年の声がきこえてくる。
部屋の中央におかれたベッドで。
「んー」
シーツに包まれたまま、猫のように大きく伸びをしたのは。
ここアストリア国の第二王子、11歳になったばかりのセシルだ。
「……おはよ、レニー」
ムクリと身体を起こして。
ごしごしと目を擦った少年のボサボサの髪は、灰色の猫を連想させるダークな銀髪。
その前髪はアシメで、斜めにカットされていた。
「おはようございます。セシル様」
窓を開け放って、朝の新鮮な空気を部屋に取りこんでいたのは。
白い手袋にモーニング姿の、黒髪と黒い瞳をした青年。
セシルの護衛と、身の回りの世話を任されている王室直属の従者、レニーだ。
セシルがもそもそと、シーツからはいだして。
レニーが揃えたスリッパをはき、サイドテーブルに置かれた洗面器のお湯で顔を洗う。
ふかふかのタオルに顔をうずめたところでようやく、朝に弱いセシルが覚醒した。
顔をあげた彼の大きな目は。
複数色を瞳の周りに配した、アースアイと呼ばれる珍しいものだった。
ベースは濃いロイヤルブルーで、瞳のまわりが黄色からオレンジのグラデーションになっている。それが深い海と大地を連想させるので、その瞳はアースアイと呼ばれていた。
アストリア国の王族には金髪碧眼が多い。
父と兄、産後の肥立ちが悪くて亡くなったという母も金髪碧眼だった。
セシルだけが先祖返りといわれるダークな銀色の髪と、希少なアースアイを持っている。
誰にも似ていないほど整いすぎた顔を気にして。セシルはワザと、完璧から外す努力として前髪をアシメにしている。
それでも陰でセシルのことを。
「取り替え王子」
と呼ぶ者は多かった。
レニーが用意した服に袖をとおす。
有事に着替えもできないと困るので、自分で着替えていたが。
面倒なタイやブーツの靴紐はレニーにまかせている。
タイを整えた後で。ベッドに座ったセシルの足を自分の片膝にのせて、レニーがブーツの靴紐を結んでいる。
その整った髪の隙間から、尖った耳先がみえた。
レニーはハーフエルフなので、年齢不詳だった。実はセシルもよく知らない。
「私が不在の間は、くれぐれも羽目を外し過ぎないようにしてくださいね」
靴紐を結びながら。
レニーがやんわりと釘をさしてきた。
今日から三日間、彼は休暇に入って城を空ける。
「ちゃんと良い子にしてるから、もっと羽を伸ばしてきてもイイよ」
セシルが笑顔ですすめる。
「ありがとうございます。私的な用事を済ませるだけですから、三日も頂ければ充分です。お土産を買ってきますね」
レニーはにっこりと笑顔を返した。
年間を通して彼の休暇はこの三日だけ。
ワーカホリックな彼から解放される貴重な自由時間だけに。
セシルは不機嫌な顔に戻って。
「いらない」
プイッと横をむいた。
レニーが城をたって。
一人を満喫しながら、ぶらぶらと白い大理石の廊下を歩いていたセシルは。
城内の人の往き来がいつもよりも多いことに気づいた。
そういえば今日はたしか。
十三歳になる兄のオーランド第一王子と、婚約者候補で兄より一つ年下の侯爵令嬢との初めての顔あわせだ。
兄のオーランドはセシルと違って、健全な性格で背も高い。
青空のような明るいスカイブルーの瞳に、太陽を溶かしたような金髪の彼は。国中の少女たちにとっての憧れの王子様だった。
そんな兄が前方からやってきて、爽やかに手を振る。
「一人なんて珍しいね、セシル」
「レニーが帰郷してますから。兄上こそ今日は、婚約者との顔合わせじゃないんですか?」
「それなら無事に終わったよ。城内を案内してあげようと思ったんだけど、彼女が煙みたいに消えていてね。面白そうだから捜してるんだ」
ご機嫌なところをみると、好印象だったようだ。
「どんなお相手ですか?」
普段は他人に興味をもたない弟が、珍しく見上げてくる。
その星のような瞳に、オーランドはくすぐったそうな顔をして。
「元気でハキハキしていて、綺麗な子だったよ。赤い髪が印象的で、美しい翠色の瞳をしていたな」
とうれしそうに答えていたが、ふと。
「セシルは聞いたことあるかい? 赤毛を持った少女が、身近な人間の身代わりになって魔を祓うって伝承」
と少し真面目な顔で聞いてきた。
図書室に引きこもりがちなセシルは。
「たしか民間伝承の本にそんなことが書いてありましたが、いい大人がそれを信じてるんですか?」
「いや、そういう意味ではないと父上にも言われたんだけど。もし僕を護る為だとしたら、なんだか彼女に申し訳なくてね。ついその場で父上に、どちらからでもいつでも婚約解消できるようにと、了承を頂いたんだ」
照れながらも少し誇らしそうな顔をした兄を見て。
「兄上が優しいから彼女、恥ずかしくなって隠れてしまったのでは?」
セシルがからかった。
こんなお花畑どうしなら、国も平和でいいかもしれない。
ふと。兄の後方の庭に、見覚えのある少年の姿をみつけた。
あれは……
先日、遊び友達の候補として紹介された侯爵家の子息、ルイだ。
同じ年の彼は確か、例の婚約者の弟だったはず。
姉とは違う金色の髪をフワフワと揺らしながら、眼鏡の奥の翠色の瞳を潤ませて。
少年は森の中へと消えていった。
……
「では兄上、失礼します」
とあっさりした態度で、セシルは兄と別れると。
人目から隠れて、庭へと降りた。
庭の片隅には。森林浴をしながらの散策などか目的で、築城の際にも残された森への入り口がある。
ただし。最深部に狼が住みついたという噂があって、今は誰も近づかない場所になっていた。
「何やってるんだ、あいつ」
ちっ、と舌打ちをして。
森に向かって、セシルは駆け出していた。