第49話 体育祭③
「賭け?」
五織は猜疑の目を向けて、確かめるように問うと、久遠はこくりと頷いた。
「そうだ。もしこのリレーで俺が一位になったら七瀬ちゃんを貰う」
「……は?」
「五織が勝ったら、俺は潔ぎよく七瀬ちゃんから手を引く。どうだ?」
「賭けになってませんけど」
そもそも提案するタイミングがセコすぎる。今トップを走るのは久遠達二年A組。そして五織達一年A組は四暮の転倒もあり、最下位を走っている。その差もさらに広がりつつあり、アンカーである五織に回る頃には五十メートルくらいの差がついているかもしれない。
全然平等でないそれに不服を申し立てるが、久遠は気にせず話を続けた。
「徒競走のときも、部対抗リレーのときも、手を抜いてただろ?」
「い、いや別に俺は……」
「俺は本気のお前と勝負してみたいんだ」
久遠はジッと五織を見据えてそう言った。その言葉の裏が読めず、五織は言葉を戸惑っていると、久遠はフッと笑った。
「本気を出さずに余裕ぶってる奴と、本気出して頑張ってる奴。七瀬ちゃんはどっちが好きだろうなー?」
揶揄うように久遠はそう言った。
いつの間にかリレーは終盤に差し掛かっており、三走者目が次々とバトンを受け取り駆けて行くと、一位である久遠は第一レーンに並び立った。
「そんなこと言われても」
五織はボソリと呟いた。
予想通り一位と六位の差は歴然で、五〜六十メートルは差があるだろう。アンカーは校庭を二周。つまりは四百メートル走ることになるため、長い距離の中で抜ける可能性はそれなりにある。
だが久遠は学年一、どころか学校一足が速いと聞く。そんな彼を抜くとなると運動能力向上の力を使うほかない。
五織もレーンに並ぼうと歩を進めると、四暮が申し訳なさそうに「わるい」と声をかけてきた。その目は少し涙ぐんでおり、悔しさがヒシヒシと伝わってきた。
五織は何も言わずに首を横に振ると、四暮の肩をトンと叩いてレーンに並んだ。
「任せろ」と言うべきだっただろう。だが、どうしても言えなかった。
「本気を出さずに余裕ぶってる……か」
正直、そんなつもりは毛頭ない。異世界の力は非常時に使う奥の手みたいなものだ。自身の努力で手に入れたわけでもなく、ただ女神から与えられただけの力。そんな力を行使して一位になったって虚しいだけだ。
林間学校のドッジボールだって、普段の体育の授業だって、この体育祭だって、力を使わずにやってきたのだ。
『自分のリミッターが大体わかるんだ。そこを超えるか超えないかで切り分けてる』
遥にはそう答えたものの、最近はその境界がわかりにくくなっているのも事実だ。
異世界の時についた筋肉は、こちらに帰った時点でなくなっていた。向こうでは二年も経っていたのだ。成長期の五織は背だって伸びていたし、こちらの身体とは乖離ができてしまうのは当然であった。
そして、異世界から帰ってきて徐々に背が伸び、筋肉がついて、異世界での頃との身体の成長的差異がなくなってきたことで、境界が曖昧になってしまっている。
現実世界とあまりかけ離れていない力であるが故に、運動能力向上の力は五織自身の力であると言ってしまえる状態にあるということだ。
ワァァァと歓声が大きくなる。アンカーにバトンが回り始めたのだ。一位である久遠も、二位、三位と次々とバトンが繋がり、五織だけがその場に残った。
五織は観客席にいる菜月の方を見る。菜月は彼女のクラスであるDクラスを応援しており、五織の方は見てはいない。
もう十二年以上こんな調子なのだ。今更ではある。彼女の視界に自分は入っていないのはわかっている。
「――――」
五織はふぅと息を吐いた。
「でもまぁ……少しくらいはこっち向いて欲しいよな」
そう自虐するようにぽつりと呟くと、五織は走ってくるクラスメイトを見て、右手を後ろに差し出した。
▶︎▷▶︎
「頑張れぇ!」
澪はトラックを駆け抜けていくクラスメイトに声援を送る。
自分の学年対抗リレーは残念ながら予選三位で本選に出場することが出来なかったため、その分精一杯に自分のクラスを応援をする。
四暮の転倒もあり、Aクラスが優勝するのはかなり絶望的ではあるものの、それが応援しない理由にはもちろんならない。
澪につられてか、少し盛り下がっていたAクラスの面々も徐々に声を出し始めて、他のクラスに負けないくらいの声援に戻っていた。
――レースも終盤に差し掛かり、アンカーにバトンが渡ると、より一層声援が増していく。
「久遠会長速ーい!」
そんなクラスの子の声が聞こえた。その言葉通り、今まで一位と二位はそれなりに接っていたはずだが、久遠に渡った途端、その距離は徐々に離れていっていた。
そして、一位である久遠が目の前を通り過ぎたところで、ようやくアンカーである五織にバトンが渡っていた。
ほとんどが一番前を走る久遠に注目し、勝負は決まったと誰もが思っていた。
――だが、その空気を断ち切り、声援が徐々に騒めきと化す。
「――五織くん!」
澪が声を張った瞬間、五織の赤いビブスが視界を通り過ぎた。
一気に五位だったDクラスを抜き去り、四位、三位、二位をも振り切る。
観客の理解が追いつけないほどの速さで、五織は久遠の背中を捉えた。
「嘘だろ!?」
「……マジか」
観客席のどこからかそんな声が上がった。
『一位赤、二位青、三位赤、黄、黄、青です!』
順位のアナウンスがグラウンドに響き、一瞬の静寂が訪れると、ワッと一気に歓声が上がる。
――最初のゴールテープを切ったのは繰生五織だった。
▶︎▷▶︎
「いぃいおりいいい!!」
走り終わるなり、五織の胸に飛び込んできたのは四暮だ。そして、他のAクラスの二人も五織のところに来ては「お前そんなに速かったのかよ!」「陸上部に来いよ」と言ってくれた。特に中村に関しては奏乃関連でいがみ合っていた気がするが、イベント事でテンションが上がっているのか、気にしていないようだった。
「……遥の代わりに入ったから、頑張りたくてさ」
五織はそう笑って答えた。半分はその通りだが、半分は自分のため。いや、全部自分のためだったかもしれない。
遥への罪滅ぼしでもあり、四暮への恩返しでもあり、応援してくれるクラスのみんなや奏乃に応えたかっただけ。そしてもちろん菜月に――。
でもそんなことは言えないのでそれ以上は愛想良く適当に返した。
そんな五織の元に久遠が寄ってきた。
「負けたよ。五織。お前の勝ちだ」
「……どうも」
五織はまだ胸元で「おーんおーん」と感激に声を上げている四暮をそのままにしつつ、久遠から差し出された手を握り返した。
「次は俺が勝つよ」
「……セコい手。使わないでくださいよ」
「どうだろな!」
久遠はそう言って肩をすくめる。
閉会式のためにトラックの周りを囲っていた生徒たちは徐々にトラックの中に集まり始めると久遠は「それじゃ」と言ってその人混みの中に消えていった。
「五織くん! カッコよかった!」
「五織! お前すごいな!」
「なんだよ! 繰生。お前足速いんじゃん」
五織は集まってきたAクラスの生徒たちに囲まれ、そのそれぞれの言葉に相槌を返していると、その円の外で遥がグッと拳を突き出していたので、五織は拳を突き出して返事をした。
――閉会式も終わり、保護者たちもいなくなると撤収作業が始まった。
五織はパイプ椅子を体育館倉庫へと片していた。グラウンドと行き来する中で数人の知り合いに声をかけられた。
「やっぱ目立ち過ぎたな」
そう反省しつつ、またグラウンドに戻ろうとすると、視界に"入"の字が立ち塞がった。
「気をつけて下さーい。危ないですよー」
そんな棒読みの警告が聞こえ、五織がそれを避けると、自分の前に立ち塞がっていたのが体育祭の入場ゲートだったことがわかった。
木と鉄パイプで手作りされたそれは、どう考えても一人で運べるようなものではないが、どうやら一人で運んでいる奴がいる。そんな奴、五織の知る中で一人しかいない。
「七瀬」
「あ、繰生さん。すみません。ちょっと手伝って下さい。運ぶのはいいんですけど、前が見えなくて」
「いやいや、普通に手伝わせろ」
五織はそう言って入場ゲートを手に持った。菜月は少々驚いた顔を見せたが、すぐにいつも通りの無表情に戻った。
「これ、体育倉庫じゃなくて体育館裏じゃないか? 入らないだろこんなの」
「あ、確かにそうですね」
目的地もわからないまま持ってきたのかよと五織は肩を落とす。そして来た道をそのまま折り返し、体育館裏の方へと向かった。
「てか、こんなの七瀬一人に任せたのは誰だよ」
「いや、私が自主的に」
「……アホ」
「アホなんて初めて言われました」
「こんなの一人で運ぼうとする奴はアホ以外のなんでもないわ」
手に持ってわかるが、やはりこんなの一人で運ぶようなものではない。
反対側にいる菜月の方見る。一体この細い体のどこにそんな力があるのかと、五織は不思議に思う。
(異世界の力を持ってるわけでもないのに)
すると、その視線に気づいたのか菜月が五織の方を見て口を開いた。
「前見ないと危ないですよ」
「あ、ああ。悪い」
五織は言われるがままに前を向くと、菜月はそのまま話を続けた。
「そういえば、凄かったですね。リレー」
「え、あ、そう?」
まさか菜月にそんなことを言われるとは思わず、テキトーに返してしまう。
「でも、徒競走や部対抗リレーは手を抜いていたってことですよね?」
ギクッと五織は背筋を強張らせ、苦笑いを浮かべた。
「いや、別にそういうわけじゃなくて」
「? どういうわけなんです?」
珍しく菜月が問い詰めてくる。五織はどう言うべきか考えながら、辿々しく口を開いた。
「……なんていうか、人から借りた力みたいなものだから使いたくなくて」
「まさか……ドーピングですか?」
「違うわ!」
そう反射的に否定したものの、当たらずとも遠からずな気もする。もちろん、体を調べても何も出てこないが。
五織の否定に菜月は眉を顰め、より一層わからないと言った顔をする。
「よくわからないですが、繰生さんってホント不器用な生き方してますよね」
菜月がそれを言うかと、今度は五織が眉を顰めた。
「そんなつもりはないけど……」
「そうですか? わざと目立たないようにしている気がしますが」
「――っ」
図星をつかれ、胸の奥がざわつく。ふと、頭の奥に昔の声がよぎった。
『――――』
閉ざしていたはずの記憶が呼び起こされ、胸の奥がじんと熱を持つ。忘れたつもりでいたのに、傷はまだそこに残っていることに気づいて、五織は奥歯を噛んだ。
「繰生さん?」
「……あ、いや。別に」
素っ気ない態度を取ってしまっただろうか。五織の返答に菜月は少し驚いたようにしていたが「でも」と言葉を紡いだ。
「もっと素の自分を見せてもいいんじゃないですか?」
「え……」
予想外の言葉に五織は言葉を失っていると、菜月は歩を止めた。
「着きましたよ」
「あ……ああ」
五織は呆気に取られながらも、入場ゲートを地面にゆっくりと下ろした。
「それに……」
「――?」
菜月はそこで言葉を切り、五織をまっすぐに見据えた。体育祭だったからか、いつもの黒く透き通った綺麗な髪は高々としたポニーテールで結ばれていた。
その毛先が風でふわっと揺れる。少し生暖かい風が夏の訪れを感じさせた。
「繰生さんがいくら目立とうが、私がいる限り二番目ですから」
そう言って菜月はいつもの無表情を少しだけ和らげた。
――その言葉は別の誰かが聞いたら、きっと嫌味にしか聞こえないだろう。だが、その言葉は五織にとっては彼女から認めてもらえたことと同義であった。
五織はニッと口角を上げ、右手の拳を菜月に向けた。
「いつか絶対お前に勝つよ。――七瀬」
そう、決意を込めて言い放った。
お読みいただきありがとうございます!
これにて第三章体育祭編完結です!
三章は最終章への布石がいろいろある大事な章でした。
そのせいでちょっと恋愛要素薄めだったかなぁ。。と思いつつ、まぁじわじわと関係が出来上がっていけばいいかなと思います。
また次の章でお会いできたら嬉しいです!
第四章 夏休み編に続く。。。
読者の皆さまの応援が励みになりますので、ブックマークと下の☆☆☆☆☆から評価頂けると幸いです




