第40話 全てが上手くいくとは限らない
イオリ達はディアナの家にいた。
狭い寝室にシンプルなベッド。そこには意識のないディアナが横たわっている。
イオリ、レイ、ビナーラはそのディアナを囲むように顔を俯けて座っていた。
ディアナに何が起こったのかは、ビナーラがすぐに気づいて教えてくれた。
――呪いだ。
自身の死と引き換えに傷をつけた相手も道連れにする。"ミャルドゥーム"という魔獣の呪いと同じものだそうだ。
ミャルドゥームは猫型の魔獣であり、その力は魔獣最弱と言われるゴブリンよりも弱いとされる。
強力な呪いを持っているが故の釣り合いを取るためとも言えるが、ミャルドゥームの攻撃は大人の人間の皮膚すら傷付けられないほど非力なため、それほど厄介とされない。気をつけるとすれば、まだ皮膚が柔らかい産まれたばかりの赤子くらいのものだ。
そんなミャルドゥームの呪いが何故ディアナを襲ったのか。答えは簡単。最初に対峙した改造魔獣がミャルドゥームだったのだ。
部屋に入ってすぐ、不意打ちのように放たれた赤い光はイオリを庇ったことでディアナの脇腹を掠めていた。
それが原因だったのだ。
時間感覚が狂い、かつダンジョンは外との流れる時間が違う。戻った先は既にミャルドゥームの攻撃を受けた後だった。
それでもイオリは何度も再試行を繰り返したが、結局この未来は変わることがなかった。
ビナーラの話ではディアナの命はもって今夜まで。もう、その時が来るまで待っていることしかできなかった。
「……クソ」
イオリは自身の不甲斐なさに奥歯を噛んだ。不意打ちを自身で躱せていたら。異変に気づいて再試行を使っていたら。
いくらでもディアナを助けることは出来たはずだ。
イオリなら出来たはずなのだ。
「なんで……」
イオリは自身を責める。
「…………俺のせいだ」
イオリの呟きにレイもビナーラも黙ったまま動かない。
「俺が……ディアナを――」
「うるさいわね!」
突然、レイに胸ぐらを掴まれ、座っていたイオリは乱暴に引き起こされる。目の前のレイの瞳には涙が浮かび、声は震えていた。
「自分のせい? 驕るのも大概にしなさい! 責任を問うなら全員のせい! 私も、ビナーラも、ディアナだって……好きでこうなったわけじゃない!」
レイは怒号を吐くと、イオリを突き飛ばした。イオリは床に尻もちをつき、荒い息をつく。
「アンタ一人が全部背負ってどうするのよ……! そんなの、ディアナが望むわけないでしょ!」
レイの剣幕に圧倒され、イオリは言葉を失う。そして、イオリはゆっくりと立ち上がると頭を下げた。
「……ごめん」
それしか出てこなかった。喉の奥がグッと細くなり、続く言葉があってもきっと声に出せなかった。
ビナーラはただ黙っていた。レイは壁を思い切り殴ると、そのまま俯いていた。その肩は僅かに震えていた。
そうしてまた静寂が流れる。
イオリは椅子に座り直すと、顔を俯けて、ふと目を瞑った。
「――――」
『落ち着いたッスか?』
突然聞こえた声にイオリは目を見開き、立ち上がった。だが、立ち上がったそこは見覚えのない真っ暗な空間であり、そして目の前には横たわっていたはずのディアナが立っていた。
「…………ここは……?」
辺りを見回すが、一寸先も真っ暗。転生してきた時に女神に会った場所によく似ているとイオリは思った。
「女神と出会った場所とは違うッスよ。イオリの頭の中。ってところッスね〜」
ディアナは自身の頭を指さして、いつもの調子でそう言った。
わけがわからないと、イオリは返答に困っていると、ディアナはナハハと笑った。
「まぁ突然そんなこと言われても。ッスよね。でもこれから話すことはしっかりと聞いて欲しいッス」
理解が追いつかず、イオリは眉を顰める。目の前のディアナは確かにいつも通りに笑っているが、その言葉の意味はまるで霧の中だ。胸の奥にじわじわと困惑が広がっていく。
「……何を言って」
問いかけようとしたその瞬間、ディアナは真剣な表情に切り替え、口を開いた。
「これから話すのは四千と四十八年を生き、始祖と呼ばれたエルフ――」
ディアナは一拍置いて、真っ直ぐにイオリを見据えた。
「そして、そのエルフが繋いできた異世界転生者の話ッス」
◀︎◁◀︎
「み、水……」
熱々の砂に寝転がる。好きで寝転がっているわけではない。三日もこの砂の大地を飲み食いなしで歩いているのだ。体の芯から力が抜け、立ち上がることもできない。
このままこの何もない大地で息絶えるのだろう。
そんな死の狭間で思い出すのは、逃げるような形で出てきた故郷のことだ。
「……つまんない人生だったッスね」
自身の生涯をそう結論づける。
迫害されて生きてきて十六年。村を出て二年。エルフにしては短命であったが、もう生きる理由も特にない。
「でも……そうッスね……腹一杯ごはんを食べたかったッス」
最後に心残りを口にし、エルフは目を瞑る。目を瞑ろうとした瞬間、目の前に人の顔が覗いた気がしたが、気のせいだと結論づけて永遠の眠りについた。
「――――」
香ばしい匂いが鼻を燻った。それに、さっきまで火傷するくらい熱いところに横たわっていたはずなのに、今は柔らかい感触と程よい温もりがある。
「……死んで……ないッスね」
エルフは目を開く。そこには遠く遠くに照りつけていた太陽ではなく、見たことのない天井があった。
藁でできたフカフカのベッドから体を起こし、自身の寝ていた部屋を見回す。
ベッドの側には低い丸椅子と窓際には机と椅子が備わっているが、それ以外何もない。
「宿屋……ッスかね?」
簡素なレイアウトにエルフはその結論に至る。だが、部屋に入ってきた人物がそれを否定した。
「確かに何もないが、宿屋ではないぞ」
「あ……」
入ってきた青年はとにかく黒かった。髪も瞳も、そして服装も真っ黒。全部真っ黒なため、エプロンを付けているのに気付くのに時間を要したくらいだった。
「えっと……」
「腹。減っているだろ?」
エルフが戸惑って言い淀んでいると、青年はそう言って料理を運んできてくれた。
窓際の机に並べられた皿には干し肉の炒め物や魚。野菜や果物も添えられていた。どれもこれも美味しそうだ。
エルフが食べていいかと、青年に目を向けると青年は小さく笑った。
「どうぞ」
あっという間に全てをたいらげ、最後にごくごくと水を飲み干すと、エルフは笑顔を浮かべる。
「助けてくれてありがとうございましたッス! この御恩はいつか必ず返させてもらうッス!」
「腹一杯になったようで良かった」
そう青年は笑った。きっとエルフが最後に言った言葉を聞いていたのだろう。そう思うと急に恥ずかしくなってエルフは顔を伏せた。
「俺はソゴウ・アキト。アキトって呼んでくれ」
突然の自己紹介にエルフは驚いて、顔を上げると、目の前には手を差し出されていた。
エルフはその手を握り返すと、辿々しく口を開いた。
「……えっと、名前……はない。ッス」
「そうなのか」
アキトは驚いた様子も見せず、ただ顎に手を置いて考えるようにした。
「ディアナはどうだ?」
「え?」
「名前がないと色々不便だからな。どうだ? 気に入らないか?」
「……ディアナ」
エルフはその名を口にしてみる。
舌に馴染む響きが、不思議と胸の奥に暖かく広がった。
「そうッスね……悪くないッス」
初めて自分を指し示す言葉を持った安堵と、ほんの少しの照れが混じり、頬が熱を帯びる。
「ちなみに意味とかはあるスか?」
ディアナがそう問うと、アキトは小さく頷く。
「俺の故郷に伝わる神話の神の名だ。月の女神ってところかな」
「月の女神ッスか。それはなんとも聞こえがいいッスね! 余計に気に入ったッス! ありがとうアキト!」
――それがアキトとの出会いだった。
◀︎◁◀︎
アキトは旅商人をやっていた。商人にしては愛想が足りないとディアナは初対面にして思ったが、意外にもアキトは商人として上手くやっているようだった。
と、言うのも彼はとにかく運が良かった。
水をたくさん仕入れれば、向かった先は急な干ばつで困っていたり。突然、遠回りしたかと思えば、実は正規な道は橋が落ちて通行止めになっていたり。たくさんの薬草を押し付けられたときも、たまたま向かった先が流行り病で薬草が足りなくなっていたりと。
本当にタイミングの良いことばかりだった。
アキトは神に愛された人間だと、無信仰ながらにディアナはそう思ってしまった。
そうしてあっという間に十年という月日が経過していた。最初は助けてくれたお礼にと手伝いをしていたディアナだったが、いつのまにか一緒にいることが当たり前となった。
十年。年頃の男女がそれだけの時間一緒にいれば、恋に落ちるのも仕方のないことだった。
アキトは奥手であったから、なかなか互いの想いを確認するのには時間がかかったが、それでも徐々に二人の距離は縮まっていった。
最終的にはディアナから告白し、二人は結ばれた。
そして、二人はとある土地に身を固めることにした。特になんの変哲もない小さな村だったが、地下洞が気に入ったとアキトが言ったので、そこに住むことにした。
と言っても商売は続けなければいけない。その村だけでは安定した稼ぎは不可能なため、月に数度は大きな街へと赴いていた。
今日もまた稼ぎに出ようとディアナは馬や商品の準備をしていた。すると、アキトが神妙な面持ちで家から出てきた。
「ディアナ。今日は街に行くのをやめようと思う」
「うん? そうッスか?」
ディアナはそれを聞いて馬を人撫ですると、小屋へと手綱を引いた。アキトの表情を見るに、何か街でよくないことでも起こるのだろう。それか既に起こっているか。
とにかく、彼が言うことに間違いはないと、ディアナはただ従った。
だが、翌日、街で起こったことを村人から耳にしたディアナは急いで家に戻り、力強く家の扉を開けた。
「アキ――!」
アキトはテーブルに静かに座っていた。まるでディアナが自分を責めにくるのをわかっていたように、ただそこに佇んでいた。
そんなアキトにディアナは辿々しく問いただす。
「魔族に襲われたって……聞いた」
「……そうか」
「っ――! アキトはわかってたんッスよね? ならあの日、街に知らせることはできなかったんスか? クレ爺だって、マコちゃんだって、助けられたのかもしれないんスよ?!」
街には何度も赴いてた。だから仲良くなった人達だっていっぱいいた。お世話になった人もいた。自分たちをおしどり夫婦だと慕ってくれる子だっていた。
それを見殺しにしたと、ディアナはアキトを責め立てる。だが、アキトはその黒い瞳を閉じ、小さく首を振る。
「……無理だ。俺たちが行けば俺たちが危なかった。だからあの日、向かうことはできなかった」
「それでも! アキトなら――!」
声を上げたディアナに対して、アキトは拳を握り締め、顔を上げる。
「俺は! お前が大切なんだ!」
立ち上がり、珍しく声を荒げたアキトにディアナは呆気とられる。
「お前を……お前だけを助ける。それだけで俺の手はもういっぱいなんだ……ディアナが、俺のことを信じてくれているのは知っている。でも、俺は非力だ。今は奴らに対抗する手立てなんてないんだ」
震える声でアキトはそう言った。自信なさげにそう言って、テーブルにポタポタと涙が落ちる。
こんなに感情的になっているアキトは初めてだった。そんなアキトをディアナは優しく抱きしめた。
「……ごめんなさい。アキトを責めるのは間違っていたッス」
ディアナはキュッと唇を結ぶ。
魔族は数こそ少ないが、魔力という圧倒的な力を持ち、この世界を支配している。これまで干ばつや飢餓に襲われた村をいくつも見てきたが、いずれも元を辿れば魔族のせいであった。
いずれ、圧倒的な力の前にこの世界のすべてが魔族によって滅ぼされるだろう。それもきっと近い将来の話だ。
何もできない歯痒さにディアナは涙を流し、肩を震わせる。すると、抱きしめていたアキトの力が強くなった。
「……大丈夫だ」
「……アキト?」
「魔族は絶対に滅ぼす」
◀︎◁◀︎
――それからアキトは家と洞窟を行き来するようになった。
元々商売をしない日は、なにかと洞窟へと行っていたから、より頻繁になったというのが正しいだろう。
そして、また十年の月日が経った。
「完成した」
アキトは静かにそう言った。
「……ネズミ?」
アキトが持っていた箱に入っていたのはネズミだった。何の変哲もない。ただのネズミだ。
当時、ディアナはよくわかっていないようだったが、アキトが完成させたのはネズミではなく"病気"だ。
ネズミを介し、魔族だけに感染する病気を作ったのだった。
商人として、それなりの流通経路を持っていたアキトはこのネズミを魔族の住む魔界へと送った。
そして、アキトの狙い通り魔族内で病気が流行った。
"魔力侵蝕病"という病だ。
魔力は空気中にある魔素を取り込むことで補充され、一定の量まで貯まれば、それ以上魔素を取り込むことはなくなる。
だが、この魔力侵蝕病はその魔素を取り込みやすくし、飽和状態となっても魔力を増幅させ続ける。するとどうなるか。魔力が細胞、筋肉、器官、血液や体液など、身体を構成するあらゆるものを侵蝕し、結果的に死に至らせる。
そして、魔力侵蝕病は魔族のほとんどを殺したが、絶滅はしなかった。
魔族は魔力を手放したのだ。病に対抗できないと悟った魔族達は己の魔力を無くすことで、病による死を免れた。
そうして力をなくした魔族達は人間界への侵攻をやめた。全てアキトの狙い通り、上手くいったのだった。
だが、アキトは失敗した。誤算が二つ起こったのだ。
一つは魔族が魔力を手放したことによる影響か、獣が魔力を持ち始め、進化し始めたこと。
そしてもう一つは――
ディアナが魔力侵蝕病に罹ったのだ。




