第31話 人を疑いたくなんてない
「アンタもここで働いてたのね」
「あ……ああ。先週からだけど」
「私もよ。マスターが腰やっちゃったから手伝って欲しいって」
「そうなんだ」
マスターから聞くに、彼女、三宮寺澪菜はこの喫茶店の常連客のようで五織が来た次の日にマスターの奥さんの方が声をかけたらしい。
何にせよ、五織としては忘れようとしていた記憶を呼び起こされた気分だ。
彼女の取る行動が、口調が、彼女でない彼女を思い出させ、五織の封じているものを無理やり起こさせる。
「それで? アンタ急いでるんじゃないの?」
そうだ。彼女の言う通り、これから澪、遥、二麻と共に四暮のハンドボールの試合を観にいくんだった。時計を見れば13時20分になっていて、待ち合わせの時間の10分前だ。軽く走ればきっと間に合うくらいではあるが、ギリギリなのもどうかと思うため五織は思い出したかのように焦り始めては店を出ようとする。
「あ、あぁ。じゃあレイ……なさん。あとはよろしく」
「呼び方」
「え?」
「そうやって途切れ途切れ言われるとムカつくんだけど」
「ああ。ごめん。れ――」
「レイでいいわ」
一瞬、その覚えのある言い方に心臓がドキッとする。
「……えっとじゃあ俺のことは――」
「アンタはアンタでいいわよ。さっさと行きなさい」
「えぇ」
言われっぱなしも癪だが、もう時間がない。それに彼女と会う機会はこれから何度も増えるのだ。
五織はそのまま店を出ると、駅に向かって走り出す。そこで自身の頬が若干緩んでいることに気づいて慌ててその気持ちをしまい込んだ。
▶︎▷▶︎
「負けちまったー! くそぉ」
「お疲れ様」
四暮の試合が終わるとお疲れ様会として五人はレストランにいた。試合は26-28。かなり接戦であったが、四暮のいるチームはギリギリで負けてしまった。
「だけど、四暮がほとんど決めてたじゃん」
「まぁエースだからな! でももうちょい決められる場面はあったんだよなぁ」
「でもまぁそこそこやんじゃん。驚いたよ」
「お嬢が……褒めてきた。なんかあるのか?」
「なんで普通に受けとらねぇかなぁ?」
いつもの啀み合いが勃発すると、澪が「はいはい」と間に入って止める。そういえば、これから二人は写真部に入るわけだが、こんなのが毎回続くと部室の備品を壊しかねないと五織は少しだけ背筋を凍らせた。
(……澪さんにも何とかして入部してもらうか?)
そんなことを考えて五織がジッと澪を見ていると、澪がそれに気づいて首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや、いつもありがたいなーって」
「そうそう、ありがたみを知りなさい」
五織の言葉に澪はフフっと笑いその胸に手を当ててそう言った。
「そういや、今日は七瀬さん来れなかったんだな」
「家庭教師のアルバイトだって言ってたよ?」
四暮の質問に澪がそう答えると「そうかそうか」と四暮は頷く。
「さすが頭いい人はちげぇな。でも五織も今日初バイトだったんだろ?」
「あ、ああ。喫茶店のね」
「へぇ、今度みんなで行こうぜ」
「先に二麻さんの方行ってからかな?」
「ウチのバイトはチェーンだから何の面白味もないけどな」
「社員割りで飲ませてもらうね!」
「俺は限定のフラペ!」
「私も〜」
「じゃあ僕も」
「遥が初めて喋ったな」
「そう?」
二麻がそう指摘すると遥はとぼけたように頭の後ろに手を置いた。普段から口数の多い方ではないし、どちらかと言うと聞き上手な感じなため、こうして複数人集まると、どうしても遥の口数は少ない。だから一番自身のことを話さないのが遥であった。
「あ、実は写真部に四暮と二麻さんの他に周防一縷花さんってBクラスの子が入ってきたんだけど、良かったら昼ご飯誘おうと思っててさ」
五織がそう切り出すと、二麻は「そういうことにしたんだ」と目配せをしてニッと笑った。
「いんじゃん? ウチも一縷花ちゃんと仲良くなりたいし」
二麻がすぐに賛成の意を示すと、澪も四暮も同じく賛成し、遥もまた頷いて口を開いた。
「うん。構わないよ。でも、周防さんってダンス部じゃなかったっけ?」
「お! なんだ遥。周防さんのことよく知ってるじゃん」
遥の質問に対して四暮が揶揄うようにそう言うと、五織と二麻は四暮がバラさないか心配になり、少しだけ身構えた。
「うん。こないだバスケ部の中で話題に上がってね」
「話題? どんな?」
「男子同士での話なんて大体わかるでしょ。そこは察して欲しいかな」
「なーんだ、不良――」
「誰が惚れたって?」
「不良から守った話じゃないのか」と四暮が一瞬漏らしそうになったため、遮るように二麻が慌てて声を出すと、思った以上に声が出てしまったらしく、周りの客の視線が一気にこちらに向いた。その視線に「あ、すみません」と言って二麻は席に座った。
「でも良かったね。これで写真部の廃部の話は無くなったってことだもんね」
澪がそう言うと、五織は「うんうん」と頷いた。
「てか五織も七瀬さんもいるから部対抗リレーは絶対優勝だな。なんなら運動部の方に混ざっても一位が揺るぎないんじゃねぇか?」
「俺はそれなりにしか走らないよ。異世界の力使って世界記録出すわけにはいかないし」
「気になったんだけど、どうやって制限かけてるの?」
遥の問いに五織は頭を悩ませるようにして口を開いた。
「自分のリミッターが大体わかるんだ。そこを超えるか超えないかで切り分けてる」
「じゃあ割とすぐに切り替えられるんだね」
「うん? まぁそうだね」
「そういや、言うの忘れてたんだけどよ」
そこで四暮が唐突に口を挟むと、皆の視線が四暮に集まる。
「なんか俺も特殊能力みたいなの使えるようになったみたい」
「――――」
一拍――。
四暮の言葉に五織達の空気が硬直し、
「「「「え?」」」」
四人全員が聞き返した。
▶︎▷▶︎
五人はレストランを出ると、公園へと向かった。もう完全に暗くなった公園はもちろん人もおらず、草木が揺れる音と虫の鳴き声がよく聞こえるくらい閑散としていた。
「特殊能力って?」
真っ先に五織が四暮に問うと、四暮は小さく頷いた。
「実は使えるようになったのは最近なんだけどよ。俺は人の感情が目に見えるらしい」
「見える?」
「ああ。その人の頭の上に雲みたいなのが浮かんでその色で大体の感情がわかるんだ。怒っているなら赤っぽく。笑っているなら黄色っぽくみたいな感じだな」
「……もしかして四暮くん。灯さんとこうたくんの件って」
澪が思い出したかのようにそう口にすると、四暮は「そうだ」と頷く。
「あの二人の感情が真っ黒に染まってたから俺はついて行ったんだ」
四暮の言葉に五織もまた頷いた。林間学校のあの件に四暮が何故巻き込まれることになったのか、あまり追及はしていなかったが、まさかそんな事情があったとは思わなかった。
「あと、人に触ることでより詳細にわかるんだ。お腹が減ったとかイタズラしてやろうとか」
「感情を見るどころか心を暴いてんじゃん。つーかウチらの感情も見てるってことかよ!」
二麻が澪の背後に隠れてそう言うと、四暮は眉を顰めた。
「……実を言うとここにいるみんなの感情は見えないんだ」
「え?」
「俺なりに考えたんだけどよ。仲が良い人のは見えないとかな。でも、家族やハンドのチームメンバーの感情も見えるしよ。そんで思ったんだ」
「――――」
全員が四暮の次の言葉を待った。
「俺みたいに能力を持っている人の感情は見えないって」
五織は大きく目を開いて驚くと、すぐに遥と二麻の顔を見た。
自身の5回の試行、そして澪は時間が巻き戻っても記憶を残し続ける。四暮の言う特殊能力とはそういうことを言うのだろう。だが、遥と二麻はそんな能力があるとは聞いたことがなかった。
そして、二人が自身に視線が向いていることに気づくと、遥が一歩前に出た。
「……隠していたわけじゃなくて、僕も認識したのはホントに最近なんだ」
「遥……」
「僕の能力は多分、"自分への認識を阻害する"って感じかな」
「認識の阻害?」
「見てもらった方が早いかな」
遥がそう口にした途端、目の前にいたはずの遥の姿が消えて、五織達は辺りを見回した。
「え? 遥?」
「ここにいるよ」
声が聞こえると共に遥は先程と同じ場所にいて手を小さく振っていた。
「すげぇ! 透明人間になれるのかよ!」
四暮が目を輝かせて声を上げると、遥は首を横に振った。
「自分の姿を消すのはホントに一瞬だけしかできないんだ。たぶん2秒もないんじゃないかな?」
「いやでも、2秒でも十分すげぇよ! なんか日常生活で使えそうだな!」
「まぁ、これをバスケで使おうかとは何度か思ったけどね」
四暮の言葉に遥は頬をかいてそう答えた。
そんなことをすると、どこぞの超次元バスケみたいになってしまうぞと五織は思う。だが、遥の見た目はどちらかと言うと緑のロングシューターなため、そんな目立ちそうな黒子がいてたまるかと勝手に想像しては胸にしまっておく。
「うん? 何か変わってた?」
だが一人。澪だけは話がわからないかのように首を傾げそう言った。
「え? 遥が消えてただろ今」
四暮がそう言うと、澪はまた首を傾げた。
「ううん、私にはずっと見えてたよ」
「――なるほど」
そこで五織は顎に手をおいて納得したように頷いた。
「……たぶん、澪さんは能力自体効かないとかそういう類なのかもしれない。俺の5回の試行も、記憶抹消も効かなかったわけだし」
「うわ、かっけぇな澪! ラスボスみたいなのが持ってるようなチート能力だ」
「ちょっと四暮くんがなにを言ってるのかわからないけど、記憶を引き継ぐってことだけじゃないならもっと色々役立てそうだね」
四暮の言葉に苦笑いをしてそう答えた澪に五織は小さく頷いた。
仮に澪が"異能の力を受け付けない"という力を持っているのだとすれば、五織には見えない多くのことに気づけるわけで、澪がいることがより一層心強く感じる。
「もう事件は懲り懲りだけどね」
「そうは言ってられないよ。実際、林間学校での黒幕は見つかっていないし」
その遥の発言と共に視線が向けられたのは他でもない二麻だ。先ほどから俯いたまま悩んだ表情を浮かべており、皆の視線が向いていることに気づくと「あー」と口に出しては次の言葉を言い淀んでいるようだった。
「……ウチは特に能力とか覚えがねぇな」
「え、二重人格とかじゃねぇの?」
「だから違うって言ってんだろが。口調と佇まいを変えただけだわ」
「でも二麻ちゃんのあの切り替わり方は役者さん顔負けくらいな感じがしたけどね」
「あ、そう? そこまで言われると照れるけど」
そう言って二麻は少し硬かった頬を和らげて笑う。
だがすぐに五織を見ては気まずそうに目線を逸らし、その表情に隠れた二麻の考えを五織は汲み取った。
「……大丈夫。俺はこの中に裏切り者がいるとは思ってないよ」
遥が先ほど口にした黒幕。林間学校で中村を操り、五織を殺そうとした人物。それが五織達の近くに潜んでいる。中村の行動や言動から見ても確実に誰かが操っていたのは間違いなく、特殊能力でないと説明がつかないような状態だった。
つまりは自身の能力が証明できない二麻はその黒幕の容疑者になってしまっていることが気がかりであるのだろう。
「わりぃな……」
「まぁでも四暮くんのも予測でしかないんだし、能力が宿っているかもわからないわけだから」
澪の言う通り、そもそも感情が見えない相手が同じ特殊能力者であるということも予測でしかないのだ。たまたま二麻は能力を持たずに感情が見えない相手というのもあり得ない話ではないのだ。
五織も澪に同意して、気まずそうにしている二麻に顔を上げさせた。
だが、そうなると気になるのはここにいる他に感情が見えない人がいるかどうかだ。
五織が四暮に問うと、四暮は小さく頷いた。
「――今のところ他に二人だな」
▶︎▷▶︎
「あぁ……」
湯船に浸かると、思わず声が漏れ出る。
「……考えることが多い」
写真部の廃部を防ぐため、周防一縷花の条件を達して彼女を部に入れなければならない。とりあえずお昼ご飯を一緒にすることにしたが、それだけで二人の仲が進展するかはわからない。
加えて、自分や澪の他に特殊な能力を持つ人が現れたこと。林間学校での出来事でその可能性には十分注意していたものの、あくまで黒幕であるその一人だけと思っていた。それがまさか四暮や遥までもが能力を持っているとは思わなかった。
『道理が通っていない改変がどこかで起こって、それを正そうとしているというか、補完しようとしているんじゃないかな?』
五織は以前、澪が口にしたそれを思い出す――
道理が通っていないことを正そうとしようとする世界の力。おかげさまで菜月の記憶が無くなってしまった忌々しい出来事であったが、その存在が確実にあるという裏づけであった。
おそらく、五織が異世界の力を現世に持ち込んだことで、五織の特異を正すために、結果的に周りの人間が特殊能力を持つようになったのだろう。
「……特異者か」
あの後、四暮が能力者の名前を付けようと言い出し、第六感だの特別な人だのと候補を挙げた。
結局、遥が挙げた特異な力ということで特異者と呼ぶことになった。異世界では魔法が使えない者が言われていた呼び名だが、現世ではそれが逆転しているのはなんとも皮肉な話だ。
そして、最後に四暮が挙げた感情の見えない二人の人物――
『周防さんと会長だ』
今まさに写真部に入ろうとしている周防一縷花。そして、その子を連れてきた十河久遠。こうなってくると二人が結託して五織に近づいてきた可能性すら浮かんでくる。
知り合いを疑うというのは思った以上に気が滅入る。一縷花の遥を想う気持ちや、いつも優しく写真のことを教えてくれる久遠を疑いたくなんてない。
五織は今一度大きく深呼吸をすると、湯船に深く浸かっては大きなため息を吐き出すのだった。




