第27話 たまにはやるじゃん
「――五織くん!」
奏乃の笑みに五織もまた笑いかける。だが落ち落ち再会を勤しんでいる場合ではない。手と手を繋ぎ、ギリギリのところで落ちるのを防いだ状態なのだ。気を抜いたら落ちてしまう可能性だってまだある。それなのに、奏乃はもう既に安心しきった表情をしており、五織はなんでそこまで信じてくれてるんだと不思議になる。
「今引き上げる!」
運動能力向上を使って思い切り引き上げると、奏乃の軽い身体は宙で一回転し、お姫様抱っこする形で五織の手元に収まる。
「五織くん!」
一回転したことを気にも留めず、奏乃は五織の顔を見るなり、ギュッと首元を抱き寄せた。
「おっと……」
五織は蹌踉けそうになるが、グッと堪えて姿勢を正すと、首元で震えている奏乃に気づいて、夜空を見上げた。
「……皇さん、俺――」
「繰生ぅぅううう!!」
五織が奏乃に声をかけようとした瞬間、追ってきていた中村が声を荒げて向かってきた。
その瞳には怒りが満ちており、そしてその手にはどこから持ってきたのか金属バットが握られていた。
「クソ」
五織は奏乃を抱っこしたまま駆け出す。
「皇さん、俺の腰にささってるライトを取って前を照らしてほしい!」
「わかった!」
五織に言われた通り、奏乃はライトを取り出すと、「あ」と声を出した。
「お尻触っちゃった!」
「うん! 今はどうでもいいから!」
奏乃の能天気な報告に五織はそう答える。
「繰生ぅうう! 逃げるなぁ!」
「そんな物騒な物持ってる奴から逃げない奴いねぇから!」
しかもこちとら一度頭をかち割られてる。長男じゃなかったらきっとフラッシュバックするほどのトラウマものだ。
ぐるっと一周まわるようにして、山を登っていた状態から山を降りる方向へと切り替える。中村はというと特に考えなく五織を追いかけ続けており、まるでホラーゲームの敵から逃げるような状態だ。そのため誘導しやすく、逃げやすい。
奏乃を抱えながらではあるが、その距離は徐々に広がってきている。
「遥!」
「了解!」
五織が潜んでいた遥に一声。その声に応じた遥はグッと何かを引っ張ると、シュルシュルと音を立てて地面からロープが浮き上がり、五織は軽々それをジャンプ。後続に続いた中村は勢いよく足がかかって、顔面からぶっ倒れた。
「よし!」
五織は中村が倒れたのを確認して、奏乃をゆっくりその場に下ろすと、遥と一緒に中村の方へと駆け寄って行く。
五織は転がった金属バットを遠くへと放って、中村をロープで捕える遥の手伝いをする。
「あらら……顔面擦りむけてる。痛そうだね」
「暗くて良かった。無駄にグロいのを見なくて済む」
そんなやりとりをしつつ、中村の拘束が終わると、五織はふぅと大きなため息をついた。
「……中村の様子。流石に異常だった」
ホラーゲームの敵キャラと例えたが、中村の顔が傷ついたのもあり、さながらゾンビ映画のようだったと五織は例えを改める。まるで何かに取り憑かれて考え無しに人を喰らおうとするゾンビであり、そこには五織を害する以外の思考が一切感じられなかった。
そこから導き出されるのは一つの結論。
「……誰か黒幕がいる」
「黒幕って?」
遥の問いに五織は首を横に振った。
「わからない。ただ中村を裏で操っている奴がいるのは確かだ」
「異世界の力を持った誰か……か」
「よくそんな受け入れられるな」
「いやいや、まだ受け入れられてないよ。ただ――」
「ただ?」
五織が聞き返すと、遥はニコッと笑った。
「……五織が僕らを信じてくれたのが嬉しくてね」
「なんだよそれ」
五織はぽりぽりと頬をかいて目線を逸らすと、奏乃と目があって、五織はニッと笑顔を浮かべ、奏乃も笑顔を返した。
そうして向き直った五織は夜空を見上げて、またひと息。白い息を吐いた。
「向こうが心配?」
「……うん。でも信じるよ。みんなが信じてくれるみたいに俺も」
木々の隙間から見える北極星がやけに輝いて見えた。
▶︎▷▶︎
「随分と大所帯だ。君らの学校の先生は一体どんな管理をしているんだろうね?」
「……先生には悪いけど、どうしても来なきゃいけなかったから」
男の皮肉に澪はそう堂々と受け答えをすると、男は小さく頷きながら、そこにいる5人の姿を一人一人映していく。
「それで? 君たちはウチの家に何か用があるのかい?」
「アンタのせいで灯さんもこうたもひどく傷ついてる!」
「だ・か・ら! それがなんだ? 他所の家の事情に学生如きが出しゃばるな!」
「怒鳴りつければ思い通りになるとでも?」
「あ?」
「いいですね簡単で。そうやって相手を威圧して、普段のあなたの行いが目に見えます」
「ガキが……」
大人にそれもDVをするような男に一切の躊躇いのなく、いつもよりずっと好戦的な澪に四暮も二麻も驚く。
だが、男が徐々にこちらに近づいてくると、全員の緊張感が増して推し黙る。
「さっきまでの威勢はどこいったんだ?」
男は嘲笑して四暮の横に並び立つと、その肩をポンポンと叩いた。
「まぁ、今日は目を瞑ろうか。妻と息子の自殺を止めてくれたんだ。ありがとう」
男はそう言って笑顔を浮かべる。
「なんで笑えるんですか」
「ん?」
「妻と息子をそこまで追いやったのはアンタなのになんで笑えんだよ」
「ふっ――」
男は四暮の言葉に鼻で笑うと、次には躊躇なく殴りつけた。
「しぐれ!」
「四暮くん!」
こうたと灯の声が響き、倒れ込んだ四暮は男をキッと睨みつけた。
「言葉で威圧して、気に食わなければ暴力に訴える。アンタは父親でもなんでもねぇ!」
「この……!」
四暮が声を上げて男の懐に飛び込むと、男は四暮を引き剥がそうとする。その間に澪と二麻はこうたと灯の近くへと駆け寄った。
「灯さん、こうたくん、逃げよう」
「でも四暮くんが!」
「大丈夫。アイツはチビだけど意外にやるので」
二麻の言った通り、四暮はその小さな体を右左に動かし、男の足元を崩すと、一気に足をかけてそのまま地面へと転がした。
「しぐれ!」
こうたが四暮の名前を呼ぶと、四暮は一瞬、こうたの方へと振り返る。
「生きろ! こうた! お前がお母さんを守ってやれ!」
「……うん!」
こうたは大きく頷くと、地面に座り込んでいる灯の手を握る。
「行こう! お母さん!」
「……こうた」
灯を立ち上がらせ、2人が車に乗り込もうとすると、澪が「そっちはダメです」と警告する。
「車は危険です! 走って山を下ります!」
「……っな」
澪の警告に真っ先に反応したのは、他でもない男だった。とっておきとして残しておいた最後の手段。それを何故か全く知らない学生に見破られた。
「……お、余裕がなくなったな。澪の言う通りか」
四暮が男の顔を見てそう笑うと、男は焦りの表情から一変。怒りに身を任せた。
「この……ガキがぁ!」
「しまっ――」
四暮を殴り飛ばし、立ち上がった男は四暮の首に手を回し、その手にナイフを持った。
「おい! いいのか! こいつが死ぬぞ!」
「しぐれ!」
ナイフを突きつけられ状況は覆された。全員がその緊張感に硬直する中、二麻が大きなため息をついた。
「なるほどなぁ。ウチが呼ばれた理由はこれか」
「おい、動くな!」
二麻は男の警告を無視して、高々と結び上げていた髪を解いて長い髪を露わにした。途端、二麻の雰囲気が変わる。
その凛とした佇まいは普段の彼女からは全くと言ってもいいほどかけ離れており、ただ立っているだけで魅せられる。澪も思わず彼女の後ろ姿に惚けてしまう。
「誰かと思えば、"反田様"ではありませんか、先日は兼ね兼ね」
そう言って二麻は流れるような美しいカーテシーをしてみせる。
すると男は何かに気づいたのか、手を震わせ、四暮の拘束を解くどころか、ナイフを地面に落とした。
「二麻お嬢様……?!」
「ええ、"不知火"二麻です」
知らない名字。いや、確かに知らない名字なのだが、その名字が何を意味しているのかはその場にいる誰もが知っていた。
「不知火って、あの不知火?!」
澪が驚くのも無理はなく、不知火と言えば誰もが知る金融、不動産、交通などあらゆる企業をグループに持つ日本四大財閥の一角である。
今でこそ財閥と呼ばれなくはなったものの、未だグループの持つ力は大きく、不知火が倒れれば日本も倒れると言われるほど、その影響力は凄まじい。
「さて、此度の件。どのようにしましょうか?」
「ゆ、許してください。た、ただの一社員の私の家族の問題です。わざわざ不知火家が口を出す必要は……」
「私がいる時点でその言い訳は破綻していますね」
「……っ!」
一切の言い訳を許さない二麻。普段とは違うその佇まいと口調に澪も四暮もポカーンとしたまま動けずにいた。
それはその場にいた全員がそうであり、男は頭を抱えたまま地面に塞ぎ込むと声にならない声で悲鳴を上げた。
最悪、自暴自棄になってここにいる全員を傷付けることも考えられたが、不知火というあまりの敵の大きさに男は全てを諦めたようだった。
▶︎▷▶︎
「ありがとうございました」
警察がやってくると、灯は深々と頭を下げてお礼を言った。二麻は「いやいや」と首を振り、
「ウチはたまたま居合わせただけですよ。礼ならあのチビに言ってやってください」
と言って四暮を指差す。
「四暮くんにはもちろん、でも不知火さんがいなかったらどうなってたか」
「とりあえず、不知火家の者が手を回してくれるはずです。あんな奴に人生を振り回せられる必要はありません。強く生きてください」
「本当にありがとうございました」
灯はまた深々とお礼をすると、四暮の方へと向かっていった。
灯の傷やこうたの帽子についていたGPS。車の中にあった盗聴器。そして車の細工。物的証拠は揃っており、男の有罪は確定している。加えて、二麻の口添えもあり、灯とこうたの安全は保証されるだろう。
だが、あくまでもそれは生きていくための配慮をするまでに限り、そこからは灯とこうたが自分達で歩んでいく他ない。
きっと、不知火の名前だけで解決したとしたら、親子の命は続いていかなかっただろう。それだけ彼女たちの傷は大きく深いものであった。その状況を書き換えたのは四暮の頑張りに他ならなかった。
二麻は灯とこうたと話す四暮を見て、フッと鼻で笑った。
「たまにはやるじゃん」
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「俺、なんもできなくてごめんな」
そう、自身を卑下する四暮をこうたはぶんぶんと勢いよく首を振って否定した。
「しぐれがアイツに立ち向かってくれたから勝てたんだよ! 月光みたいでカッコよかった!」
「マジか! 俺、譜面ライダーになれるか?」
「でも、身長が足りないかも」
「おい、見た目は関係ねぇだろ!」
四暮は自身が月光に変身したことを想像し、「……確かに不格好かとしれない」とため息をついた。
「でも、俺はしぐれみたいになりたい。立ち向かっていける人になれるよう頑張るよ。身長は真似しないけど」
「一言余計なんだよなぁ」
四暮はそう苦笑いをして、こうたの頭を撫でた。帽子は警察に持ってかれたため、今はふさふさの髪の毛の上からだ。
「またな、こうた」
「またな! しぐれ!」
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灯とこうたを見送り、3人はパトカーに乗せてもらってホテルへと戻った。二麻の配慮もあってか事情聴取はほとんどされず、不知火家側で全てやっておくとのことだ。
「でも二麻ちゃんの名字って……」
澪が問いかけると、二麻は「ああ」と言って答える。
「母親の旧姓だよ。流石に一般私立で不知火を名乗るわけにはいかねぇからな」
「口調戻ったな。ポニーテールになると戻るとか?」
「んな設定はねぇよ。こっちがウチだ。髪を解いたのは気合い入れるためだよ」
「なんだよ、二重人格かと思ったぜ」
「そんなわけあるか、アニメの観過ぎだテメェは」
「んだとこら」
「やんのかこら」
言い合いから発展し、互いの胸ぐらを掴み合う2人を見て、澪は安堵の息を吐く。
「……良かった。いつもの2人だ」
だが、不知火家と聞かされたのにも関わらず、二麻の胸ぐらを掴める四暮の無鉄砲さには流石に澪も驚かずにはいられなかった。




