第24話 失態を悔やむ時間なんてなかった
「それで? なんで山頂の方だと思ったの?」
遥がそう問うと、五織は前に向き直り山道に歩を進める。
「仮に澪さんが四暮を見つけたんだとして、さすがに四暮が乗っている車を見つけるなんて不可能なはず、てことは外に出ている四暮を見つけたのが自然だ」
「まぁそうだろうね」
「四暮は中村くんと一緒にホテルから出たのは間違いないから、どこかであの車に乗せてもらって、送ってもらったんじゃないか? でも降りる際に何かあって再度乗り込んだ」
「そのときに澪が見つけたと」
「そう。送ってもらって再度乗り込むってことは四暮は車に乗せてもらった人の目的地について行ったと考えられる」
「そうか。山道で四暮を乗せたはずだから、帰り道ではなくどっかに向かってた」
「実際ホテルがあるのは麓の周りだけ。山道から降りてきてたってのも考えられなくはないけど、ここの敷地の外に出られたら流石に追えないし。四暮と澪さんが考え無しに敷地外に出るとも思えない」
実際は登っていく車を見ているからの推測ではあるが、それっぽく筋を通して説明すると、遥は納得したようだった。
「でも山頂付近のどこかまでは……」
「流石にわからない」
「よね。手当たり次第捜そう」
草木を掻き分け、2人は山頂付近まで登るとチェックポイントだった東屋が見えてくる。その途中で遥がふと何かに気づいて立ち止まった。
「五織、これ車の跡じゃない?」
「……! ホントだ」
アスファルトでないその山中、朝露か湧水かはわからないが、一部濡れた柔らかい地面に明らかに車輪の跡が残っていた。その車輪の跡は東屋の方向からは逸れて、真っ暗な闇の方へと続いていた。
「こっちか」
一縷の望みが見え、2人はその暗闇の方へと駆け出す――
すると、こちらに向かってくる人影が見えた。
「澪さん!」
2人が澪に気付き、澪の方へと駆け出すと向こうもその声に気づく。
「……逃げて!!」
「え?」
澪の警告と共にその澪の後ろから明かりがすごい勢いで向かってくるのが見えた。
「……っ! 嘘だろ!?」
山道とは思えないスピードで車が突っ込んできて澪を光が包み込むその寸前――
五織が常人にはありえないスピードで駆け出し、澪をその動線から突き飛ばした。
「……五織くん!」
「三宮寺さん――――」
次の瞬間、衝撃音と共に五織の体は宙へと舞うと、地面になす術もなく激突した。
▶︎▷▶︎
「……五織くん」
「三宮寺さん」
五織は澪と食堂の前で落ち合い、互いに名前を呼び合った。
『三宮寺さん! 食堂の前で!』
五織が轢かれる直前、五織は澪に呼びかけ、ここで落ち合うよう約束をしたのだ。文字面だとフランクな待ち合わせの約束みたいだが、あの一瞬でも伝えられただけマシだった。
「いつも通りの呼び方でいいよ」
澪がそう言うと、五織は「そっか」と頷いた。
五織が澪を呼び分けしていたのは単に"あのとき"の澪と区別するためだった。一度失った関係との断絶。それを呼び方を変えることで無理やりに関係をリセットしようとしたのだった。
「なんで私が思い出してるってわかったの?」
「行動が違っていたのもそうだけど、何より四暮を助けに行ったのが確信だった。異常事態に気付いて行動を起こしてくれたってことだし」
「でも、何もできなかった」
澪はそう言うと自身の腕を寄せて顔を俯けた。
「……教えてくれない? 四暮に何があったのか」
「うん」
▶︎▷▶︎
車が目的に到着すると澪は車から降り、四暮もこうたと手を繋いで出てきた。
「ここが目的地なんですか?」
澪がそう問うと灯は小さく頷いた。
そこはウォークラリーで来た山頂から少し外れた場所であり、木々もほとんどなく開けているが、目の前には何もない。断崖絶壁――
静寂の中、冷たい風が流れる。
「灯さん、死ぬつもりですか?」
四暮の放った言葉に澪は口に手を覆い、灯も、四暮と手を繋いでいるこうたも一瞬驚きの表情を見せたが、灯は小さく頷いた。
「そうよ」
「っ――なんで!」
四暮は声を上げ、灯に何故かと問う。
すると、灯は着ていた薄手のカーディガンを脱ぎ、その細い腕を露わにした。暗くてよく見えないが、その腕には数ヶ所に青痣が浮かんでおり、その中にはまだ赤く、痛々しい傷があった。
「……主人のせいよ」
「「!!」」
「この旅行は久々に主人なしで、こうたと2人、水要らずのはずだったの。なのに、あの人は……急に追いかけてきて、来るなり私とこうたを……」
灯はその場に泣き崩れ、四暮の手を握るこうたの手がギュッと強くなった。
「もう限界なの……お願い四暮くん……」
「――っ」
「見殺しにして! アイツが来る前に!」
「……灯さ――」
澪が泣き崩れる灯に寄り添おうとしたとき、突然クラクションが鳴り響いた――
▶︎▷▶︎
「――四暮くんがこうたくんを庇って崖から……。私は見ていることしか出来なくて……」
澪は唇を噛み、拳を握り締めた。
「四暮くんが助からないってわかった瞬間、私を追いかけてきて殺そうと……」
現場を見られてしまった以上、口封じに殺しにかかったというところだろう。四暮を事故死、または灯やこうたに罪を被せる気すらあったかもしれない。
「……私、怖くて何もできなかった。友達が必死になって止めてたのに」
「澪さんは悪くないよ」
自身の行いに悔やみ、涙を流す澪に、五織はハンカチを差し出すと澪はそれを受け取った。
「澪さんがこのことを俺に伝えてくれた。それだけで十分。いや十分過ぎるくらいだ」
四暮の居場所に関しては本当に何も手掛かりがなかったのだ。それが事件の全てを知れた今、状況は一気に覆った。
「……四暮を助ける。それに灯さんとこうたくんも」
「でも……どうやって?」
「七瀬に頼みたいことがあるんだけど、澪さんにお願いしたい」
「? ……菜月ちゃんに?」
▶︎▷▶︎
五織は山道をほとんど車と変わらない速度で駆け上がる。
澪の話を聞く限り、5回の試行のスタート地点から四暮が崖から落ちるまで1時間半あればいいと言ったところだ。あの山まで登るのに普通ならば1時間はかかってしまうため、澪や遥と同行していては間に合わない。
澪のように灯の車に乗せてもらうことも考えたが、どういうわけかあの男は四暮や澪の状況を理解していた。つまりは車内に盗聴がされている可能性があったため、同行するわけにはいかなかった。
「……クソ。もっと早く気付いていればやりようがあったかもしれないのに」
四暮がいなくなったことに気づくのが遅過ぎたと五織は自身の失態を悔やむ。だが、今更そんなことを言っても仕方がない。限られた時間で何とかこの状況を覆すしかないのだ。
「……結局、皇さんのことは澪さんに任せちゃったし」
一緒に見ることを了承してしまった手前、5回の試行で戻ってすぐに断ることもできないでいた。「体調が悪いから」と言って断れるのはわかっているが、奏乃の優しさを知っているからこそ胸が痛む。五織にとって本当に最悪なタイミングのリスタート地点だ。
そんなことを悔やみつつも、五織は30分とかからず、目的地へと到着する。その場所には車が2台停まっており、その奥から話し声が聞こえてくる。
「……おいおい、それが父親に向ける視線か? なぁ!」
「待ってください!」
「こうたも灯さんも疲れてるんですよ! ここで怒ったって仕方ないでしょ。とりあえず今日はもう――」
「うるさいよ」
男は一切の躊躇なく、四暮を殴りつけ、五織は思わず声を上げそうになる。
「しぐれ!」
「四暮くん!」
「学生風情が、他人の家庭事情に首を突っ込むな」
「突っ込ませてもらいます」
「あ?」
「……五織?」
五織はその場に姿を現して、その男へとカメラを向けていた。それは澪に頼んで菜月から借りてきた一眼レフカメラだ。
「今のしっかり撮らせていただきました。これが世に出されたくなかったら、潔く手を引いてください」
「ほう」
男は五織の言葉に感心するような態度を取ると、足元で倒れている四暮の方を見る。
「なんだ。協力者がいたのか。学生風情がよく考えたね」
そう言ってパチパチと手を叩き、笑顔を浮かべ、「で?」と首を傾げた。
「それをどうするって?」
「ぐ……」
男はそう言うと、四暮の頭をグリグリと踏みつけ始めた。
「違う違う。そんなカメラで撮ったところで何の意味もないんだよ。ライブ配信するくらいじゃないと! でもそうしたら困るのはきっと灯とこうただよ」
「っ……なにを言って」
「だってそうだろう? 犯罪者の妻と息子。世間はきっとそういう目で見るようになる」
「そんなわけないだろ! お前が悪者で全部終わりだ!」
声を上げた四暮に「フッ」と男は鼻で笑った。
「残念だが世間はそんなものだよ。表面的なことしか見ていない。一部の人間は真相を知って同情してくれるかもしれない。だけどね、拭えないものは確かにあるんだよ。受験、就職、人間関係。かなり苦労することになるのは目に見える。子どもの君たちでも想像くらいできるだろ?」
「っ……」
言い淀んだ五織と四暮を見て、男は嘲笑した。
「そ・れ・に!」
男は四暮を踏みつける力を強めた。
「まだ依然として優位なのは僕なんだよ。このチビの頭をここでかち割ってもいいんだぞ?」
「……正気か?」
「僕としても積み上げてきた地位がある。それを壊されるのは嫌だからね。でもそれを世間に流すというのなら、コイツの頭を潰すくらいなんて事ない」
「っ……」
「さて、どうする?」
「五織! 俺のことは――がっ!」
声を上げた四暮を男はまた再度踏みつけて、四暮を無理やり黙らせる。
「カメラを渡せ」
男が手を出し、五織に渡すように促すと五織は奥歯を噛んでカメラを下ろした。
「いお……り!」
ゆっくりと五織は歩を進め、首にかけていたストラップを外した。そして、男の差し出した手の近くまで行くと足を止めた。
「渡せ」
「――嫌だね」
「っ――」
五織はカメラを地面に置くのと同時、一気に男の懐に飛び込んで、四暮から押し剥がすと、男と共に地面を転がった。
「四暮! カメラ持ってこうたくん達と逃げろ!」
「わかった!」
「このガキがぁ!」
男は声を荒げ、五織を引き剥がそうと、上に乗る五織の背中を殴り付ける。
(運動能力向上を舐めるなよ……)
五織は四暮達が車に乗り、エンジンをかけるまで男を拘束するつもりだったが、突然、背中に強烈な痛みが走る。
男が隠し持っていたナイフで五織の背中を刺したのだ。二度目、三度目と刺され、たまらず五織は拘束を解いた。
「っあ」
苦痛に声を漏らす五織を尻目に男はすぐに立ち上がると、悶える五織の腹部を蹴り付けた。
「いいのか! コイツが死ぬぞ!」
「死なねぇよ!」
五織は倒れたまま男の足を掴むと、思い切り上へと投げて、男は地面に倒れ込んだ。
「四暮! 構わず行け! 俺は大丈――」
男は倒れ込んでもなお、五織の顔面目掛けてナイフを振り、五織は寸前で躱したが、肩にナイフが突き刺さった。
「が……ぁぁあ!」
五織は痛みに耐えナイフを握る男の手を掴むと、両脚を広げ、男の頭へと回し、そのままぐるりと回り込んで男の上へと乗り上げた。そして、その勢いで緩んだ男の手からナイフを取り上げ、遠くへと投げ捨てた。
そのやり取りを見届け、車は発進して五織と男だけが残った。
「……まだやる気か」
「くっ……ふは。ハハハハ」
完全に封じ込められ、車も行ってしまった今。男はとうとう諦めたのか、壊れたように笑い始めた。
ひとしきり笑ったあと、男はハァと大きなため息をついた。
「……この手は使う気がなかったんだけどなぁ」
「何をだ?」
「……僕は心配性なんだよ。自分でも異常だと思うほどにね? いやぁでも準備はしておくものだよ」
「だから何を――」
五織が声を上げたのとほぼ同時、大きな爆発音が遠くから鳴り響いた。
「あの車にはとある改造を施してたんだけど、ここに着いたときにロックを解除した。まぁつまり今の音はガソリンに引火して爆発した音だね」
呆気からんと男はそう告げると、五織は男を殴りつけて立ち上がり、音の方へと駆け出した。
「…………く……そ、がぁぁぁぁぁああ!」
目の前に広がる火の海――その中心で燃え上がる車を見て、五織は膝から崩れ落ち、地面を殴りつけた――
そして、五織はゆらゆらと立ち上がり、放ったナイフを見つけると自身の首元へと躊躇なく刺した。




