第23話 生きろ
「父さんはなんでケーキ屋さんになろうと思ったの?」
「さぁ、なんでだったかな」
四暮の質問に答えつつ、四暮の父は手を動かすことをやめない。
四暮の父は基本的に厨房にいることがほとんどで、手際良く、スピーディーだが繊細な手つきのそれを見るのが四暮の日課だった。
「……やってみるか?」
「ううん、今日はいい」
「おお、そうか」
あまりにも真剣に見ていたために、興味があるのかと思った父だったが、四暮の反応は意外にも簡素なもので、思わず父の方が驚いていてしまった。
「腰、痛くないの?」
厨房のテーブルは小学生の四暮の身長でも十分に見えるくらいで、父がずっとそのテーブルに向かって腰を曲げて作業をしているのを四暮は幼いながらに心配をした。
「ん? ああ……今は痛くないよ」
「今は?」
「そう。今は」
父はニコッと笑った。きっと集中している今は痛くないということなんだろう。それだけケーキ作りに没頭しているということだ。
2時間、3時間とその手を見ているうちに四暮はいつの間にか寝てしまったのか、次起きたときは自室のベッドであった。
薄暗い窓の外を見ると、犬の散歩をしている人や日課のランニングをしている人がおり、早朝であることに気づく。
階段を降り、厨房に入ると、昨日と変わらない父の曲がった背中があった。四暮の父は身長が165とそこまで高くなく、かつ、どちらかと言えば痩せているので小さな背中だ。
だが、四暮にはなんだかその曲がった背中が大きく見えた。自分が小さかったからではない。仕事に没頭し、自分の好きなことをやっている人の背中がこんなにも大きいのだと四暮は思ったのだった。
▶︎▷▶︎
車から降りてきた人物に四暮は軽蔑の視線を向けた。
ヘッドライトの逆光をようやく抜けて、露わになった姿は中肉中背で黒縁の眼鏡をかけた特色の無い男であった。
悪びれもせず、飄々としたその男は口笛を吹いたかと思えば、四暮の前に立って柔和な笑みを浮かべた。
「よくやってくれたよ君! 妻と息子の自殺を止めてくれてありがとう!」
そう言って男は四暮の肩をぽんぽんと叩くと、四暮はその背筋を強張らせた。
「っ――」
妻と子が自殺をしようとした原因の人物であるのは言わずもがな。焦りもせず、満面の笑みを浮かべて「ありがとう」とお礼を言う。その精神異常性に"身の毛がよだつ"とはこのことかと四暮は思わず後退りした。
「こうた! いつまでそうやって人の後ろに隠れてるんだ! 出てきなさい」
四暮の後ろで縮こまるこうたに男が声をかけるも、こうたは動こうとしない。すると、男はため息をついて、その場を通り過ぎ、灯のもとへ歩を進めた。
「……なんで、どうやってここが?」
しどろもどろに灯がそう聞くと、男はまたにこやかに笑い、ポケットからスマホを取り出し画面を振って見せる。
「そりゃあ、GPSに決まってるだろ! 最近はこんな山の中でもちゃんと機能していてすごいよなぁ?」
「……っ、スマホは置いてきたし車のGPSはとったはず!」
「甘いって灯。僕は心配性なんだ」
男はそう言うとこうたに視線を向けて、自身の頭を指差しトントンと叩いてみせた。
「帽子に……!」
こうたはそれに気づいて被っていた帽子を地面叩きつけると、キッと男を睨みつけた。
「……おいおい、それが父親に向ける視線か? なぁ!」
逆鱗に触れたのか、男は突然声を荒げると、こうたに掴み掛かろうとする。
「待ってください!」
だがその間に四暮が腕を広げて立ち塞がると、男はピタリと止まった。
「こうたも灯さんも疲れてるんですよ! ここで怒ったって仕方ないでしょ。とりあえず今日はもう――」
「うるさいよ」
男は立ち塞がった四暮の頬を躊躇なく殴りつけ、四暮は地面に倒れ込んだ。
「しぐれ!」
「四暮くん!」
「学生風情が、他人の家庭事情に首を突っ込むな」
男はそう吐き捨てると、こうたの頭を鷲掴もうと手を伸ばす――
だが、男の体がピタリと止まり、背後を睨みつけた。四暮が男に抱きついてその足を止めたのだ。
「灯さん! こうた! 逃げろ!」
「でも!」
「灯さんにもこうたにも俺は助けられた! お返ししないと!」
「十分よ! もう……あなたが傷つく必要なんてないわ!」
「ぎゃあぎゃあ、やかましいんだよ!」
男は体を振り払い、四暮を引き剥がそうとするが、四暮はしがみ付いて離さない。
「……しぐれ」
「こうた! お母さんを連れてけ!」
「でも!」
「……生きろ!!」
「っ……」
四暮の声にこうたは駆け出して、座り込む灯の手を取った。
「お母さん! 行こう!」
「こうた……」
よろよろと立ち上がり、ようやく2人はその場から離れ、車へと乗り込んだ。エンジン音が鳴り、ヘッドライトがつく。
(良かっ――)
一瞬の安堵に力が抜けた四暮を男は見逃さず、体を捻って四暮を振り払うと、首を掴み上げ地面へと叩きつけた。
「かっ……」
「四暮くん!」
「いいのかぁ? お前らが逃げるのなら俺はこいつを殺すぞ!」
「やめて!」
灯は車を出すのを止め、車から出てくると両手を挙げた。
「……私が悪かった。もうこんなことはしないから……お願い、四暮くんに手を出すのはやめて」
「当たり前だよなぁ!」
男は声を荒げ、灯の謝罪を嘲笑い、額に手を置いた。
「俺は悲しいよ、灯ぃ。こんなに胸を痛めつけられたのはいつ以来だろう? なぁ!」
「がぁ!」
感情の起伏と共に、男は四暮は思い切り蹴飛ばし、四暮は地面を転がった。
「四暮く――」
「しぐれをいじめるなぁ!」
灯より先に飛び出したこうたが、男の背に飛び付き、首に手を回して全体重を後ろへと倒す。
「お前なんて要らない! お前の言うことなんて聞くもんか!」
呆気に取られ首を絞められる男は、苦しみながらも体を振り回してその拘束を解こうとする。
「この……ガキがぁ!」
ゆらゆらと蹌踉けながら、男はやっとの思いで首を絞めるこうたを振り払う。
だが、振り払ったその場所は地面の端――断崖絶壁。こうたは深い暗闇へと放り出された。
「――こうた!!」
灯の悲鳴が山に響く――
それとほぼ同時、こうたが伸ばした手を四暮はギュッと掴み取ると、自分の身体を投げ捨て、こうたを引っ張り上げた。
「しぐ――!」
こうたが名前を叫ぶ頃には、四暮の姿は暗闇の底に落ちていた。
▶︎▷▶︎
「……また」
2度目の巻き戻しに澪は胸をざわつかせた。再度巻き戻ったということは五織がもう2度も死に直面したことになる。明らかな異常事態であることは紛れもなかった。
「どうした? 澪」
突然立ち止まった澪の方見て二麻がそう問いかけると、澪は背を翻した。
「ごめん、二麻。ちょっと行くところあるから」
「あ、おい! ちょっと!」
後ろから二麻の声が聞こえるが、澪は構わず前を向いて駆け出した。
前のループではとうとう五織を見つけることができなかった。つまり五織はまだ捜していない別の場所にいるはずだと、澪は正面出口の方へと向かった。
だが、出口の方のベンチには先生が座っており、澪が来るなりその場を立ち上がった。
「そこにいるのは三宮寺か? まだ外に出る時間じゃないぞ」
「あ、先生。いつからそこにいました?」
「ん? 夕飯終わってすぐにはいたぞ。お前達が勝手に出ていくから……」
そう言って先生は額に手を当てた。昨日の夜も脱走した生徒はそこそこいたようで、その表情に先生達の苦悩が窺える。
「あはは。みんな浮かれてるから……。でも今出て行った人はいないってことですね。ありがとうございます!」
「あ、おい。誰かいなくなったのか?」
先生の声は澪に届いていたが、あまり騒ぎ立てると面倒になると、澪は何も言わずに駆けて行った。
「どこに行ったの? 五織くん」
前のループで捜したところ以外は大体見回ったはずだが、それでも五織の姿が見つからず澪がそう呟くと、目の前に奏乃の姿が見えた。
「皇さん!」
「三宮寺さん?」
駆け寄ってきた澪は息を切らしていて、奏乃は不思議そうに首を傾げる。
「どうしたんですか? そんな息切れして」
「五織くんが今どこにいるか知らない?」
「え? えっと、部屋で休んでると思います。具合悪そうだったんでさっき連れて行ったところです」
「そっか! ありがとう!」
「あ、三宮寺さん?!」
お礼だけ言って駆けて行ってしまった澪の後ろ姿を奏乃は心配そうに見つめた。
▶︎▷▶︎
五織達の部屋の前に立つと澪はコンコンと部屋をノックし、ドアを開けた。このホテルに泊まっているのは緑英の生徒だけなため、先生達の部屋以外は鍵が開いている。
「五織くん!」
部屋の中は暗く、澪は入口横のボタンで電気をつけると、一箇所布団が盛りあがっているのを見つけ、勢いよく布団を剥いだ。
「…………こんなのカモフラージュにもならないでしょ」
疲れもあってか澪は呆れ声を漏らすと、そのまま部屋を出て行った。
――澪は自分の部屋へと戻る。
あまりにも見つからないために二麻にも協力してもらおうかと思ったが、どうやら二麻は先に入浴に行ってしまったらしい。ローテーブルに「先お風呂行ってくるよー!!」というメモ書きだけが残されていた。
「そりゃそうだよね」
空回りに次ぐ空回りに、澪は辟易してしまった。そんなとき、ふと外が気になって窓の方へと近づいた。澪達の部屋はホテルの正面口側を向いており、着替える時は必ずカーテンを閉めるようにと念押しされていたため、「面倒だからずっと閉めとこうよ」と言った二麻の提案でカーテンが閉め切られていた。
だが、澪はそのカーテンを開けて外を覗くと、正面玄関の方に車が停まっているのを見つけた。
「こんな時間に車?」
生徒達を狙った不審者かと疑ってしまうが、その車から四暮が出てくるのを見つけると、澪は目を見開いて驚いた。
「まさか……」
澪は部屋から飛び出して、正面出口まで勢いよく駆け出す。もちろん、突然走ってきた澪に座っていた先生は気付くが、否応なしに澪は外に出て行ってしまう。
「三宮寺?! どこ行くんだ!」
ホテルを出た澪は一目散に先ほど車が停まっていた場所まで辿り着くと、今まさに乗り込もうとしていた四暮の肩を捕まえる。
「待って。私も行かせて」
「なんでここに!?」
「いいから!」
「……灯さん。俺の友達も乗ります」
「え、ええ」
四暮も灯も戸惑うまま澪を乗せて、車は走り出した。
「なんで澪が……」
「なんか友達の緊急事態を感じたから」
「それで急に乗り込んでくるか? 普通」
「四暮くんが普通じゃないことをしてるからでしょ」
「いやそうなんだけどさ……まぁでも澪がいるなら心強えな」
▶︎▷▶︎
「澪さんが連れ去られた……って?」
「ウチもよくわかんねーんだ。澪が正面口から出て行ったかと思ったらそれを追いかけた先生がそこから走り出す車を見たって」
「……車?」
「たまたまそこに居合わせた不審者が澪を連れて行ったってこと?」
「わかんねぇんだ。でも実際、澪はいないし……」
「四暮だけじゃなく……澪まで」
「え?! アイツもいないのかよ! どうなってんだ」
「……澪さんが四暮を見つけた?」
五織はボソッとそう呟くと、遥は顎に手を置いた。
「四暮が何かに巻き込まれていたのを見つけて、助けに行った……澪ならやりかねないね」
「……そっか。車だ」
中村に殺される直前、五織は大通りを通り過ぎて行く車を見た。もしかしたらアレが四暮の乗った車だったのかもしれない。というか、あの時間にあそこを走っている車なんて限られており、ほぼ間違いないと言っていいだろう。
「行こう! 多分、車が向かったのは山頂の方だ」
「ちょっと待てって! 今は先生が捜しにいってる! ウチらまでいなくなったらまた騒ぎになるぞ!」
「二麻さんは待っていてくれ。もし先生達が気付くようだったら誤魔化して欲しい」
「誤魔化すって言ったってなぁ……」
「大丈夫。四暮と澪を連れて戻るよ」
そう言って、五織と遥はまた裏口から外に出て行った。取り残された二麻はハァとため息をつくと、横にいた中村を睨みつけた。
「なんでアンタがあの2人といたの?」
「俺も何が何だか……」
なんとなく気まずい空気が流れ、二麻はまたデカいため息を吐いた。
お読みいただきありがとうございます!
前半の四暮の話はループ前。後半の澪の話は2ループ目。ループが混在して読みにくいかもとも思いましたがご愛嬌で……




