第21話 そんなことあってたまるかよ
『手足が大きいから、四暮はきっと背が高くなるねぇ』
それは今は亡き祖母に言われたことだった。
実際小学校低学年までは背の順で並ぶと一番後ろから3番目くらいであり、これからもっと伸びてずっと後ろにいるもんだと四暮はそう思っていた。だが、四暮の背は150超えたあたりで全然伸びなくなり、いつの間にかどんどん前へ前へと順番が変わり、中学に入る頃には周りと比べてかなり低い方になってしまっていた。
別に背が低いからと言って悪いことはそれほどなかった。なんとなくで始めたハンドボールでは身長でそれほど左右されることはないし、ケーキ作りで腰を痛めることもない。
でも、そうなると思っていたものが、なかなか思った通りになってくれないと気になってしまう。ただそれだけなのだ。
ただそれだけだったのに、いつの間にか四暮は自分自身を卑下し、誰かの視線を気にするようになった。
(ああ、コイツ今。背が低いって思ったな)
そういう視線は気持ちのいいものではなかったし、それに気づいてしまう自分が四暮は嫌だった。だから、開き直ってしまった方がずっと楽だと思って自虐的に自分から言うようになった。
『今小さいって思ったろ?』
それはある意味では視線からの逃避であり、人と感情を交わす機会の喪失であった。
だが、五織や遥、澪や二麻との日常が感情の氷を徐々に溶かし、失ったそれを取り戻した。いや、それが本来あったものなのかも四暮はわからない。
「……これって」
それはきっと見えなくてもいいものであった。
▶︎▷▶︎
「何やってんの? 中村」
「……東城か」
夕飯を食べ終わった四暮は、廊下でコソコソと何かを覗いている中村に声をかけた。
中村が覗いている方を四暮はチラリと目を向けると、そこには五織と奏乃の姿があり、「ああ」と四暮は悟った。
「他人の色恋覗き見るなんて、趣味悪いぞ」
「は?」
「まぁ気持ちはわかるけどよ、こういうときに周りがあーだこーだ言うのが本人達が一番嫌がることじゃね?」
「なら上手くいかなきゃいい。繰生の野郎、調子乗ってるからよ」
「……何があったのか知らないけどさ、落ち着けよ」
チッと舌打ちをした中村の肩に四暮は手を乗せる。すると、それまで笑みを浮かべていた四暮の表情が陰った。
「……お前、五織になにかする気か?」
「っ……なにかってなんだよ」
四暮の言葉に一瞬驚きを見せた中村に四暮は猜疑の目を一層強くした。
「外行こうぜ」
「は?」
「言い分なら俺が聞いてやるからさ、一旦外行って落ち着こうぜって話」
「……お前に指図される謂れはない」
「ほーん。中村って彼女いたよな」
「っ……」
「俺、声だけはでかいからよ。あ、普通に声はでかいけど、そういう意味じゃねぇよ?」
「……わかったよ」
四暮の脅しに中村は渋々ついて行くことに決めると、2人はホテルの裏側から外に出た。外は自販機の明かりだけが灯って薄暗く、気温も昼間とは違い、かなり寒くなっていた。
四暮は半袖のシャツに短パンだったため、少し肌をさすった。
「それで? 五織が何したっていうんだよ?」
「……単にムカつくってだけだよ」
「皇さんか?」
「……」
「そういうことね」
四暮の勝手な推測ではあるが、おそらく中村は奏乃に告白でもしたのだろう。
四暮は頭の後ろをかいて、ハァとため息をついた。
「振られた腹いせにって? 女々しいぞ」
「っ……うるせぇ!」
どうやら四暮の推測は正しかったらしく、中村は声を荒げて四暮の襟元を掴み上げた。
「……お前彼女いるんだろ? 別にいいじゃねぇか」
「それとこれとは話が別だ!」
「いや別じゃねぇだろ。人には好みがあんだろ? 皇さんとは合わなかっただけ。それだけじゃないか。あれもこれもと全部手に入ると思ったら間違いだぞ?」
「うるせぇ!!」
中村は掴み上げた四暮を投げ飛ばし、四暮は地面に尻餅をついた。
「いってぇ」
尻餅をついた際に手をついた場所が悪く、ゴツゴツとした石に手をついたため右手から血が出ていた。
「奏乃のヤロウ、俺を振ったとき今は誰とも付き合う気がないとか言ってやがったくせに自分から尻尾振って繰生に? ふざけんな!」
「おいおい、別に振る理由なんてそのとき無理やり出したに決まってんだろ。真に受けるなよ」
「うるせぇ!」
声を荒げ、四暮の言い分は一切聞こうとしない中村に辟易する。だが、四暮は同時に不思議に思う。
(中村ってこんなに話が聞けないやつだったか?)
普段の中村は自己評価の高いような物言いが目立ちさえするものの、基本的には話しやすく、体育の授業ではあまり運動が得意でない奴らにわざわざ教えに行くくらいにはいい奴というのが四暮の評価だ。
だが、今の中村は何かに取り憑かれたかのように豹変し、ちょっと異常な雰囲気だ。
「……落ち着こうぜ。あんま声荒げると先生が来て問題になるぞ」
「……チッ!」
中村はホテルの壁をドンっと殴りつけると舌打ちをして、暗闇の方へと歩き始めた。
「あ、おい! どこ行くんだよ!」
「うるせぇな。頭冷やしに行くんだよ! 付いてくんな!」
物騒な物言いだが、冷やしに行くというなら四暮も追いかけられない。今のままホテルに戻られて暴れられても困るからだ。
暗闇の中に中村の姿が消えて行くと、四暮はゆっくりと立ち上がった。
「あんま見えねぇけど、洗った方が良さそうだな」
四暮は近くにあった水道で傷ついた右手を洗うと、パッパッと手を払って水を落とした。
「……でもさすがに様子は見に行った方がいいよな?」
「付いてくんな!」とは言われたが、さすがにこの暗闇の中では迷子になってしまう可能性がある。それにかなり冷え込んでいて、ジャージを着ていたとはいえ、中村も寒いはずだ。
「世話がやけるな」
四暮はグッと伸びをして、ハァと白い息を吐くと中村が消えていった方に駆けていった。
▶︎▷▶︎
「どこいった?」
あの様子じゃ、どっかに走っていったとかではないはずだが、四暮がいくら捜しても中村の姿はなく、途方に暮れていた。
「……戻るか」
さすがに自分が迷子になったら本末転倒だ。今なら走ってきた道をまっすぐ戻ればいいだけだし、ホテルに戻ってまだ中村がいないようだったら先生に伝えればいい。
「恋愛は人を狂わせるなぁ」
そんなことをぼやきつつ、四暮は来たはずの道をゆっくり歩いていた。
「……あれ?」
だが、いつまで経ってもホテルの明かりを見つけることができず、四暮は迷子になったと自覚する。
「やべぇ! もうすぐ入浴時間も終わってキャンプファイヤーなのに!」
頭を抱え、どうしようどうしようと焦る脳内。だが、四暮はすぐに切り替えるようにと自分の頬を叩き、冷静になろうと深呼吸する。
「焦っても仕方ねぇ。まずは大通りに出よう」
四暮は辺りを見回して手頃な石を手に持つと、近くの木に擦り付け、バッテンを描いた。
「五織とかなら星の位置で方向とかわかるのかもしれねぇけど、さすがにそんな学は俺にない。だから手当たり次第進むしかねぇ」
とりあえず今きた道とは違う方向へと当たりをつけ、突き進むことにした。一度通った方向には向かわないように、ある程度の区間で通り過ぎる木に石でバッテンをつける。
だが、不幸中の幸いか、四暮は一発で大通りに出る。そこは昼間にウォークラリーで何度も通った道だ。
「暗いと全然わかんねぇ!」
大通りに出れば看板もあるはずだし、少し明かりがあると思ったが、その期待は外れて、結局四暮は頭を抱えた。
「でもまぁ、この道を外れなければどっかにはたどり着くだろ」
緑英の生徒が泊まっているホテルでなくても、とりあえず他の建物やペンション等にたどり着けば、連絡もつくし、何とかなると四暮は歩を進める。
すると暗い中、四暮の方へと向かってくる光が見え、四暮が手を振るや否や、四暮の目の前で停まった。
「四暮くん?!」
「灯さん?」
▶︎▷▶︎
灯の車に乗せてもらい、四暮は安堵の息を吐いた。後部座席にはこうたも座っており、昼間と変わらず俯いて元気がない様子だった。
「すみません、またお世話になっちゃって」
「いいのよ。最後に四暮くんに会えて私もこうたも嬉しいわ」
「そうですよね、今日帰るって言ってましたもんね!」
「……うん」
「こうたもいつまでそんな顔してんだー?」
「……」
四暮が明るい表情で話しかけても、やはりこうたは反応がなかった。
車が道を走ること5分。すぐにホテルの目の前まで到着する。さすがに表から入ると先生から怒られることは見えているため、少し離れたところで停めてもらった。
「ホント、ありがとうございました! このお礼はいつか必ず」
「……いいのよ。本当に。四暮くんに元気もらえたから」
「そうですか? そんな言われちゃうと照れちゃいます」
四暮は調子の良い笑顔を浮かべ、頭の後ろをかいてそう言うと、こうたに最後に挨拶しようと後部座席の窓を小さく叩く。
灯がそれに気づいて窓を下ろすと、四暮は「ありがとうございます」とお礼をして、未だ顔を俯けているこうたに声をかける。
「なぁ、こうた。最後に握手だけしないか?」
四暮は窓枠から腕を入れて、こうたの前へと差し出すと、こうたの顔が少しだけ上がり、そうしてゆっくりと四暮の手を握った。
「――!」
笑っていた四暮の表情は驚いた表情へと変わり、そして、握る手を少しだけグッと力を込めた。
「ごめんなさい、灯さん。違ったら申し訳ないんですけど……」
「? ……どうしたの?」
「本当は帰るつもりなんてなかったんじゃないです?」
「……いや、私は――」
「さっき乗せてもらったとき、ホテルとは真逆の方向から来てた……山頂の方へ向かうつもりだったんじゃないですか?」
「……なんで今それを言うの?」
「……こうたが…………怯えてるから」
「っ――」
灯は血相を変えて車を発進させようとするが、四暮の手が未だこうたの手を握っていることに気づいて、灯はハンドルから手を離した。
「もう一度乗らせてもらっても良いですか?」
「……ええ」
▶︎▷▶︎
揺れる車の中、今度は後部座席に乗った四暮は、車が停まるまでの間ずっとこうたの手を握り続けていた。車内は一切の会話がなく、ただ車の走る音と、たまに狭い道で草木と車が擦れる音だけが鳴っていた。
そうして、ようやく車が停まる。
「――着いたわ」
灯はそう言って車から降りると、四暮もこうたと一緒に車の外に出た。そこは今日のウォークラリーで来た山頂から少し外れた場所であり、木々もほとんどなく開けているが、目の前には何もない。断崖絶壁であった。
「……ここが目的地?」
「そうよ」
冷たい風が流れ、静寂が流れる。
そして、遂に四暮が核心を突く言葉を放った。
「死ぬつもりですか?」
灯も、四暮と手を繋いでいるこうたも一瞬驚きの表情を見せたが、灯は小さく頷いた。
「そうよ」
「っ――なんで!」
四暮は声を上げ、灯に何故かと問う。
すると、灯は着ていた薄手のカーディガンを脱ぎ、その細い腕を露わにした。暗くてよく見えないが、その腕には数ヶ所に青痣が浮かんでおり、その中にはまだ赤く、痛々しい傷があった。
「……主人のせいよ」
「!!」
「この旅行は久々に主人なしで、こうたと2人、水要らずのはずだったの。なのに、あの人は……急に追いかけてきて、来るなり私とこうたを……」
灯はその場に泣き崩れ、四暮の手を握るこうたの手がギュッと強くなった。
「もう限界なの……お願い四暮くん……」
「――っ」
「見殺しにして! アイツが来る前に!」
泣き叫ぶ灯。その言葉がどれだけの傷が生み出したものなのか、四暮にはわかる。
手から伝わるこうたの怒りと悲しみが、四暮の心の滅多刺しにしていく。
四暮には見えるのだ、人の感情が。そして触れることでより深く。それがいつからか四暮が手にした特異の力だ。
故に四暮は言葉を失う――見えないはずのそれがはっきりとその目に映り、その歪んだ闇が傷の大きさを物語っている。
「っ……、灯さ――」
噤んだ口をなんとか振り絞って出した四暮の言葉は突如鳴らされたクラクションよって遮られる。
「ひっ……」
車が停められ、ヘッドライトがつけられたまま人が降りてきた。逆光で見えないが、灯とこうたの反応を見て――いや反応を見なくても四暮はそれが誰なのかよくわかっていた。
「おいおい、2人してこんなところで何してんだ? お父さんも混ぜてくれよぉ」
笑っているはずのその表情と声音。だが、禍々しく歪な闇が男を包み込んでいる。
(……これが父親が妻と子に向ける感情であってたまるかよ)
自分の知っている父親像と相反したそれを四暮は拒絶し、軽蔑の眼差しを向けた。




