第17話 林間学校なんて浮かれちゃうに決まってるだろ
梅雨を忘れた雲一つない晴れやかな天気に恵まれた今日。
この林間学校は野外での活動がメインになるから、この季節に雨に見舞われることなかったのはとても運が良いと言えるだろう。
バスが知っている土地を抜け、知らない風景が現れると、ワクワクで心を躍らせる。楽しみで昨晩は全然寝付けなかったが、その眠気すら心地良いと感じれるくらい気持ちが良い――
「オロロロロロロ」
――隣で四暮が吐いていなければ。
▶︎▷▶︎
「大丈夫? 四暮」
「……なんとか」
バスがサービスエリアに停まり、とりあえずバスから出た五織は四暮をベンチに座らせる。遥はトイレに行ってしまって、澪と二麻はまだバスの中でぐっすりであり、四暮の看病ができるのは五織だけであった。
「水買ってくるから、ちょっと待ってて」
「……わりぃ。頼む」
青ざめたまま手を振る四暮をベンチに残し、五織は自販機に急ぐ。20分ほどの休憩時間しかないが、大体の生徒はバスから出てきているため、サービスエリア内は緑英の生徒で溢れ、自販機もそこそこの列ができていた。
「五織くん、やっほー!」
「あれ、五織じゃん」
「今日の夜、大富豪やるから部屋こいよー!」
この2ヶ月でだいぶ知り合いも増え、すれ違うみんなに声をかけられながら、列が進むのを待っていると、自分の前に並んでいた生徒が振り返った。
「……随分と友達が多いんですね。繰生さん」
菜月に会ったのはテスト前の部活動。久遠にカメラの使い方を習った日であり、実に3週間前が最後になるが、随分と久しぶりな気がする。
「普通だと思うけど」
「……そうですか。私は自分のクラスですら友達いないですが」
そう言って俯いた菜月を見て五織はぽりぽりと頬をかいた。
「カメラ持ってきてるんだ?」
「え? ああ。はい」
五織が首にぶら下げたカメラを指差すと、菜月はそれを見せるように手に持った。
「写真部なのでせっかくだからと思い、持ってきたんですが、撮る機会が無さそうで」
「少し貸りてもいい?」
「? ……はい」
菜月がストラップを首から外し、五織に渡すと、五織はカメラを起動してモニターを回して片手に持ち替えた。
「はい、3、2、1」
――パシャ
「急に何ですか?」
突然カメラを向けられ、ツーショット写真を撮られた菜月が申し立てするが、五織は構わず周りにいるみんなの方にカメラを向けた。
「はい、みんな入って入って!」
五織がカメラに入るよう促すと「おお」「なになに」と言いながらみんなポーズをとる。
――パシャ
「七瀬もほら」
「え、ちょ――」
五織は半ば強引に菜月をその輪に入れると、カメラのシャッターを切る。そして、たまたまそこに居合わせた先生や生徒がカメラを取り出して写真を撮り始めると、至る所でみんなが撮り始め、いつの間にか小さな撮影会になっていた。
「みんな林間学校で浮かれてるからカメラ向ければポーズ取ってくれると思うよ」
「そういうものですかね」
借りたカメラを返すと、菜月は撮った写真を確認する。
「七瀬は考えすぎだよ。もっと気楽で良いんじゃない?」
「気楽?」
「そう! "友達"の定義もきっと七瀬の中じゃすごい難しいものになってると思う。もっと周りを見てみな。意外と友達はいるかもよ」
「……繰生さんは私の友達ですか?」
「当たり前。てか、友達とすら思われてなかったのかよ」
五織が笑顔を向けるも菜月はあまり納得いっていないようで、顎に手を置いて考えるようにしていた。
「あ、やべ。水買いに来てたんだ。それじゃあ!」
五織は当初の目的を思い出して、自販機で水を買うと、手を振って、すぐに立ち去ってしまう。
「……友達」
菜月が五織とのツーショットを見てそう呟き、微笑んだことは誰にも気づかれることはなかった。
▶︎▷▶︎
吐き気は外の空気が徐々に緩和してくれているが、まだそれでも気持ち悪さは抜けていかない。
あと10分もすればまたバスに乗らなきゃいけないから、このまま乗ったらまた嘔吐を繰り返すことになるだろう。
「大丈夫か!」
「あぁ、いお――」
五織が水を買ってきてくれたのだと四暮が顔を上げて返事しようとするも、上げた先には知らない子どもの顔があって四暮は固まってしまった。
「大丈夫ですか?」
戸惑い、固まっていた四暮に話しかけてきたのは大人の女性だった。その手には水のペットボトルが握られていて、どうやら四暮のために買ってきてくれたらしく、スッと差し出された。
「えっと……」
「とりあえず、水飲め! あと薬もあるよ!」
四暮が受け取るのを戸惑っていると、男の子がぴょんぴょん跳ねて、ポケットから取り出したのはラムネだった。
(どう見ても薬じゃないけど……)
四暮が女性――おそらく彼の母親の方を見ると母親は苦笑いして、
「良かったら受け取ってやってください」
と言うので、四暮は小さく頷いた。
「ありがとう」
四暮は男の子からラムネを受け取り、口に放ると、水を受け取ってグイッと飲み込んだ。
「どうだ! 効いただろ!」
「ああ! めっちゃ効いた!ありがとな」
四暮はスッとベンチから立ち上がり、復活したかのように胸を張って見せると、帽子の上から男の子の頭を撫で、母親に「ありがとうございます」と改めてお礼をする。
「あまりに辛そうだったから、つい声をかけちゃった。修学旅行か何か?」
「あ、林間学校です」
「そっか、楽しみね」
「はい! すごい楽しみで昨日は寝れなくて」
「ふふ、寝不足だから酔っちゃったのね」
「にいちゃん弱いなぁ! 俺はこれがあるから大丈夫!」
男の子はラムネを掲げ、胸を張ると、四暮はしゃがんで男の子と同じ目線になる。
「ああ。俺も助けられたよ、ありがとうな。えっと名前は?」
「こうただ!」
「そっか、こうた。良い名前だ。俺は四暮よろしくな。いい帽子被ってんな」
四暮がこうたの被っている帽子を指摘すると、こうたはキラキラと目を輝かせて、胸を張った。
「おう! しぐれ! よろしくな! これは譜面ライダー月光の帽子だぞ!」
「こら、呼び捨てにしない!」
こうたの態度に母親が叱るも、四暮は「まぁまぁ」と手を挙げた。
「大丈夫ですよ。俺、ちょうどこのくらいの妹と弟いるので」
「でも……」
「おかげさまで気持ち悪さも吹き飛びました。やっぱ薬って効くんですね」
四暮が笑みを浮かべると、母親の方もにこりと笑った。
「四暮くん、優しいのね。私は灯と申します。機会があればまた」
そう言って灯はこうたを連れてその場をあとにする。それとほぼ同タイミングで五織がこちらに向かってくる声が聞こえた。
「四暮〜! 大丈夫か〜!」
「おう!」
「あれ?ホントに大丈夫そうじゃん」
「ちょっと色々あってな」
「?……そうか?」
五織が首を傾げ、四暮はニッと笑う。さっきまでの気持ち悪さは本当にどっかにいってしまって、多分このままバスに乗っても酔うことはないだろう。
四暮は今度から長距離移動のときはラムネを持参することに決めた。
▶︎▷▶︎
「各自、部屋でジャージに着替えてここに集合だぞ〜。遅くなるとどんどんお昼ご飯が後ろ倒しだからなー!」
ホテルに到着すると、先生たちからのアナウンスを受け、五織達は各自の部屋に向かう。
「おお!」
和風の大部屋はローテーブルと座椅子が中心に置かれ、奥には広縁があり、窓の外には美しい緑が映っている。
置いてあるテレビやポッドなど少し古臭さはあるものの男6人が泊まる部屋としては十分な広さだ。
ちなみに部屋割りは五織、四暮、遥といういつものメンバーと学年内交流という名目のもとの林間学校でもあるため、加えてDクラスの男子3人という構成だ。3人ともサッカー部であるらしく、髪色が赤、黄色、緑と「信号機みたいな3人だなぁ」というのが五織の印象だ。
部屋をある程度物色し、荷物を置くとすぐさま着替え始める。
「Dクラスって運動部多いからドッジボール強そうだよね」
「んー、どーだろな。でもまぁ優勝は揺るがない気がするよ」
「何だと! 俺がいるAクラスの優勝で決まってるだろ!」
「おお、すげー自信。ハンドボールやってるんだっけ? 四暮くんは」
「おう! そうだ!」
「ハンドボールやってる奴がいると強いのは確かだろうけど、うちにはもっと化け物がいるからな」
「もしかして、七瀬菜月さん?」
遥がそう言うと、Dクラスの男子達はこくこくと頷いた。
体育の授業は男女別であるが、今回の林間学校のドッジボール大会は男女混合で行う。
最初は腕力に差がある男子と女子が混合でやるのはどうかという議論が行き交い、男子が女子に思い切りぶつけるとブーイングが飛んでくるという話も出ていたが、それをぶち壊した、ルールブレイカーが七瀬菜月だ。
つまりは男女別にした場合、女子側の試合が菜月が全てを薙ぎ払って一瞬で終わってしまうために男女混合ということになったということだ。
「つーわけで、優勝はDクラスだ」
「いんや、俺が七瀬さん倒してやるよ」
(……いや、俺が勝つ)
Dクラスと四暮が張り合う構図に五織もまた参戦しようと思ったが、異世界の力がある今、そんなことは言えないことにどこか歯痒さを覚えた。
▶︎▷▶︎
「えっと……何かついてますかね?」
「あ、いや」
澪と二麻と同室は五織たちと同じくDクラスの女子であり、その中には七瀬菜月の姿もあった。
女子達は着替え終わったあと、髪を結んだり、身なりを整えており、澪は準備が終わったため部屋の隅で座っていると、同じく準備を終えた菜月を凝視してしまっていた。
綺麗な黒髪に惹かれて見ていたのもそうだが、何より澪にはずっと違和感がぶら下がっていた。
(なんか七瀬さんともうちょっと親しかったような)
その七瀬さんという呼び方もなんだか心の底で不思議と何か引っかかりを覚え、廊下ですれ違うときもなにかと彼女のことを見てしまっていた。
「えっと……七瀬さんって五織くんと同じ中学なんだよね?」
澪の問いに菜月は「うーん」と考えるようにした。
「聞いた限りはそうですね」
「聞いた?」
「……同じ中学出身ですし、小学校も幼稚園も同じだったみたいです。ただ、繰生さんと会ったことがある気がしなくて」
「そうなんだ? ずっとクラスが違ったとか?」
菜月は小さく首を横に振った。
「……わかりません」
「そっか! まぁ私も幼馴染がいるんだけど、あんまり記憶ないし、そんなものかもね!」
「ですかね」
澪がそう笑って見せると、菜月もほんの少しだけ口角を上げた。
「あ、ごめん、自己紹介してなかったね。私は三宮寺澪。良かったら澪って呼んで!」
「澪さん」
「さんかぁ、まぁ今はそれでいいか! 菜月ちゃんって呼んでいい?」
「……はい。構いませんが」
「良かったぁ、前に菜月ちゃんをお昼に誘ったとき、きっぱり拒否られたから不安だったんだー」
「あ、いや、あれは。知らない人と一緒にご飯なんて、私がいたら空気が悪くなるかと」
「そんな気にしなくていいのに! こっちから誘ってるんだし、良かったら今度こそ一緒にご飯どう?」
「はい……ぜひ」
「やったぁ!」
「なーに澪、楽しそうにして。ウチも混ぜてよ」
会話の中に二麻が入ってくると、他のDクラスの女子達もその輪の中に入ってきた。
「七瀬さん、私とも話してよー」
「え?」
「バスでも何度も話しかけたのに、無視されてたしぃ」
「そんなつもりは……」
「ほら、やっぱり。七瀬さんぼーっとしてるだけなんだって」
「ちょっとその評価には異議を唱えたいですが」
「いや、ぼーっとしてるじゃん。クラスでもずっと窓の外見てるし」
「てか、七瀬さん綺麗な髪なんだからそんなテキトーに結んでると傷んじゃうよ」
Dクラスの女子が菜月の髪に触れると、菜月は驚いたまま口をパクパクさせた。
「せっかくだから、三つ編みにしよー!」
「あ……えっ」
いつの間にか、菜月は女子5人に包囲され、有無も言わさず髪をいじられる。
――『もっと周りを見てみな。意外と友達はいるかもよ』
五織に言われたことを思い出し、菜月は微笑んだ。
(繰生さんの言う通りですね)
「あ! 七瀬さんが笑った!」
「初めて見た!」
このあと、菜月の三つ編みで時間がかかったために集合時間を過ぎてしまって怒られたが、怒られて楽しいと思ったのは菜月にとって初めてのことだった。