第16話 妹の扱いが難しい
――ありえない。目の前にいるこの子が彼女であるわけがない。そうわかってはいても、心は揺れ、手は震え、確かめるようにその名前を口に出す。
「――レイ……?」
五織は辿々しい足取りで彼女へと近づくと、彼女の両肩に手を置いた。
「……あの」
すると、彼女は五織のその手をゆっくりと剥がすと、五織の首にかけているカメラのストラップを取り、カメラをベンチに置く。
「……なにを?」
五織が不思議そうにその過程を見届けると、彼女はニコっと笑い、五織の首元を掴み取った。
「急に触れてんじゃないわよ!」
五織の視界はぐるりと回り、背中から地面に叩きつけられる。異世界の癖で咄嗟に受け身を取ったから痛みはないが、それよりも急に背負い投げられたことに頭の処理が追いつかない。
(え? 何が起こった? 投げられた? わざわざカメラ置いて? 触れたから? え?)
思考が追いつかないまま五織が見上げると、彼女はキッとコチラを睨みつけていた。
「誰よ。アンタ。こっちが親切心でイヤリング渡してあげたっていうのに急に触ってくるなんて!」
「……あ、いや」
(……誰よ。か)
五織の淡い期待は簡単に打ち砕かれ、気を落とす。それはそうだ。ここに彼女がいるはずなどないのだ。わかっていたのに、感極まって思わず触ってしまった。
だが、声も顔も咄嗟に人を背負い投げるようなところも、全て五織の知っている彼女そのもので、そうなってしまったのもしょうがないと勝手に自分に言い訳をする。
世界には自分と同じ顔の人が他に2人いると言うし、それが異世界ともなれば同じ顔の人だってきっといるんだろう。
そう結論付け、人違いだったと弁明しようと五織が立ちあがろうとした時、コチラに向かってくる声が聞こえてそっちを向いた。
「レイナ先輩! 何やって……」
こちらに走ってきた少女は、連れの彼女に状況を確認しようと思ったのだろうが、地面に座る五織を見て固まった。そして、五織もまた同じようにその少女を見て固まった。
「……お兄ちゃん。何やってんの?」
「六叶……」
その少女は五織の二つ下の妹。繰生六叶だった。
「……どういう状況?」
六叶は座り込む五織とレイナと呼んでいた彼女の表情を見て、そう問いただすと、五織が頭をぽりぽりとかいて「あー……」と言いながら立ち上がった。
「いや、俺が知り合いと勘違いして、失礼をしてぶん投げられたところ」
「はぁ」
端的にそう説明すると、六叶は呆れたような顔をして、レイナの方を見ると彼女も小さく頷いた。
「……あなた、六叶ちゃんの兄なのね」
「そうです。急に触って申し訳なかったです。失礼しました」
五織は深々と頭を下げると、レイナも「別にいいわよ」と顔を上げさせた。
「てことは、あなたがお姉ちゃんの言ってた五織くん?」
「お姉ちゃん?」
「私は三宮寺澪菜。三宮寺澪の妹よ」
そう名乗られて、やっと五織の中で結びついた。レイにそっくりな澪菜。その姉ともなれば、レイと似ているのも頷ける。それでも澪菜が何故レイとそっくりなのかはわからないが。
「そっか、澪さんに妹がいたんだ。改めて繰生五織です。よろしく」
「よろしく」
澪の妹で、六叶に先輩と呼ばれていたからおそらく一個下なのだと予測ができるが、その澪菜の態度に五織は少しだけ顔を顰める。
「……俺、一応年上なんだけど」
「別にいいじゃない。なんかあなたに敬語使うのが気が引けるのよ」
「……なんだよそれ」
その物言いに五織はため息を吐くが、「まぁいいか」と六叶の方に顔を向ける。
「それで? なんでここに?」
「いや、こっちのセリフだし。私は澪菜先輩と遊んでたところ」
「ほーん。部活の付き合いかなんか?」
「そ! 剣道部の先輩。お兄ちゃんこそ何してるの?」
「俺は勉強の息抜きに写真撮りに」
ベンチに置いてあるカメラを指差すと、六叶は「ふーん」と興味なさそうな返事をする。
「写真部入ったんだっけ? 盗撮と間違われないようにしなよ」
「そんな怪しく見えるか?」
「いーやー、誠に遺憾ながら、うちの兄貴は顔はよろしいですからね。どちらかと言えば盗撮される側なのが否めんですね」
「なんだその変な日本語は」
「それより、たまには家帰って来なよ? あの事故あってからお父さんお母さん、心配でしょうがないみたいだから」
「ゴールデンウィークに帰ったろ?」
「私がいなかったけど?」
「今会ったじゃないか」
そう言ってポンポンと頭に手を置くと、「ちょっと」と言ってその手を払いのけた。
昔はお兄ちゃん、お兄ちゃんと言ってついて来たと言うのに、思春期の妹というのは扱いが難しい。
「仲がいいのね」
「いやいや、そんなことないです」
そのやりとりを見ていた澪菜が口元を緩めてそう言うが六叶が慌てて否定する。六叶のあまりの否定の速さにつっこみたくもなるが、それよりも五織は少し寂しそうに笑う澪菜の反応の方が気になっていた。
(澪さんと仲が悪いってことはなさそうだと思うけど)
誰にでも優しい彼女のことだ。妹の澪菜とも上手くやっていると思うが、どうも澪菜の反応を見るに何か事情がありそうな感じだ。
「……そんじゃ俺はそろそろ、六叶をよろしく。あと澪さんにもよろしく」
「え、お兄ちゃん。もう帰るの?」
「テスト勉強があるからな。息抜きで出て来ただけなんだ」
だが、それを今ここで聞くのは野暮だと思い、五織は早々とその場を後にする。写真も撮れたし、テスト勉強の息抜きとしては十分休息も取れた。
「それじゃ、また」
「ええ」
短く交わした挨拶に懐かしさを覚えるも、それは違うモノだと自分に言い聞かせるのに必死だった。
▶︎▷▶︎
1位――七瀬菜月
2位――繰生五織
「また……勝てなかった」
貼り出された試験結果に五織は肩を落としていると、四暮が横から肩を組んでくる。四暮の身長は五織よりもずっと低いからすっごいつま先立ちをしてだが。
「やっぱ七瀬さんってすげぇな。五織もすげぇけど」
「8位か〜。結構できたと思ったんだけどなぁ」
「澪も十分すごいよ。僕は15位だったし」
澪も遥も掲示板の結果を見てそう言うと、四暮がピンと背筋を伸ばした。
「……もしかして、貼り出し組じゃないの俺だけ?」
掲示板に結果が貼り出されるのは上位30人までであり、一学年150人以上いるうちのおよそ20%が"貼り出し組"というわけだ。
「いや、待てよ。二麻が――」
一縷の望みに四暮が振り向くと、そこにはニヤニヤと嘲笑う二麻の姿があった。
「貴様――まさか」
「フッ、残念だったな。ウチは――普通に頭が良い」
指さされたそこは、他より少し大きなフォントで書かれている1位と2位のその下――
「…………3位……だと?!」
ガクッと膝を落とし、地面に手をついた四暮と高笑いを上げる二麻。どうやら此度は喧嘩にすらならず、二麻の圧勝で幕を閉じたらしい。
「驚いちゃった。二麻ちゃんって凄い勉強できたんだね」
「凄いね。テスト前は古文がどうこう言ってた気がするけど、まさか演技だったの?」
「いやいや、この土日ずっと机に向かってただけだって」
二麻は遥からの問いに照れ臭そうにそう答えると、フッと笑って五織を指差した。
「次は2位狙っちゃおうかなぁ」
「じゃあ1位取るから大丈夫」
「食えないね」
二麻は五織の答えにぽりぽりと頬をかいて苦笑いする。そして、地面に手をついたまま動かない四暮の足首を掴むと、そのまま引きずり始めた。
「さっ、テストも終わったし! 林間学校だぁ!」
「おい、コラ……っで。引きずるのやめろぉ!」
四暮を引きずり、いつも通りの二麻の態度に五織達は目を合わせ、小さく笑った。
「僕たちも戻ろうか」
「だね」
そう言って遥が背を向け、五織も教室に戻ろうとすると、「あ、」と澪が五織に声をかけた。
「そーいえば五織くん。この前澪菜に会ったんでしょ?」
「ん? ああ。そうだよ。澪さんにそっくりで驚いちゃったよ」
「まぁねぇ。私達昔から双子みたいにそっくりだって言われるもん」
会った翌日はテスト週間で話す機会も少なく、話題に全く出てこなかったので、やっぱり家で話すような仲じゃないのかと勝手に思ってしまっていたが、思い違いだったらしい。クスクス笑う澪を見て、五織もホッと胸を撫で下ろした。
「――澪菜? それって澪の妹の?」
「え? うん。そうだけど、どうした遥?」
「あ、いや……なんでもない。久々に名前を聞いたからさ」
「――? そうなんだ」
一瞬、いつも柔和な笑みを浮かべる遥の表情が曇った気がしたが、それ以上は聞かないことにした。澪と遥は幼馴染だし、澪菜との間に昔何かがあったのかもしれない。それこそ好きだったとか。色恋沙汰の話だとしたら、掘り起こされるのも嫌だろう。
澪との話題もすっかり林間学校の話になり、3人はゆっくり教室に戻るのだった。
▶︎▷▶︎
林間学校。緑英高校では1年生の1学期に二泊三日の課外授業がある。と言ってもまだまだ学校に慣れ始めたくらいのこの時期に勉強合宿に行くというわけではなく、単純にクラスの仲を深めるためのオリエンテーションのようなものである。
実際、クラス対抗のドッジボール大会、夜にはバーベキューやキャンプファイヤーなど、3日間かけて全力で遊ぶような行事だ。
ただ、施設内で全て完結するため、連絡を取るようなことも必要ないとのことで林間学校中はスマホを預けることになることに批判が殺到していたが。
「逆にスマホ使えない方が楽しいとウチは思うけどなー」
「お、ギャルらしからぬ発言。お前最近、キャラぶれてないか?」
「うっせーな。別にいいだろ。ウチはウチなんだよ」
「2日目の飯盒炊爨の班とウォークラリーこの5人で通してきたよー」
「ありがとう。澪さん」
ロングホームルームのこの時間は林間学校の班分け、行きのバス席決めでざわざわとしていた。
「飯盒炊爨がこのメンバーなら何も心配入らなそうだね」
「確かに。五織くんは一人暮らしでお弁当も作ってるし、四暮くんはケーキ作りとかできるし。二麻ちゃんもバイトが飲食店だもんね」
「カフェだけどなー。まぁ普通にできるよ」
「遥と澪さんも普通にできそうだけど」
五織がそう言うと遥が苦笑いし、澪は顔を背けた。
「……僕が人のこと言える義理ではないんだけど、正直、澪の料理は期待しない方が」
「意外だな! 澪にも不得意なことあるんだな!」
「うぅ」
「実際、昔、澪の料理を食べて雨にぃが――」
「はぁるぅかぁ?」
「……なんでもない」
澪が笑ったまま声音だけ変えると、スッと遥は口を閉じた。その反応を見るに本当に得意ではないんだろう。五織も声こそ発さなかったが四暮と同じく意外だと思った。普段の澪はなんでも器用にそつなくこなすイメージだったし、料理もそれなりにできると。
(それにレイは料理は得意だったしな)
貴族のお嬢様でありながら、意外と家庭的だったレイ。そのレイとそっくりだからこそのイメージだったのかもしれないが、五織の中で少し澪のイメージが変わった。そういえば、美術の授業でも結構大胆な絵を描いていた気がする。
その絵を思い出して、小さく笑うと、澪が頬をぷくっと膨らませてこっちを見ていた。
「五織くん!」
「ああ、ごめんなさい」
「まぁそれぞれ得意分野で頑張ればいいでしょ」
二麻がそうフォローすると、澪は小さく頷いたが、それよりもその言葉に四暮の方が大きな反応を見せた。
「ドッジボール大会は俺に任せておけ! 俺がお前らを優勝に導いてやるぜ!」
「東城、机の上に立つな。座れ」
「はい」
怒られてすぐに座る、あまりに潔いそのやりとりに教室は笑いで溢れ、五織もまたみんなと同じように笑い声を上げた。