第11話 やり直しなんてクソくらえだ
「どこだ? ここ」
暗闇。辺り一帯全てが暗闇に包まれているというのに自分の体はくっきりと見えていて、黒い空間に浮かんでいるようなそんな状態。どれだけ周りを見ても一寸先もずっと真っ暗。いや真っ黒で、この空間にずっといたら頭がおかしくなってしまいそうだと思った。
「繰生五織さん」
黒い空間に急に現れた光が五織の名前を呼ぶと、次の瞬間には神話に出てくるような装いをした女性が現れた。
「うぉ、なに」
突然現れたその女性に驚いて、五織は勢いよく尻餅をつくと痛みに悶える。
「私は生を司る女神と言えば良いでしょうか。繰生五織さん、貴方は突然突っ込んできたトラックに轢かれ、その命を落としました」
「え」
女神と名乗ったその女性の発言に驚きながらも、徐々に記憶が蘇ってきて、自分が死んだことに実感を覚える。
張り切って家を出た入学式当日、少し早めに出てしまったために、遠回りしようと大通りの歩道を歩いていたときのことだった。ふと後ろから大声がかかったかと思えば、トラックが目の前に現れて気づいたときにはここにいたのだ。
とすれば、ここは死後の世界というやつなのだろうか。きっとこの目の前にいる女神が天国か地獄かに案内してくれるのだろう。
そもそも死後の世界とやらも天国も地獄も五織としては幻想としか思っていなかったが、今こうして説明できないような状況に置かれると、そういったものもあるのかもしれないと思ってしまう。
「えっと、ここはどこで、俺はどうすれば良いんですか?」
「死んだと聞かされたのに、意外とあっさりしていますね」
五織の問いを無視して目の前の女神はそう聞き返してきた。確かにヤケにこの状況を簡単に受け入れてしまっている自分には驚く。だが、死んでしまったらもうどうにもならないのだからここで焦るのも意味ないし、嘆くこともない。ただ一点気になるのは――
「もし、生き返る方法があると言ったらどうしますか?」
「はい?」
「ここは死後の世界ではありません。死と生の境界と言った方が近いでしょう。少なくとも貴方はまだ生き返る方法があります」
「なら」
生き返る方法があるというなら話は別だ。だって五織にはまだやりたいことや成し遂げたいことはたくさんあるのだから。
「ただし、一点。条件があります」
そう来るよなと五織は思った。何の条件もなしに生き返るなど都合のいい話があるはずがない。五織は黙ったまま女神の言葉を待った。
「貴方には異世界を救っていただきたい」
「へ?」
五織はそれなりに漫画もラノベも嗜んでいるから、もはや使い果たされたような謳い文句に気の抜けた声をあげてしまう。まさか自分がその立場になるなんて思いもしなかったのだから。
「つまりは異世界に転生して、世界を救ったら元の世界に帰れると?」
五織がそう問うと、女神はこくりと頷く。
「やはり、あなた方の世界は転生に対して呑み込みが早くて助かりますね」
「は、はぁ」
「それでどうされますか?」
「……もちろん、やります」
世界を救うというのはあまりにも抽象的な話ではあるが、生き返れるというなら全然やる価値はあるだろう。色んな転生ものの話を読んだが、結構楽しそうだし、もしかしたら魔法が使えたり、空が飛べたりするかもしれない。そんな期待が膨らみつつも、五織は「それで」とその女神に聞く。
「世界を救うとは具体的に何を?」
「平和を脅かす魔王を倒す。それだけです。五織さんが倒す必要はありませんし、それに協力するだけで構いません」
「魔王を倒す方法は? そもそも俺が倒せるような相手なんです?」
「勇者の剣があれば。そもそも勇者の剣がなければ魔王を倒すことができないので、まずはそれを手に入れるのが目標になるかと」
「期間は?」
「特にありません。五織さんが好きなように生きてもらって構いません。私が求めるのは結果のみです。ただし、魔王を倒し、2日以内に現世に戻ると私に伝えなければ五織さんは異世界で一生を過ごしていただきます」
「伝え方は?」
「ただ念じれば大丈夫です」
「もし、果たせずに途中で死んだ場合は?」
「……もちろん、終わりです。この話はなかったことに」
それはそうかと五織は頷いた。ゲームみたいにやり直しがきくなら緊張感がない。ただ、淡々と答えていた女神がこの質問だけには一瞬間があったのが気になるが。
「それでは、繰生五織さん。貴方を異世界へと誘います」
女神がそう言ったのとほぼ同時、五織の足元には魔法陣のようなものが形成され、辺りを眩しく照らす。
(やってるやるさ。元の世界に帰るためだ)
「…では。イオリさん。良い旅を。貴方が世界を救うことを願っております」
光が強くなって、黒に閉ざされていた空間は真っ白へと変わり、眩しさに視界が閉ざされて――
◀︎◁◀︎
次に目を開いた時には森の中にいた。
「え。森のど真ん中かよ」
こういうチュートリアルはまずは始まりの街みたいなのところにポップすると勝手に思っていたが、辺りは木々一色。しかも見たことのない木や植物で囲まれており、何となく薄暗くて不気味な雰囲気だ。
「マジか。こんな感じになるならもっと色々聞いておけばよかった」
イオリは薄暗い道にゆっくりと歩を進めて、女神に詳細を聞いておくのを怠ったのを後悔していた。
そもそも魔王の復活が近くなっていることと、勇者の剣を手に入れなければならないこと以外何もわからない。
経済状況や文化や言語、その他諸々、元の世界との違いをあらかじめ聞いておくべきだった。
「てか、服は制服のままかよ」
おろしたてのその制服はまだノリがついままで何となく着心地は良くないし、それよりも魔王と戦ったりするには防御面でかなり不安だ。
そんな不安や不満を募らせながら薄暗い道を歩く。すると、辺りからゴソゴソと草木に触れる音がしてイオリは音の方に体を向けて警戒する。
(おいおい、説明もなしに最初の敵と遭遇ってパターンか)
これがRPGなら、まずはゲームの操作から教えてくれるところだろうが、残念ながらそんな都合の良い状況ではない。
イオリの前に現れたのはイオリの腰辺りまでの背しかない人型の異形。いわゆるゴブリンというやつなのだろう。全身は濃い緑色で、豆粒みたいなつぶらな黄色の瞳がイオリを映し込むと手に持った歪な木の棍棒をかかげて襲いかかってくる。
「クソ!」
イオリは咄嗟に地面に転がり込んで、振るわれた棍棒を躱すと、すぐに立ち上がって駆け出す。
「まずはどっか……街に」
駆けながら辺りを必死に見回す。だが、どこを見回しても見たことのない歪な木々ばかり。
「うわ!」
突然何かに足を取られて、イオリは地面に転がる。
(まずい、早く立たないと)
焦る気持ちに体は応じず、立ちあがろうとしたイオリはガクッと力が抜けてまた地面に倒れた。
「……は?」
そうしてようやく自分の右足が脛から下が無くなっていることに気づいた。
「ぁぁぁぁぁぁぁあ!!」
想像を絶する痛みに悶え、悲痛の叫びを上げる。痛みに気が遠くなり、朧げな視界の中、木から木にかかる薄い糸が映り込む。その線には赤い血がポタポタと落ち、イオリは糸の罠で切断されたのだと理解する。
「……ぐぁ」
(……もう。終わりなのか?)
血が出て止まらない。早くなる鼓動が鼓膜を打ち付け、額には汗が噴き出て、頬まで流れる。
「……七瀬」
そうして、何もできないまま地に伏せたイオリの側に小さな影が浮かんだ。
「……あ」
それがゴブリンが振り上げた棍棒だと気づく時には、イオリの意識はもうそこにはなかった。
◀︎◁◀︎
「あ……え?」
目を開いたイオリは不気味な森の中にいた。何が起こったとばかりに辺りを見回し、そして無くなったはずの足は普通に残っており、一拍の時間を置く。
「……どうなってんだ。夢……だったとか?」
とすれば随分と意地悪で悪徳極まりない夢だ。だがもしかしたらアレは未来を現したものなのかもしれない。ただの夢にしては鮮明すぎるし、それにこの森の風景はその夢とあまりに一致しすぎている。
「てことは、あのゴブリンに遭遇するのを警戒しないといけないな」
ここはもう既に異世界であり、女神と出会って転生までしているのだ。そういった未来視のような力があっても変ではないと思うし、もしかしたらさっきの出来事は女神からの警告なのかもしれない。
「そんな回りくどいことするなら、こんなところに転生させるなよって言いたいところだけど」
だが、そんな小言を言っていても誰も反応してくれない。とりあえずとばかりにイオリはブレザーを脱いで肩にかけると、ジッと辺りを警戒する。
そして、ガサッと草木が擦れる音がすると、まさに夢と同じ場所からゴブリンが現れた。
「やっぱりか」
イオリは改めて大きな息を吐くと、肩にかけたブレザーを前へと広げてまるでマタドールのようにそれをひらひらとさせて見せた。
「やってやる」
イオリがそう意気込んだ瞬間、目の前のゴブリンは大きく跳躍してイオリに向かって手に持つ棍棒を振り下ろした。
イオリはそれをギリギリで躱し、そして手に持ったブレザーでゴブリンの顔元を覆うと、頸椎あたりに渾身の回し蹴りを喰らわせる。
同じ人型であるからきっとゴブリンにも効くだろうと放った一撃だったが、思った通りゴブリンは気色の悪い声を上げて地面へと倒れた。
「これでも中学は色々武道をやってたんだ。人型ならそう負けねぇよ」
そんな勝利宣言を吐き捨て、倒れたゴブリンの離した棍棒を取り上げると、くるくると回して見る。
「普通の木の棍棒……って感じだな。まぁ武器もないし一旦これを頂戴して――」
そうして取り上げた棍棒を肩に背負ったときだった。突然、倒れていたゴブリンがその小さな目見せたかと思えば、イオリの胸へと飛びついてきた。
「っ……くそ離れ――」
飛びついてきたゴブリンを力任せに振り解こうとするが、ゴブリンの力が強くて振り解けない。それどころか、ゴブリンはその大きな口を開いてイオリの肋辺りに噛み付いた。
「――っあ」
想像を絶する痛みが全身に走り、空気が抜けるような声だけが出てしまう。イオリの肉を噛みちぎったゴブリンはその口周りについた血をぐるりと舐め回すとニヤリと不気味に嗤い、またしてもイオリに噛み付いた。
「っあぁぁぁあああ!」
全身を走る痛みに声を荒げながらも、イオリは体をぐるりと回転させ、遠心力と共にゴブリンを力一杯引き離す。
やっとの思いで離れてくれたゴブリンはその勢いのまま地面に転がり、大木へと体をぶつけると、ぐぐっと体を起こしてまた嗤った。それはきっともう既に満身創痍ともいえるイオリを見ての表情だろう。
イオリの肋は骨がほとんど見えてしまって、それどころか折れた骨が体から突き出ている始末。おそらくもう助からないだろう。
「……くそ」
流れ続ける血に、朧げになる視界。もう痛みすらも感じなくなってきたその状況に死が近くなっているのを悟る。
『まだ終われねぇよ。』
それが口に出せたかはわからない。だが、自分に言い聞かせ、叱咤としては十分であった。
◀︎◁◀︎
「もしよ、自分の好きなように過去に戻れるとしたら俺は今戻りたい!」
「大袈裟」
泣き崩れる級友を五織は呆れ顔でそう言う。どうやら先ほど好きな人に告白して振られたそうで、教室に戻るや否や五織に泣きついてきて、やれ過去に戻りたいだのなんだの言い始める始末だ。
「過去に戻ったところでどうにもならないだろ」
「いや違う! まだ時期じゃなかったんだ。もっと時間をおけば…」
「だったらこれからもアタックし続ければいいじゃないか」
「あのなぁ! 気持ちを知られてるのとそうじゃないのとじゃ全然違うんだよ! お互いに気をつかっちまうし、ずっと続いてたラインだってこれを機に終わっちまうかもしれないだろ?」
正直、彼の言っていることもわかる。たった一つの言葉で今まで積み上げてきた関係が一気に崩れ落ちる。それはせっかく高く積み上げたブロックの一本を引き抜いてタワーが崩れてしまったような喪失感に襲われるのと同じかもしれない。
――だが、そうして積み上げてきたと思っていたのは自分だけかもしれないが。
「……でも俺だったら過去に戻りたいとは思わないね」
「え?」
だって積み上げてきたと勘違いしていたそれも、今度は互いに意識して積み上げることになる。きっと前よりもずっと一個一個のブロックは重いに違いないのだが。
「それにそんな力あったら嫌なことから逃げてばかりの人生になりそう」
「……まぁそりゃそうなるわ。こないだのテストとかもマジでやり直したいもん」
「それじゃあテストになんないだろ……」
その会話がどういう結末を迎えたかは覚えていないが、少なくとも五織はやり直しなんてしたくない。そう強く思った。
――それは今も変わらない。
変わらないからこそ、イオリはすぐに気づいた。その現象が何なのか。
「やり直し……」
不気味な森の中、もう3度目の景色にイオリは不快感をあらわにした表情でそう呟いた。
どういうわけかわからないが、おそらく死をリミッターにして巻き戻る能力を手に入れたらしい。
そうしてようやく、あの女神が言葉を言い淀んだ理由に気づいて、改めてイオリは苦い顔を浮かべた。
「……説明しておけよ」
ガサっと草木が揺れる音が鳴るとイオリはまた大きく息を吐いた。
「ほらな、やっぱりやり直しなんてクソくらえだ」
――74回。
それがイオリがゴブリンを倒すのにかかった試行回数だった。
お読みいただきありがとうございます!
二章始まってすぐですがまた異世界パートへと戻ります。一章は10話に満たなかったですが、二章はそこそこ長くなるつもりです。ぜひ最後までよろしくお願いします。