第1話 悪夢の始まり
僕はどこかわからないこの世界にいる。
何を喋っているかわからない人たちの中で、朝早く起こされて、誰かに連れられて掃除をしたり、誰かの体を拭いたりする。
もうこんな生活をするようになって1年くらい経っただろうか。毎日同じことの繰り返しだ。
そんなある日、年上の人にいつものように連れられて街道を歩いていると交差点の横から猛スピードで走ってくる馬車が見えた。
付き添いの大人は気づいていない。
「危ない。馬車来てる。」
僕の言うことには耳を貸さない。
ぶつかる3m前あたりでやっと気づいたがもうだめだ。僕は縄をされていて、逃げようとしても逃げられなかった。
「あれ…」
付き添いの大人が馬車に轢かれて血まみれで倒れている。助かったみたいだがどうなったんだ。
行く当てもなく街道を歩く。お腹が空いた。今日の朝食は無かった。街道沿いにいい匂いがする露店が並んでいる。何かの肉を焼いた串焼きだ。食べたい。ゴクッと喉が鳴る。
自分の手元に肉の串焼きが現れた。
「えっ…」
僕は慌てて露店から離れて隠れるように肉の串焼きを食べた。おいしいかった。この世界に来る前に食べた物よりも。
遠くから露店の肉串を再び見ていると、また、肉串が現れた。5本ほど食べたあたりで露店の店主が異変に気づき、周りを見回している。僕は隠れるようにその場を後にした。
遠くの物を近くに引き寄せる力があるようだ。この世界には魔法のようなものがある。手元から火を出したりする人がいるのは知っていたが。僕にはできなかった。
僕は街道を歩き、隠れるように歩いて硬貨を手元に引き寄せた。金や銀、銅など様々で、どんな価値があるか分からないが硬化がいっぱいだ。
突然後ろから腕を引っ張られ、路地裏に引き込まれる。
「☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓」
3人のガラの悪そうな大人がナイフを向けて僕に喋りかけている。金が見つかったのか。
「かっ返すから…」
硬貨の入った袋を見せると男たちはニヤリと口角を上げてさらに近づいてきた。
「ひぃっ」
次の瞬間、ナイフを持って僕を刺そうとした男はいなくなっていた。残りの2人が僕に怒鳴り走ってくる。ぐっと身を縮めていると2人もいなくなり、街道の喧騒が聞こえるだけになった。
最初にいなくなったナイフを持った男が遠くの屋根の上で何かを叫んでいるのが見える。僕がやったのか…。
僕は露店の影に身を隠した。ガタガタと体が震える。怖い。自分に何が起こっているのかわからない、誰が襲ってくるのかわからない。しばらく経つと体の震えは収まった。
僕には物や人を、引き寄せたり、飛ばす能力があるようだ。露店の物陰からどの程度動かせるのか、人ならどうか、物ならどうか、どの程度の大きさまでか、いろいろ試してみた。
自分を含めて人も物も、見える範囲の物は家でも動かせることが分かった。また、何もないところに収納することができて、自由に出すこともできる。不用心なので手持ちの硬貨は収納することにした。
僕には帰るところがない。まだ日中だが泊まるところを探したい。街道沿い宿に入ろうとすると店の人につまみ出される。服がぼろぼろで臭いからだろう。
街道から見える服屋から適当に服を収納し、走って路地裏に入り、慌てて服を着替えて元来ていた服を捨てる。物を売っていない店に入る。
「☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓」(こちらは泊まりが50シーロだよ。)
相変わらず何を言っているかわからないが金色の硬貨を出す。
店主は驚いて銀の硬貨を9枚、銅の硬貨を5枚渡された。銅の硬貨5枚で泊まれたようだ。部屋の位置が分からない。どうしようか。
「☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓」(あんた、どうしたんだ。こんなところで迷子か?)
不審者に思われたかもしれない。声を掛けてきた筋肉質で革の鎧をきていた女の人は受付の人と話してまた戻ってきた。
「☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓」(この部屋だってよ)
ドアをぽんぽんと叩いた。あっこの部屋ってことか。鍵を開けてみるとかちゃっと音を立てて開いた。よかった。女の人にお辞儀をして中に入る。
中に入るときれいな部屋で小さいが窓もある。ベッドに座ってみるとふかふかでとても気持ちがいい。僕はそのままベッドで寝てしまった。
コンコンっとドアを叩く音がして目が覚めた。
「☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓」(私だよ、食事はいいのかい。)
先ほどの女の人の声がする。ドアを開けるとやはり先ほどの女の人だ。
「☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓」(少し邪魔するよ。)
ドアを開けられて強引に中に入られる。窓から見える外はもう真っ暗でもう夜中だとわかる。こんな時間になんだろう。言葉もわからないし…。困ったな。
僕がドアを閉めた瞬間、女の人はナイフを僕の首筋に当てた。
「☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓」(あんたいい服着てるから金持ってるんだろ?)
「えっ…どうしてこんな…」
思考がついてこない。昼間は親切に部屋を教えてくれたのにどうして…。僕は身を縮めて部屋の壁に背中を当てた。女の人はそのままナイフを僕の首に当てた。
「いたっ!」
首にナイフが当たり、熱いような感覚が首に走る。
「☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓☓!」
急に女の人が叫びドアを開けて出ていった。女の人が立っていたあたりの床には大量の血が飛び散っていた。
僕は見た。女の人が出て行くとき肘から先が無くなっていて血が噴き出していた。僕は怖くなって宿を出た。心臓がどくどくと脈打つ。僕がやったんだ。腕の先だけ収納したんだ。腕のことをずっと考えていると何もない空間から腕だけが出てきた。
「ひぇぇ!」
僕は走ってその場を去った。