114 ここから始まる剣姫伝説
審判に注意されて気まずく思ったのか、それともルイーザ先輩の態度が自分の思い描くものでなかったからショックだったのか、ベーム先輩の様子はなんだかおかしかった。しきりに観客席を見回して、まるで誰かを探しているみたいだ。
怪しいなぁ。
審判に所定の位置に立つように言われ、そこで意識を試合に集中することにしたのか、ヒルトと向き合うものの、会場に入って宣誓した時の、あの自信に溢れた様子は鳴りを潜めてしまっている。
あー、んー、なんか変だ。
僕もネーベルも、もうこの時点でヒルトの勝ちは疑っていないから、試合を見るまでもないんだけどね。
でも、見る。ヒルトの試合だから。
試合開始の号令とともに、ヒルトは間合いを詰めて、ベーム先輩に打ち込みを始める。
二度三度、ベーム先輩はかろうじてヒルトの剣を受け止めるものの、その受け止める剣を持つ手がだんだん下がっていく。
それはきっとヒルトの打ち込みが重いからだ。ダメージがベーム先輩の腕に直撃してるんだろう。
ヒルトも意地が悪い。
全然実力を出し切ってない。
ヒルトの性格から言って、対戦相手で遊ぶなんてことはしない。だから……、そう。これはまさに、稽古をつけているのと同じだ。
たまに引いて、ベーム先輩に攻撃をさせたり、その攻撃を躱したり受け流したり、とてもじゃないけど年下の女子ができる代物ではない。
ほんと、ヒルトは剣の神シュヴェルから愛し児といわれるだけある。
以前、フルフトバールで行われた母上の結婚式の時に、ご当主……、ギュヴィッヒ侯がわざわざおじい様と僕に、ヒルトのことをよろしく頼むと頭を下げに来たんだよね。
それでいろいろ聞いたんだよ。
ヴュルテンベルク一族の中でも、ヒルトは突出した剣の才能があって、幼少期から発覚していたんだって。砂が水を吸うがごとく、ことごとく剣の技術を吸収していくので、ギュヴィッヒ侯を筆頭に、ヒルトの父君や兄君たちが、こぞって剣術を教え込んでしまったのだそうだ。
おかげで奥方たち女性陣に、跡継ぎでもないヒルトに、そんなことをしてどうするつもりだと、しこたま怒られたらしい。
ギュヴィッヒ侯や父君兄君たちは、ヒルトの才能を埋もれさせる気はなくって、いずれ女性初の護衛騎士団長、国防将軍にさせたかったと言っていた。
でもヒルト自身が、僕の家臣になることを望んだからね。
ギュヴィッヒ侯や父君が、僕のところに行くというヒルトを止めなかったのは、孫・娘が可愛かったから、なんだろうなぁ。
試合は、相変わらずヒルトの独擅場で、さて、どんな風に決着をつけようかといった感じだ。
ヒルトなら開始一分で決着をつけてしまえるのに、こんな風に長く試合をしているのは、見せ場というか、盛り上がり場を観客に見せてあげてるのだ。
これって、ヒルトだからこそできるんだからね。
一年生の頃は騎士科の生徒に舐められてたけど、その実力で黙らせて優勝した。
二年生の時は、リベンジを狙った騎士科の生徒に、さらに圧倒的な強さを見せつけて優勝した。
そして今年の三年生。淑女科に進級したのに剣術大会に出場したヒルトを騎士科の先輩たちは誰一人、侮ってはいなかった。
さっきも言ったように、まるで剣聖に稽古をつけて貰うみたいに、みんなヒルトとの対戦前に『よろしくお願いします!』って言って一礼すんの。
年上の騎士科の生徒がさ、年下で、しかも女子のヒルトにそれをやっちゃうんだよ。
もちろん、一年生の時にヒルトが剣術大会で優勝した時、イチャモンつけてきた生徒がいなかったこともなかった。
闇討ちしようとしてきたのかな? ヒルトのことをつけ狙っていたんだよね。
あの時ヒルトは女子との交流を優先していたから、僕とネーベルはヒルトの傍にいる女子に被害が行くのを懸念してたんだ。
だけど、ヒルトが闇討ちしてきた相手を逆にボコって捕まえて、騎士科の教師のところに突き出しちゃったんだよね。
それで女なのに生意気とか何と言ってきたんで、ヒルトが『私よりも弱いくせに吠えるな。だったらお前の気が済むまで稽古に付き合ってやる』って、闇討ちしようとしてた連中を片っ端から集めて、しばらくビシバシと稽古と指導の繰り返し。
しかもさぁ、騎士科にいる生徒の中にはギュヴィッヒ侯爵家の寄子家の子息たちもいて、そいつらがこぞってヒルトに協力したんだよ。逃げ出そうとした奴らをとっ捕まえて強制的にヒルトのところに連行していった。
あれは、あわよくば自分たちにも稽古をつけて貰いたかったに違いない。
でもその一件以降、ヒルトに負けたからって逆恨みで襲ってこようとする連中はいなくなったし、そんな風に考える奴らには、この件をさりげなく聞かせてるそうだ。
お前、あのヴュルテンベルク一族の秘蔵っ子に勝てると思ってんのか?
やるのはいいけれど、俺たちはお前たちのこと庇わねぇからな?
あの地獄の特訓コースを喜んで受けるのは、ギュヴィッヒ侯爵傘下の人間だけだからな。
むしろあいつらは、あれをやってもらうためにお前らのこと利用するからな?
以前ヒルトを闇討ちしようとしていた生徒が、良からぬことを考えている生徒にそんなことを言っていたらしい。
もっともヒルトに負けて闇討ちを画策する奴は、ネームバリューに弱いやつだからね。
ヒルトが軍閥一門のギュヴィッヒ侯爵の姫君で、剣聖や剣豪を輩出しているヴュルテンベルク家の人間だって知ったら、家門への報復を恐れてガクブルし始める根性なしだ。
あと騎士科にはギュヴィッヒ侯爵の寄子家の生徒が多いんだよ。
うちの総大将のところの姫様に何する気だ!ってシンパが多いからね。
ヒルトはそろそろ試合を終わらせるようだ。
だいぶ動きが鈍くなってきたベーム先輩が、剣を握っていた腕を振り上げたところ、ヒルトが急に間合いを詰め、そしてその振り降ろされようとした剣をはじいた。
あっと、言う声が会場のあちこちから聞こえる。
ベーム先輩が持っていた剣は、上空へと跳ね上げられ、くるくると弧を描きながら落下してくる。
その落下してくる剣をヒルトはまた自分の持っている剣で薙いではじいた。
ガシャン、ガランと音を立てて、ベーム先輩の剣は地面に転がっていく。
二秒三秒の静寂の後、地割れが起きたかのような歓声が、試合会場にとどろいた。
ヒルトの三年目の優勝が決定した。





