78 ヒロインの婚約事情
僕の言葉にブルーメ嬢は小さく呟いた。
「パウル様との結婚で、自分の子供が自分と同じ思いをするかもしれないなんて、考え至りませんでした」
んー、これはどんな反応をすればいい?
ブルーメ嬢の両親が仲のいい夫婦ではなかったのは、子供であるブルーメ嬢も重々わかっていたと思うんだよね。
親の不仲に悲しいって思いはあるけれど、同時に自分はそんな結婚はしないって思うんじゃないかなぁ?
「お母様は私のことをちゃんと愛してくれていましたが、それでも少しだけ、寂しいという思いはありました。私はお父様にも愛されたかったと思うのです」
愛人がいて隠し子まで作った父親に愛されたいかぁ?
いやいや、いかんいかん。僕とブルーメ嬢じゃ経緯も状況も違う。僕はいらねーと思っているものでも、ブルーメ嬢には欲しくてたまらないものなんだろうな。
「昔の話です。今はもうそんなことは思っていません。情はありますが、だからといって……」
ブルーメ嬢は一度言葉を切ったあと、きっぱりとした口調で続けた。
「奴隷のようにお父様の横暴を享受するつもりはないです。今まで私がされた仕打ちは、辛かったし悲しかった。それを許すことはできないです」
そうだね。虐待されてると、されてる仕打ちが酷ければ酷いほど、感覚がバグるというか、これは当たり前って思っちゃうからなぁ。
「アルベルト様に言われて、はっきりしました。パウル様はお父様に似ています。学生時代から付き合っていた恋人を愛人として囲っていたお父様と、幼馴染みという領民の娘に入れ込んでいるパウル様は、同じです」
イヴが言うには、伯爵代理とイヴの母親は貴族とその愛人というよりも、キャバ嬢と客って感じだったみたいなんだけどねぇ。
「私、本当は……パウル様のこと、好きでも嫌いでもなくって、どうでもいいんです」
うおっ! いきなりぶっこんできたな。
「パウル様との婚約に拘っていたのは、お母様が決めた婚約者だからです。お母様が私のために残してくださったことの一つだから、このまま婚約して結婚しなければいけないと考えていました。それに、お母様が私を不幸にするような結婚を決めるわけないと思いたかったんです」
育った環境だと思うけど、ブルーメ嬢って結構なマザコンだなぁ。
「お母様はどうしてパウル様との婚約を決めたのかしら。本当は、私のこと……」
「ブルーメ女伯が生きてた時は、まだフィッシャーが幼馴染みに執着するかわからなかった頃でしょう? 事業を失敗させて借金を背負ったけれど、血筋や家柄に問題があったわけではないし、純粋に娘の婚姻相手としてはちょうどよかったんだと思うよ?」
思いつめて変なことを言わないように、おそらく誰もが考えるだろう推測を告げてみるが、ブルーメ嬢は疑心に駆られてしまっているようだ。
「でも……、婚約の条件として、お母様は特に何かの条件をフィッシャー伯爵につけていたわけではないのです」
う~ん、ならやっぱり考えられるとしたら、あれしかないんじゃないかなぁ?
「獅子の子落とし」
「何ですか、それは?」
イジーに訊かれてしまった。
「えーっと、遠い異国の古典文学にあった話でね。獅子っていうのは、子を千尋の谷に落として、這い上がってきた子だけを育てるという俗説があるわけだよ。それを人間風に変換すると、自分の子に試練を与えて器量を試すという意味になるんだ」
「前ブルーメ女伯がブルーメ嬢の婚約に関して、何も条件を付けなかったのは、ブルーメ嬢を試すためだったのですか?」
イジーの言葉に僕は頷く。
「厳密にいえば、用意していた試練の一つだったのかも? ブルーメ前女伯は亡くなってしまってるから、実際のところはどう考えてたのかはわからないよ。それに婚約が決まったのも、ブルーメ嬢が幼少期の話でしょう? その時に婚約した子供がどう育つかなんて、誰も想像できないじゃない?」
それこそブルーメ前女伯とフィッシャー伯爵夫妻が、幼少期からの付き合いで、子供のことも我が子と一緒に育てたって環境だったなら、多少はわかると思う。
でも実際はブルーメ前女伯とフィッシャー伯爵夫人が学生時代の友人だったという間柄で、それほど仲が良かったというわけじゃぁなかったらしいから、フィッシャーが婚約者よりも幼馴染みファーストな人間になるなんて、誰もわからなかったと思うよ?
「ブルーメ前女伯は、フィッシャーが誠実な人間に育とうと、ブルーメ伯爵代理のように屑に育とうと、そこはどうでもよかったと思うんだ。ただこの婚約で、フィッシャーがブルーメ伯爵代理のような人間だった場合、次期伯爵としてそして婚約者として、ブルーメ嬢がどうするか試したかったんだと思う」
旦那であるブルーメ伯爵代理のことも、学生時代から付き合ってる恋人がいるっていうのは知ってたんだと思うんだよねぇ。
だって貴族の結婚だよ? 嫁に出すのだって、政略の利になる情報を得るために、充分に調査するんだから、婿を取るならなおのことじゃない?
だとすると、どうしようもない屑野郎で、恋人がいるのは最初から織り込み済みだったんじゃ?
女子組には言えないけれど、ブルーメ前女伯がブルーメ伯爵代理と結婚したのは、自分の子供を作るためだけだったんだと思うんだよ。
つまりブルーメ嬢さえ産んだら、ブルーメ伯爵代理は不要。
おそらく時期を見て、さっさと離婚するか、それとも始末するかを考えていたと思う。だけど、そうするよりも先に、自分の病気が発覚した。
自分が最果ての門をくぐる前に、使えない旦那を片付けることもできたのだろうけれど、ちょうどいいからって、跡取りである娘への課題に残したんだろうなぁ。
貴族の当主となるなら肉親でも切る必要はあるからなぁ。
もしかしたら、切り捨てても心を痛めない相手として、人間性が最悪なブルーメ伯爵代理を選んだのかもしれない。
そう考えたらブルーメ前女伯は、貴族らしい貴族だったのかもしれない。





