53 親心か試金石か
この文字は古語だしなぁ。でも自分の名前のスペルぐらいは分かるはず。
「ヴァッハ。フェアガン語は……、習得してないか」
「え? 何処の言葉? 共通語のディオラシ語ならヒヤリングはできるけど」
「ごめん、忘れて」
古語は読書家なら習得するだろうけれど、知らなくても生きていけるからなぁ。
「殿下ぁ」
「なぁに?」
「なぁに、じゃなくって、それ持ってるとやばい? 親になんか迷惑っていうか、反逆とかそういう罪に問われるような疑いがかかったりする?」
「んー、どうしようかなぁ。省略した説明と、ちゃんとした説明、どっちが訊きたい?」
途端に泡を食ったようにわたわたするヴァッハだけど、落ち着いてるネーベルとヒルトを見て、顔を引き締める。
「えっと、ちゃんとした、説明。お願いします」
今のご両親の息子として生きていくって決めてるんだし、ふわっとした説明でも、ヴァッハには何の不都合もない。なのにちゃんとした説明を聞きたいってことは、もしもの場合を懸念して、その時のことがあった場合どうすればいいかって考えたんだろうな。
「わかった。じゃぁ、ちゃんとした説明の方ね。まずこのリング、これは君の血の繋がりがある方のご両親が、離れ離れになって生きていく君の為に作らせたものだ」
そう言って僕は傍にいたランツェにリングを渡す。
「そのリングの内側に彫られているのは、君の名前とご両親が君に向けたメッセージ。産んでくれた方の名前だよ」
ランツェからリングを返されたヴァッハは、リングの内側に彫られている文字を指でたどる。
「メッセージは自分で解読しなね。古語のフェアガン語だ。それぐらいは自力でやりな」
「うん」
「作らせたって言ったからわかると思うけど、リトス王家に代々伝わっているものではない。それでも高価なものだし、金銭に換算すればそれなりのお値段になると思う。たぶん、ヴァッハの身に何かが起きて、財産もなく一人っきりで生きていくことになったり、引き取られたヴァッハ家でお金に困ることが起きたなら、それを売ってお金にして、食いつないでいけっていう親心かな」
僕の話に、ヴァッハは生みの親、実の親にいらない子供だとは思われてなかったと知ったのだろう。ほわっとした雰囲気になる。
「だけど、そのリングにはもう一つ意味がある」
「え?」
「君が、リトスの先王陛下の子供であるという証明」
僕がそう言った瞬間、ヴァッハの手から、ポロリとリングが落ち、カシャンという音ともに床に転がる。
「あ、え、うそぉ」
嘘言ってどうするんだい。
お茶を入れているランツェの代わりに、シルトがリングを拾って、再びヴァッハに差し出す。
「あ、す、すみません。ありがとうございます」
リングを受け取って、今度はちゃんと左手首にはめる。
「とはいっても、そのままそれをもって先王陛下のところに行ったとしても、会えると思うのは早計。僕の予想では、会えない」
「会う気はないけど、なんでって聞いていいっすか?」
「そのリングを実際は誰が作らせて用意したかって考えれば、間違いなく君の父親であるリトスの先王陛下だ。その宝石と土台となってる金属は、そんじょそこらの金持ち程度では用意できない代物だからね。でも、贈り主は母親であるツァンナ伯爵夫人になっている。内側に彫られているのは、君の名前とツァンナ伯爵夫人の名前だけだからね。リトスの先王陛下の名前は一切ない。だから、君がツァンナ伯爵夫人の子供であると言う証明はできる。そこはどんなに周囲が騒ごうと否定しようと、そのリングをヴァッハが所有している限り不動の事実だ。じゃぁ母親はツァンナ伯爵夫人だけど、父親は先王陛下だって証明できるかというと、そこは無理」
ヴァッハが仕込まれたのは、どうやったって、先王陛下の寵妃となった後なんだけど、そこはツァンナ伯爵夫人の身の回りの世話をしている使用人が口を揃えて、囲われる前に身ごもっていたとか、囲われた後に怪しげな男と密通していたと証言されたら、ヴァッハが先王陛下の子供だと証明はできない。
「先王陛下の子供であると言う証明はね、ヴァッハは自分とツァンナ伯爵夫人の間に出来た子供である。そのリングを作らせて、ヴァッハに持たせたのは自分だ。ってことを先王陛下に言わせなきゃいけない」
僕の説明をヴァッハはほえぇーっとした顔で聞いている。
もっとさぁ、自分のことなんだから、ちゃんと真剣に聞きなよ。
「今の生活よりももっと贅沢な暮らしがしたいとか、王子もしくは王族の人間と認められて、不自由なく生きたいとか、そんな理由で会いに行ったら、まず叩き出されると思っていいよ。最悪ラーヴェ王国に戻る前に、こう」
親指で首を掻き切る仕草を見せると、ヴァッハは顔をひきつらせた。
「なにかもっと、ちゃんとした筋の通った理由があるなら、会うだけは会ってもらえると思うけれど、息子として認めてもらえるかというと微妙なところだよね」
「いや、会う気なんてないよ。俺の家族は、ヴァッハ伯爵である父上とその妻である母上だけだ。それから、妹。可愛いんだ」
「なら、それは困窮したときに売り払って金にする、財産の一つ程度に思っておけばいい。ただ、そのリングが自分の手元にある理由を知ったわけだから、もしそれを売り払う場合は、裏に彫られている名前とメッセージは潰してからにしなね? それを買い取った変な輩に利用させないっていうのも、ヴァッハの義務だよ」
「う、うん。わかった」
「やり方さえ間違わなければ、大丈夫。あと、リトスの先王陛下にとっては、ヴァッハがそのリングをどう使って、どういった行動をとるかっていう試しだね」
そのリングをもって会いに来て、さっき説明したような、リトスの王族として扱われたいっていう愚物であった場合は、さっさとリングを回収して、最果ての門を潜ってもらうんだろうな。
王族こわ~っ。





