52 ちゃんと愛されていた
ヴァッハが女神に操られたのかも? というのは、考えすぎだったな。
ヴァッハ家がシュッツ神道の神を家門で祀っているのなら、女神からの干渉はあっても、それは意識を奪うような強いものではないのだろう。
あと気になると言ったら……。
「なんでギュヴィッヒ領にいたの?」
「家にいるのが気まずかったんだよ」
なんで? って言ったらダメかぁ。
王立学園に入学する前に、自分の出生のことを聞いたって言ってたから、本当に学園都市に向かう数日前ぐらいに話してもらったのだろう。
「それで、夏は聖霊祭典があっちこっちであるだろう? だから聖霊祭典をやってる場所、特に主神殿がある場所に、毎年行くようにしてたんだよ」
「偶然?」
「お、俺だってさぁ、まさかシュヴェル神の主神殿がある場所で、殿下と会うなんて思わなかったんだって」
嘘ではないだろうなぁ。
今年ヒルトの実家であるギュヴィッヒ領に訪問することは、僕の使用人たちとネーベル。それからヒルトと、あとはスケジュールの調整のために宰相閣下や宮中大臣しか知らない。
どこかから情報が漏れたってことはないだろうし、ヴァッハがソーニョの完全な手先だったら、馬鹿正直にここまで話したりはしないだろう。
んー、ソーニョとはズブズブの関係だと思ってたけど、実際は騙されていたっぽいし、この様子では、リトス王家の本筋である国王陛下との繋がりはないとみていいか? 一応直に連絡を取っているかどうか、アッテンティータに探ってもらうことにするか。
仕事増やして悪いんだけど、先々を考えると不明な点は明らかにしておきたい。
そうだなぁ……、ちょっと突いてみるか。
「ヴァッハはこの先どうする気なの?」
「どうって?」
「リトスの先王陛下と産みの母親であるツァンナ伯爵夫人の子供だって、自分の立場を世間に認知させたい?」
するとヴァッハはぶんぶんと首を横に振った。
「無理! っていうか嫌だ!」
「なんで? 不満があるから家に帰らないんじゃないの?」
「違うって。そうじゃなくって、俺は自分の生まれとか流れてる血とか、そういうのでごちゃごちゃ悩んでるけど、でもやっぱり、俺を育ててくれた人たちが本当の両親で、俺が父上母上って呼ぶのもヴァッハ家の両親だ。妹だって可愛い。付き合ってる人が出来たなんて聞いたら、その相手に絶対妹泣かすんじゃねーぞって言っちゃうと思う。両親だって妹が生まれたからって、俺のことほったらかしにするとか、いらないなんてそんな、大衆小説や歌劇とかであるようなことはしないし、むしろ父上は俺のこと外に連れ出してあっちこっち見て回ったりしてくれたんだ」
なんだよちゃんと仲が良いんじゃないか。
「そんな優しくって良いご両親に、君はなんて酷いことを」
「わ、悪かったって!! 殿下の言う通り、自分が世界で一番不幸で可哀想な人間だって、そういう不幸せな自分に酔ってたっていうかさぁ……、なんか、うん、物語の主人公になったみたいな」
「くだらねぇ」
「馬鹿馬鹿しい」
話してる最中で突っ込むネーベルと、冷たい視線を向けるヒルトに、ヴァッハは涙目になる。
「殿下ぁ! この人たち怖い!!」
「僕だって君に酷いことしようとしたよ」
むしろ僕が一番ヴァッハを傷付けたんじゃないの? 本人はあんまり堪えてなさそうな様子だけど。
「いや、でも、殿下は殿下だし。結果的にバカな俺の目を覚ましてくれたのは殿下だし」
「アルじゃなくったって、お前のことはバカだってわかる」
「むしろご両親が可哀想だ」
「殿下ぁ! この人たち何とかしてぇ!」
やかましいな。
「真面目な話をするよ?」
僕の一言で、ヴァッハはビシッと背筋を伸ばす。
「ヴァッハはリトス王国の先王陛下の子供であると、世間に公表する気はないってことでいい? 現状維持って言うか、ヴァッハ家の長男として一生を終えたい?」
「うん、俺の親は隣国の天上人なんかじゃない。伯爵家の人たちだ」
「これは確認なんだけど、ご両親から実の親、先王陛下にまつわる何かを渡されたりしていないのかな? 手紙とかそういったモノだよ」
「父上は誰からとは言ってなかったんだけど」
そう言ってヴァッハは左手首に着けていたリングを外して、僕に差し出す。
ヴァッハからリングを受け取ったランツェが、僕のところに持ってくる。
渡されたリングは豪奢な金細工のリングで中央にピンクの宝石。これは色は薄いけどピンクダイヤモンドだ。その右側に青い宝石……これはサファイヤじゃなくタンザナイトかな? その逆の左側に、パパラチアサファイアだと思う。ピンクダイヤモンドより少し色が濃いな。
そして腕輪の内側には『レアンドロ 我が愛しの息子の幸を願って レアンドア・Z』と、昔この周辺諸国で使われていただろう古語・フェアガン語で彫られている。Zはツァンナか。てことは、レアンドアっていうのはツァンナ伯爵夫人のファーストネーム。自分の名前の男性名を息子に付けたんだね。もしくは先王陛下が付けたのか。
この填められている宝石、ピンクダイヤモンドは先王陛下の瞳の色。タンザナイトがツァンナ伯爵夫人の瞳の色。それから、パパラチアサファイアがヴァッハの瞳の色なのだろう。
彫られているのはツァンナ伯爵夫人の名前だけど、リングを作ったのは先王陛下かなぁ? 見た感じそんな年季のある作りでも、古いデザインでもないし、リトス王家に伝わっている宝石アクセサリーではないと思う。
あとちゃんと男性用のデザインだし、先王陛下がわざわざ作らせたんじゃないかな?
「あ、あのぉ……、殿下。それなんかやばいもの?」
まじまじとリングを眺めている僕に、恐る恐ると言った様子でヴァッハが訊いてきた。
なんだい、この内側の文字読んでないのか?





