41 王妃様から聞いたリトス王家の話
レアンドロ・アトゥ・ノーヴェ・ツァンナ・リトスは、公式的には生まれてすぐに夭逝したことになっている。
事実は暗殺されることを恐れ、夭逝したことにして、ラーヴェ王国に逃がされたのだ。
ヴァッハの母親は、元は南国出身の踊り子だった。
宮廷で行われた余興の為に、ヴァッハの母親がいた旅芸人たちが呼ばれ、王族や来賓の前で歌や踊りを披露したときに、リトスの先代国王陛下、いまの先王陛下の目に留まったのが始まり。
踊り子の美貌とそのスタイルの虜になった先王陛下は、ヴァッハの母親を強引に自分の傍へ召した。
が、相手は拠点を持たない、多国籍の人種が集まった流浪の旅芸人集団の踊り子で、通常通り側妃にするわけにはいかず、扱いは寵姫(公妾)としたのだ。
元踊り子であった寵姫は、側妃ではないので後宮に置かれることはなく、しかしツァンナ伯爵夫人の家格と爵位、先王の持ちものである離宮を与えられたわけだ。
リトスの先王陛下は、その時点で王妃の他に三人の側妃がいたわけなのだが、そこに寵姫まで召した。その出来事の前には、第二王子の婚約破棄騒動もあったわけで、当時の王太子であり今の国王陛下が、もう我慢ならないと先王を玉座から引きずり降ろし、自分が即位したのである。
先王陛下の後宮は解体。側妃たちは宿下がりされ、王妃であった今の王太后は王家が管理している離宮の一つで隠居。先王陛下は寵姫のいる離宮へと押し込めた。
なんと言うか、このリトスの先王陛下って、うちの国王陛下とは違って、これだけのことを起こせば、自分が玉座から降ろされることは分かっていたんじゃないかって思うんだよ。
リトスの先王陛下は、玉座を降りることも寵妃とともに離宮に押し込められることも、抵抗しなかったそうだ。
しかも引き続き、王族としての仕事をしているらしい。むしろ、王としての重責から解放され、しなければならないという仕事量も減り、老いらくの恋の相手と一緒に暮らすことができて、先王陛下としては理想の余生生活なのではなかろうか?
王妃と側妃たちとの関係は不明だけど、王子王女たちの扱いには、少しだけ差があったようだ。
今のリトスの国王陛下、国王陛下と同胎の王妹殿下、それから側妃が産んだ双子の王子と王女には、自分の足で赴いてその様子を見ていたようなのだが、それ以外の子供にはまんべんなく特に口出しすることもなかったそうだ。
ヴァッハを調べるにあたって、リトスの先王のことも少し調べなくてはいけなくなった時に、ところどころ引っかかった。
おそらく僕の傍にいる中で、一番リトスの先王の為人を知っているのは王妃様だ。だから、長期休暇に入ってすぐに話を聞きに行ったのだ。
そうしたら、王妃様も困惑した様子で語ってくれたのである。
「先王陛下は表現に困る方です。つかみどころがないといえばいいかしら? わたくしとリトスの大公殿下との婚約に関して、『王命』は出さないと宣言されました」
王妃様のその発言から見るに、王妃様と王弟となったリトスの大公殿下との婚約は、王族としては足りない、それでいてお荷物である第二王子の後始末係として、評判の良い公爵令嬢であった王妃様が選出されたのだということが見て取れた。この辺はざまぁをやる悪役令嬢にあるあるの設定と同じだな。
だけど、お二人の婚姻を前提とした婚約に関して、先王陛下は『王命』を出さなかったそうだ。
リトスの大公殿下と王妃様の婚約は、六歳の頃に浮上したそうだ。貴族として教育が本格化してくるのが、大体そのあたりだ。おそらく大公殿下の王族としての適性や思考に、問題ありと発覚したのだろう。
足りない王子を支えるために優秀な令嬢をあてがい、王家の面子を取り繕う。
王家の人間とそれを支える忠臣が考える案だが、その婚姻の話を持ち出したのは、先王陛下ではなく、王太后や生みの親である側妃、王族の生活スタイルや公務を管理している宮中大臣と言った面々。
王妃様の父君は先王の二番目の弟で、結婚を機に、もともと保有していたヘネロシダー公爵として独立し、王家から離れたのだ。
へネロシダー公爵にとって、娘である王妃様と第二王子だった大公殿下との婚姻は、見るからに貧乏くじ。王族としてできていない大公殿下の後始末をさせる人員確保だと見抜いていた。
そも、元王子であったヘネロシダー公爵が、王家におもねる必要があるだろうか?
あるわけがない。
王家の一員でいたかったなら、公爵位を持っていたとしても王家から出る必要がなかったのだ。
だからヘネロシダー公爵は、王妃様と大公殿下の婚約に、『わが家に利がないのだが?』と言って、最初は突っぱねたそうだ。
第二王子であった大公殿下が、王家の人間としてできていなかったのは、ひとえに、その教育ができていなかったせいである。
本人にやる気がなく、我儘を言って授業を放棄すると言うなら、縄で椅子に括り付けてでも行えばいい。相手が王族であったとしても、いや王族であるからこそ、勝手は許さないと厳しく躾けなければいけないのだ。
それこそ、その膨れ上がった高慢な自尊心を叩き潰し、国王陛下並びに王妃殿下、そして次期国王となる王太子に対して従順になるように躾けるべきだったのだ。
先王陛下は周囲に、大公殿下の我儘で高慢なその性格を矯正せよと、早いうちから言っていたらしいのだが、それが実行されることはなかった。
なぜか? さっきも言ったように、大公殿下の教育を請け負っていた王家の教育係が、王族に対しての忖度をしていたからだ。
国王陛下の命令は絶対だが、第二王子殿下は王族なので、無理強いができない。というわけである。
その割には、第二王子にたいして、王太子殿下はこれだけ出来るのにと、いちいち比較して劣等感をもたせたのはどうなのかと思うけれどな。





