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第三十八話

 六月二十四日(土)22:00


 帰宅してから俺は昼間の事を思い出していた。

 明日葉のお父さんは、娘の明日葉が死んだことを認めようとしていた。

 だが明日葉はそれを望んでいない。

 俺はベッドの上で胡坐を組み、思考を巡らせる。


『ねェ隼人』

「ん? どうした明日葉」


 考え事をしていたら突然明日葉から声を掛けられた。

 ちなみに帰宅してから、明日葉とまともに話をしていない。いつもならうるさいくらい

話しかけてくるのに。何故か俺と話をするのを避けているように感じられた。

 いやそれよりも気になっているのは、俺と視線が合うとすぐに逸らすことだ。

 今だってそうだ。呼ばれて振り向いたらすぐに視線を逸らされた。

 何か避けられるようなことした記憶は無いのだが。


『えっと、昼間のお父さんとの話だけど』

「あぁ……」


 俺は無意識のうちに頭を掻いた。

 俺が考えているのはもちろん、明日葉のことだ。


『どう思う?』

「どう思うも何も、あの時言った通りだよ」


 明日葉は幽霊だが本体の方は脳死状態である。医学的には死んでいると同然だが、明日葉は目を覚ますことを望んでいる。

 本人は冗談のつもりで言ったのかもしれないし、その時は俺も軽く流していた。

 だが父親が、娘の死を受け入れる、と言った時に明日葉の顔は悲痛な面持ちになっていたのを俺は見逃さなかった。

 あれは恐らく、心のどこかでは父親の言葉を肯定している自分に気づいているからだ。

 自分がもうこの世にはいない存在だということを理解している。

 でもそれを理解してしまうと、明日葉の希望は絶たれてしまう。

 だから俺は諦めない。


『あ、それもそうなんだけど、そっちじゃなくて』

「ん?」

『“霊能力”っていう方』


 明日葉のお父さんが霊能力者だというのは間違いないだろう。俺の質問に対して、霊能力者の証である霊視という答えを出したのが何よりの証拠だ。

 明日葉のお父さんは、霊能力者としての能力を使って娘の死を受け入れようとしていた。

 それは明日葉のお父さんなりの優しさであり、同時に現実逃避でもある。

 しかしそれなら、なぜ今まで明日葉の置かれている状況に気付かなかったのだろう。霊能力があるなら、明日葉の肉体に魂が入っていないことは分かりそうなものなのだが。


「あぁ……確かにちょっと気になったな。明日葉は知ってたのか? お父さんに霊能力がある事」

『う~ん、聞いたことないなぁ』


 明日葉が視線を上に向けて考える仕草をする。

 ということは、明日葉のお父さんは自分の霊能力を隠していたか、それとも別の理由があるのか。


「もしかしたらだけど、俺と同じ感じなのかもしれないな」

『隼人と同じ?』


 明日葉が首を傾げて俺の言葉をなぞる。


「そ! 俺もこうして明日葉を見たり話したり出来るのって、結構稀なケースだと思うんだ。だからお父さんの霊能力も、もしかしたら明日葉が関係してるのかもな」


 俺の推測に過ぎないが、可能性はあると思う。

 前回と今回の二日、明日葉と接する機会があった。それが原因で霊能力が身に付いたと考えれば、全てのつじつまが合う。

 身に付いたのはつい最近のことだ、とも言っていたし明日葉とは実の親子なのだから可能性はあるだろう。


『そう言えばどうして隼人は霊能力が身についたの?』

「そんなの分かるわけないだろ! わかってたらこんなに苦労しないよ」


 明日葉に言われ、思わず声が大きくなる。

 そう、わからないのだ。明日葉のお父さんの霊能力は、明日葉が原因だとしたら、俺には全く心当たりが無い。

 俺はただの一般人だ。どこにでもいる普通の高校生で、特別霊感が強いとかそういうこともない。

 むしろ幽霊なんか見たくもない。なのに突然幽霊が見えるようになったのだから、何がきっかけなのかさっぱり分からない。


『苦労? どんな?』


 本気で言っているのだろうか。

 俺は深いため息をついてから言った。


「そうだなぁ例えば……とある幽霊に憑りつかれて悪霊と戦うことになったり、別の幽霊を引き寄せて通り魔事件を解決させられたり……」

『あぁもう! 分かった! ゴメンね』


 明日葉が申し訳なさそうな表情で両手を合わせる。

 別に謝ってほしいわけではないのだが。

 俺はベッドの上に寝転がると、天井を見つめながら呟いた。


「まぁ良かったことも多かったけどな」

『例えば?』

「美優の転生先を知れたり、沙奈絵さんって言う可愛い娘と知り合えたり」

『あ! 隼人ってばそんなこと考えてたの!』


 明日葉が頬を膨らませて睨んでくる。

 だがその表情は怒っているというよりは、嫉妬しているように見えた。

 俺はベッドの上で体を起こし、明日葉の方を見る。

 すると明日葉は顔を赤く染め、慌てて俯いてしまった。

 どうやら明日葉は、俺が他の女の子を褒めたから機嫌を損ねているらしい。


「あとは……」

『もう良いよ! やっぱり隼人も男の子だったってことだよね!』


 明日葉はそう言って不貞腐れ、そっぽを向いてしまった。

 その様子に苦笑しながら、俺は続けて呟いた。


「明日葉と知り合えたことかな」

『……え?』


 明日葉は驚いたように目を大きく見開き、ゆっくりと俺の方を振り向いた。

 そして俺と目が合った瞬間、明日葉はまた視線を逸らす。

 俺は再び体を横たえて、目を閉じて思い出しながら話す。


「明日葉と知り合えたことは、良くも悪くもなかなか経験出来ないことだからな。そう考えればこれも良い思い出になるんだろうなぁ……ってことさ」

『これからどうなるかは分からないけどね』

「そうだな。もう夜中の二時だ。今日はもう寝よう」


 ベッドに入り、まどろみの中意識を手放した。

 俺の意識が夢の世界に入った時、部屋にメッセージを告げる振動音が響いた。


『お伝えしたいことがあるので、明日少しお時間取れますか?』


 それは、沙奈絵さんからの連絡だった。


 六月二十五日(日)15:00


 日曜日というのは油断する。特に前日夜更かししてしまった日は、翌日の昼になっても起きれなかったりする。

 それは俺も例外ではない。

 昨日俺が夢の世界に旅立ったのは深夜二時過ぎのことである。そして今現在、夢と現実の世界を行き来しながら、まどろみの最中である。

 そんな俺を現実世界に連れ戻したのは、またしてもメッセージを告げるスマホのバイブレーションであった。

 昨日と同様に、枕元に置いてあるスマホを手に取る。

 まだ眠気は覚めていないが、俺は身体を起こして伸びをしてスマホの画面に表示されている名前を見る。

 画面には沙奈絵さんの名前が表示されていた。

 名前の下にメッセージ内容の一部が表示されている。


『おはようございます、隼人さん。お久しぶりです』

「沙奈絵さんからだ」


 そういえば昨日……というか今日、枕元で振動音がしたような気がしたな。

 まぁそれぐらいでは目覚めることはないんだけどな。


『え? 沙奈絵ちゃん?』


 俺がどうして沙奈絵さんの連絡先を知っているのか不思議に思っているようだ。

 いや、視線と表情が不思議とは別の感情を表しているように見える。

 うん、これはどちらかというと嫉妬に近いな。これは早めに理由を言わないと、また不貞腐れるだろうな。


「美優のことで何かあった時のために連絡先を交換してたんだ」

『そうだったんだ! ナンパが目的じゃなかったんだね』


 俺の答えに納得してくれたのか、明日葉の表情が安堵の色に染まる。

 なんだか俺のことを、女好きの軟派男みたいに思われているようで心外だ。


「俺は元々ナンパはしたことない」


 誤解を解くためにはっきりと否定しておく。

 俺は元々根暗だ。初対面だったら女の子はおろか、男の子にだって話しかけることは出来ない。

 だからナンパどころか、マッチングアプリや出会い系サイトだって使ったことが無い。


『私とのことは?』

「う……」

『まぁそれは今回は言わないことにしておこう。それで、沙奈絵ちゃんは何だって?』


 明日葉が追及の手を緩めたことにほっとする。

 俺としては言いたい気持ちはあるのだが、これ以上突っ込まれるのも面倒だ。

 俺は明日葉の言葉に従って、沙奈絵さんから来たメッセージに目を走らせる。


「えっとね……、何だって!」

『どうしたの? 大声出しちゃって』

「これ! これ見てみろ!」

『え~っと……、え! 嘘でしょ!』


 沙奈絵さんから俺のスマホに送ってきたメッセージ。

 そこには――


 ――家の近くでまた通り魔事件が発生しました。 被害者や手口、被害の度合いも殆ど同じで、警察は単独犯による犯行から、グループによる犯行へと変更して捜査を進めているみたいです。

 沙奈絵さんから送られてきたメッセージにはそう書かれていた。


『私たちの一件で通り魔事件は解決したんじゃないの?』

「そのはずだ。でもこうして被害が出ているってことは……」

『まだ解決していない?』


 いや、美優の命を奪った犯人は目の前で逮捕された。

 しかし、こうしてまた事件が発生しているのも事実だ。


「……確定じゃない。もしかしたら模倣犯や愉快犯の可能性もある」

『確かにそうかもしれないね』


 俺が呟くと、明日葉は真剣な面持ちで言った。

 明日葉の言葉を聞きながら、脳裏には別の可能性が浮かんできた。

 美優を襲った犯人。そして今回の犯人は別物で、何か理由があって暫く犯行に及ばなかった。

 その理由までは想像出来ないが、何らかの理由で再び凶行に及んだとしたら……。

 嫌な予感が頭を過り背筋に悪寒が走る。


「いずれにしても、沙奈絵さんには注意するように伝えとこう」


 いや、考えるのはやめておこう。

 俺は頭を振って思考をリセットすると、明日葉に言う。

 今はとにかく、沙奈絵さんに伝えることが先決だ。


『……うん』


 俺の言葉に軽くうなずいたあと、視線を上に向け何かを考える素振りを見せる明日葉。


「ん? どうした?」

『沙奈絵さんのこと、やっぱり心配だよね?』

「そりゃ心配だよ」


 そう答えたら明日葉の表情に嬉しさが混じり、それを隠すように下を向いた。

 これは何か別のことを考えてるな。


『そしたら今から会いに行かない?』

「……美優、紀ちゃんに会いたいだけだろ?」

『……てへ!』


 だろうな。絶対そうだと思った。

 明日葉の性格上、沙奈絵さんのことはもちろん心配だが、同時に美優紀ちゃんとも遊びたくて仕方がないのだろう。一応俺と明日葉の妹ということになっているしな。魂だけだけど。

 俺としても美優紀ちゃんと会うのは楽しみだし、断る理由はない。

 それに明日葉の嬉しそうな表情を見たら、断れるわけもない。



「今日はチャリで行くからな。電車代もバカにならんし」

『オッケー!』


 ため息をつきつつ、ベッドから出て立ち上がり、沙奈絵さんにメッセージを打つ。


『今日これからお会いすることは出来ますか?』


 六月二十五日(日)17:00


 沙奈絵さんと会う約束をした場所は駅近くの喫茶店だった。

 いつもなら電車ですぐに到着するのだが、今日は自転車で向かったためかなりの時間を要してしまった。もちろん体力も。

 今度からはやっぱり電車にしよう。

 店の前に到着して沙奈絵さんにメッセージを送ると、既に中にいるという。

 自転車を駐輪スペースに押し込んでから店内に入り、沙奈絵さんの姿を探すとあちらもすぐにこっちに気付いたらしく、手を振って場所を教えてくれた。

 コーヒーを注文し、テーブルに届けられるのを待ってから話を聞いた。


「それじゃ今はまだ公表されてるわけじゃないんですね?」

「えぇ」


 運ばれてきたコーヒーで喉を潤しながら沙奈絵さんの話を聞き、カップを置いてからそう聞き返した。


『でも事件が起きたのって先週火曜日だよね?』

「それがどうかしたのか?」

『先週の火曜日は私の家に初めて行った日でしょ?』


 明日葉が疑問を口にする。

 俺もその点が気になっていた。


「そうだったな」

『犯行時刻は夜の十時……。場所は近くの公園……』

「……まさか俺たちのいた公園か!?」

『この家の近くで公園はあそこしかないから』

「ってことは、俺たちが帰る前後に犯行があったってことか」



 もし本当にあの場所で犯行が行われたなら、俺たちが襲われていてもおかしくはない。

 あの公園に入った時にはそんな様子はなかった。ということは、俺たちが帰ったすぐ後に犯行が行われたことになる。

 だが確かあそこには――。

『ねぇ、でもおかしくない?』

「あぁ。おかしいな」

「何がおかしいんですか?」


 どうやら明日葉も俺と同じ考えに至ったようだ。

 一人だけ分かっていない沙奈絵さんが首を傾げる。

 一度明日葉と目を合わせてから、沙奈絵さんの方に向き直る。

 そして、


「俺たちがいた公園なんだけど、警察官がいたはずなんだ」


 あの日の俺と明日葉が見た光景を思い出しながら話す。


『あの時はいきなり隼人が大声出したからビックリしたよ』

「そんなことあったんですね。それでそれの何が変なんですか?」


 沙奈絵さんの言葉に、俺は少し間を置いてから答える。


「よく考えてくれ。あの公園で通り魔事件が起きた場合、時間は俺たちが居た時間の後だ。叫び声とかを聞いてないから恐らく間違いないはずだ。それなのにあの警察官が気付かなかった、っていうのは変じゃないか?」

『そうなんだよね』


 俺の言葉に同意を示す明日葉。

 普通ならば、通り魔事件が発生していた場合、すぐに通報なり、捜査員を派遣するなりするのが定石だ。


「隼人さんたちが立ち去った後、お巡りさんもすぐにいなくなったからわからなかった……とか?」

「その線もあるだろうが、あの時間にあの場所に警察官が居たのが気になるんだ」


 仮に警察官が事件発生に気づいていなかったとしても、その後すぐに事件が発生したのであれば、それなりの騒ぎになっていたはずだ。

 でもそれらしい騒ぎは聞かなかった。

 ということは、通報等は一切行われていなかったということだ。


『隼人、もしかして!』

「そのお巡りさんが、通り魔ってことですか?」


 明日葉の言葉を引き継ぐ形で、沙奈絵さんが言った。

沙奈絵さんの言葉に、俺はゆっくりとうなずく。


「可能性の話しだよ」


 確証はない。ただの憶測に過ぎない。

 しかし、俺たちと別れた後に犯行を行い、その場を離れたとしたら、周囲にも誰にもバレずに済ませることが出来るかもしれない。

 あくまで仮説。しかし、それが真実だとしたら……。

 嫌な想像ばかりが頭に浮かぶ。


『確かに可能性はあるかもしれないけど、考えすぎじゃない?』

「そうであって欲しいけどな。ただ、明日葉を襲った犯人はまだ捕まってないんだろ?」

『う~ん……確かにそうだけど』


 俺の言葉に、明日葉は腕を組んで悩み始める。

 明日葉に襲い掛かった犯人がまだ捕まっていない以上、この可能性は否定出来ない。

 もしも犯人があの時の警察官で、今もまだ警察署の中で通常勤務をしながら、次の被害者を探していたら……。

 いや、決めつけるのは早いか。ただの想像、というより仮定の話だ。

 俺は頭を振って思考をリセットすると、再び口を開く。

 今は目の前のことに集中しよう。

 明日葉を襲った犯人のことも気がかりではあるが、まずは沙奈絵さんの身の安全を確保することが最優先だ。


「まぁ今は考えても仕方ない。とりあえず紗奈絵さん。なるべく一人で出歩かないで、人通りの多い道を選んで下さいね」

「分かりました。今は注意し過ぎなぐらいが丁度いいですよね!」

「そういうことです。それじゃ明日葉、俺たちも帰ろうか!」

『え~! まだ美優紀ちゃんに会ってないよ~』


 明日葉の不満を漏らす声が聞こえるが、時刻は既に十八時過ぎだ。

 窓の外を見ると、あと十数分で陽が落ちる。通り魔事件が発生してからまだ日が浅い。

 暗くなってから帰るより、明るいうちに帰った方が安全だろう。


「この状況で紗奈絵さんを一人にさせる方が危険だ」

『……まぁ確かに』


 俺の説得に明日葉がしぶしぶ納得する。

 美優紀ちゃんと遊びたい気持ちもわかるが、ここは我慢してもらおう。


「それじゃ、紗奈絵さん。送っていきますよ」

「あ、ありがとうございます」


 沙奈絵さんを自宅まで送り、それから何事もなく? 一週間が過ぎた。


 七月一日(土)9:00


『隼人、そろそろ行こう!』

「そうだな。今から向かえば丁度いい時間になるかな」


 遡ること一週間前。紗奈絵さんを家まで送った時に、俺たちは約束を二つした。


 一つ、絶対に危険なことには首を突っ込まないこと。

 二つ、噂話程度でも何か分かったらお互いに報告すること。


 この一週間、沙奈絵さんからの連絡はなかったし、俺からの連絡もしなかった。

 例の警察官が俺たちを調べているのでは? とも思ったが、それはどうやら杞憂に終わったようだ。

 そのことに拍子抜けもするが、何もなかった? ことをまずは喜ぶべきだろう。それにもう少しで期末テストだ。普段から真面目に授業は受けているが、それでもテスト勉強は必要になってくる。

 今日は帰ったらテスト勉強をするか……。


 七月一日(土)10:00


「いらっしゃい隼人さん」

「どうもお邪魔します。何事もなくて良かったです」

「そうですね。ん? 何だ?」


 沙奈絵さんと話していると、明日葉が俺の腕を引っ張ってきた。

 明日葉の方を見ると、彼女は俺のことをジッと見つめていた。


『ねぇ、早く私もお話したい!』


 明日葉の視線がそう語っていた。


「……分かったよ」


 俺は明日葉の意図を理解して、沙奈絵さんの方に向き直る。

 視線が交わったところで沙奈絵さんが俺の様子に気付き、話しかけてきた。


「えっと、明日葉さんですか?」

「えぇ。まぁ本人も早く話したがってますから、トイレをお借りして良いですか?」

「もちろんです。私も明日葉さんとお話したいですから」


 沙奈絵さんの問い掛けに答えながら、俺は視線でリビングの隣にあるトイレを指す。

 明日葉がドアをすり抜けて中に入ったのを確認し、一つ頷いてから沙奈絵さんに「お願いします」と伝える。

 伝える言葉は少ないが、俺たち三人にはそれだけで伝わる。沙奈絵さんがトイレのドアの前に立ち、ノックを三回する。

 木製の乾いた音が廊下に響き、続けて沙奈絵さんの口から紡がれる言葉が聞こえる。


「花子さん! 遊びましょ!」


 そう聞こえた瞬間、トイレのドアが勢いよく開き、中から明日葉が飛び出してきて沙奈絵さんに抱き付く。

 そして満面の笑みで話しかける。


『沙奈絵ちゃん! 元気だった?』

「明日葉さん! もちろん元気ですよ! 美優紀ちゃんも元気いっぱいですよー!」


 明日葉の問いかけに答えると、沙奈絵さんは美優紀ちゃんのいる部屋に明日葉を案内していった。

 俺はそんな二人の様子を眺めてから、ここに来た本題を見失わないように二人の後をついていく。


『いいねぇ! 可愛いねぇ! すくすくと育ってるんだねぇ!』


 明日葉は嬉しそうに言いながら、美優紀ちゃんの頭に触れる。

 もちろん明日葉は幽霊だから実際に触れることは出来ないのだが、美優紀ちゃんは明日葉の手が触れた瞬間に笑顔を浮かべた。

 明日葉の温もりを感じたのかも知れない。


「育つのは良いけど、明日葉みたいにならないように教育するんだよ!」

『隼人! それどういう意味?』

「その辺は察してくれ。さて、明るい話はこの辺にして、本題に移りましょうか」


 明日葉が苦情を言ってくるが、それは今のところ無視する。

 今大事なことは、沙奈絵さんを守ることだ。

 明日葉には少し我慢してもらって、今週何かなかったか話を聞く。


「そうですね! と言っても特に何もなかったんですけど」

「それは何よりです」

『でもどうするの隼人? 何も進展がないままじゃ意味がないじゃない?』


 明日葉の言う通りだ。このままではただの時間の無駄遣いになってしまう。

 何かしらの対策を考えないと……。


「そうだな……と、言っても来週は俺も期末テストがあるからなぁ」

「私もです」


 そういえば沙奈枝さんも同じ学生なのだから、そろそろ期末テストだ。

 中学生の期末テストは、その後の高校受験の時に重要となるから、おろそかにするわけにはいかないだろう。

 特に国語、数学、理科、社会、英語の五科目は重要だ。普通に考えればテスト期間は大体一週間ぐらいだろう。


「そしたら次に合うのは二週間後、十五日にしましょうか! その日は警察署まで行きましょう」

「分かりました」

『それじゃ、もうちょっと美優紀ちゃんと遊んでも良いよね?』

「分かったよ」


 やれやれ。

 まぁでも美優紀ちゃんと遊ぶのは俺も嫌じゃない。普段、赤ちゃんと接することなんてめったにない。

 俺にとっても癒しだ。


 七月一日(土)12:00


 沙奈枝さんと別れてから駅に向かう途中、お昼を食べていこうと明日葉と話した。

 すごい喜んでたけど、明日葉って何も食べられないんじゃなかったっけ?

 商店街に向かっている途中、ふと思い立って隣の明日葉に声をかける。


「お昼を食べるついでに事件現場を見ようと思うんだけど、良いかな?」

『うん! 私は全然問題ないよ!』


 明日葉が快諾してくれたので、お昼を食べた後に事件現場となった公園に行くことになった。


 七月一日(土)14:00


『隼人』

「ん? どうしたの?」


 自転車の荷台に乗る明日葉から声をかけられたので、前を見たまま返事をする。もちろん明日葉は幽霊だから重さなんてものは感じない。

 ブレーキを掛けて自転車を停止し、信号待ちをしている間に、俺は明日葉に視線を向ける。


『あんなに不健康そうなもの食べてるの、お姉ちゃんは感心しないなぁ』


 明日葉が話しているのは、先ほどお昼に俺が食べたラーメンの事だろう。


「あぁ……確かにあれはかなりの」


 以前、一条先生と一緒に食べたラーメンもかなりの攻撃力を誇っていたが、今日食べたのは更にそれを上回っていた。

 食べ盛りの男子高校生でもあの油の量はかなりキツかった。だがしかし! 俺は負けられない戦いがそこにあるのだ! だから完食してやったぜ! まぁ正直二度と食べる気にはならないけど。


「でもあの過剰ともいえるカロリーのおかげで、こうしてチャリで目的地にまで来れてるわけだし。結果オーライ! ってことで」


 信号が青になったので、再び自転車をこぎ出す。明日葉との会話はまだ続く。


『いつもあんなの食べてたら、今は良いかもしれないけどそのうち太るよ!』


 明日葉の口調がいつもよりも大人びている気がするが、これはきっと俺の勘違いではないはずだ。

 何故なら、彼女の顔が真剣そのものになっていたからだ。きっと本気で心配してくれてるのだろう。


「健康的な食事を心がけろって?」

『そうだねぇ……自炊でもすれば良いのに』

「すると思うか?」

『しないよねぇ。それじゃ私が作ろうか?』

「あぁ、それは嬉しいね。意識が目覚めたらぜひお願いしたいね」


 冗談交じりに明日葉にそう返事をし、しばらく歩くと目的に到着した。


 七月一日(土)15:00


 公園に到着した俺たちは、まず入り口の周辺を見渡す。

 特に変わったところはないように見える。

 次に公園内をぐるりと一周回ってみる。

 ブランコに滑り台、砂場に鉄棒。それにベンチがいくつか。

 あとは花壇と、この季節になると色とりどりの花をつける木が何本か植えられている。

 そして最後に、一番奥に設置されているトイレを確認する。

 その三か所に目を向けたところで、俺は違和感を覚えた。


「う~ん……」

『何かわかった?』

「そうだなぁ。分かったことと言えば、昼間のこの時間なのに、人通りがあまりない、ってことぐらいかな」

『確かにそうかも! 何ていうか、ちょっと不気味な感じするね』

「だから、幽霊の明日葉が不気味って言うのはおかしいって!」

『いやいや! 一応まだ死んでないから!』


 そんな軽口を言い合いながら、俺は頭の中で考えていた。

 どうして誰もいないのか? その理由を考える。

 考えられる理由は三つ。

 一つは単純に人が寄り付かない場所だということ。

 もう一つは、警察の捜査が一段落したこと。

 前者の場合は問題ないが、後者だった場合が厄介だ。

 事件現場は間違いなくここなのだから、まだ警察が捜査をしていてもおかしくない。それなのに全く人の気配を感じないという事は、この現場での捜査は一度終了し別の捜査を開始しているという事だ。

 それはつまり、犯人が警察の捜査を操る事が出来る可能性があるということだ。

 警察の捜査を操る、そんなことが出来るのはどんな奴だろう? 少なくとも、普通の人間ではないだろう。

 だとすると……

 そこまで考えて、俺はある結論に至った。

 まさかとは思うけど、この事件の黒幕は……。いや、ただの想像に過ぎない。今日は帰ろう。試験勉強は……明日からで良いかな。


 七月二日(日)


『隼人ぉ、何してるのぉ?』

「ん? 試験勉強だよ。一応授業で分からないところは無いけど、暗記しなくちゃいけないのはやっぱり覚えないとね」


 机に向かい、教科書とノートを広げてシャーペンを走らせる。

 俺の部屋に入ってきた明日葉は、ベッドに腰かけて足をパタつかせていた。

 明日葉が勉強している俺の横に立って再び話し始めた。


『そう言えば、隼人って苦手な科目ってあるの?』

「んや。特に無い。だから今ごろになってから試験勉強始めても間に合うんだよ」

『……なんか嫌な感じ』

「仕方ないさ。俺、頭良いから!」

『ムカつく!』


 明日葉がジト目を向けてくるが、気にしない。

 そもそも俺の成績は学年トップクラスだ。中学の頃からずっと。

 まぁだからと言って天狗になるようなことはしない。油断したらすぐに成績が落ちてしまう。

 五科目だけの中間テストならあまり苦労しないが期末テストとなると、メインの五科目以外のテストがある。それが厄介だ。

 受験の何に使うんだ? まぁ勉強するけどさ。


 七月三日(月)8:30


「今日は確か現文と音楽だったな」


 現文は元々得意だ。

 と言うよりも、苦手な奴はいるのだろうか?

 試験勉強と言っても、やるのは漢字の暗記ぐらいだ。

 問題なのは音楽だ。

 一応教科書に出てくることは全部覚えておいた。

 厄介なのは長調とか短調とか、和音とかだ。

 理論的なものは一通り知っているが、もっと深く切り込まれたら分からないかもしれない。


 大体なんだよ?

 ハ長調とイ短調が同じって! どういう理屈だよ? 全然理解出来ねぇよ。


 とか思っていたら、もっと意地悪な問題が出やがった。

 教科書の出版社とか、そんなの誰が覚えてるってんだ?

 覚えてたけど。


 七月四日(火)8:30


 今日の教科は数学と美術だ。

 数学は得意だ。

 しかしクラスメイトは皆、数学は苦手という奴が多い。

 そこで、なんで苦手な奴が多いのかを考えてみたことがあった。

 理由は単純で、「数学って何の役に立つの?」だった。

 分からなくはない。

 俺だってダーツをやっていなければ役に立つとは思わなかったかもしれない。

 もっとも、俺が数学を得意な理由は別にある。

 ピタゴラスに関する本を読まなかったら、俺もきっと数学を好きにはならなかっただろう。

 そこで俺は思ったんだ。「数学って何の役に立つの?」ではなく、「どうやって数学を使うか」が重要だってことに。

 それに気づいてから、得意だった数学が更に好きになった。


 七月五日(水)8:30

 英語は今後の社会で確実に必要になるはずだ。

 それに英語って、海外からしたら普通の会話の事なんだよな。問題を解く要領は現文と変わらないはずだ。多分。


 七月六日(木)8:30


 理科の中でも俺が選考してるのは物理だ。中学校の頃に読んだことがあるけど、ラプラスの悪魔というのが物理の世界ではあるらしい。

 ラプラスという学者が提唱したもので「一瞬でもこの世の全てを把握する出来る存在がいたとすれば、過去と未来は全て計算によって導くことが出来る」らしい。

 その存在をラプラスの悪魔というようだ。確かに言ってることは間違っていないはずだ。世の中の物は因果によって結び付けられている。

 それを読んでから俺は物理と数学が更に好きになった。

 技術? そんな科目は知らん。授業のことを思い出すだけだ。


 七月七日(金)8:30

 今日は試験の最終日だ。

 その一番最後が社会と家庭科か。

 今更ながらに思うが俺は理系と文系のどちらが得意なのだろう。

 数学や物理は好きだが、生物や化学は苦手だ。それに政治・経済や日本史は得意だが、世界史と地理、古文・漢文は嫌いだ。

 テスト範囲が政治・経済だから良かった。でも今回の社会の問題はかなりイジワルだったな。まさか「現代貨幣理論に対する自分の意見」が出題されるとは思わなかった。

 こんなの大学で研究することだぞ。

 家庭科、何それ? おいしいの?

 さて、今日でテストは終わりだ。明日からテスト休みがある。沙奈絵さんと約束してるのは七月十五日だから、まだ一週間以上ある。

 連絡はこまめに取るようにして、久々に休みを満喫するとしますかね。


 そう思っていたが、休みを満喫するという俺の希望は叶わなかったわけだが、それはまた別の話だ。

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