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第三十七話

 六月二十三日(金)17:00


 時間が過ぎるのって早いなぁ……。今週の火曜に明日葉の実家を訪ねてから、もう週末か……。

 夕陽が照らす学校からの帰り道を歩きながら、そんなことを思っていた。


『隼人ぉ! どうしたのぉ?』


 明日葉の呼びかけで意識が戻る。どうやらボーッとしていたみたいだ。

最近は明日葉が幽霊だということに慣れてしまったのか、明日葉の存在感が薄く感じることがある。

 俺にとって、明日葉は幽霊なんだってことを時々忘れてしまう。

 だがそれも当然かも知れない。

 こうしてすぐ隣で俺と普通に、何も違和感なく話しかけてこれるのだから。

 そんなことを考えながら明日葉に視線を移し、掛けられた言葉に返事をする。


「ん? いや、時が経つのは早いなぁ……って」

『おじさんみたいなこと言わないでよ』.

「いやぁ……こうして年って取っていくんだなぁ……」


 昔、何かの本で読んだことがある。

 体感としては十九歳で人生の半分が終わっているらしい。ジャネーの法則だかジャミーの法則だったか、そんなようなやつだった。

 俺は今年十七歳だから、あと二年で人生の半分が終わると考えれば、どこか寂しさを感じる。

 しみじみと感じている俺の肩を明日葉がポンポンっと叩く。

 叩かれた方を見ると、呆れたような表情をした明日葉がいた。

 何かおかしいこと言ったかな? すると明日葉は、今度は自分の頭に手を当てて何か考える素振りを見せる。

 そして一つため息をついて『あのね』と続けて言った。


『私なんて隼人より年上なんだから、隼人がおじさんになったら私、お祖母(ばあ)ちゃんになるからやめて!』


 あぁそういえば明日葉は俺よりも一歳年上だったな。さっきの法則になぞらえると、明日葉の人生はあと一年くらいなのか。

 ん? 明日葉の人生?


「でも明日葉は幽霊だから年取らないだろ?」

『あ、そうか!』


 俺のもっともな突っ込みに明日葉は納得したように手をポンと打つ。

 その仕草が妙に可愛く見えた。

 ふむ、こんなに可愛い子ならお婆さんになってもきっと美人だろう。

 いや、明日葉は幽霊なんだから年は取らないよな。何を考えてたんだ俺は。


「本体の方は徐々に年を取ると思うけどな」

『もぅ! なんでそういうこと言うかなぁ?』


 明日葉が腕を組みながらプクッと頬を膨らませて怒った表情をした。

 その様子があざとくて、もう少しイジワルしようか思わず迷ってしまうが、これ以上イジワルすると本当に拗ねてしまいかねない。


「悪い悪い。でも、こういうのが大人になるっていうことなのかな? って思ってな」

『あぁ、確かにそういうのはあるかもしれないよね』


 もちろんそれだけが原因では無いとは思うが、時間の進み方が早く感じる。幼いころよりも時間の経過する感覚は、徐々に早くなっていくのを実感する。


「大人とは、夢を追うのを諦めた子供の姿である、ってね」

『ん? だれかの名言?』

「昔どっかで聞いた言葉だよ」


 確か、小学生の時に先生が言ってたっけな。

 どんな内容だったかまでは覚えていないが、なんとなく心に残ってる言葉の一つだ。

 でも、今の俺はこの言葉に少し疑問を抱いている。

 それは、この世界が俺が思っている以上に残酷だと思っているからだ。

 夢を叶えるためには才能がいる。

 努力をしても報われないことはよくあることだ。

 そんな世界に生きる人間は皆、現実を知って諦めていく。


『そうなんだ。間違ってないと思うけど、なんか寂しいね』

「……だな」


 明日葉が悲しげな表情をして呟く。

 十代後半ともなれば、ある程度この世の真理に気付く。

 身体が大人になっても夢を追っている人はたくさんいるだろう。もちろん夢を諦めろとは言わないし、夢を追っている人は輝いているように見える。

 だが社会に出て働き出し、結婚をして子供が出来たりしたら、自分の夢なんて追っていられないのだろう。これに気付くかどうかは本人次第で、俺は他人より少しだけ早くそれに気付いたというだけだ。

 それに今は……。


『隼人は……』

「ん?」


 不意に明日葉が口を開く。


『隼人は夢ってあるの?』


 明日葉が不安げな表情で聞いてきた。

 夢か……。

 明日葉に聞かれるまで、俺は考えたこともなかった。いや、いつの頃からか考えようとさえしないようになっていた。


「あぁ……、今は特にないかなぁ」


 嘘ではない。

 今は何も思いつかないし、思いつくこともない。

 将来やりたい仕事や就きたい職業が何かあれば別だけど、今のところはない。


『それもそれで辛くない?』

「う~ん……、まぁ辛くなくはないよなぁ。でも目標はあるよ」

『え? 何?』


 明日葉が興味津々といった感じで聞き返してくる。

 目標といっても今の状況を考えたら一つしかないような気がするんだけどなぁ。

 でも明日葉が成仏すると決めて、それを手伝うと言ったから改めて決意表明するのも良いかもな。まだ殆ど手がかりが無い状態だけど、のんびりと構えているほど余裕はない。期限は決まっているしな。

 そんなことを考えながら、夕陽に染まる街並みを眺める。

 そしてゆっくりと深呼吸してから、明日葉に向かって言った。


「今は明日葉のこと……かな!」

『そっかぁ……ありがと! でも、もし私がどこかに行っちゃったらどうするの?』


 俺の答えを聞いて、どこか嬉しそうにはにかみながら礼を言う明日葉だったが、すぐに心配そうな顔で質問してきた。

 明日葉が口にした、どこかに行く、というのは、俺の元を去るという意味だけではないはずだ。

 その問いに俺は考える間もなく答える。


「いなくなるって言っても色々あるだろ? 特に明日葉の場合は」

『例えば?』

「考えると寂しくなるけど、明日葉が成仏するとか、かな?」


 明日葉が幽霊になってからずっと考えてきたことだから。

 明日葉が俺の前に姿を現した日から、ずっと考えていたこと。

 そして見つけた、今の俺の目標。

 明日葉が俺の前に現れた理由。

 明日葉を成仏させる方法を見つける。

 だから、もう迷わない。

 明日葉の目をしっかりと見つめて、俺は言った。


『そうだよねぇ。それが目的で私の家に行ったりしてくれてるんだもんねぇ。でももしかしたら、もっと別の事が起こるかもよ!』

「例えば?」


 明日葉は俺の答えを聞くと、一瞬泣きそうになりながらも微笑んでそう返した。

 それはまるで、俺の覚悟を確かめるような、確かめるような、そんな瞳をしていた。

 そして、いつも通りの明るい口調で言葉を続ける。

 それはきっと、希望的観測に過ぎないと自分でも分かっているはずだ。俺もそのことは十分分かっているつもりだ。

 だがそれでも明日葉の口からその言葉が聞きたい。


『そうだねぇ……例えば、私の意識が戻る! とか』

「あぁそりゃ良いね。何もかもがそれで解決だ」

『もぅ! 適当だなぁ』

「そんなことにはならないから、考えるだけ無駄! ってことだよ!」


 俺は冗談めいた言い方でそう告げるが、心の中ではそうであって欲しいと思ってる。

 明日葉が自分の身体に戻ることが出来るようになる。

 それだけで、全てが丸く収まる。

 だがそれがいかに可能性の低いことか分かっている。脳死状態の明日葉の意識が戻ることはほぼ無いだろう。

 でも仮に奇跡的な事が起きたら……。


『むぅ……そしたら、もし私の意識が戻ったらどうするの?』

「あぁ? そん時ゃ明日葉の彼氏になってやるさ」


 俺がそう言うと、明日葉は驚いた表情をしたかと思うと、次第に頬を赤らめていった。

 俺が不思議に思って首を傾げると、慌てたように顔を背ける。

 そして振り返り、少しだけ悪戯な笑みを浮かべて言った。


『え? 今は違うの?』

「断じて違う!」


 明日葉の言葉に力強く否定する。

 明日葉とは付き合ってはいない。

 それは紛れもない事実だ。

 何しろ俺と明日葉は文字通り住む世界が違うんだ。それに俺は、明日葉のことを異性として見たことがない。

 明日葉が魅力的な女の子だということは認めるが、それは恋愛感情ではなく、あくまでも友達としての気持ちだ。

 でも明日葉が本当に目覚めたら、その時は……。


『でも彼氏だと別れる可能性があるよね? もう少し希望が欲しいなぁ』

「面倒いなぁもぅ……。そしたら明日葉と結婚してやるよ!」


 半ばヤケクソ気味に叫ぶと、明日葉は満足げな表情で言った。

 俺が恥ずかしくて仕方がないセリフだったけど、これで良かったのか……。

 俺の心臓はバクバクと脈打ち、身体中から汗が噴き出している。

 夕陽に染まっているから分かりづらいかもしれないが、おそらく顔は真っ赤になっているだろう。


『え? 本当に? 期待して良いの?』

「あぁ! 意識が戻ったらな! 今現時点で幽霊なんだから、絶対に無いけどな!」

『もぅ! そんなこと言わないでよ! それで、明日は私ん()に行くんだよね?』


 明日葉が拗ねた様子で訊いてくる。

 正直、今の状態で明日葉の家に行って何か別の情報が手に入るとは思えない。

 多分、今日のアルバム以上の情報は明日葉の部屋からは出てこないだろう。見つけられる情報が無いなら今度は耳で聞く情報だ。

 俺は小さく息を吐いてから、明日葉を見据えて答えた。


「あぁ。お父さんにもう少し詳しく話を聞く予定だ」

『そしたら今日は早く寝た方が良いんじゃない?』


 明日葉が心配そうな面持ちで俺の顔を覗き込む。

 確かにそうかもしれな……いや、明日は早いんだし、睡眠不足はさすがにまずいか。


「あぁ、十時には寝るつもりだよ」


 今日は明日葉の提案を受け入れて、今日は早めに寝るとするか。


 六月二十四日(土)00:10


『隼人、もう寝ちゃった?』


 家に到着してからご飯を食べてお風呂に入り、あとはもう寝るだけという時に明日葉が隣から話しかけてきた。


「いや、なんだか眠れなくてな」


 俺もなかなか眠ることが出来ず、明日のことについて考え事をしていた。


『私も……なんか緊張しちゃって』

「そうなんだよな。なんでか分からないんだけど、明日葉の家に行くってだけで緊張してるんだよな」

『別に初めて、っていうわけでもないんだけどね』

「あぁ……何でだろうな?」


 口ではこう言っているが俺が眠れない理由ははっきりしている。

 明日葉の家に言って父親から何を、どんなふうに聞けばいいのか全く分からないのだ。

 普通に考えれば明日葉が入院している病院についてだろう。

 明日葉は脳死状態とはいえ身体は生きている。だが父親が話す気になってくれるかどうかは怪しい。

 俺が聞いたところで病院の場所を素直に教えてくれるのだろうか。

 そんなことを考えれば考えるほど、目が冴えて眠気をはるか彼方に吹き飛ばしてしまう。


『でも無理矢理にでも寝たほうが良いよ』

「分かってるさ。目を閉じてればいずれ眠くなるだろ」


 そうは言っても眠れる気が全くしない。


『そしたら子守唄でも歌ってあげようか?』


 明日葉がイタズラっぽく微笑みながら提案する。

 赤ん坊じゃないんだからそんなので眠れるとは思えないが、気分転換にはなるかもしれないな。

 すぐ横にいる明日葉を見てから口を開く。


「……じゃあ、お願いしようかな」

『え?』


 まさか了承されると思っていなかったのか、明日葉が驚きの声を上げる。

 そして恥ずかしそうに俯いた。


「ん? 何か変な事言ったかな?」

『隼人らしくないなって』


 あぁ確かに俺らしくはないかもな。いつもなら「寝れるわけねぇ」とか言って布団を被るところだ。

 それなのに今は明日葉の提案を受け入れた。確かに俺らしくないと言えば俺らしくないかもな。


「……嫌なら別に良いんだよ」

『あ、嘘! 冗談だって!」


 明日葉が小さく咳払いをして深呼吸をした。

 それが何だかおかしくて、思わず笑ってしまった。

 明日葉が頬を膨らませているような気がするが、俺はそれを無視して目を閉じる。


「じゃあ歌うね』


 そう言うと明日葉の透き通った歌声が聞こえ始めた。

 それはどこか懐かしく、優しく包み込んでくれるようで、心地の良い歌だった。

 子守唄なんて聞くのはいつ以来だろうか? 多分まだ俺が乳児の頃だろう。明日葉って、意外と母性本能あるよな。

 明日葉の歌声を耳にしながら、俺はいつの間にか眠りに落ちていた。

 そして、夢を見た。

 とても長い、幸せな夢を。


 六月二十四日(土)7:00


『隼人! そろそろ起きて』

「う~ん……あと少し。お願い五分だけ」


 朝七時になり、明日葉は俺を起こしにきた。

 昨夜は結局あの後ぐっすりと寝てしまい、気づいた頃には外が明るくなっていた。

 おかげで頭はスッキリしていて、身体も軽い。

 だがそれでもあと五分ほどは寝たい……。

 俺は寝返りを打って再び瞼を閉じると、明日葉が呆れたようにため息をついた。

 すると次の瞬間、身体に重みを感じた。

 何かが上に乗っかっている。その正体は、もちろん……。

 俺は薄らと瞳を開ける。

 そこには、俺の上に馬乗りになっている明日葉がいた。


『駄目だよ! 今日は私の家に行くんでしょ! 起きないと到着するのが午後になっちゃうよ!』


 俺の身体の上で腰に手を当てながら叱咤する明日葉。

 そんな明日葉の姿を見ると、何だか胸が苦しくなった。

 今更だが、こうして自分の身体に明日葉がいることが不思議でならないのだ。

 俺は布団の中で薄目を開けた。

 そして意識が覚醒していくにつれて、段々と頭が働き始め、それと同時に今の状況を理解した。


「……ヤベ! 明日葉、今何時?」

『今ちょうど七時。急いで支度すれば、まだ午前中に間に合うよ』

「サンキュ! 秒で用意するわ!」


 俺はベッドから飛び起きると、そのまま洗面所に向かって顔を洗い歯を磨いた。

 そして寝癖を直すこともせずに、すぐに部屋へと戻って服を着替える。

 そしてスマホをズボンの尻ポケットに突っ込み、今度は朝食が用意されているダイニングへ。

 テーブルにはトースト二枚とベーコンエッグが置かれていた。

 それを手早く食べながら時計を確認する。

 七時半を少し過ぎたくらいだ。まだ寝癖を直す余裕はありそうだ。

 口に頬張ったトーストを牛乳で流し込み、再び洗面所へ。

 今度はゆっくりと髪をセットして、最後に鏡の前で笑顔を作る。

 うん、バッチリイケメンだ。

 今日は明日葉の家に行くわけだから、なるべく好印象を与えたい。

 身だしなみには気をつけなければ。

 時間を確認してから玄関へと向かう。

 靴を履いている最中に、ふと思った。これって、まるでデートに行くみたいじゃないか? まぁ似たようなもんなんだけどさ。

 いや、違うぞ。これはただ単に情報を聞き出すために明日葉の家に行くだけだ。

 決してやましい気持ちがあるわけじゃない。


 六月二十四日(土)9:00


「じゃあ母さん、隣町まで行ってくるね!」

『お義母さん、行ってきますね!』


 何か今、微妙に発音が違ったような……。って言うか、呼び方おかしくないか?

 ……これはきっと気にしちゃいけないコトだな。

 自分に言い聞かせるようにして、ドアノブを握る手に力を込めた。

 外に出ると、眩しい陽の光が降り注いでいた。

 雲一つない青空が広がっている。

 今日は一日晴れの予報だ。


 六月二十四日(土)9:30


「何度か来てるけど、隣町って三〇分で着くんだよな」

『そうだね。こうしてみると意外と近いよね』


 電車を降りて遠くの空を眺めながら呟くと、明日葉も同意するように相槌を打った。

 いつも通り周囲の人に怪しまれないよう、スマホを片耳に当てて明日葉と会話をする。この行動にももう慣れたものだ。

 誰もいない場所だと普通に話が出来るんだけど、少しもどかしいよな。


『あ! 着いたよ!』


 そんなことを考えているうちに、あっという間に明日葉の家にたどり着いた。


『それで、どうするの?』

「どうするって……ここまで来たからなぁ、とりあえず中に入れてもらうよ」

『まぁ、そうだよね』


 インターホンを押してしばらく待つ。

 しかし、中からは物音ひとつ聞こえてこなかった。

 もう一度押すが、やはり反応はない。

 留守なのか? それとも……。

 嫌な予感が頭を過るが、俺は首を横に振ってそれを否定した。

 とりあえず、もう少し待ってみよう。

 それからさらに五分程経ったところで、ようやくインターホンに返答があった。


「あ、西園寺です。明日葉さんの事についてちょっと聞きたいことがありまして」

「おぉ君か! ちょっと待っていてくれたまえ」


 そう言って一旦通話が切れ、すぐに玄関の鍵が開いた。

 扉を開けてくれたのは、明日葉のお父さんだった。


「待たせたね。ちょっと仕事の連絡をしていたから返事が遅くなってしまった。上がってくれたまえ」

「お邪魔します」


 そうして俺は、明日葉の父親に案内されるがまま、家の奥へと入っていった。

 リビングに通されソファに座るよう促される。

 するとすぐにお茶を出してくれた。

 俺が礼を言うと、明日葉父はニコッと笑って向かいの席に腰を下ろした。


「それで、明日葉の事についてと言うことだが、どうしたのかな?」

「はい、すごく図々しいお願いなんですけど、明日葉さんの入院してる病院を教えてもらえますか?」

「……それは構わないが、君は本当に明日葉の恋人ではないのかね?」


 前にもこの話題はあった。明日葉のお父さんの中では、どうしても俺と明日葉が恋人であって欲しいようだ。

 明日葉が置かれている事実を知っても、こうして明日葉の家に来て、更に入院している病院を教えてくれ、と言われれば普通の関係性じゃないと思われても仕方ないのだが。


『隼人! 本当は恋人です! って言って!』


 明日葉が俺に向かって訴えてきた。

 俺は軽くため息を吐いて首を左右に振りながら、否定の意思を示した。

 すると明日葉は頬を膨らませ、不満げな表情を浮かべた。


「……前にも話しましたけど違いますよ。ただの友達です」

「ふむ……」

「本当ですよ!」


 念押しする様に言ったが、明日葉父の表情はあまり変わらなかった。

 むしろ疑い深くなっている気がする。

 これ以上余計なことを口にしない方が良さそうだな。

 俺は無言のまま、出された緑茶をすする。

 それにしても美味いな。

 一口飲んでから湯呑をテーブルの上に戻すと、タイミングを見計らっていたかのように、明日葉父が話しかけて来た。

 その表情は真剣なもので、思わず身構えてしまう。

 一体どんな話をするつもりなんだ? 不安を感じながらも、俺は黙って言葉を待つ。

 そして明日葉父は大きく深呼吸をして、ゆっくりと口を開いた。


「……まぁ疑っても仕方ないからな。そうだな、集中治療室は親族しか無理だが、来月には一般病棟に移る予定だ。もちろん生命維持装置は付けたままになるが、それでも良ければ明日葉が入院している病院を教えよう」

「ありがとうございます! でも一般病棟って……」

「先生の話では、既に脳死状態だから、集中治療室にいても一生意識は戻らないだろうということだ。一般病棟で生命維持装置を使えば今までと同じ状態を保つことは出来るが、現在の医療技術では進展することは無いだろう、ということだ」

「そうですか……」


 予想していたとはいえ、改めて現実を突きつけられると胸が苦しくなる。

 自分の娘がもう助からないと宣告されているようなものだからな。

 明日葉のお父さんだって、きっと辛いはずだ。

 出来ることなら今ここで伝えたい。俺の隣に明日葉が幽霊として存在していると。


「気にしないでくれたまえ。私としては娘の友人がこうして心配してくれるだけでも、非常にありがたいと思っている」

「そう言ってもらえると気が楽になります」


 俺は再び湯呑に口をつけ少しぬるくなったお茶を流し込んだ。

 さて、ここからが問題だな。

 どうやって今の明日葉の状態を確認するか。恋人ではないと言っている以上、あまり頻繁にこの家に来るのはおかしい。

 この家に来る口実が欲しいが……。


「それで、来月で構わないかな?」


 考え込んでいる俺に、明日葉父は優しい口調で尋ねてくる。

 口実を考える必要はなかったようだ。


「もちろんですよ」

「では連絡先を教えておいてもらえないか? 日程が決まったら私から連絡しよう」

「分かりました」


 メモ紙に自分の電話番号を書いて渡し、軽くお辞儀をして席を立った。


 六月二十四日(土)11:30


 玄関で靴に足を通している時、明日葉のお父さんが話しかけてきた。


「それじゃ来月の……明日葉が一般病棟に移ったら連絡を入れるよ」

「宜しくお願い致します」


 軽く会釈をしてドアノブに手を掛けたところで、背中に声が掛けられた。


「今日はもう帰るのかね?」

「はい、そのつもりですが」


 振り返ると、そこにはどこか寂しそうな表情をした明日葉の父親の姿があった。

 俺は小さく首を傾げる。

 どうしてそんな顔をするんだろう。

 不思議に思っていると、明日葉パパは躊躇うように視線を泳がせながら言葉を紡いだ。

 まるで何かを言いたいのを我慢するかのように。

 しかしすぐに決心したのか、俺の目を見て口を開く。


「もしよければお昼を食べていかないか? もちろん代金は私が出すよ」

「え?」


 突然の提案に驚いてしまう。


「ん? 何をそんなに驚いているんだい? 一緒に食事するのが初めてというわけでもないのだから、良いのではないかな?」

「はぁ……」


 どうしようかと迷う。

 確かに一緒に食事をするのは初めてではないが、あの時は明日葉のお母さんも一緒にいた。

 まさかサシで食事に誘われるとは思っていなかった。


『食べていけばいいじゃない! お父さんもきっと寂しいんだよ』


  明日葉が俺の耳元で囁く。

 そうか、そういうことか。

 どうやら明日葉のお父さんは、俺ともっと話をしたいらしい。

 だからこんな提案を持ちかけてきたのだろう。

 俺としても明日葉が元気だった頃の思い出話を聞けるかもしれないから、断る理由はない。


「そしたらお言葉に甘えさせてもらいます」


 俺が返事をすると、明日葉のお父さんは嬉しそうに笑みを浮かべ、自室から鞄を持って中から財布を取り出して尻ポケットに入れた。。


「では行こうか。何が食べたいかな? 若いからやっぱり焼肉かな?」

「いやそれはさすがに申し訳ないですよ」

「気にしないでいいさ。さ、行こう」


 靴を履き替えた明日葉のお父さんは俺の横をすり抜けて意気揚々と扉を開ける。


「はい」


 こうして俺は、明日葉のお父さんと昼食を共にすることになった。


 六月二十四日(土)12:30


「好きなものを頼みなさい」


 メニュー表を手渡された俺は、表示されている金額に息をのむ。

 到底俺では手が出ない。自然数の隣に書かれている「0」の桁が一桁多い。

 そりゃそうだよな。俺は普通の高校生なんだから。焼肉なんて高価なもの、そうそう食べることなんてないんだから。

 ちなみに明日葉は俺の隣に座って、終始ご機嫌な様子だ。当然俺にしか見えていないんだけどな。

 明日葉の父親はというと、まだ一度も手を付けていない水の入ったコップを眺めている。


「はい。えっとそれじゃ、一番安いやつを……」

「男の子なんだから、量の多いメニューの方が良いんじゃないかな?」


 遠慮がちに言う俺に対し、微笑みながらそう言った。

 だがさすがに人の奢りだからと言って、容赦なく注文できるほどの胆力は持ち合わせていない。


「いやそれはちょっとさすがに……」

「遠慮する必要はないさ。それじゃすいませんけどこれを二つお願いします」

「かしこまりました」


 遠慮していた俺に、明日葉のお父さんは有無を言わせず店員さんに注文をしてしまった。

 明日葉のお父さんはかなり強引な性格のようだ。

 少ししてから注文したメニューが運ばれてきた。

 テーブルの上に並べられた料理の数々を前に、俺はごくりと唾を飲み込む。

 目の前にはカルビにロース、タンにハツ、ホルモンまで並んでいる。

 どれもこれも美味しそうで、食欲を刺激する香りを放っている。

 肉汁が滴るカルビを口に運び、噛みしめると、じゅわーと口の中に旨味が広がる。

 俺は夢中で箸を動かして、次々に皿の上に置かれた食材たちを平らげていく。


 六月二十四日(土)13:30


「いやぁ食べたなぁ」

「結構な量でしたね」


 俺と明日葉のお父さんは店を出て、並んで歩いていた。

 結局あれから追加でいくつか注文をして、二人で全部完食した。

 正直腹がはち切れそうなくらいだ。


「西園寺君の年齢なら足らないんじゃないかな?

「いえ、十分過ぎますよ」


 食後のコーヒーを飲みながら、明日葉のお父さんが笑いながらそう言った。

 俺もコーヒーを一口飲み、ソーサーにカップを戻した。

 そのタイミングを待っていたかのように、明日葉のお父さんが俺に問いかけてきた。

 真剣な眼差しで、俺を見つめて。


「そうかい? さて……本題に行こうか」

「……やっぱり何かあったわけですね? でもこの前お話したことが僕の知ってる全てですよ」

「いや、明日葉の事を聞きたいんじゃないんだ」


 俺は眉間にしわを寄せながら首を傾げた。

 明日葉のことを聞きたいわけではないとすると、いったいどういうことだ? 俺の事を探っているのか? 


「僕の事もこの前話しましたよね?」

「確かに西園寺君の事は聞いたさでも聞きたいのは、何というか……君の置かれている状況……と言った方が正しいかな?」

「僕の状況?」


 そう言うと次の瞬間、思いもよらぬことを口にした。


「私は昔から少し特殊でね、一般的には“霊能力”と呼ばれているものをもっているんだ。まぁそんなに強力なものじゃないがね」


 俺は驚きのあまり目を大きく見開いてしまった。

 まさか明日葉のお父さんが霊能力者だったとは……。


「……その霊能力がどうしたんですか?」

「一瞬沈黙したということは、分かってるんじゃないかな?」


 俺の額を汗が伝う。


「何がですか?」

「とぼけても無駄だよ。こんな話、普通の人なら“何をバカな”とか“すごいですね”のどちらかになるもんだが、君は沈黙した。これが答えだと思うが?」


 俺は苦笑を浮かべるしかなかった。

明日葉のお父さんはどうやら鋭いらしい。いや、恐らく俺が嘘をつくのが下手くそなんだろう。

 俺は小さくため息をついて、ゆっくりと口を開いた。

 どうせ隠したところで、バレているだろうしな。


「……そういうことですか」

「そういうことだ。それで、君の隣にいる霊は誰かな? 守護霊ということも考えたんだが、君は度々そちらの方に視線を送っている。つまり君もその霊が見えているということだろう?」


 明日葉のお父さんは確信めいた口調でそう言った。

 俺は観念し、大きく息を吐く。

 そして意を決して、明日葉のお父さんの目を見た。

 明日葉のお父さんは、俺の目をまっすぐに見据えていた。

 俺は一度息を吸い込み、ゆっくり吐き出す。

 それから俺と明日葉のお父さんは、お互いに向き合ったまましばらくの間何も言葉を発しなかった。

 まるで俺の口から言葉が紡ぎ出されるのを待っているかのように。

 俺は大きく深呼吸をした。

 覚悟を決めるしかない。

 俺は意を決し、明日葉のお父さんに語り掛ける。


「仮にそうだとして、どんな答えを期待してますか?」

「君に見えているのはもしかして、明日葉なんじゃないのかな?」


 その言葉に言葉を失う。


『良いんじゃない? 別に隠してても仕方ないし』


 意を決したように明日葉が俺の耳元で囁く。

 明日葉の父親が本当に霊能力を持っているならば隠す必要はない。

 そう思って顔を上げるとそこには、明日葉の父親が歯を食いしばって何かに耐えているの姿が映った。

 いや、何かもっと別なものを訴えているように感じる。

 本当のことを伝えてしまって良いのだろうか。

 そんな迷いが俺の口から真実をつけることを拒み、別の言葉が疑問の形で紡がれた。


「仮に明日葉さんだとして、それを聞いてどうするんですか?」

「そしたら諦めがつく。父親としては断腸の思いだが、明日葉の死を受け入れることにするさ」


 そう言った明日葉の父親は、今にも泣き出しそうな表情をしていた。

 自分の娘がすでに死んでいることを受け入れられず、だが成仏した方が明日葉のためになる。

 相反する二つの感情にずっと葛藤していたんだろう。

 俺の口から真実を伝え、明日葉の死を受け入れる」ことが明日葉のお父さんにとっては救いになるはずだ。

 彼は俺の口からその言葉が出るのを望んでいる。

 だから俺はもう一度深く深呼吸をして、明日葉のお父さんに言った。


「そうですか……。どうやら期待には答えることが出来そうにありません」

「なぜかな?」


 俺の答えに真剣な表情でそう問いかけてくる。

 明日葉のお父さんは既に娘の死を受け入れる覚悟が決まっていたのだろう。

 だがそれは明日葉が望んでいる未来では無い。


「少なくとも、俺はまだ明日葉が死んでしまったとは思っていません」

『……隼人』


 明日葉が口を両手で口を覆い、涙を浮かべて呟く。

 昨日、明日葉が口にした言葉はもしかしたら冗談だったのかもしれない。

 だが少なからず本音は混ざっていたはずだ。

 限りなく「0」に等しい確率。しかし、決して「0」では無い明日葉の希望。

 その希望を聞いてしまっている。


「仮に俺の隣にいるのが、明日葉だとしても」


 そう。だからこそ俺はこう言う。


「俺は絶対に諦めません」

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