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第三十六話

 六月二十日(火)21:00


「それじゃお邪魔しました」


 玄関先で靴を履いて立ち上がり、挨拶をする。

 結局あの後、これといった情報は手に入らず、気付いた時には21時を過ぎていた。

 今日は土曜日なので特に問題はないのだが、これ以上長居しては迷惑をかけてしまうだろう。


「えぇ。またいらしてくださいね」

「はい! あ、それじゃ今度来る時は、事前に連絡した方が良いですよね?」


 そう言ってスマホを取り出そうとポケットに手を入れた。


「気にしなくても大丈夫よ。基本私が家にいるから」

「そうですか。分かりました」


 六月二十日(火)21:30


『なんか、フリダシに戻っちゃったね?』


 確かに明日葉の言う通り、この家にやって来た時の状態に戻ってしまった。

 もともとは明日葉が死んで幽霊になってしまった原因を探しに来たのだが、明日葉の命を奪った犯人はまだ逮捕されていない。

 それどころか明日葉自身、脳死の状態だが身体は生きている。

 そして明日葉のアルバムや部屋を探しても、明日葉がこの世に留まる理由が見つけられなかった。

 完全にフリダシ……というよりも後退したと言ってもいいかもしれない。

 しかし、俺の中で一つだけ分かったことがある。


「いや、一つ確実な事があるぞ」

『え? 何?』


 俺が入手した明日葉の情報。それは、


「明日葉が予想以上にスタイル抜群だったってことだ!」


 それは、明日葉が生前かなり、いや相当なスタイルだったということだ。

 アルバムに映っていた他の生徒と比べてみても、存在感が圧倒的に違っていた。

 特にあの上半身に備わっている二つの膨らみは、思春期真っ最中の男子生徒ならば、見逃すことは出来ない。

 俺でなくても脳内のメモリーから不要なデータを削除し、「名前を付けて保存」を実行したはずだ。


『は・や・と?』


 そんなことを考えながら、自分の記憶を頼りに明日葉の胸を思い出そうとすると、明日葉が俺の名前を呼んできた。

 その声を聞いて我に返り、視線を少し下げると、目の前には右手を振り上げた明日葉がいた。

俺は慌てて両手を頭の上に乗せ、防御の姿勢を取る。


「冗談! 冗談だよ」


 すると、明日葉は振り上げていた手を下げてくれた。

 ホッと安心していると、明日葉がジトッとした目で俺を見てから口角を上げて口を開いた。


『本当は?』

「……明日葉って意外と着痩せするタイプなんだなって思いました。はい」

『よろしい』


 明日葉は満足げな様子だった。


「いや、実際予想以上だった」


 ここは一気に褒め殺しで畳みかける。明日葉は単純だからそれだけで期限が良くなるはずだ。

 まぁ実際のところ、今俺が見える範囲で相当なスタイルを持っている。

 なんて思っていると、明日葉が頬を赤らめていた。


「ん? どうした?」

『え!? いや、別に何もないけど!』

「そうか? 顔赤くなってるような気が……」

『き、気のせいでしょ!』


 明日葉は顔を背けてしまった。

 そのまま道を数メートル進んだところで明日葉が話しかけてきた。


『ねぇ隼人……』

「ん?」


 呼ばれた方を振り返って返事をする。

 夜道は街灯が数か所あるだけで、あまり遠くまでは見渡せない。

 そんな中、月の光を透過した明日葉のシルエットが浮かび上がっている。

 下を向いている所為で明日葉の表情はよく見えないが、何かを言い淀んでいるように感じる。

 しばらく沈黙が続いたが、意を決したのか明日葉が口を開く。


『こんなお姉ちゃんはどう?』


 明日葉の言った『どう?』は多分友人として、女の子として、一緒に暮らす人として、他にもいろんな意味が含まれているに違いない。

 ここは話題をすり替えた方が良い。すり替える……言葉尻に反論するのが一番無難だな。


「いや、姉ちゃんじゃないだろ!」

『じゃあ何?』

「えっと……」


 明日葉の問いかけに、俺は返答に困ってしまった。

 明日葉が幽霊であることに変わりはないが、今は一応家族として一緒に暮らしている。

 年齢的には確かに明日葉の方が年上だから、姉と呼んでもおかしくはないが、実際は俺たちは姉弟ではない。

 ならば何だろうか? 同じ年ごろの男女で姉弟じゃない関係性。


『恋人?』


 俺の心の中を読んだように明日葉が聞いてくる。


「……じゃなければな」


 明日葉の言葉に思わず頭の中に浮かんだ言葉を呟いてしまった。


『え? 何? 聞こえないよ』

「明日葉が……じゃなければ」


 だが明日葉の耳には届かなかったようだ。

 再度同じ言葉を、先ほどよりも大きく呟いてみる。


『聞こえないよ! 男の子でしょ! もっとはっきり言いなさいよ!』


 今度はしっかりと届いたようで、再び大きな声で聞き返された。

 その声は住宅街の静かな夜に響き渡り、周囲の家から人の気配を感じた。

 これはヤバいと思い、慌てて明日葉に駆け寄り、丁度聞こえるくらいの声量で話す。

 いや、明日葉は幽霊だから声が周りに聞こえるはずはない。声が響いたり人の気配を感じたりしたのは、間違いなく気のせいなのだが。


「明日葉がそんな状態じゃなければ、考えてたかもしれない! って言ったんだよ!」


 正直恥ずかしくて堪らない。これは本当に俺の口から出た言葉なのか?

 こんなところを知り合いに見られでもしたら、明日から学校で噂されてしまう。

 それに、今ここで大声を出したら近所迷惑になってしまう。

 明日葉の口を塞ぎたい衝動を抑え、どうにかこの状況を打開する方法を考える。

 しかし、良い案が浮かぶ前に明日葉が口を開いた。


『えっと……それって?』


 明日葉の顔がみるみるうちに紅潮してしていく。

 気まずい。俺も自分の発した言葉の意味を少しずつ理解し、顔が徐々に熱を帯びていくのが自覚出来る。

 二人の間に無言の時間が流れる。でも凍りついたような、冷たい時間じゃない。どちらかというと、暖かくて優しい時間だ。

 この時間がずっと続けばいい。寧ろこの時間がこのまま止まってしまえばと、そう思ってしまえるほど、心地よい時間だ。

 朝から降り続いていた雨は上がり、湿気を帯びた空気を(まと)いながら無言のまま歩き続けると、視線の先に公園が見えてきた。自販機に照らされたベンチがそこだけボウッと、聖域のように明るく見える。

 隣を見ると、明日葉も同じ方向を見ているようだった。


「少し、休んでくか?」

『……うん』


 控えめに紡がれた言葉が、いつもの明日葉よりも優しく聞こえた。

 雨粒に濡れたベンチを軽く手で拭き、そこに腰掛ける。


「ふぅ……あと一週間ぐらいで梅雨明けかな」

『そうだね』


 空には雲一つなく、星が瞬いている。

 夏が近づき、気温が上昇してきたのか、虫たちの鳴き声がより一層騒がしくなってきた。

 普段なら鬱陶しいと感じてしまうが、不思議と今日は嫌な感じがしない。

 暫くの間、お互い何も言わずにただ黙って夜空を眺めていた。


「夏って言ったら……」

『海だね! 私も水着着ようかな!』


 沈黙に耐えかねて話を振ったのだが、まさか食い気味で答えてくるとは思わなかった。

 明日葉は生前どんな生活を送っていたんだろう? 少なくとも、男友達とプールに行ったり、海水浴に出かけたりしたはずだ。

 高校三年生ということを考えると、今年の夏は受験勉強で遊んでいる暇なんてないはず何だけどな。

 いやいや拾うべき言葉は、水着を着て海に遊びに行く、ではない。


「いや、幽霊なんだから着れないでしょ!」

『あ、そっか!』


 俺の指摘に、明日葉はポンッと手を打った。

 やっぱり明日葉は天然なんだなぁと思うと同時に、それが明日葉の良いところなんだとも思ってしまう。

 そんなことを考えながら、二人で笑い合った。

 それからどれくらい経っただろう。

 二人で一頻ひとしきり笑った後、思いついたように口を開く。


「でも幽霊の季節だよね」

『え? どうして?』


 俺の言葉に明日葉が首を傾げて聞いてきた。

 まったく明日葉は自分が幽霊だっていう自覚が足らないんじゃないのか。


「夏といえば肝試し! 今年は明日葉の花子さん事件があったから、もしかしたらそういう奴らがたくさん現れるかもな!」

『確かに! でももうあのトイレに私はいないんだけどね!』


 明日葉が嬉々として言う。

 だが俺は明日葉と出会った三ヶ月前の事を忘れはしない。

 明日葉を縛り付け、今では常に俺の鞄の中にある依代の本。図書室に封印されていた悪霊。小火騒ぎがあったせいで取り壊されることになった図書室と、依代になっていた本を手に入れるために挑んだ一条先生との勝負。

 あれ? そういえば……。


「トイレの花子さんがいなくなったら、あのトイレってどうなるの?」


 俺は素朴な疑問を口にする。

 すると明日葉が口元に指を当て、空を見上げながら『う~ん』と唸ってから口を開く。


『多分だけど、どうもならないよ。普通のトイレになるだけ』

「明日葉の後任の花子さんは?」


 前に明日葉に聞いたら、トイレの花子さんというのは、幽霊の職業のようなものだと聞いた。そのトイレの花子さんである明日葉がこうして解放されてしまったら、別の幽霊が後任に付くのではないかと思ったのだ。

 幽霊が入れ替わる瞬間を見たことが無いからわからないけど、もしそうなったら明日葉はどう思うのだろうか。

 俺の質問に対して、明日葉は少し困った表情を浮かべる。

 そしてゆっくりと口を開いた。

 その声は、どこか寂しげに聞こえた。


『う~ん……一応私がいるから、当分は無いんじゃないかな?』

「へぇ……。って言うか、花子さん……じゃなくて明日葉がいないトイレが普通なんだよね」

『そりゃそうでしょ!』


 俺のツッコミに、明日葉が呆れ顔で答える。

 でも明日葉がいなくなることはないという事を聞いて、正直ホッとした。

 だって明日葉と会えなくなったら、俺にとってとても辛いことだからだ。

 明日葉と出逢ってまだ半年も経っていないけれど、俺の中で大切な存在になっているのは間違いない。


「そういえばさ、明日葉って幽霊なのに冷たい感じしないよね」

『あぁ……そういえば』

「暑い時期には怖い話をして涼しくなるのにね」

『でも私、怪談話って苦手だなぁ』


 明日葉が自分の両腕を抱え込むようにしてそう言った。


「どうして?」

『だって想像するだけで怖いじゃん?』

「幽霊の明日葉が言う言葉じゃないけどな」


 本当に明日葉は自分が幽霊だと自覚していないのか? 幽霊が怪談話を怖がるって、どんだけシュールな状況か分かってるのか?


『あ! 確かに!』


 そう言うと明日葉がクスリと笑ってから少し寂しい表情をした。

 俺の、幽霊の明日葉が……、の発言で少し現実を感じてしまったからかもしれない。


「でもそういうところかもな」

『何が?』

「明日葉が冷たい感じしないのが」

『そうかもね!』


 別に自分をフォローしたわけじゃない。実際のところ明日葉は人間味がある。沙奈絵さんと初めてあった時だって仲良く出来ていた。

 幽霊なのに幽霊っぽくない。これが明日葉で、今の俺たちの関係が壊れない理由だよな。


「ちょっとジュース買ってくる。喉渇いちゃって」

『うん』


 やっぱり梅雨だな。気温はそんなに高くないけど、湿気が高いから蒸し蒸しして汗が乾かない。普段はコーヒーとかにするんだけど、汗で消費した水分を補給するため、冷たいスポーツドリンクのボタンを押してからスマホの電子マネーをかざす。

 ガコンッ、という湿り気を帯びた音が公園内に響く。続いて取り出し口の音も必要以上に鮮明に聞こえた。

 時間もかなり遅い時間だからか、公園内に誰もいないことも、音が響く原因かも知れない。


「ただいま」

『おかえり。ねェ隼人、さっきの事考えたんだけどね』

「さっきのこと?」

『私が幽霊なのに、冷たい感じがしない、ってやつ』


 ジュースを買って戻ってきた俺に、明日葉が腕を組みながら指を立てて話しかけてきた。

 明日葉が幽霊っぽくない、って発言がそんなに気になったのだろうか。


「あぁ! それで?」

『うん、冷たい感じがしないのは私がこういう性格だから、って言うのもあるかもしれないけど、もっと根本的なことがあるかもよ』

「例えば?」


 確かに明日葉が幽霊っぽくないのは、明日葉自身がこんな性格をしているからだろう。

 というよりも俺はそれだけだと思っているが、明日葉はどうやら別の答えを考えたようだ。


『う~ん、私って実際には死んでないじゃない?』

「……まぁ明日葉の両親の話ではね」


 明日葉の両親の話では、医者には脳死判定を受けているということだ。

 あまり医学について知識は無いが、脳死という状態はある程度理解している。だが脳死状態であるということと、実際に死んでいるということは同じじゃない、はずだ。


『だから私は多分幽霊じゃなくて、生霊みたいな扱いなんじゃないかな?』

「う~ん……一理あるのかな? そしたら今週の土曜、もう一回明日葉の家に行ってみようか」

『それは良いんだけど、どうして?』

「明日葉がどういう状態なのかを聞きに行くの!」

『あ、なるほど!』

「それで何かしら分かれば進展があるかもしれないしね」

『さすが隼人!』

「だろ?」

『あ、それでね……』


 明日葉が話を再開しようとしたとき、首筋あたりに今まで経験したことのない悪寒が走った。

 俺の本能が最大音量のアラームを鳴らした。

 何か行動を起こさないと取り返しがつかないことになる。

 次の瞬間、


「誰だ!」


 後ろの植え込みを振り向くと同時に大声で叫ぶ。

 すると俺の声に驚いたのか、ガサガサっと音を立てながら人影が現れた。


「ビックリしたなぁ!」

「お巡りさん?」


 現れた人物は警察官だった。どうやら公園を見回りしていたらしい。

 それなら俺たちの話声が不審者と思われても仕方ないか。


「いや、驚かせてすいません」


 とりあえず謝った。すると警官は「いえいえ」と優しい笑顔を浮かべて応えてくれた。


「君だったか! いやね、パトロールをしていたら声が聞こえてね、それで見たら君が見えたんだ。時間も時間だからね、注意をしようと思ったんだよ」

「あぁそういうことでしたか」


 言われてみてから気付く。そういえばもうかなり遅い時間だ。加えてこの公園があるところは住宅街で人通りもあまりない。

 そんな中、学生服の俺がベンチに座っていたら怪しく思われてもおかしくはない。


「それで、君は何をしていたんだね?」

「えっと、ちょっと友達と電話してました」


 周囲に人がいないから明日葉と普通に会話していたが、幸いスマホは手に握ったままだった。

 そのスマホを示しながら答える。


「そうか。だが夜ももう遅い。早く帰りなさい」

『お巡りさんの言うとおりだよ。ちょっと話し過ぎたね』


 確かにちょっと明日葉と話し過ぎた。ここにこれ以上留まっていると補導されかねない。

 ここはおとなしく従っておくべきだろうな。


「すいません。このジュース飲んだら直ぐに帰りますね」

「気をつけて帰るんだよ」

「分かりました」


 ペットボトルのジュースを一気に流し込み、ゴミ箱に放り投げてから駅に向かって歩き出す。


 六月二十日(火)22:00


 隣町から電車に乗り、地元の駅の改札を出て歩く。

 駅前の商店街を通り抜けて住宅街に出ると、一気に人通りが無くなる。

 夜道に点々とある街灯が、雨で乾ききっていないアスファルトを寂しそうに照らす。


『もう、さっきはびっくりしたよ』


 周囲に人がいないことを確認した明日葉が唐突に話しかけてきた。


「ん? 何がだ?」

『だって、いきなり大声出すんだもん』

「あぁ……ごめん」


 確かにあの暗い公園でいきなりあんな大声を出したらびっくりするだろう。だがあの時に大声を出した俺の行動が間違っていたとは思えない。

 何かが引っ掛かる。


『ううん、大丈夫。でも隼人、どうしてそんな難しい顔してるの? 考え事?』

「あぁ……ちょっとね」


 あのお巡りさん、どうして公園の茂みから出てきたんだろう? 何か……違和感がある。見逃しちゃいけない、そんな違和感が……。

 それにあの時に感じた悪寒。そして今でも思い返せる危険な気配。


『ま、いいや。早く帰ろ!』


 それから二日間、何も変化が起きることはなかったが、あの日の違和感がぬぐえないまま俺は過ごし、週末を迎えることになった。

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