第二十八話
六月十五日(木)16:00
先生の家――つまり美優の家の前に到着し、一度左右にいる明日葉と美優の顔を見る。
二人とも静かに頷き、何も言わなかった。
二人に頷きを返し、インターホンを押す。
「やぁ西園寺君。毎日悪いねぇ」
ドアを開き、中から先生が顔を出した。
昨日と変わらない笑顔だ。しかしどこか寂し気なのは、やはり沙奈絵さんのことが気になるからだろう。
「気にしないでください」
簡単な返事だけを返し、二階に上がる。
やっぱりこの時間帯には違和感がある。出来ればこの違和感の正体も突き止めたかったが……。
そう思いながらドアをノックしてから違和感の正体に気付く。
いつもよりも音の反響が大きい。そう言えば階段を上がってくる時の足音なんて普通は聞こえないのに、今日ははっきりと聞こえていた。
音の反響が大きいということはつまり、一定の空間内の密度が低くなっているということ。いつもならある物質が存在していないということだ。
それはつまり……。
「もしかして……明日葉、中を見てきてくれ」
一階にいる先生に聞こえない声量で明日葉に指示を出す。
『了解! 美優ちゃんも一緒に行こ!』
『うん!』
俺の予想が正しければ……。
『隼人大変!』
「どうした?」
明日葉の焦り具合から判断すると、俺の予想はどうやら当たっているだろう。
『部屋の中、誰もいない!』
「……やっぱりか」
一つため息をついてから視線を右上に向ける。
『お兄ちゃん気付いてたの?』
「いや、何となくだけどな。ただ、確証がなかった」
『沙奈絵ちゃん……どこ行ったんだろう?』
毎週決まった日の決まった時間にいなくなる。可能性として考えられるのはいくつかしかない。
「それも何となくわかる」
『え?』
「多分、犯人を探してるんじゃないか?」
月曜日と木曜日は美優以外の人が通り魔に襲われた日だったはず。
月曜日は週初めだから遊びに行く女子高生も多いし、月初めの木曜日は五月四日でゴールデンウイークだ。
ターゲットになる女子高生が多かったはずだ。
他の理由もあるだろうが、被害が多かったこの曜日を焦点にして沙奈絵さんは犯人捜しをしていると考えるのが普通だ。
だが……。
『それって……』
「あぁ、すごく危険だ。だが、今日は多分見つからないだろう」
俺の予想が正しければ六月十五日の今日は、ほとんどの学校が期末テストの直前だ。
ターゲットとなる女子高生は試験勉強している人が多いはずだ。
だがそれよりも根本的な問題がある。
『どうしてそんなこと分かるの?』
「ぶっちゃけたところ言うと、犯人は用意周到な奴だ。そんな奴が、高校生にもなってない娘に見つかるわけがない。もし見つかったら警察は何してるんだ? って話になるだろ?」
『まぁそうだけど……って、美優ちゃんどうしたの?』
俺の話を聞いて納得した明日葉が急に大声を上げた。
振り返ると視線の先には、倒れそうになった美優を明日葉が抱きかかえていた。
「おい! 美優! 大丈夫か?」
『だ、大丈夫。ちょっと気分が悪いだけ』
口ではそう言っているが相当に具合が悪そうだ。
「……今日は帰った方が良いかもな。それで、明日が勝負の日だ」
『え?』
俺の提案に明日葉が疑問符を浮かべたが、「帰るぞ」と半ば強制的に帰路についた。
六月十五日(木)20:00
美優の部屋には沙奈絵さんがいなかった。
まだ確定はしていないが、ほぼ間違いなく犯人捜しをしているんだろう。そしてそのことを聞いた美優の体調が急変し、その場に倒れこんでしまった。
今日は一度帰宅して明日出直すことにし、美優を家に連れて帰ってベッドに寝かせ、明日葉に見てもらう事にした。
幽霊に体調不良とかあるのか? という疑問は今は聞かないでおこう。あれから二時間が経過しようとしているが、美優は大丈夫だろうか?
と思っていたら明日葉が俺の部屋に入ってきた。
「どうだ? 美優は落ち着いたか?」
『うん……何とか収まった感じ』
明日葉の表情を見るに、容体はあまり芳しくないのだろう。
一体何が原因で美優に何が起きているんだ?
「そうか……。美優はどうしたんだ?」
『多分……悪霊化が進んでるのかも』
「え? どうして? 俺にこうして認識してもらってるのにか?」
確か美優のような浮遊霊が悪霊化する原因は、人間に認識してもらえないことだ。
『う~ん……何となくだけど今日、美優ちゃんの家に行ったでしょ? それで妹さんが自分のために危険なことしてる。それが引き金になったんじゃないかな?』
「それって……」
俺はあまり心霊現象とかは詳しくないが、それでも今まで明日葉たちと接してきて分かった。
幽霊に役職のようなものがある場合を除き、負の感情は浮遊霊に悪影響を及ぼす。
美優の悪霊化が進んだ原因は俺、という事だ。
『あぁ……隼人は責任感じる必要ないと思うよ』
「いやでも」
俺が深刻そうな表情をしていたのを見ていたからか、明日葉が明るく声を掛けてきた。
だが事はそう単純ではないだろう。前に一度だけ悪霊を見たことがあるが、美優もあんな風になってしまうのか?
『大分落ち着いてきたし、今は悪霊化することは多分ないと思うから』
俺の肩に手を置き、微笑みながら優しく話しかけてくる。
姉だなんて思ったことはないが、こういう時は年上の女性らしいところが嬉しい。
「それならよかった。でも、もうあの家に美優を近づけるのは、やめた方が良いってことか?」
『美優ちゃんの状態が落ち着くまではね』
「確かに……落ち着くまではやめた方が良いかも知れない……か」
勝負は明日と決めてたが、これは少し様子を見た方が良いか?
いや、それだと遅い。タイミングによっては最悪の状況を招くことにもなりかねない。
それならせめて、俺だけでも……。
『それで、隼人はこれからどうするの?』
考え込んでいた様子を見て、明日葉が聞いてきた。
「可愛い妹のため……だろ? 警察に言えば似顔絵ぐらいもらえるんじゃないか?」
『なるほど! それでどうするの?』
警察、似顔絵と聞いたら大体察しがつきそうなもんだが。
本当に分からないのか? それともワザとか?
どちらでも良い。俺の答えは一つだ。
「犯人捜し……的な? 今の状態だと沙奈絵さんが危ないからな。それに犯人が見つかれば、美優も安心して成仏出来るだろ」
『美優ちゃんには言わない方が良い?』
やはり、といった感じで明日葉がため息を吐いてから美優について聞いてくる。
彼女なりに心配しているのだろう。
確かに明日葉の言う通り、美優には黙っておいて全てが片付いてから話しても良いが。
「いや、黙っていてもいずれはバレる。だから明日話すつもりだ」
『そっか……それが良いかもね』
「ん? 何か気になることでもあるのか?」
明日葉の言い方に何か引っ掛かるものを感じて聞き返す。
『ううん。そうじゃなくて……ただ、美優ちゃんの容態が変化しないかな? って。沙奈絵ちゃんのこと、本当に大事にしてるみたいだから』
「まぁ、妹が大切じゃない姉なんていないと思うけどな」
『そうなんだけど、やっぱり思念が強いと、私たち幽霊は影響されやすいから』
思念……か。
そういえば以前そんなことを聞いたような。
「あぁ、確かにそうかもしれないな。となると、それなりに気を使わないとまずいか……」
『うん』
「まぁ、今日とか明日に危険があるわけじゃないしな」
もしもっと切羽詰まった状況だったら、こんな呑気にはしていられない。
すぐに対策が必要だろうし、その時はきっと明日葉と美優の力も借りることになるはずだ。
『お兄ちゃん、お姉ちゃん。どういうこと? 沙奈絵が危険って?』
部屋で話していた俺と明日葉に、美優の声が割って入る。
視線をやると、青ざめた表情の美優が入口に立っていた。
幽霊なのだから表情はもともと青いだろう、という突っ込みは無しだ。
「美優! もう体調は大丈夫なのか?」
『あまり無理しない方が良いわよ』
『大丈夫。それよりも、沙奈絵が危険ってどういうこと?』
『えっとね……』
一瞬だけ明日葉と視線が交錯した。
沙奈絵さんのことをどうやって話したら良いのか分からないのだろう。
話すのを決めたのは俺だ。ここは俺が話すのが筋だろう。
「……俺から話そう。本当は明日話すつもりだったんだが……」
それから二時間ほど掛けて沙奈絵さんが何をしているか、どういう状況に置かれているかを説明した。その間、美優は表情を変えることなく冷静に俺の話を聞いてくれた。
もしかしたら俺の話が原因で、悪霊化が進むかも、という俺の不安は杞憂に終わったわけだが、もしかしたらそれは表面だけで、美優の悪霊化は進行しているかも知れない。
「ってわけだ。それで明日から俺も犯人探しをするつもりだ」
『お兄ちゃん……危険なことはしないでね』
俺の話を聞き終えた美優が、心配そうな表情をする。
危険なことをするつもりは無いが、それよりも最初にすべきことがある。
「大丈夫だ。それにはまず沙奈絵さんと話をしないといけないしな」
『そうだよ! 今までコンタクト取れなかったのに、どうやって接触するの?』
「それは、まぁ……何とかするよ」
『考えてなかったんでしょ?』
『お兄ちゃんって意外と考えなしだよね』
「いや、考えがないわけじゃないんだけど……あまり気乗りがしないのはあるかな」
そう。別に策が無いわけではない。だが本当に気乗りがしないんだ。
沙奈絵さんがどういう人か分からないが、それでも肉親が亡くなって間もない人に対する方法では無い。
『そう……なんだ』
俺の表情を見た明日葉が一瞬言葉に詰まり、最後はこぼすように呟いた。
「心配するなって! 行動に移すのは明日の放課後。もう一度先生の家に行ってからだ。明日葉は付いて来るよな?」
『もちろん!』
「それで……美優はどうする? また気分が悪くなる可能性もあるけど」
俺としては美優もいてくれた方がありがたい。
その方が話が早く進む可能性が高いからだ。
だが気がかりなこともある。
『……行く』
「悪霊化の恐れもあるぞ」
もしかしたら今度こそ悪霊化する恐れもある。
そうなったら俺ではどうすることも出来ない。
『それでも行く! 心配だし』
「……そうだな。明日に備えて、今日はもう寝るぞ」
最後は美優に押し切られるような形で了解を取り、今日は休むことにする。
明日が勝負だ。
六月十六日(金)15:00
学校が終わり家に到着してから二人に声を掛け、先生の家に到着する。
インターホンを押す前に一度自分の頭を整理する。
クリアするべき関門は二つあり、そのほかに美優が悪霊化しないよう心がける。
中々に難易度が高いが、やるしかない。
意を決してインターホンを押す。
「先生! 今日も来ました」
「西園寺君。いつもすまないね」
いつもの笑顔で先生が出迎えてくれた。
ここからが第一関門だ。
「いえ。俺も心配なので。あ、それと、すいませんけど先生。少し外出していてもらえませんか?」
これが今日の第一関門だ。
沙奈絵さんが部屋から出ない理由の一つは、父親である先生の存在があるだろう。
別に嫌ってるわけではないと思うが、こうして不登校になっているのが沙奈絵さん本人でも思うところがあるはずだ。
一言で表現するなら「迷惑を掛けてしまって合わせる顔が無い」といったところだ。
「……なぜかな?」
俺の言葉に眉根を寄せて先生が疑問を投げかける。自分の娘の事なのだから当然といえば当然のことだろう。
最近になってようやく信用を獲得してきたが、こればっかりはどうしようもないだろう。
「沙奈絵さんと二人で話したいことがあるんです」
俺の意図を汲み取ってくれれば良いが、出来なかった場合はどうする? やはり正直に言うべきだろうか?
「……」
先生の目が鋭さを増して俺を射貫く。
「やっぱり無理っすよね? 赤の他人と娘さんを家に残して外出なんて」
もしここで了承を得られなければ俺の計画は進まない。
最悪の事を考えたら事情を話して何とかするしかない。
そう思って出た言葉だったが。
「……いや、君を信用しよう。三十分ぐらいで良いかな?」
「十分です」
「何かあったらここに電話しなさい。私のプライベートの番号だ。私は妹の出産が近いのでね、そちらに向かうとするよ」
鋭い視線が急に柔らかくなり、笑顔でメモ書きを渡してくれた。
何も無いことを願うが、万が一を考えたら貰っておくべきだろう。
「ありがとうございます」
お礼を言いメモを受け取る。
第一関門突破だ。
先生と入れ違いに家の中に入る。
先生が出て行ってから二、三分経過してから階段を上る。
もしかしたら先生が戻ってくるかもしれない、そう思ったらすぐに行動出来なかった。
部屋の前に到着し、いつもより強くドアを叩く。
しかしやはりと言うべきか、中からは何も反応が無かった。
第二関門開始だ。
「沙奈絵さん! また今日も来ました」
まぁ、今まで通り無視するよね。でも今日は開けてもらいますよ。
「実はお姉さん、美優さんの事について情報を持ってきました。少しだけ話をしませんか?」
時間が限られている中で探り合いは意味がない。
ここは初めから一番の切り札を使う。
「……お姉ちゃんの、情報?」
部屋の中からポツリと声が聞こえた。
やはり反応したか。それなら一気に畳みかける。
「俺知ってますよ。毎週木曜日に、沙奈絵さんがその部屋からこっそり抜け出してること」
どうだ? さすがにこれなら明らかな反応があるはず。
無反応だったら俺の負けだ。さぁ、どうなる?
「……そこにお父さんはいますか?」
掛かった! さぁ始めようか。
「今は外出してもらってますよ」
「……今開けます」
そう呟かれてからゆっくりと開いたドアの先には、斜陽を背負った美優と同じ面影のショートカットの女の子がいた。
「初めまして沙奈絵さん」




