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第二十四話

 五月二十二日(月)7:30


 職業体験初日。

 俺は朝から思わぬアクシデントに見舞われていた。


「なぁ、やっぱり付いて来るのか?」


 いつも学校へ向かうのとは違う道で、スマホを耳に当てながら歩く。


『当然でしょ!』

『当たり前だよ!』


 アクシデントというのはこれだ。

 明日葉と美優が俺の職業体験の現場についてくるというのだ。


『隼人のお仕事をする姿……考えただけでも……』

『お姉ちゃん! まだ早いよ! 今からそれだと、実際に職業体験が始まってから身が持たないよ!』


 職業体験の話をしたあたりから懸念はしていたが、まさかその通りになるとは思わなかった。

 なぜか嫌な予感は的中する。たぶんそれは、俺じゃなくても心当たりがあるだろう。

 まったく、身が持たないのはこっちの方だよ。


「じゃあ、おとなしくしてろよ」


 二人が俺についてくると決まったのは、昨日寝る寸前だ。

 眠気に支配されている俺にお願いするとは、着実に学んでるな。しかもそれをたったの一日で会得する美優は、末恐ろしいと言わざるを得ない。

 言ってしまった手前、さすがに「昨日の話は無しで」とも言えず、仕方なくついてくることを許可したんだが、さっきからこの調子だ。

 気が重い。


『いつもおとなしいじゃない!』


 まったくどの口が言うか。


「そうじゃなくて、俺が班員と一緒にいる時には、話しかけたりしてくるなよ!」

『どうして?』

「俺がお前らと話していたら、頭が変な人になるだろ!」


 俺以外は二人のことが見えないのだから、周りから見たら激しい独り言に見えてしまう。

 端から見ればそれは間違いなく、頭のイッテしまっている人だ。

 いやまぁ、二人が見えてる時点でかなりイッテしまっているのかもしれないが。


『大丈夫だよ! お兄ちゃんとお出かけできるだけで良いんだから!』

「じゃあ、現地集合になってるから、そろそろ向かうぞ」

『『は~い』』


 止めていた歩を再び進め、待ち合わせの場所に向かう。

 集合時間は九時。今から電車に乗ればちょうどいい時間に到着する。


 五月二十二日(月)9:00


「あれ? 藤林さんはまだ来てないの?」


 待ち合わせ場所に到着したが、班員の一人が到着していないことに気づく。

 到着しているのはオカ研の三井さんと新聞部の工藤だった。


「あ、あぁ……何か少し遅れそうだって」

「そっか」


 藤林さんから連絡でもあったのだろうか? 俺のところには来ていないが。

 いや、そもそも藤林さんとこの二人は、連絡先を交換するほど親密な関係なのだろうか?

 それに今一瞬、表情が動いたような……。


「それで、この時間を使って西園寺君に聞きたいんだけど」

「あ? 何だ? 答えられることなら良いぞ」


 これは何かありそうだ。というよりも絶対にあるだろう。

 何しろ俺にしつこく付きまとっていた二人だ。間違いなく明日葉のことを聞かれるだろうな。


「そしたら、ズバリ! 花子さんっているんですか?」


 三井さんが体を乗り出して俺に聞いてきた。工藤もいつの間にかメモを取り出してやがる。

 新聞部ってそんなに活発な印象なかったけど、こういう感じで活動してるのか? それとも単純にコイツの性格なのか?

 漫画とかではよく見るけど、本当に何かスクープでも狙ってる奴っているんだな。

 そういう奴って、仮にスクープを手に入れたとしてどうしたいんだろう? 新聞社に持ち込みでもするのか? どうでも良いが。


「……いや、だからその話は前にもしたでしょ?」


 してくる質問が想定の範囲内、というよりも予想通りだ。

 こういう時は対処がしやすい。準備してあった答えのうちの一つを言うだけだ。


「もちろんそうなんですけど、西園寺君が一条先生に頼み込んで手に入れた本。あれが怪しいと私は睨んでいるんですよ」


 へぇ。こいつ、意外と鋭いな。しかも明日葉の依代になっている本を、俺が手に入れたことをどうやって知ったんだ?

 だとしても俺が答える答えは同じだけどな。 


「……そもそも、何で俺と花子さんが関係してくるんだよ? 花子さんていうのは、女子トイレに出るもんだろ?」

「もちろんそれもそうなんですが、僕の見立てによれば、その本!」


 俺の答えに今度は工藤が後ろから出てきて俺に詰め寄る。

 奴が取っていたメモがちらりと見えたが、そこにいろいろと書かれていた。

 魔術書やら憑依やら書かれていたが、その中の一つに“花子さんと本”と書かれていた。

 なるほど。三井さんが本の存在を知っていた原因はコイツだったか。

 新聞部の名はダテじゃない、ってことか?


「あれは幽霊や妖怪を呼び出すためのアイテム……」

「あぁはいはい。もうそういうの良いから!」


 工藤がそこまで発言したところを手で制した。

 なかなか核心を突いた推測。これ以上突っ込まれるのは何かしらボロが出る可能性がある。

 そうなる前に話を切り上げる。


「だいたいな、現実的に考えて幽霊なんていると思うか? 俺は文系だけど、そう言う非科学的なものは信じないんだよ」


 そう言ってから二人に背を向け、両側にいる二人をそれぞれ見る。

 俺がさっき否定した幽霊の二人だ。


『まぁ! ヒドイ! 私と美優ちゃんって言う人がありながら、幽霊を信じないですって!』

『お兄ちゃんヒドイよぉ! こんなに可愛い妹とお姉ちゃんが目の前にいるのに!』


 今の俺が受け答えできないことを分かって思いっきり叫びやがって。

 俺以外には声が聞こえないからって調子に乗り過ぎだぞ。


「しかしですね、先ほどから見ていると、西園寺君は何か別の声を聞いているような……」


 そんな様子を見てか、工藤が鋭い突っ込みをしてくる。

 これはちょっと面倒だな。


「あ、悪い。ちょっと電話。もしもし」

『あ! 普通に会話できるようになったね!』


 スマホを耳に当てた俺を見て明日葉が明るく話しかけてきた。

 うん、こういう愛嬌のあるところ、嫌いじゃないぞ。


「じゃなくって、騒ぐな! おとなしくしてろって言っただろ?」

『えぇ! だって、お兄ちゃん構ってくれないんだもん』

『こんなに近くにいるのに、私たち幽霊が存在しないとかいうし……』


 二人が半泣きのような状態で俺に訴えかけてくる。

 確かに少し言い過ぎた感は否めない。


「それは悪かったよ。でもさすがに今の状況で、何か言うのはおかしいだろ?」

『ま、ちょっとからかいたかっただけなんだけどね』

『お兄ちゃんってからかうと可愛いから』

「お前ら……俺が何を言いたいかわかるか?」


 俺が少し反省の色を見せた瞬間にこれだ。


『あはは……』

『いや、その……怒っちゃいやん!』

「いやんじゃねえよ! 少しおとなしくしてくれよ、マジで!」

『あ、その……ほら! 藤林さんだっけ? 来たよ!』


 明日葉の声に後ろを振り向くと、藤林さんが改札を出てくるところが見えた。


「あれ? みんな早くない?」

「え? でも確か待ち合わせは九時でしょ? 電車でも遅れてるのかと思ってたけど」


 藤林さんの言葉に首を傾げて問いかける。

 すると藤林さんも首を傾げてから視線を斜め上に向け、記憶を辿るしぐさをする。


「えっと……私は九時半って聞いたよ」

「うん? どういうことだ?」


 おや? どうやら何か連絡の行き違いがあったのか?

 いや違うな。確か待ち合わせ時間を決めたのは工藤だったか。でも確かその前に三井さんと話をしていたような気がするな。

 ふむ、読めてきたぞ。


「ってことは……」


 捻っていた首を元に戻し、視線を後ろに向けて二人に白い視線を送る。


「あ、いや。その……」

「ちょっと西園寺君にいろいろ聞きたくて……」


 俺の視線を受けて気まずくなったのか、二人が顔を見合わせて答える。


「はぁ……まぁいいや。とりあえず中に入ろう」


 どうやら俺の推測は正しかったようだ。

 藤林さんはともかく、職業体験中はこの二人には注意しておかないといけないな。

 そう感じながら今日行く小説家の家に向かう。


 五月二十二日(月)10:00


「今日は私の仕事場を体験したいという事だけど」

「はい。職業体験という事で今日から一週間、お世話になります」


 一条先生から既に話は行っていたのだろう。四十代中旬位の男性が俺たちを笑顔で迎えてくれた。すごく人柄が良さそうな人だ。纏っているオーラが柔らかく見える。だがなぜか寂しそうに見える。


「でも私みたいな小説家は、基本的には一人でやるものだからなぁ。あまり職業体験という感じはしないと思うけど、それでもいいのかい?」


 先ほどと同じ柔らかい口調で小説家の先生は話しかけてくる。

 その雰囲気がどことなくだが美優に雰囲気が似ている気がする。


「えぇ。逆に私たちがいて邪魔にはなりませんか?」

「それは全然かまわないよ。むしろ良い気分転換になるさ」


 先生はそう言うと悲しそうな笑顔を浮かべた。口は笑っているが、目が悲しそうだ。

 何か理由があるのだろうか?


「と、言いますと?」


 余計なお世話かもしれないが、先生の悲しそうな笑顔が妙に引っ掛かった。


「私は最近長女を亡くしていてね……どうにも小説を書く気が起きないのだよ」

「そうでしたか……」


 衝撃的な事実を聞かされてその場の雰囲気が一気に重くなる。

 俺以外の三人も気まずそうな表情でうつむいてしまった。

 先生の見た目から察するに、亡くなられた娘さんの年齢は俺たちとそう変わらないだろう。命を落とすには早すぎる年齢だ。

 気分転換になるというのはそういうことだろう。


「あぁ、君たちが悪いわけじゃないから大丈夫だよ。悪いのはいまだに捕まっていない、通り魔の方だからね」


 そうか通り魔に襲われた、つまりは無差別殺人だったわけだ。

 しかし通り魔が出て犯人がまだ捕まっていないとは、ちょっと物騒だな。

 通り魔か……ん? また何か引っかかるな。

 最近通り魔に殺された俺たちと同世代の女の子って、どこかで聞いたような……。


「通り魔……あの一つ聞いても良いですか?」

「ん? 何かな?」

「表札を見た時に、もしかしたら、と思っていたんですが、先生の本名は五月(いつき)さんじゃないでしょうか?」


 ここの家のインターホンを押す時、何の気なしに見かけた表札。

 そこには「五月」と書かれていた。普通に読むなら読み方は「さつき」になるはずだ。

 だが同じような状況で殺され、「五月」と書いて「いつき」と読む人物を俺は知っている。いやここ一週間で知りすぎるほどに知っている。

 そしてその人物は現在進行形で俺の後ろにいる。幽霊となって。


「いかにも私の本名は五月裕次郎(いつきゆうじろう)だよ」

「まさかとは思いますが、五月美優さんの……お父さん、ですか?」


 俺の確信にも似た問いかけを口にする。


「君は美優を知っているのか?」


 やはり、というべきか。俺の予想は当たっていた。

 俺の言葉を聞いた先生が目を大きく見開き、静かに問い返してきた。

 そうかこの人が美優の父親か。


「……えぇ」


 自然と口調が暗くなる。


「しかし君達は別の学校だろう? 私の知っている限りでは、美優の友達でそちらの学校に通っている生徒は、確かいなかったと思うが……友達かな?」

「いえ、顔見知り……程度です」

「そうか……もしよければ、あとで線香をあげてくれないか?」


 先生は優しく微笑んでからそう言ってきてくれた。


「俺なんか……良いんですか?」

「構わないさ。それで早く犯人が捕まってくれることを祈ってくれたら嬉しい」

「……分かりました」


 職業体験が始まる前に重い雰囲気にしてしまった。

 今日一日気まずいな……。


 五月二十二日(月)17:00


「それじゃまた明日」

「はい。よろしくお願いします」


 夕方になり、今日の体験が一通り終了した。といっても小説家の職業体験はあってないようなものだった。

 雑談や取材のアポイントを取ったり、インターネットで調べ物をしたりする作業がほとんどだった。

 ほぼ一日中家にいて、原稿を書いたり休憩したりで自分のペースで仕事が出来る。もちろん原稿の締め切りなどがあり、うっかりすると編集者に迷惑をかけることになると先生も言っていたが、締め切りさえ守れば自由な仕事だ。

 うん、俺にぴったりだ。


「西園寺君……なんかあった?」

「ん? いや。どうして?」


 そんなことを感じていた俺に藤林さんが顔を覗き込んで話しかけてきた。


「さっき先生の娘さんの話を聞いてから、なんか様子がおかしいよ」


 女の子ってこういうところ凄いよな。表情を読むというかちょっとした違和感に気づくのは大体女の子だ。男の方は平静を装っていてもバレる。

 こういう時に下手な嘘を吐くのは下策中の下策だ。かといって話を方向転換すると後が面倒になる。


「う~ん……気にしなくて良いよ。さ、明日は何時にしようか?」


 少しだけ考えるようなしぐさをしてから話を切り替えた。

 こういう時は「深く詮索するな」という雰囲気を作り出す方が良い。

 空気が読める女の子だから通じる手段だ。ちなみに同じことを男にやっても意味が無い。

 察しの悪い男の場合、この手段を取ったら更に深く突っ込んでくる。

 同じことをされた場合は俺もそうだ。善意という心持ちで「何か悩みがあるなら聞くだけなら出来るよ」とか言って、煙たがられる。

 それで大体が「掘り下げないで欲しい」ってことなんだけど、と言ってその場の雰囲気を壊すことになる。

 あ、それは俺限定かもしれないな。


「今日と同じで良いんじゃない?」


 俺の考えを組んでくれたのか、それとも本当に何も気にしなかったのかはわからないが、藤林さんはそれ以上詮索することもなく俺の質問に答えてくれた。


「今日と同じ……って言うのは、俺たちだけ九時に来て、藤林さんだけ九時半ってことじゃ無いよね?」


 そう言ってから工藤と三井さんに視線を向ける。


「あ、ええと……今度は普通に九時半にしようね」


 俺の視線を受けた二人はバツが悪そうに視線を合わせ、苦笑いを浮かべてそう言った。


「……分かった」


 一つため息をついてからそう答える。


「それじゃ私たちこっちだから」


 気まずい雰囲気になる前に工藤と三井さんがその場から去っていった。

 あれ? あの二人って途中まで俺と同じ道じゃなかったっけ? まぁいいや。


「おう! また明日」

「明日ね!」


 突っ込むこともせず、二人の背中を見送る。


「それで、藤林さんはどこ?」


 二人の背中が見えなくなったのを確認してから振り返り、藤林さんに聞く。


「え? 隣駅だけど」


 俺の質問が意外だったのか、目を丸くしてから答える。


「送ってくよ」

「え、いや……そんな悪いよ!」


 俺の提案を聞いた藤林さんが両手を胸の前で開き、顔を真っ赤にしながらブンブンと顔を左右に振った。


「通り魔が出るし、五月とは言っても、もう暗いからさ。気にしなくて良いよ」

「そう? それじゃ駅までお願いしよっかな」

「オッケー!」


 そうして二人並びながら駅までの道を眺める。

 五月も下旬に差し掛かり、少し熱せられたアスファルトに俺たち二人の影が長く伸びている。

 当然だが後ろにいる二人の少女の影はない。こうしてみると二人とも幽霊なんだと改めて気づかされる。

 そう思って後ろを振り返ってみると、明日葉と美優が何やら話をしているのが見えた。


『まぁ、聞いた美優ちゃん? 隼人ったらナンパしてるわよ』

『こんな兄を持ってあたし、悲しいよ』


 どうやらガールズトークに華を咲かせていたようだ。

 うん、ここはちゃんと言っておかないとだめだな。


「あ、ちょっと電話良いかな?」

「あ、うん。どうぞ」


 藤林さんに一言声をかけ、ポケットからスマホを取り出し、操作するフリ(・・)をしてから耳に当てる。

 耳にスマホを当ててから数秒だけ間を置き、口を開く。


「あのさ、普通だと思うんだよ。何かあってからじゃ遅いだろ?」


 開口一番で後ろに控える二人にクレームを言う。

 クレームというよりも事実だ。まだ捕まっていない通り魔が藤林さんを襲撃する恐れもある。そんな状態で女の子を一人で帰らせるのは危険だ。

 別に下心があったわけじゃない。


『それもそうだけど、そういう逃げ場がない感じの時に……って言うのは、お姉ちゃん感心しないな』

「うるさいな!」


 逃げ場がないように……と言われれば確かにそうかもしれない。

 今のこの状況で俺があの発言をすれば、よほどの女性じゃない限りは送ってもらうという選択肢を選ぶだろう。

 だがそれを明日葉が言う“ナンパ”と捉えられるのは違う気がする。

 そしてもう一つの気になっていたことを口にした。


「それよりも、美優は何ともないのか?」


 美優の実家に行ったのだ。当の本人に何か変化はないだろうか?

 そう思って出た言葉だ。


『え? うん。あたしは大丈夫だけど』


 けど……なんだっていうんだ?

 しかしいつまでもここで会話しているわけにはいかない。藤林さんを駅まで送り届けなくちゃいけないからな。


「まぁいいや、とりあえず帰ったら話あるから」

『ん! 分かった』


 今の状況を理解したのかしていないのか、あっけらかんとした明るい答えが返ってきた。


「はぁ……本当に大丈夫かな?」


 思わず口に出してからスマホの終話ボタンをタップする。

 不安だ。

 これ以上ないぐらいに不安すぎる。


「美優さんって……妹さん?」


 俺の様子を見た藤林さんが声をかけてきた。

 声色が前と同じに感じる。


「いや、そう言うわけじゃない。ただの……友達……かな?」

「そう……」


 そう呟いた藤林さんの瞳がやけに寂しそうに見えたのは気のせいだろうか?

 この前の事件で俺のことを嫌っていたんじゃないのか?


「あのさ」

「はい?」


 別に今聞く必要はない、はずだ。

 だがなぜだろう? そのままにしていてはいけない気がして俺は口を開く。


「ちょっと聞きたいんだけど、俺と班を組むことに抵抗無かったの?」

「う~ん……全く抵抗がなかった、ってわけじゃないんだ」


 口元に指を当てて少し考える仕草をしてから、ゆっくりと隣を歩いて藤林さんはそう言った。


「そしたらどうして?」

「えっとね……正直に言うと、最初は“最低”ってそう思ってた」

「まぁそりゃそう……」

「でもね」


 そうだろう、と言おうとした俺の言葉を、藤林さんの言葉が遮った。


「でもね、西園寺君があの発言をしてから、私に対するイジメが無くなっていったの」


 そう言ってから隣を歩く俺を見た藤林さんの顔は、夕日を受けているせいもあってか紅く見えた。

 それが若干恥ずかしそうに見えたのは、もしかしたら気のせいだったのかもしれない。


「あっそ……それで?」


 平静を装え。今ここで反応したら、俺の目的が別のものになってしまう気がする。

 思い出せ。中学時代のあの苦しみを。変に勘違いしたら自分が傷つくことになるのは、俺が一番わかっているだろう。


「うん、それで一条先生に話したの。イジメられなくなりました、って」


 藤林さんは再び前を向いて歩きだしてから話し始めた。

 俺はただただ藤林さんの夕日に隠れた背中を見ることしか出来なかった。


「そしたら一条先生が教えてくれたんだ。西園寺君の事」


 どこまで話したんだ? 先生のことだから多分、勝負のこと以外は話していないと、そう信じたいが……。万が一余計なことまで話していたら、面倒なことになる。


「あのね、西園寺君」

「何?」


 振り返ってそう言った藤林さんの声色が、先ほどとちょっと違う印象だ。


「私、西園寺君の事良く知らない」

「それは俺もそうだ」


 戸惑っているような、でも決して嫌な気分ではないように感じる。

 藤林さんは何を感じているんだ?


「じゃあどうして?」

「先生との勝負。それだけだ」


 藤林さんの横を通り過ぎ、駅までの道を急ぐ。

 これ以上この感覚に襲われると変な勘違いを起こす。そうならないよう早足で、だ。


「本当にそれだけ?」


 俺の早足に追いつき、隣から見上げる形で藤林さんが上目遣いで俺の顔を覗き込む。


「……あぁ」


 視線を逸らしてそう答える。

 これは危険だ。もう勘違いしてしまっても良いんじゃないか?

 いや、それはダメだ。

 俺はまだ暗黒時代の黒歴史を忘れていない。だから勘違いするな。


「でも、そんなの……格好良すぎるよ」

「は?」


 突如ポツリと呟かれたセリフに立ち止まる。そして、


「私……西園寺君の事……」


 熱い視線と熱を帯びた吐息は勘違いの仕様がない。


「俺は!」

「……」


 女の子がこういう感情を抱き、今こうして一人の男に打ち明けるのはそれ相応の覚悟がいる。

 そしてそれは受ける側も同じだ。

 だが俺にはその覚悟を受け止める勇気も決意もない。

 いやそれ以前に、彼女を助けた本当の理由は別にある。それは決して誰にも話すことが出来ないことだ。

 彼女の覚悟に向き合うこと自体、このままではあまりにも不誠実だ。

 だから声を大きくして彼女の言葉を無理やりに遮断した。


「俺は先生との勝負に勝ちたかった。ただそれだけだ。藤林さんの事を助けたつもりはない」


 嘘とも本当でもない言葉を口にする。

 今のことは何も無かった。彼女は何も言わず、俺も何も聞いていない。

 そうして俺の心の底に、真実と共に封印するのがベストだ。

 十字路を左に曲がるともう目の前には駅が見えた。

 帰宅時間よりも少し早い時間だが、それでも駅前にはかなりの人が往来しているのが見える。


「駅に着いたね。また明日」

「……うん」


 そう言って改札を通り、視線をワザと合わさないようにして背中を向ける。

 また明日、か……。果たして明日も耐えられるだろうか。


「西園寺君!」

「ん?」


 そんな俺の心情とは正反対の明るい声が背中にかけられ、思わず振り返ってしまった。

 そして見てしまった。


「やっぱりあなたって……最低ね」


 彼女の瞳から一粒の水滴が頬を伝うのを。

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