第二十三話
五月十四日(日)18:00
「まさか一人ピクニックをやることになるとはな……」
大きな溜め息とともに夕陽を背中に受けながら、茜色に染まった道を一人歩く。
今のご時世、一人カラオケや一人焼肉というのは珍しくない。一人でやった方が気を使う必要が無いし、やりたいことを好きなだけ出来る。
他人に少しでも時間を割くことを嫌がる人種が多くなった証拠と言えるだろう。
それを考えれば俺も一人の方が気楽だし、どちらかと言えば一人でいる時間を大切にしたい人種のはずだ。
だがさすがに独りでピクニックをするとは思わなかった。
『一人じゃないじゃん!』
『可愛い妹と綺麗なお姉ちゃんが一緒だったじゃん!』
正確には一人ではない。俺の他に二人いる。
いや、より正確に表現するならば、一人と二体だ。
まぁようするにだ。
「いや、他人からお前ら見えないから! 完全に俺イタイ人だから! 一人カラオケに一人ウィンドウショッピング、最後は一人でレジャーシート広げて弁当食べてるって、どんだけ俺寂しい人なんだよ! 道行く人の憐れみを含んだ同情の視線に気付かなかったのかよ!」
こういう事だ。
道行く人の視線が非常に冷たく俺に刺さり、ライフポイントをガンガン削っていったのは言うまでもない。
一人カラオケと一人ウィンドウショッピングはまだ良しとしよう。
だが一人でレジャーシートを広げ、そして一人で手作り弁当を食べながら、他の人には見えない存在と会話をする。
周囲から見たら……いや、考えないようにしよう。このやり取りは二人とした上で、俺が説き伏せられたのだ。
もう済んでしまったことを蒸し返しても仕方がない。
だがさすがにもう二度とやるものか。
『まぁまぁ。そう言えば明日から学校でしょ? 今日は早く寝よう! ね?』
俺の言葉と態度から、察してくれたようで話を切り替えてくれた。
だが、学校に行く、というのは今はあまり考えたくないことでもある。
「……言われなくてもそうするよ」
明日葉の言葉で数秒ほど思考を停止させてしまった。
一瞬だけ過った悪い記憶がそうさせたのだ。
『どうしたのお兄ちゃん?』
俺の様子の変化に気づいたのか、美優が首を傾げて顔を覗き込んできた。
『なんか凄く怖い顔してるけど、何かあったの?』
『隼人? あ、そっか……学校って言えば』
最初俺の表情を見て、疑問符を浮かべていた明日葉だったが、すぐにその答えに行きついたようだ。
「いや、気にしなくて良い。俺が自分で蒔いた種だ」
だが今更どうすることも出来ないし、明日葉に何かして欲しいという事は無い。
あくまで俺の中で整理が完全についていないだけだ。
いや、整理というより、覚悟と表現した方が良いかもしれない。
こういう事には慣れていたはずだったんだがな。明日葉と美優に感化されたのかもしれないな。
『お姉ちゃんどういうこと?』
俺と明日葉を交互に見た美優が、更に疑問に思ったらしく今度は俺じゃなく明日葉に聞いた。
『私を助けるためにちょっと……ね。ねぇ隼人、辛かったら行かなくても良いんじゃない?』
さすがに今の発言は軽はずみだと考えたのか、明日葉の表情が曇る。
確かに俺のしたことは褒められたことじゃない。それでまた敵が増えるのは確実だ。
他の方法もあった。だがそれらを選ばなかったのは俺だから、明日葉が気に病む必要はない。
だから明日葉に心配を掛けさせないよう、精一杯明るい声で言う。
「さすがにそう言うわけにはいかないよ。さ、もう寝よう。おやすみ」
『おやすみ』
『おやすみなさい』
それ以上は二人とも聞いては来なかった。
そして結局俺は二人に挟まれて寝てしまった。
五月十五日(月)12:00
俺の問題行動があってからの初めての学校。
案の定と言えば案の定、俺に向けられる冷たい視線と無視という行動。
幸いだったのは実害が無かったという事だ。さすがに成績一位の俺を公にイジメるのは気が引けるという事だろう。
まぁそんなこんなでもう昼休みだ。
教室で弁当を食べても良いのだが、さすがに居場所がない。かといってどこか別の場所に行っても、誰かしらそこにはいるはずだ。
この校内に静かに一人で昼を食べられる場所は……なかったような。
さて、どうするか。
「西園寺! 少し良いか?」
考えを巡らせていたところに聞きなれた声が掛かった。
今の俺に声を掛けることが出来るのは、知っている限り一人しかいない。
「一条先生……何ですか?」
案の定と言えばその通りだが、今の俺によく声を掛けようと思うよな。
その胆力は常人のそれとはケタが違う。
「付いて来たまえ」
そう言いながら先生は親指で後方を指差し、踵を返して教室を出て行った。
どうやら俺にはついていかないという選択肢はないらしい。
もっとも、この先生に言われたら俺の出す答えは「イエス」か「はい」しかない。
つまり、拒否権は無いという事だ。
先生に連れられて廊下を移動する。
職員室に行くのかと思っていたが、先生は職員室を通り過ぎてその先にある小さな教室に入っていった。
「……あの、それで何ですか? 早くしないとお昼時間が無くなるんですけど」
「ここは私だけが使う事を許可されている、特別生徒指導室だ」
先生だけが使えるって、それって相当特別な部屋だよな。
しかも特別指導室って……聞くからにヤバイ感じだ。何しろ「生徒指導室」ではなく、「特別」と付いているんだから。
確かに生徒指導室は別にあったよなぁ。
あ、これヤバイ。死んだわ。
「俺、何かしましたか?」
恐る恐る先生の顔を覗き込み、すっとぼけた質問をする。
「自覚がない……と言うわけでもないだろう?」
「……えぇ、まぁ」
さすがに自覚はある。だが後悔はしていない。
だから今ここで先生に叱責されても、たとえ半殺しにされても後悔しない。
はずだ。
「先週の事だが……何故あんな方法を?」
室内のソファに腰を下ろし、脚を組んでから俺を見上げてそう問いかけてきた。
「先生も知ってる通り、イジメは世の中から無くなりません」
「ふむ。それで?」
目を瞑って腕を組み、溜め息混じりの相槌をしてから話の続きを促してきた。
また俺をテストしようとしてるのか?
「先生との勝負に勝たないといけなかった」
一条先生に嘘は通用しない。肝心なことは言わず、事実と俺の感情を混ぜて話す。
「……続けて」
ふむ、と溜め息混じりに言ってから続きを促してきた。
「複数の意思がバラバラに動いている時、それを一つにするためにはどうしたら良いか? を考えたんです」
「だからと言って、あのような方法をとる理由はないだろう?」
今度は責めるような視線で俺を睨みつけた。その視線は怒りではなく、別の色を含んでいた。
先生の言いたいことがイマイチ掴めないな。
「一番効率が良かった。それだけです」
「しかし、君が全員の攻撃を受ける“敵”になる必要は……藤林からも誤解されたままだぞ」
「構いませんよ」
「君が構わなくても、私は気にする」
ゆっくりと諭すように言い、俺に座るように顎で促す。
俺が座ったのを確認した後、先生はタバコを取り出して火を点け、ゆっくりと煙を吸い込んで溜め息とともに吐き出した。
そして再び腕を組み何かを考えながら俺の目をジッと見つめた。
「俺はあの本が欲しかった……どうしても。それだけですよ」
「それでまた君は昔に戻るのかね? 君がイジメを受けていた、あの頃に」
あの頃、というのは俺がイジメられていた時のことを言ってるんだろう。
先生は俺の過去を知る数少ない人物の一人だからな。
「……どうですかね?」
「君の行動を見ているとそう見えるのだ」
「まさか! イジメられるのが好きって……俺はMじゃないですから」
「だが、このままではまた君が対象にされるぞ」
「ま、良いんじゃないですか? それで他のクラスからイジメが無くなるのであれば」
そう言うと先生はまた溜め息をつき、俺の目を見つめると微笑みながら口を開いた。
「……君は……優しいな」
「やめてくださいよ。俺はそんな柄じゃないですよ」
俺は先生の目を直視できず、目を顔ごと背けて言う。
しかし背けたその頬を先生が両手でやさしく包み、正面を向かせて再び口を開いた。
「だがな西園寺。私はそんな君だからこそ、守りたいと思った」
「先……生?」
俺を見つめたその先生の表情は憂いと寂しさと、そして慈母のような優しが含まれていた。
俺の頬を包む先生の柔らかくて暖かい両手から、心臓の鼓動が伝わるような感覚がした。
その鼓動が徐々に早くなっていく。
いや、小刻みに震えていた。
「自分を傷つけて他人を助ける。そしたら、誰が君を助けるのだ?」
先生は相変わらず優しい表情で俺を見つめている。
あぁ、この人は本当に俺のことを心配して、憂いているんだな。
「いや、俺は別に助けなんて……」
耐え切れず先生の手を振りほどき、ソファから立ち上がる。
これ以上先生に話しかけられたら、今作っている俺の外殻が剥がれ落ちそうだ。
不意に、この先生になら本心をさらけ出しても良いかもしれないと、そう思ってしまったぐらいだ。
「君がそれを望んでいなくても、そう思う人がいるという事だ。何かあったら私を頼ってくれて良いのだぞ。お説教は終わりだ。飯食いに行くぞ。奢ってやる」
「……はい」
話を切り上げ、先生の奢りで攻撃的なラーメンを食べたが、満腹感を感じなかったのはなぜだろうか。
五月十五日(月)18:00
午後の学校でも引き続き俺に対する無視は続いた。
唯一の救いといえば、一条先生の授業の時だけそれが薄れたということだ。
『あ! お帰り隼人!』
「ただいま」
夕方に家にたどり着くと、もう聴き慣れた明日葉の声に返事をする。
『お兄ちゃん遊んで~!』
しかし今日はもう一人、新しく加わった少女の声もした。
「宿題終わってからな。明日葉、弁当サンキューな! 美味しかったよ」
昼飯は一条先生におごってもらったのだが、男子高校生の食欲を甘く見てはいけない。
弁当の一つや二つ、昼のおやつの時間には無くなる。
しかもちゃんと味わって食べられるという余裕すらある。
『どういたしまして! あ! そう言えば三十分くらい前に隼人宛に電話があったよ!』
一時間くらい前に電話という事は、俺が下校している最中だよな。
学校から家までが大体二十分くらいだから、俺がもう家に到着していると仮定してかけてきたのかもしれない。
だが俺に電話をかけてくる心当たりが無さすぎる。
家族は俺のスマホにかけてくるだろうし、友達は……いないな。
って言うか俺のスマホ電源切れてるじゃねぇか!
「誰から?」
『えっとね、藤林さん……だったかな? 女の子』
「フジバヤシさん? あぁ!」
俺の家の番号にかけてきたという事は、職員室で一条先生にでも聞いたんだろう。
俺と藤林さんを繋がりはあの先生しかいない。
そして先生は俺のスマホの番号もWIREも知らないからな。
しかし藤林さんか……一体何の用事があったんだろう?
『ん? まさかお兄ちゃん、あたしという者がありながら浮気?』
『お姉ちゃん許しませんよ浮気なんて! お姉ちゃんと美優ちゃんがいるんだから!』
イヤイヤ浮気も何も、美優も明日葉も俺の恋人ではないだろ。
それに藤林さんと俺は、多分もうそういう関係になることはないだろうしな。
それに、確か藤林さんって、
「明日葉は知ってるだろ? あのイジメられてた子だよ。っていうか、お前らは俺と付き合ってないだろ!」
『えぇ~でもこうして一緒に暮らしてるわけだしねぇ』
『一つ屋根の下、男女が暮らしてるとなったら……ねぇ』
確かに聞く人が聞いたら羨ましい限りだろう。
だがそれは俺の置かれている状況を、全く知らない場合だ。
「いやいや、お前ら幽霊だろ!」
まぁ今の俺の状況を知っている人なんて、この世界に誰もいないんだけどな。
『幽霊でも、お兄ちゃんLOVEなのは真実だよ!』
『お姉ちゃんだって、隼人に対する愛情は美優ちゃんにも負けないよ!』
二人が揃って体の前で腕を曲げ、拳を軽く握って頬に当てる。
世にいうぶりっ子ポーズだ。
幽霊じゃなければ可愛いんだけどな……。
「もういいや……。って! まさか電話出たのか?」
『え? 出たわよ。当たり前じゃない!』
「おい! マズイだろ!」
これはマズイことになったぞ。
まさか俺の家に藤林さんが電話をかけてきて、更に対応したのが明日葉。
変な誤解を生むのは間違いない。
俺の額と背中を冷たい汗が伝う。
『どうしたのお兄ちゃん? そんな血相変えて』
そう言えば美優は俺が学校に何て言っているか知らないんだったな。
この際だからちゃんと説明しておいた方が良いだろう。
「俺は今一人暮らししてるって言う事になってるんだよ! それなのに受話器の向こうから女の人が出たらどう思うよ?」
『あぁそう言えば!』
そこまで言ってようやく明日葉が納得したように頷く。
気付くのが遅すぎだろ。
「明日藤林さんになんて言い訳すればいいんだよぉ……」
『お兄ちゃんは藤林さんの事、大切なの?』
「……いや。先生からの依頼で……」
美優からの唐突な質問。
ふと考えてからそう答える。
『じゃあ別に良いんじゃない?』
「……それもそっか」
本当に良かったのだろうか? 何かまずい気がするが……。
五月十六日(火)8:15
「西園寺君」
「あ、藤林さん」
学校に到着するなり藤林さんが話しかけてきた。
理由は何となく予想がつく。
「昨日電話したんだけど……」
予想通りだ。
それなら用意していた答えを言うだけだ。
「あ、あぁゴメンね。電源切れてて」
「うん。いや、その後に家の電話に掛けたんだけど」
これも想定通りだ。
「そうだったの? 気付かなかった」
だからこれも用意していた答えを言う。
まぁつまりすっとぼける、という事だ。
「それで、女の人が出た」
「えっと……」
あ、やっぱりそういう疑問が浮かぶよね。
ここまでは予想通り。というか計算通りだ。
「たしか西園寺君って今、一人暮らしじゃなかったっけ?」
「あ、あぁ……あれは……そう、近所の女の子だよ。お袋と妹がいない間、家事とかやってくれるんだ」
「それは西園寺君の……彼女的な、あれ?」
「いや。どちらかというと姉弟みたいな感じかな」
だからここは何となく濁して伝える。
女の子は察する能力が高いから、こう言えば何となく分かるだろう。
これ以上踏み込んでほしくない。そんな雰囲気を醸し出せば、これ以上突っ込んで聞いてくることはないはずだ。
変な勘違いを差せるかもしれないが、それならそれで構わない。
「本当に?」
「あ、あぁ」
藤林さんが俺の答えに上目遣いで顔を覗き込んでくる。
う~ん……覚悟はしていたが、さすがにこうされると心が痛い。
「その割には電話に出た、明日葉さん? 何かスゴイ剣幕だったよ」
覗き込んでいた顔を元に戻し、腕を組んで疑いの目を向けてくる。
これは予想外の突っ込みだ。まさかまだ食い下がってくるとは思わなかったな。
「……注意しとく」
本当に注意しておこう。
まずは、勝手に家の電話に出ないように言っておかないとな。
「……そう言えば、西園寺君はもう決めたの?」
「何を?」
俺の答えで納得したのか、藤林さんが話を変えてきた。
このタイミングで話を変えてくれるのは正直ありがたい。
あれ以上突っ込まれた時の答えを用意してないからな。
って言うか、決めたって何を?
「職業体験! まさか忘れてたの?」
「あぁそう言えば! 完全に忘れてた」
そう言えば俺の学校では、社会の勉強の一環で職業体験なる面倒な課題があるんだった。
校外活動の一環だが、いくつかのグループに分かれて様々な職業を体験し、それを後日レポートにして提出する。
体験する職業についても事前に先生に申請し、許可を取らなければならない。
本当に面倒な課題だ。
特に俺みたいな独り者だと、一緒のグループになってくれる奴はいないだろう。
「提出期限、明日だよ」
「まずいな……とりあえず教えてくれてありがと」
どうするか。
今日のうちにある程度固めて先生に提出しないと、本当にまずいことになるな。
五月十六日(火)15:00
「職業とは、給料と割に合わない労働力を提供する行為である。その為、仕事以外に別の楽しみを見つけなければ続かないものである。活字が好きな私は文字の読み書きを主とした小説家となり、自宅にて時間に縛られない仕事に就きたい。よって今回の職業体験は自宅を希望する」
俺から提出された職業体験の申請書を読み上げる。
うん。確実にこれは怒りがこもってるな。
「西園寺、私が何を言いたいかわかるな? 君は頭が良いのだから」
俺の前に拳を力強く握り、見せつけてくる。
あ、これ死んだかもしれん。
「小説家は……ダメですか?」
「論点はそこじゃないだろうが! まったく……だが小説家になりたいのは本当か?」
怒りの理由を別の方向にシフトさせようとしたが、やはりこの先生相手にそれは通じないらしい。
「まぁ、嘘ではないです」
「つまり本当でもないんだな?」
そういうふうに突っ込まれると痛い。
だがわりとマジな話、俺は出来れば働きたくないのだ。
「えぇ、まぁ」
真意を感ずかれるのは気分があまりよくない。
返事を濁して先生の目を見つめる。
「君にはなりたいものは無いのか?」
「う~ん……特に今のところ」
「そうか。しかし、嘘ではないという事は、多少はなりたいと思っているのだろう? 小説家に」
「えぇ、まぁ」
先ほどと同じトーンで同じ答えをする。
小説家になりたいというのは別に嘘ではない。可能であれば小説家になりたい、と思ったこともある。
申請書に書いた「活字が好き」というのも、別に嘘ではない。
中二病を発症した人間なら、だれでも一度は思ったことがあるのではないだろうか。
「私の知り合いに、小説家になったものがいる。まぁ売れっ子というほどではないが、それで飯を食っている。西園寺さえ良ければ紹介するぞ」
「はぁ。でも俺と同じグループでも良い人っていませんよね? 今回の職業体験は、四人一組ですし」
俺とグループを組もうという物好きな人間は、おそらくこの学校にはもういないんじゃないのか。
そう思って出た質問だったが。
「そんなこともないぞ」
「え? 誰がいるんですか?」
純粋に驚いた。
今や学年中の嫌われ者と化した俺と、同じグループでも良いという物好きがいることに。
いやそれよりも、俺と同じように働くのが嫌というやつがいることに驚いた。
「オカ研の三井、新聞部の工藤、それと藤林だ」
あの二人に藤林さんか……、嫌な予感しかしないな。
「へぇ……ちなみに、遠いですか? 自転車で片道一〇分以上あるところはちょっと……ぐは!」
やんわりと拒否をしようと思った俺の鳩尾に、硬くて重い感触がめり込んだ。
先生が繰り出した、殲滅のゴッドブローが炸裂したからだ。
めり込んだ拳をゆっくりと引き抜き、拳を突き出して更に言葉を続ける。
「君は毎日片道二〇分の道のりで学校に来ているのだろう? それとも何か? 途中までタクシーか何かで来ているというのか?」
「スイマセン」
ダメージを負った腹部を押さえ、先生の目を涙目で見つめる。
先生が軽く溜息をつき、腕を組んでからまた話を続けた。
「さて、どうする? 本当に小説家を希望するなら、そいつのところに行くことを許可するが」
「じゃあ、お願いします。でも問題無いんですか?」
「何がだ?」
今度は先生がとぼけたような答えを返してきた。
先生なら俺が言おうとしていることぐらい、察しがつくはずなのに。
「いや俺って今、学年中の敵じゃないですか? そんな俺と組みたいやつっているんですか?」
この一言で多分先生も分かってくれるはずだ。
今の俺と組ませたら、組んだ奴らも可愛そうだ。しかしそれ以上に、先生がそれを承認した、という事が問題になってくるはずだ。
それを危惧した俺の言葉だ。
先生もその意図が分かったらしく、優しい笑顔を浮かべてから一度だけ「うん」と頷き、口を開いた。
「三井と工藤は君の話を聞きたいと思うぞ。藤林に至っては……まぁ、大丈夫だと思うが」
「藤林さん、何かあったんですか?」
今朝も会ったし、少し気になった俺が聞き返す。
「いや……う~ん、本人から直接聞いた方が良いだろう」
しかし先生は腕を組んだまま難しい顔をして、そのすぐ後に意地の悪そうな笑顔を作ってこう言った。
先生がこんな表情をする時は、大体良くないことがあるんだよな。
それでそれを先生は楽しそうに見ているだけ……。趣味悪いですよ、先生。
「はぁ、まぁ良いですけど」
「では明日からグループごとの職業研究が始まる。組む奴らと仲良く……というよりも上手くやれよ」
「……はぁ」
まぁ仲良くやる気は毛頭にない。
先生の言った「上手く」というのは、この職業体験が終わるまでで構わないから問題を起こすな、そう言っているのだろう。
今まで迷惑を掛けっぱなしだったしな。今回ばかりはその提案に乗るのが恩返しかもしれないな。
五月十九日(金)14:00
「それでは来週から職業体験が始まる。全員行くところは決定していると思う。今日のホームルームは最終確認にする。それぞれのグループで話し合いを進めなさい」
担任が今日の連絡事項を伝え、今日の授業は終わった。
これでようやく長かった一週間が終わった。
さて、来週の職業体験の予習でもするか。と言っても小説家がやることって何だろう?
う~ん……考えても分からん。というわけで、帰るとするか!
「ねぇねぇ、西園寺君! ちょっと話聞きたいんだけど……」
「ん?」
帰り支度をしていた俺に、一人の女子生徒が話しかけてきた。
五月十九日(金)18:00
『それで隼人の行く作家さんって、誰なの?』
夕飯を作りながら明日葉が話しかけてきた。
来週からお世話になる予定の小説家の先生についてだ。
今更ではあるのだが、明日葉が夕飯を作っていることに違和感を持ってはいけない。そこはあえてスルーしておこう。
どうせまたポルターガイストって言うんだろう。
「えっとね、ペンネームで三藤裕次郎さんって人」
だから今は明日葉の疑問に答え、頭を過ぎったことを無理矢理に考えないようにする。
多分そうした方が俺のためだ。
『……へぇ。どんなの書いてるのかな?』
「いやぁ俺も良くは知らないけど、ライトノベルの作家って聞いてる」
『そうなんだ』
ライトノベルというのは俺たちティーンが読みやすいように、表紙や挿絵がアニメのようにされていたり、その挿絵がふんだんに使われている小説だ。
略してラノベとも呼ばれ、近年ではこれを原作としたアニメや漫画、映画なども制作されている。
読書家の中にはこれを「漫画小説」という人もいるが、今では一つの文化になっており、このライトノベル作家を目指す若者も多いらしい。
「そう言えば、美優はどうした?」
『今お風呂に入ってるよ』
幽霊がお風呂に入っているというこのシュールな感じ。
これもまたスルーしておいたほうが良いだろう。
「そっか」
生返事をしてからテーブルに向かい、今日の宿題にスパートを掛ける。
俺が本気を出したら学校の宿題なんて十分もかからない。
あっという間に終わらせ、テーブルの上を片付ける。
『でも、ちょっと意外だったなぁ』
夕飯の準備をしながら明日葉が呟く。
「ん? 何が?」
『隼人が小説家になりたいっていうのが』
「いや、そう言うわけじゃないけど、もともと文系は得意な方だからな。興味がなかったわけじゃない」
俺の場合、文系に限らず理数系も得意だ。
しかし根底にあるのは問題文を理解したり、その計算式の意味を考えたりすることが得意だ。
だから難しい計算式は正直不得意で、どちらかというと論理的に組み上げてる文章問題の方が得意だ。
特に証明問題は得意で、与えられた情報から一つの答えを導き、それがハマった時には快感すら覚えるほどだ。
『ふぅ~ん……』
「ん? 何か変か?」
思考が別の方向に傾きつつあったのが、明日葉の相槌で元に戻った。
何か変なことでも言っただろうか?
『ううん、そうじゃなくて……なんか、流されるまま……って感じがしたから』
「流されるまま……か。確かにそうかもしれないなぁ」
明日葉の言葉に若干心が軋む。
図星を突かれた、いや、的を射ていたからだろう。
『隼人?』
「いや正直言うと昔から、なりたい夢、って言うのはないんだ。ただ漠然としてるだけだから。昔はそれこそなりたい夢、みたいなのはあったと思う。でも多分それは無理って気づいて、それから……」
考えてみたら子供の頃に思い描いた夢ってなんだったんだろう?
幼稚園とかでは確か、正義のヒーローとかそういうのに憧れていたはずだ。
それが小学生になり中学生に上がり、となっていけばそれはより現実的なものになる。
しかしその夢がやっぱり“夢”であることに気づいて、いつしか“選べるものの中から職業を選ぶ”ようになる。
それがきっと人なんだろう。
それでも夢を追いかけて、それでその夢に手が届いた人もいる。
世の中の大人がそういう人を応援するのは、自分の夢に重ねて期待しているのかもしれない。
俺ももしかしたらそうなるのかもしれない。
でも結局、所詮は他人だ。期待して、そして裏切られる。
良い例が恋愛禁止のアイドルが、よく週刊誌やニュースでスキャンダルとなる。アイドルは恋愛してはいけない、というのが何故か日本の常となっているのも不思議だが、世の中のファンは期待を裏切られたと言い放つ。
勝手に期待しているのは自分のはずなのに、裏切られたと感じた時の失望感は耐え難いものがあるのを知っている。
だから俺は他人に期待はしない。
だから俺は夢を持たない。
『そっかぁ……じゃあ』
「じゃあ?」
思ったこと全てを語ったわけじゃないが、それでも明日葉は俺の言いたいことが分かったらしい。
俺が相槌を打って話の続きを促す。
『本当に何も見つからなかったら、私の旦那ってことで!』
「はぁ……はいはい」
やっぱり明日葉は俺の考えの斜め下を、かなりの急角度で捉えたらしい。
こういう事があるから俺は期待しないんだ。
『あ! なんか馬鹿にしてない? 馬鹿にしてるよね?』
「してないしてない」
片手を顔の前で左右に振り、否定を示す。
この行動を取る時の人の心理は二つしかない。一つは本当に否定したいとき。そしてもう一つは馬鹿にしている時だ。
この時の俺の心理は、当然後者の方だ。
『してるじゃない! お姉ちゃん悲しい!』
もう面倒になってテンプレートのような棒読みをしていた時、後ろから扉の開く音が聞こえた。
間違いなく美優だろうな。
っていうか、幽霊なんだからドアを開ける必要なんてなくないか? そのまま素通りすればいいんだから。
多分人間だった時の習慣がまだあるんだろう。明日葉と違って……。
『あれ? お姉ちゃんどうしたの?』
俺の横で拗ねてウソ泣きしていた明日葉を見て、美優が首をかしげて尋ねた。
その瞬間の明日葉の顔を俺は見逃さなかった。完全に見方を見つけ、勝ちを確信した笑みを。
『隼人がね、お姉ちゃんの事お嫁に貰ってくれないって……』
殊更ワザとらしくウソ泣きを浮かべ、明日葉が美優に泣きつく。
一応お前の設定は“姉”なのだから、それはどうかと思うのだが……。
『お兄ちゃん! それはヒドイと思うよ!』
そしてそれに釣られる美優も美優だ。
ここはちゃんと突っ込んでおいたほうが良いだろうな。
そうしないと俺の立場がなくなる。
「いや、だって……そもそも幽霊だろ!」
『だって、隼人優しいから……』
俺の言葉に少しショックを受けたような表情を作る。
いや、本当に落ち込んでいるのか? この角度から見える表情だけでは判断できないな。
『お姉ちゃんがダメならあたしを貰ってくれるのかな?』
『あ! 美優ちゃん! 抜け駆けは良くないぞ』
『あん! お姉ちゃんくすぐったい!』
俺の目の前で二人の美少女がじゃれあい始めた。
百合百合展開も嫌いじゃないが、そろそろ止めたほうが良い。
「二人ともその辺で……」
『それじゃあ二人とも隼人のお嫁さんってことで!』
『だね!』
言葉を最後まで言う前に二人の中で答えは出たようだ。
そしてどうやら明日葉の表情について、俺は気にし過ぎていたようだ。
「俺の意思はないのか?」
『まぁまぁ』『まぁまぁ』
二人揃って俺をなだめる仕草をする。
……二人とも仲良すぎだろ。




