第二十話
「……やっぱり普通の本だよなぁ」
『そうだよねぇ』
花子さんの寄り代になっている本を見上げながら呟く。花子さんもそれに同調して言う。
中に何かあるんじゃないだろうかと思い、一通り中身は読んでみたが普通の物語だった。
まぁ怪談話だったけど。
ともあれ中身は普通の本で、他に何か情報があるのではと思ってからの今だ。
「あれ? 裏表紙に何か貼り付けてあるよ」
今度は花子さんが本を見ながら色々と調べていると、本の裏側に何かラベルのようなものが貼り付いていた。
俺の言葉に本を裏返すと、
『え? 本当だ』
花子さんもそれに気づいたようだ。
『でも破れてて良く読めないね』
花子さんの言うようにラベルは劣化していて掠れ、上手く読むことが出来そうにない。
その中でもなんとか読める文字が無いわけではなかった。
「う~ん……三年G組で、何とか『日葉』って読めるな」
『そうだね。もしかしてこれって私の名前かな?』
「そうだと思うけど」
花子さんの言うようにおそらくは名前だろう。
日と葉が付く名前……なんだろう? ラベルの後方に書かれてるから苗字ではなく名前なのは間違いない。
向日葵や百合と言ったように、何かの花や植物と同じ名前なのだろうか。
『さすがに情報がこれだけじゃ……』
確かに本から得られる情報がこれだけでは手も足も出ない。
本の所有者を判断する場合、名前が記載されていればそれが一番簡単だ。
だが今回のように名前の一部しかない場合、そこに固執していても前には進まない。
だから別の情報を上手く使うべきだ。
今この本から得られる情報は、名前の一部とそしてもう一つある。
「いや、方法はあると思う」
『どうやって?』
今まで得た情報を全て織り込み、雲を掴むような情報から手段を考える。
この本を手に入れるために俺が何を言われ、どんな情報を得てきたか。
「確か一条先生が、この本は隣町の女子生徒の両親から寄付された、って言ってた」
『そうだね』
「隣町でGクラスまである高校……そして花子さんのその制服を探せば」
『そっか! やっぱり隼人って頭良い!』
情報と手段が結びつき、より正確な方法を口に出す。
そのことに花子さんが目を輝かせて声をあげる。
まぁ俺しか聞こえてないんだけどな。
「明日はちょうど土曜日で休みだ」
『それじゃ一緒に行こう!』
「あぁ!」
明日の行動は決まった。
これで一歩、花子さんの真実に近づける。
五月十三日(土)10:00
『隼人~いつまで寝てるの~?』
女の子の声がする。誰だ? 俺の眠りを妨げるのは。
って、一人しかいないよな。起きなくちゃいけないのは分かってる。
しかし昨日までの緊張の糸が切れて疲れが、津波のようにどばっと襲い掛かってきてるんだ。
「お願い、もう少しだけ……」
『ダ~メ! 今日は隣町に行くんでしょ!』
「分かったよ。起きるから、あと一〇分……」
迫りくる睡魔に耐え、何とかそれだけを口にする。
あとは眠気に任せて少しだけ目を瞑り、夢の世界に旅立つ。
『まったくもう……そうだ!』
ん? 何だ? 何だか手に柔らかいものが……って!
「はにゃこさん!」
今俺の手に当たった柔らかい感触は、花子さんのむ……いややめておこう。
そうでないと冷静さを失ってしまう。
既に変な声を出してしまったからだいぶ冷静さを失っているのだが、これ以上はまずい。
ベッドから跳ね起き、横に居る花子さんの顔を睨むように見つめる。
『あ! やっと起きた』
「やっと起きたじゃないよ! びっくりした~」
『えへへ~どうだった? お姉ちゃんの身体は?』
「柔らかくて……じゃなくて、誤解するような表現はやめてよ!」
お姉ちゃんの身体……ねぇ。
まぁ間違ってはいないんだけどさ。今の俺には破壊力が強すぎるよ。
ただでさえ女の子とひとつ屋根の下って状況に昨日は寝つきが悪かっただから。
『いつまでも寝てる隼人が悪いんだよ! さ、早く出かけよ!』
指を一本立てて立て、腰に手を当てて俺の顔を覗き込んで頬を膨らませる仕草をする。
まったく、いちいちあざと可愛いんだよなぁ。
「……はぁ。分かったから少し部屋の外にいて。着替えるから」
部屋着から着替えるため、一度花子さんに部屋の外に出るように言う。
『隼人の裸見たって別に欲情しないよ』
「そう言う問題じゃない!」
まぁ男だから別に見られても恥ずかしくはないんだけどね。
完全に精神的な問題だ。
『でも、隼人が依代の本を持ってる限り、私はこの部屋から動けないよ』
口答えしてきやがって。
ならば!
『あ、待って待って! 分かった! 後ろ向いてるから! 窓から本を捨てないで!』
はぁ。本当に幽霊なのか? 人間に謝る幽霊なんて聞いたことないぞ。
五月十三日(土)11:00
隣町までは電車とバスを乗り継いで一時間ほど掛かる。
その間見覚えのある場所をちょっと聞いてみたが、残念なことに何も覚えていなかった。
まぁ期待はしてなかったけど。
『それで、どうやって調べるの?』
隣町の駅に到着して改札を出たところで花子さんが話しかけてきた。
そこで俺が当初の考えを話す。
「土曜日なら部活をしてるところもあると思うんだ。それで花子さんの制服を探す」
『え? 制服を探すって……隼人、そう言う趣味あるの?』
「違うよ! 昨日話したじゃ……」
そこまで言いかけてからある(・・)理由で話を中断する。
『どうしたの?』
俺の異変に気付いたのか、花子さんが聞いてきた。
「いや、周りの目が気になって」
俺が気になったのはこれだ。
俺と花子さんの二人だけなら問題は無いのだが、それ以外の人からすれば、
『あぁ、そう言えば。今のままだと、独り言を言ってるただのおかしな人に思われるよね?』
俺の思考を呼んだように花子さんが言う。
まったく、誰の所為だよ。でもこのままって言うのも不便だよな……。どうしたら良いかな?
あ! そうだ!
一つのアイディアが頭に浮かび、ポケットから取り出してそれを実行する。
『なるほど! スマホを耳に当ててれば会話してると思うよね!』
いきなり話しかけたらさすがに通話が繋がっていないと思われるかもしれないけど、まぁそこまで細かく見てる人はさすがにいないだろう。
「そ! それで、とりあえず隣町に来たけど、どこか見覚えない?」
『えっとね……ない!』
「よし、聞いた俺がバカだった。別の方法を探す」
花子さんにした質問は元々あてにしていない。幽霊になった時の状況と今までのことを考えれば、花子さんに生前の記憶が戻らなそうなのは明らかで、その方法を模索しても無理だとわかっていたからだ。
だからこの街に来る前に考えていた方法に切り替えることにする。
『別の方法?』
道の途中で立ち止まり、念のため前後左右に誰も人がいないことを確認してから花子さんに話しかける。
「花子さん、制服をちょっと脱いで!」
発言してから気付く。このワードは本当に通話中でもかなり危ないワードだった。
慌てて周囲を見回すが、幸い閑静な住宅街という事もあって誰にも聞かれていなかった。
ほっと胸を撫でおろし、再びスマホを耳に当てる。
『隼人~?』
「あ、ごめんごめん」
どうやら何度か俺の言葉に反応していたようだ。
「それで、制服脱いだ?」
『もぅ! 隼人ってばもしかして欲情しちゃったの? それともそう言う趣味? いくら隼人の頼みでも、お姉ちゃんそう言うのは感心しないぞ!』
そんな俺の言葉とは裏腹に、斜め下の考えを花子さんが言っていた。
「違うよ! 制服なら学校名が書いてある可能性が高いでしょ! だからだよ!」
元々の方法はこれだ。
って言うかこの内容、昨日も話したはずだけどな。覚えてないのか? いや、恥ずかしいだけか?
「まったく、脱いだって誰にも見えないでしょ!」
『……隼人には見えちゃうじゃん』
まぁ確かに俺には見えちゃうわけだが。
しかし脱いでほしいのは制服だけで、下着までは求めていない。
そもそも花子さんって幽霊でしょ? 恥じらいとかあるのか?
「別に見たって欲情しないよ」
『でも隼人が着替える時はお姉ちゃん後ろ向いてたよ』
口を尖らせながら冷たい言葉を言ってきた。
こういう時の幽霊って本当に怖いよな。気温は大分高くなってきたけど、俺の周囲だけまるで真冬みたいだ。
「分かった分かった。見ないから。学校名をとりあえず確認してくれ」
花子さんから目を背け、本来の目的を言う。
花子さんは『もぅ、可愛いんだから』とか言いながら俺の言葉に従ってくれた。
出来れば最初からそうしてもらえると嬉しいんだけどな。
『よし! もうこっち向いても良いよ』
「ん、それでどうだった? ってうわ!」
花子さんの返事に身体ごと振り向くが、俺は即座に背中を花子さんに向けた。
『んん~~どうしたのかな~? 隼人はお姉ちゃんの下着姿で欲情しちゃったのかな~?』
「いやいや、欲情はしないけど何で制服着てないの?」
欲情するとかしないとか、問題はそこじゃない。
何で俺に見えると分かっているのに制服を着ていないのか、だ。
『だって、さっき隼人言ってたじゃん? 私が脱いでも欲情しないって。あれ、地味に傷ついたんだからね!』
「ゴメン。分かったから服着て!」
これは素直に謝るしかない。
しかし、こうして考えると花子さんもやっぱり女の子なんだなぁ、としみじみ思う。
見た目通りの思春期の女の子が、下着姿で同世代の俺の前にその姿を見せるのはどうかと思うが、俺も発言には気を付けよう。
『恥ずかしがる隼人って可愛い~』
「……からかわないでよ!」
訂正。
やっぱり今まで通りでいこう。
『ハイハイ! 着たよ!』
「それで、どうだった?」
花子さんの返事を聞いてから振り向き、今度はちゃんと制服を着ているのを確認してから答える。
微妙に制服のボタンが外れているが、そこはスルーしておこう。スカートのチャックもちゃんと上まで上がっていないが、そこもスルーしておこう。またからかわれるのが関の山だ。
でもやっぱり自然と視線がそのルーズな個所に行ってしまう。仕方ないよね。男の子だもんね。
『えっと、県立江南高校だって』
俺の視線に気付いていないのか、それともワザと気付かないふりをしているのか分からないが、どちらにせよ目的の答えを花子さんが教えてくれた。
って待てよ。確か江南高校って……。
「……あそこか」
『ん? 知ってる高校?』
俺の反応を見て花子さんがけげんな表情を浮かべて聞いてくる。
「うん……あまりいい印象が無いけど」
『なんで?』
そこは出来ればあまり突っ込んで聞いて欲しくないんだけどな。何で空気を読んでくれないんだか。幽霊なんだから。ほとんど空気みたいなものだろ?
まぁ昔の事だから別に良いけどさ。
「前に告白した女の子がいるって話したよね?」
『うん。あ! もしかしてその女の子が通ってるのが』
「そういう事。まぁ今はゴールデンウィークだし、いないと思うけど」
『でももし会ったらどうするの?』
花子さんが不安そうな、少し寂しさを孕んだような表情で顔を覗き込んできた。
さすがにこんな表情をずっとさせておくのは申し訳ないな。
「どうもしないさ」
だからその不安を払拭させようとこう言う。
『えぇ~お互いに少し大人になったんだし、久しぶりの再会ってちょっとしたトキメキ! みたいなのがあるんじゃない?』
明るく振る舞っているが、曇った表情が晴れることはない。
まったく、バレバレなんだよ。
「ないよ。今は他に……」
『他に?』
「いや、何でもない。さ、行こう」
危ない危ない。
さすがに今、「他に大切にしたい存在がいるから」とは言えない。
もし言ったら、一生弄られるネタになる。
五月十三日(土)12:00
「ここか……」
場所は知っていたが江南高校に来たのは初めてだ。
『そうみたいだね』
通っている高校よりも少し大きめの校門をくぐると、すぐ左側に体育館、右側に校舎がある。気になったのは体育館の向こう側にも校舎があって、そちら側の校舎の方が壁が白く見えることだ。多分そちらが新校舎で右側に見えるのが旧校舎なのだろう。
そしてその二つの校舎を二階と三階に掛かる渡り廊下が橋渡しをしている。その渡り廊下の向こう側には校庭が広がり、おそらく野球部と思われる部員たちが部活をしているのが見えた。
「見覚えは?」
視線を花子さんに戻し、どこか記憶にないかどうかを尋ねてみる。
『……ないかなぁ』
「……そっか」
まぁ無駄なのは大体予想がついていた。生前の記憶が全くないのが今の花子さんだ。
だから言葉は悪いが最初からあまり期待はしていなかった。
『それで、どうするの?』
「取りあえず、職員室にでも行ってみるさ」
花子さんの依り代になっている本は、花子さんの両親から全国の学校に寄付されたと一条先生が言っていた。
そしてその本の持ち主である花子さんの通っていた学校までたどり着くことが出来たなら、情報を一番持っているのは職員室だ。
江南高校のパンフレットを見た時の記憶を辿ってみる。確かここの職員室は二階にあったはず。新校舎か旧校舎かは分からないけど、あの時の記憶通りならパンフレットに載っていたのは二階だ。
右側にみえる昇降口から中に入りそこでスリッパに履き替える。階段を上って一つしかない廊下を進む。陽光が差し込む廊下というのは何故か不思議な雰囲気がある。旧校舎という事もあるせいだろうが、どこかノスタルジックな感じがして妙に心が落ち着くのが実感出来る。
この感覚は……そうだ、初めて花子さんと会う日に似ている。時間も違えば明るさも違うが、この感覚は先月、花子さんと初めて会った日に似ている。
やっぱりここが花子さんが通っていた高校なんだろうな。
窓から差し込む光の柱を遮りながら廊下を進むとすぐに職員室が見えた。
俺の予想は間違っていなかったようだ。
通常職員室は、生徒を守るためすべての教室よりも出口側に設置されているものだ。もちろん良くない生徒が学校からバックレないようにするためでもあるが。
職員室のドアの前に立ち、ノックを三回すると中から「どうぞ」と返事が聞こえたので横に開くタイプのドアを開け中に入る。
「失礼します」
「はい。えっと……君は? 我が校の生徒ではないね?」
入口のすぐそばにいた教員に迎えられ疑問を投げられる。
教師というのは意外とその学校の生徒を記憶しているものだ。その記憶にない、それも同世代と思われる顔が職員室に入ってきたのだ。この疑問は当たり前だ。
「はい。隣町の月谷高校に在籍してる、西園寺隼人と言います」
訝しむ表情をしていた教師に名乗る。別にやましいことがあるわけではないのだ。
堂々と在籍している学校と名前を言えば良い。そのうえで要件を伝えれば良いわけだ。
「西園寺君だね。どうしたのかな?」
俺の自己紹介に表情を緩め、別の質問をしてくる。
ここまでは予定通りだ。しかしここからは全然先が読めない。
何かしら情報が入手できればいいんだけどな。
「はい。実はこの本の事でちょっと聞きたいことがありまして……」
そう言って鞄から例の本を取り出し、花子さんの名前が書いてあるラベルを見せる。
「この本は! そうか確か全国の学校に寄付されたんだったな……」
本についているラベルを見て、目の前の教員が驚愕の表情を浮かべたあと、妙に納得したように呟いた。
どうやら予想以上の情報が手に入りそうだ。
「それでこの本がどうしたのかな?」
「はい。それでこの本の持ち主について聞きたくて」
知りたいのはこの本自体ではなく持ち主である(だろう)花子さんの情報だ。
「西園寺君は、この本の持ち主の友達か何かなのかな?」
「……まぁそんなところです」
教員の言葉に視線を外してそう答える。
友達というより、現在進行形で絶賛憑りつかれてますが……なんてことはさすがに言えないよな。
もう少しで笑いで吹き出しそうになるところを何とか堪え、話の続きを促す。
「……辛い話をすることになるが」
「話はうちの先生から聞いてます。確かイジメを苦にして……」
「そこまで知っているならなぜ?」
教員の疑問は当然のことだ。
だがその疑問こそ今日、俺がここにいる理由だ。
「知りたいからです」
声のトーンを落とし、真剣な表情をしてそう言う。
「……何を?」
俺の答えに一瞬だけ言葉を詰まらせ、再び疑問を口にした。
ここが勝負だ。俺がどう言うかによってこれから先、得られる情報が変わる。
「僕が知っている限り、この本の持ち主は自殺なんかするような生徒じゃないんです。だから、何か別の理由があるような気がするんです」
「……私が知っているのは、西園寺君が知っているのと同じことだ。だから、それ以上を知ろうとするなら、彼女の両親に聞くしかない」
なるほど。
この教員がそういうならきっと他の教員も同じだろう。教頭や校長ならばもしかしたら別の情報を持っているかもしれないが、さすがに今日は土曜日だ。
これ以上の情報を手に入れるには、花子さんの両親を頼るという事になるわけか。
「教えてもらえますか?」
「家の場所は教えることは出来る。もちろん先方に了承を得てからになるが……しかし真実がどうであれ、君にはショックなんじゃないのかな?」
「……そうかも知れません。でも、それでも知りたいんです」
「そうか……ちょっと待っていたまえ」
そう言うとその先生はどこかに電話をかけ始めた。花子さんの両親に電話をしているんだろう。
話の端々に「どうしてもと言ってます」とか「詳しくは彼から……」なんて聞こえてくる。交渉が難航しているのだろうか。
二、三分の後、受話器を置いた先生がメモを書いてから近づいてきた。
「待たせたね」
「いえ、無理を言ってしまってすいません。それでどうでしたか?」
俺の問いかけに先生は持っていたメモを差し出し、続けて言った。
「彼女……美波明日葉君の家はこのメモの通りだ。先方はいつでも来ていいとおっしゃってくれているよ」
「ありがとうございます」
頭を下げてから踵を返し、もう一度職員室の出口手前でお辞儀をしてから外に出た。
思った以上の収穫があった。
「美波明日葉……」
『それが私の本当の名前……』
二人で花子さんの名前を呟く。
花子さんの謎にほんの少しだけ近づけた気がする。
美波明日葉か……。
「これからはどっちで呼んだら良い?」
『う~ん……どっちでも良いけど』
俺もぶっちゃけどっちでもいい。呼び方が変わったところで、花子さんは花子さんだ。
「じゃ今まで通り花子さんで」
『私的には“明日葉お姉ちゃん”ってのが一番うれしいんだけど……』
どっちでもいい、って言ったのはあれは嘘か? 呼んで欲しい言い方あるんじゃねぇか!
「却下! それで、花子さんの家のことだけど」
花子さんの家に行けば更に真実に近づける。ここは行かないという手はない。
そう思って花子さんに視線を向ける。
『うん……ね、隼人』
「ん? どうしたの?」
それなのに何故か花子さんは浮かない表情をしている。
何かまずいことでもあるのか?
『今日はその……やめにしとかない?』
花子さんの目が何かに怯えて何かを訴えている。
そうか。本当にイジメを苦に自殺したんだとしたら……。
「……構わないよ。真実を知るには覚悟がいるからね」
『ゴメンね。せっかく連れて来てもらったのに』
「気にしないよ」
今日は花子さんの本名が分かった。それだけでも進展したと言える。これから先は花子さんが自分に向き合えるかどうかが鍵になってくるはずだ。それなら無理をせず別の機会を待つべきだ。
日もだいぶ傾いてきた。今日はもう帰るとするか。
住宅街を駅に向かって歩く。もう五月だというのに、まだ日が傾くのは意外と早い。
『あのさ、隼人』
「ん?」
不意に花子さんが俺を呼び止めた。振り返ると俯いた花子さんが立っていた。
陽光に照らされた横顔はどこか絵画のようで、引き込まれるような魅力を持っていた。
『お願いがあるんだけど……良いかな?』
俯いたまま花子さんが呟く。何か言い難いことなのだろうか? いずれにしても俺のここで出せる答えは一つしかない。
「俺に聞けることならね」
なるべく花子さんの願いはなるべく聞いてあげたいし、叶えてあげたい。
そう思えるのはもしかしたら、今のこの目に映る情景がそう思わせているのかもしれない。
いや、もしかしたら別の……。
『一度だけ、名前で呼んでもらっても良いかな? 呼び捨てで良いから』
絞り出すように出た声は、花子さんを“花子さん”ではなく、“明日葉”と呼ぶように言っていた。
花子さんの様子を見ると何かしら理由があるのかもしれない。
いや、きっと違うかな。
「どして?」
『……良いから!』
多分花子さんは俺に下の名前で呼んでほしいだけだ。
間違いない。
勢いよく顔を上げて俺を見てきた表情がそう言っている。
「はぁ……それじゃ」
『うんうん』
花子さんが期待の眼差しを向けている。
そして多分今の俺の表情は、相当に意地の悪い顔をしているだろう。
「……やだよ! 帰るぞ!」
『えぇ~! 今の雰囲気って絶対に呼んでくれる感じだったじゃん!』
期待されていることを盛大に裏切る。
良いことでも悪いことでも。それが一番気持ちいい。
「呼び慣れてないから、いつかってことで」
とはいえ、本名を知ってしまった以上いつまでも“花子さん”と呼ぶのは不自然かもしれない。
だからいつか、その時が来るまでは今まで通りでいこう。
『や~だ~! 今言ってくれないと帰らないもん!』
「……駄々こねてないで帰るぞ!」
『ふーんだ』
「可愛い顔が台無しになるぞ」
『そんなこと言っても、呼んでくれない限り帰らないもん!』
あぁ、やっぱり女の子ってのは面倒だな。
「帰るぞ、 明日葉」
『……うん!』
現金な奴だ。




