第十三話
四月十一日(火)7:30
『隼人! 起きてる? お姉ちゃんだぞ! そろそろ起きないと遅刻しちゃうぞ!』
花子さんを図書室から助け出した翌朝、いつもと同じようにWIREの着信で目覚める。相手は既に分かっている。
というよりも俺にWIREを送ってくる異性は、現在一人しかいない。
「はいはい、起きてますよ」
誰に言うとでもなく、隼人が気怠い返事をする。その独り言を目覚ましがわりに、隼人の頭が夢から現実へと覚醒する。
最近では既に日課になりつつある、花子へと返信するためにスマホに指を走らせる。
『おはよ花子さん。今日は水曜日で授業が早く終わると思う。だから早めに会いに行くね』
『うん! 待ってるよ!』
返信を挨拶文だけでなく、今日の予定をWIREに乗せて返事をする。その顔がいつもより暗くなっているのを、彼自身が気付くことはなかった。
四月十一日(火)14:30
予定通り早めの授業を終え、教科書類を乱雑に鞄に詰め込んだ俺はが向かうのは、昨日花子さんを助けた場所だ。
「花子さ~ん、遊びましょ!」
いつも通り乾いた音を三回響かせた後、約束している人の名前を呼ぶ。
『あ、は~い! いらっしゃい隼人! 待ってたよ!』
「待っててくれたんだ? えっと、その後どう? 体調とか悪くなってない?」
待っててくれたのは正直嬉しい。でもやっぱり昨晩の事が気になる。それに今日ここに来たのは、昨晩寝る時に考えたことを解消するためだ。
『うん! まぁ私幽霊だから、体調が悪くなることないんだけどね』
「そう言えばそうだね」
まぁ確かにそうだよな。体調が悪くなる幽霊ってシュール過ぎる。いや今の問題はそこじゃない。昨日の夜、頭に引っ掛かった事を話さないと。
「そういえば花子さん」
『ん? なーに?』
いつもよりやや暗いトーンで花子に話しかける。その僅かな違いに気づく者は、彼を含めて誰もいないだろう。だから花子もいつもどおり、明るい表情で頬に指を当て、首を傾げて尋ねたのだろう。
「花子さんはつい最近幽霊になったんだよね?」
『そうだよ! この前も話したけど、幽霊になったのは多分二ヶ月くらい前かな』
「その時の記憶って、やっぱり無い?」
昨日考えたことを解決するためには、花子さんの記憶がやっぱり必要になる。少しでも思い出してくれれば良いんだけど。
『う~ん……なんか思い出そうとすると、その部分にだけ靄がかかってる感じかな』
「そっかぁ……」
『どうして?』
花子の返事を聞き、隼人が俯いて大きな溜息を吐く。その様子を見た花子が隼人に近づき、さっきとはぎゃくに首を傾げ、隼人に問いかける。
「いや、昨日言われたことをちょっと考えてみたんだ」
『昨日の事? あ! 私を連れ出して、ってやつ?』
「そうそれ!」
おいおい。昨日言ったあのセリフ、俺的には大分勇気が必要だったんだぞ。この様子だと、あまり深くは考えてないな。
『でも冗談だから気にしなくても良いよ!』
「いや、良くないだろ!」
『どうして?』
先ほどよりもやや強めの口調で隼人が否定の言葉を口にする。その瞳が真剣なのを見て、花子がやや困惑の表情を浮かべる。
冗談で済めばこんなに考えなかったんだけどな。でも花子さんは自分の置かれている状況が、あまり理解出来てない。やっぱりこれは話すべきだよな。
「はぁ……だって、俺は高校二年生だよ。今はまだいいけど、夏ぐらいからは本格的に受験生になる。そしたら会えない日だってあるでしょ」
短い溜息の後、二人が置かれている状況を隼人がゆっくりと、子供に話しかけるように語り出す。
『……まぁそうだけど。でもその時は電話で……』
「いや、花子さん分かってないよ! 今年はそれで良いかも知れないけど、来年はどうするの?」
『……』
隼人の言葉に花子が黙り込む。
花子さんが言ったことは、当然俺も昨日考えた。俺が二年生のうちはまだマシだ。勉強の合間にでも、放課後でも、その気になれば昨日みたいに会いに来ることは出来る。
でもそれは当然ずっと出来ることじゃない。
「それに俺だってずっとここの生徒じゃない。卒業したらここに来なくなるかもしれない」
『……』
三年生に進級しても、何とか時間を作ることは出来ると思う。だから考えなくちゃいけないのはその先、卒業した後の事だ。
「大学に進学したら、ここに来る理由がなくなる」
『……』
「それに通う大学の校舎が他県になったら来れなくなる」
『……』
「そうなった時、花子さんはずっと存在できるの?」
今のところ俺の志望する大学には校舎は一つしかない。でも第二志望の大学は校舎が複数ある。学部によっては他県に行かなくちゃ行けない。場合によっては一人暮らしを考えることになるだろう。
母子家庭の実家には、仕送りをしてもらえるほどの経済的余裕は無い。当然バイトと授業で忙しくなって、会いに来ることはまず出来なくなるだろう。
隼人がそこまで言い終えた時、いつも能天気に笑っている花子も、さすがに状況を理解したらしく、黙り込んでしまった。
隼人の声の残響が消え、周囲に静寂が満ちる。
『あはは……隼人、だいぶ痛いところ突いてくるね』
「笑い事じゃないよ!」
耐えきれなくなった花子が、苦笑いと共に隼人に話しかける。しかし隼人がそれに強めの言葉で言い返す。
再びトイレ内に隼人の声が響き、消える。
『……』
「ごめん。ちょっと感情的になりすぎた」
『ううん、良いの』
「でも、考えないとダメだと思う」
『そうだね……』
くそっ! 俺らしくもない。熱くなり過ぎた。でも、それでもやっぱり放ってはおけない。
「ここはあまり人が通ることも無いから、俺の時みたいなのは難しいと思う」
『そうかな?』
俺の時っていうのは、出会い系サイトとWIREを使った方法だ。俺と同じように異性に対し、免疫がない奴は少ないだろう。それに、
「仮に出来たとしても、会いに来る奴はいないと思うよ」
『どうして?』
「俺でも最初はイタズラだと思ったからね」
あの時、俺がWIREで返事をしたのは、ただの気まぐれと言えば気まぐれだ。いや、多少の下心はあったかもしれないが、それも気まぐれの内だ。
『……でも隼人は来てくれたじゃない! あれはなんで?』
痛いところを突いてくるな。
「……言いたくない」
『あれ? もしかして聞いちゃいけないこと聞いた?』
「いや、そう言うわけじゃないけど……」
『けど……何?』
「う~ん……あのね」
どうする? 話したほうが良いのか? でもこの事がきっかけで、花子さんとの関係に罅が入ったりしないか?
『うんうん』
「……いや、やっぱり良い」
迷うことなら話さない方が良いに決まってる。俺が長年のぼっち人生で出した答えだ。でもこういう場合、あと一押しされたら話してしまうのがセオリーだ。だから突っ込まないでくれ。
という俺のささやかな願いは、
『……そこまで言って言わないのは、卑怯だとお姉ちゃん思います!』
目の前にいる幽霊の斜め下を行く発言と、腰に手を当てて頬を膨らませるあざといポーズによって、見事に砕け散るのである。
ったく、誰がお姉ちゃんだ! 自分で言ってるだけで、俺は姉ちゃんとは認めてないんだけど。
「……はぁ。笑わない?」
『笑ったことある?』
「あるじゃないか! いやまぁ、一度話してることだから別に良いんだけどさ」
思い返してみれば、一度は話したことあるんだよな。
『えっと……無理に言わなくても良いよ』
「いや、せっかくだから聞いてもらうよ。えっとね、俺って友達がいないんだ」
とは言え、確かにここまで話しておいて明確にしないのは卑怯かもしれない。俺が同じ立場なら、気になって問い詰めるだろう。
少し長くなるけど初めから話すことにした。
『え? どうして? クラスが変わったばかりだから?』
「いや、そう言うわけじゃなく、ずっといないんだ」
頭を左右に振り、花子の疑問を隼人が否定する。
『ずっと……って?』
「小学生の頃からさ」
そして隼人の口からは出た言葉は、先ほどよりも暗いトーンで溜め息とともに紡がれた。
『それは……聞かない方が良い?』
「いや、さっき笑わないって言ってくれたから話すよ」
もう今更何を話しても変わらないし、そんなことで花子さんの、俺に対する態度が変わるとも思いたくない。
『何かトラウマみたいなのがあるの?』
花子が口元に指を当て、首を傾げて顔を覗き込むようにして問いかける。
「あのね……えっと、どこから話せばいいかな」
『最初から話せばいいよ! お姉ちゃんに言ってごらんなさい!』
花子が自分の胸を叩く仕草をして、一番最初から隼人に話せと、そう促す。
いや、だからお姉ちゃんって……、違うからね。
「最初の始まりは、小学校に入学して初日。朝のホームルームの時だったんだ」
『小学生? って今から十年以上前の話から? さすがに戻りすぎじゃない?』
「まぁそうなんだけど、でもそこからなんだ」
そう言われれば、花子さんにいわれるまで気付かなかった。もうあの事件が起きてから、十年以上経つんだな。
『それで?』
「その朝のホームルームの時、実は……もらしちゃってさ」
『何を?』
花子が再び首を傾げて尋ねる。
「トイレの、大きい方」
『あぁ……それで?』
考えてみれば不思議なものだ。トイレに行くのって、当たり前の生理現象のはずなのに、小学校でトイレの大きい方をするのは、大罪人の扱いになる。
「そこからイジメが始まったんだ。それを想像するのって、多分難しくないでしょ?」
『まぁねぇ……でも初日だったらすぐに忘れるんじゃない?』
「それがさ……多分そのことはみんな忘れてるんだよ。でもイジメって言うのは一度始まると、治まらないものでさ……」
小学生の頃のイジメっていうのは、何故かずっと続くんだよな。高校生ぐらいになったら落ち着いたりもするんだけど、それでも少なくとも中学ぐらいまでは継続する。
でもこの頃になると、もうイジメられる体質と言うか、そういうのが子供の社会じゃ出来上がってる。それを払拭しようとする奴を“高校デビュー”と言うらしいが、俺はそういう奴らみたいにはなれなかった。
『隼人も苦労したんだねぇ……』
そんな隼人の様子を見て、感慨深く花子が呟く。
「そんなこんなで、俺の小学校生活は基本的にイジメられて終わるわけだ」
その“高校デビュー”が出来なかった結果、俺みたいな奴が出来上がった、というわけだ。
『そっかぁ……助けてくれる友達はいなかったの?』
「ん~~……まぁいたけど」
腕を組み、当時の事を思い出しながら頷き、花子の言った“助けてくれた”人を思い出した。
そう言えばあいつ、今何してるのかな?
『いた(・・)? 何で過去形なの?』
「中学から別の学校に行ったんだ。そいつは家柄も頭も良かったからな、公立じゃなくて私立の学校に行った」
花子は当然当時の隼人の事を知らない。だからだろう。自分には出来ない人生を歩むそいつ(・・・)を、隼人がこう表現したのは。
『へぇ……でも隼人も頭は良いんでしょ?』
「まぁそいつよりも成績は良かったよ」
『じゃあなんで私立に行かなかったの?』
しかしどうやら隼人の意図は花子には伝わらなかったようである。隼人は軽く息を吐き、再び口を開いた。
「……家の経済力が……な」
『あ! ゴメン』
ヤベ! ちょっと棘がある言い方しちまった。
「気にしなくて良いよ。母子家庭って言うのは前に話したと思うけど、その関係でね」
『そっかぁ……』
花子が今度は落ち込んだ様子で俯き、隼人の言葉に相槌を打つ。
花子としても、別に悪気があったわけではないのだし、花子にも隼人にもどうすることもできないのだから、花子が落ち込む必要は何もないのだが。
「ま、それで中学校に上がってからなんだけど……」
『うんうん。中学では何でイジメられたの?』
そんな空気を察してか、隼人が明るく話の続きを話し始めた。
「良く言えば成績が良すぎた、悪く言えば身の程を知らなかった……ってところかな」
自分の行いを恥じているのだろうか、隼人が自虐的な言葉を発する。
『どういうこと?』
そんな隼人の言葉に、花子が首を傾げて尋ねる。
「中学の最初の中間テストで一位を取ったんだ」
『え! スゴイ! 隼人って頭良いんだね?』
「前に話したことなかったっけ? 成績は常にトップテンには入っているって」
花子が大げさに隼人の成績に驚いた仕草をみせると、隼人は今更のことのように腕を組み、手を顎に当てて確認する。
『あ、そう言えば聞いた気がする! それで?』
その隼人の仕草を見て、思い出すように手を叩き、話の続きを促す。
「……調子に乗った」
『え?』
隼人の不可解な言葉に、花子が首を傾げて間抜けな声を上げる。
その様子を見て、隼人が自虐的な笑みを浮かべて言葉を続ける。
「俺は頭が良いと調子に乗り、周囲を見下し始めたんだ」
『へ、へぇ~』
「引くよね? 分かってる。俺もそんなことされたら引くわ」
今考えてみれば、いや、そうでなくても、思い出してみれば印象の悪い奴だったよな。だから目の前の花子さんだって……。
せっかく仲良くなれたんだけど、これで花子さんとの関係も、終わりかな?
『でもそれが原因っておかしくない?』
「ちっともおかしくないよ」
『なんで?』
「人って言うのは群れで行動する生き物だからな。同じくらいの能力を持ってるやつには仲間意識が芽生え、度を越えた無能・有能な奴は仲間外れにされる。そうして出来上がったのが、俺だ」
『う~ん……まぁ確かに。そうすると頭が良すぎるのも問題なのかなぁ?』
「花子さんは……どうだったの? 頭良かったの?」
『覚えてないけど、文系は得意だったんじゃないかな?』
「そっか。そう言えば読書が趣味かもって話してたっけ! あぁ、それで依代が『本』なのかな?」
なんだかこれで一つの謎が解けた気がする。本が依代なのは文系が得意、又は本が好きだからかもしれないな。
『もしかしたらね』
「そんなこんなで中学を過ごし、今度は誰も俺の事を知らないだろう学校を受験し、今に至る……って感じだ」
『ふ~ん……でもそれだけじゃないよね?』
「ん? 何で?」
『だって、隼人は今二年生でしょ? 去年はどうしたの? 友達いなかったの?』
花子さんって、意外と鋭かったんだな。これは少し考えを改めないとだめかもしれない。
「……ミスったんだ」
『え? 何を?』
「最初に友達になる奴を」