穏やかな移譲
ティルディア神聖帝国は滅んだ。
だがそれに伴う戦争もなにもなかった。
クーデターはあった。ヘレンモールの神都侵攻はあった。だがどれも民には殆ど無関係で兵士の戦死者も多くない。
民から見ればある日突然、400年末近く続いた帝国が無くなったと聞かされたに等しい。
だが、その体制は「今までと殆ど変わらない」とされ混乱はほぼ起こらなかった。
皇帝は皇帝のまま。政治はエウロバが見る。
変わるのは公国制度。だがこれも一気に変えれば混乱が大きいので、10年かけた緩やかな変更になった。
そんな帝国だが、帝国のある大陸には他にも国がある。
聖女信仰の国。
こちらはタチアナ率いるオーディルビス王国と、アディグル王国が周辺に侵攻する構えをしていたが、実際は攻め込むことはなかった。
「エウロバさんのちょっかいが、ここまできくとはー」
溜め息をつく聖女ミルティア。
本来は帝国の混乱期にオーディルビス王国の勢力圏を広げようとしていたのだ。
ところがアラニアの諜報が支配下においているタチアナの姪であるアルバラがタチアナを襲撃。
それによりタチアナは瀕死になり戦争どころでは無くなったのだ。
オーディルビス王国にとって女王タチアナの影響力は凄まじく、彼女が動けば国は一丸となって動くが、彼女が動けなくなると国も止まってしまう。
アルバラは今は母親であるアラニアの諜報、リミの元にいて甘えていた。
そこまでミルティアは抑えていたし、タチアナに何度も警告していてもタチアナはアルバラを殺さない。
表向きエウロバはアルバラと無関係と言い張っているので、例え殺しても問題にはならない。
一度ミルティアはタチアナに黙ってアルバラを病にかけて弱らせたことがあったが、タチアナがすぐにそれに気付き激昂。
掴み合いの大喧嘩になったのだ。
それ以来ミルティアはアルバラに手を出せない。
その間にアルバラはタチアナを襲撃して半殺しにした。
それ程の殺意を抱く理由。
「ははさまー♡ あの女を滅多刺しにしましたー♡」
「うんうん。アルバラは良い子だねー」
アルバラは幼い頃から母親と一緒に暮らしていた。
母はアルバラを甘やかし、そして毎日呪いのように
「お前の父を殺したのは、父の妹のタチアナだ」
「タチアナは王の座を欲して、兄を騙して殺した」
「本当は私は王妃だったし、お前は王女だった。それが娼婦などをして放浪しているのはタチアナのせいだ」
そう言い聞かせた。
実際はアルバラの母は娼婦などしていない。
あくまでもアラニアの諜報。
またタチアナは兄との仲が良く最後まで兄を守ろうとしていた。
全て嘘なわけだが、アルバラはまさか母がそんなデタラメを言っているとは夢にも思っておらず
「タチアナが嘘をついている」と思い、父の仇で母を娼婦におとしたタチアナを徹底的に殺そうとしていた。
そんなアルバラはまたタチアナに襲いかかろうとしている。
タチアナは前回の襲撃で重傷を負い、聖女が癒やしはしたが万全の体調ではない。
またその癒やしの負担は大きく、ミルティアの能力も枯渇していた。
ようやく能力が戻りつつあるのに、またちょっかいをだされると困る。
その結果タチアナは思うように動くことが出来ない。
その結果、聖女の勢力圏は殆ど広がっていない。
絶好の機会に動けないもどかしさはあるが
「……まあ、エウロバさんがトップの段階である程度の妥協はしますが」
エウロバとの関係も中々難しい。
親友ではあるが、部下ではない。
二人の思惑は微妙にすれ違う。
「まあ、後はエウロバさんのお手並み拝見ですかね」
皇帝は龍姫と共に神都に戻ってきた。
そして、遷都の発表がされ帝国の首都はアラニア公国の首都アセリルに移ることになった。
しかし皇帝は引き続き神都にいる。
政治関係の機関は全てアセリルで行われるので、完全に政治とは切り離される。
神都は元々歴代皇帝が祈る為の施設が充実していた。
そこで祈り続けるのが役目。
アラニアに反発している国々は皇帝がエウロバと離れているのはむしろ都合がいいと思っていた。
皇帝を改めて担ぎ上げる時に有利に動ける。だから現時点では大きく騒がなかった。
そう言った思惑から、新たに始まった帝国治世は比較的穏やかに進むことになった。
「まあ表現は選ぶが、皇帝の気がおかしくなったのか、祈りのあまり狂ったのか。新しい宗教をぶちあげて、皇帝に表舞台に帰ってきて欲しくないエウロバはそれを認め帝国の国教にする。まあそういう筋書きなのだが」
皇帝は憂鬱そうに言う。
そんな茶番が上手くいくかどうか。
これは実際にやってみないと分からない。
エウロバの帝国簒奪は10年かかった。
統一を目指してからならば15年。
崩壊寸前の帝国でも、乗っ取るのにはそれぐらいの準備期間が必要だったのだ。
神教もそうであろう。
ましてやこちらは準備期間が短すぎる。
それでもやるしかない。
既に皇帝は新しい教義を書き始めていた。
そしてその内容は、神教トップの神皇にも見せ確認していた。
「内容に問題はないかと」
神皇は物静かな男。
余計な事は喋らない。
「そうですか。とは言えすぐにやる訳ではありません。数年はかかるでしょう」
「分かりました。こちらも心構えをしておきます」
そう言って立ち上がる神皇。
部屋から出て行こうとする神皇を見ながら皇帝は
「共に祈りませんか?」問いかける。
それに神皇は苦笑いをし
「それが得意ではありませんので」
その答えに皇帝も苦笑いをした。




