消えゆく人格
タチアナへの襲撃はアラニアの諜報がやらせていた。
表面上は聖女ミルティアと、アラニア公国のエウロバは仲が良く、ミルティアの意図通りに動くオーディルビス王国のタチアナはエウロバの味方。
だが、エウロバから見ればオーディルビスは帝国に害を為す敵。
「いくら我々はもう関知していないとはいえ、この時期にアルバラがタチアナを襲うとは。ミルティアからも叱責されるだろうし、色々困るな」
エウロバは、目の前で跪いている部下のジェイロウを叱っていた。
「はい。誠に申し訳ない限りです」
淡々と話をしている二人だが
『じーーーーーーーっっっ』
上から声が響く。
「ミルティア、見てたのか。ちょうど部下を叱責していたところだ」
「誠に申し訳ありせんでした」
二人の謝罪だが
『なんですか、その棒読みな叱責と謝罪は。完全にわざとやらしたでしょ』
「そんな訳ないだろう? タチアナは味方だ。今回の件でこの神都まで攻められているんだぞ? わざとやる訳がない」
「ええ。この度の不手際、詫びようもありません」
二人の演技にミルティアは溜め息をつく。
(……どさくさに紛れて、グラドニアを取り返す気か)
ミルティアとタチアナで意思の統一が出来ていなかったように、ミルティアとタチアナも微妙なところで意思はすれ違っている。
『私の力は使い尽くしています。援護は出来ませんよ』
ミルティアの言葉に
「無論だ。この責任はしっかり取る」
「はい。必ずや我々だけで守りきります」
二人の言葉にミルティアは
『相手を間違えないように。それだけです』
ミルティアの気配が消える。
「まあ、そういうことだ。我々だけで守りきるぞ」
「かしこまりました。既に策は終わっております」
ジェイロウの言葉にエウロバはニヤリと笑い。
「では、宿敵との10年に渡る戦いを終わりにしようか」
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【リグルド視点】
それに気づいたのは匂いだった。
目覚めるとエウロバの匂いがした。
「……っ!!!」
監禁されている部屋の机にもたれ掛かるように眠っていた。
それは良いが、服からする濃厚なエウロバの香水の匂い。抱き付いたとしか思えない。
だがそんな記憶はない。
「……やはりか。記憶を失っている。否、元の人格が表に出ているんだ」
違和感はあった。
家臣達の探るような表情。
クーデターが起こるなどの激動な出来事が多かったから、そっちが原因だとは思っていたが
「……用済みということか。もう実際私のやることは殆どない……」
既に神教の消滅は決まった。
そして同じ神を崇める宗教の立ち上げで納得もされた。
そうなれば
「…………」
胸の奥底から湧いてくる焦燥感。
消える。
今度こそ、死ぬ。
「……今更で未練がましいな。だが、それこそが私だ」
思えば未練だけで生きてきた気がする。
神教を必死に守り抜いたのも
「自分が生きた意味を残したい」から戦い抜いたが近い。
このままでは神教は消え去る。
その神教で懸命に出世した自分はこのままでは歴史から消え失せる。
自分が人生をかけて戦った意味が無くなってしまう。
「……だが、リグルドの意識はまだある……」
急速に自分が失われていく感覚。
覚悟はしていた。
それが急に来た。
「……ふふふ、逆境になると嬉しくなるな。あの頃からなにも変わらない」
拳を握る。
聖女との闘争。
辛い戦いだった。犠牲者は多く出た。
それでも守りきったあの充足感。
「まずは説明からだな」
私と同じく監禁されている、重臣達を集める。
最近の挙動不審はワザとエウロバを誘い出すため。これからもそういう仕草をするが、それは油断させるための演技。
どこにスパイがいるか分からない以上、その説明は受け入れられるはず。
そしてここから抜け出し龍姫と合流する。
「ミルティアも、エウロバも、タチアナも。まだ20数年の人格だ。出し抜いてみせる」
消えゆくであろう人格。
これからの未来。
私は部屋から出て、重臣達に会いに行くことにした。
エウロバの手の者は常に張り付いているわけではない。
後宮にいる龍族のカリスナダとクミルティアを呼び出し
「エウロバに知られたくない相談がある。誰も近付けないように」
そして重臣達一人一人に会いにいき話をする。
突然の変貌のこと。
これからのこと。
「陛下!!! そのお言葉をお待ちしておりました!!! この身老いてはおりますが! 必ずや事を為します!!!」
と感激してくれる者もいるが、反応がイマイチな者もいる。
「……既に軍権も渡しております。ここからと言っても……」
そんな乗り気ではない臣下とはすぐに話を切り上げる。
「軍などどうにでもなる。ここにいる龍族二人で、城の中の兵士など制圧可能だ」
なにを切り捨て、なにを守るか。
恐らく時間はそんなに残されていない。
もう今更決まった事をひっくり返すつもりはないし、そんな事をすればすぐにリグルドの意識は殺される。
「対立するのはエウロバだな」
龍姫も聖女ミルティアも、私の意識が残ることに反対する理由がない。
唯一、この身体をエリスと呼んで可愛がっているエウロバだけは抵抗するだろう。
服についた濃厚な香水の匂い。
よっぽど甘えたとしか思えない。
そしてエウロバもそれを許しているぐらいには可愛がっている。
龍姫と手を組む。
エウロバの願いの公国廃止、帝国統一も成し遂げる。
新宗教に伴う混乱の最中、聖女信仰に信者を多少奪われるのも良しとする。
その中で、残すものは残す。
「クミルティア、カリスナダ。今から言う重臣を殺しておいてください。私はこれから後宮を出て龍姫と合流する」
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聖女ミルティアは、自分の城にある一室に足を運んでいた。
そこは寝たきりの老婆がいる部屋。
「おばあちゃん、起きていますか?」
その声に微笑む部屋の主。
「……ミルティア、大丈夫なのかい?……今は大事なときと聞いたが」
おばあちゃん。
ミルティアが呼びかけているのは、ジュブグランという、先代聖女から仕え続けている唯一の生き残り。
かつては暗殺部隊として龍族達とも戦い抜いた英雄だったが、老齢により今は立てなくなっていた。
それでも年齢から考えると脅威の寿命。
「お聞きしたい事があります。おばあちゃんは直接会ったことはないそうですが、リグルドについて」
リグルド。その言葉にジュブグランは目を瞑る。
「……私は実働部隊で、頭は良くない。だからリグルドの人柄やら、その考えなどは知らない。けれど、私と共に仕えたヒルハレイズの論評は今でも覚えている」
「聞かせてください。先代聖女の記憶を引っ張り出しても、人物像が滅茶苦茶なのです。今リグルドはとんでもない事をしようとしています。彼の思考を探りたい」
ジュブグランは目を瞑ったまま
「神教の中で一番信仰に篤い男だが、一番神の事を信じていない。
神教の中で一番信徒の事を思いやる男だが、一番信徒を使い潰す。
神教の中で一番教義に詳しい男だが、一番教義から背いている。」
ミルティアは困惑する。
その感想は、先代聖女の記憶を探ったそのままなのだ。
矛盾の塊。
人物像が定まらない。
「一言で言うならば『化け物』ヒルハレイズはこう言っていたな。表面をなぞらず、本質だけで話をするならば」
ジュブグランは目を見開き
「稀代の女たらしだと」
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「エウロバ様、皇帝は殺すべきです」
部下からの進言に困惑するエウロバ。
皇帝を殺せ。
せっかく殺さないように様々な手を打っている最中。
「エリスは皇帝を降りることに納得している。最近の体調不良で皇帝の執務を続けることはできないと」
「あれは演技です」
断言する部下。
「……それはない。私は確かめて……」
「このような事を臣下の身でお伝えするのは不遜ですが、それでも敢えてお伝えします。エウロバ様も騙されている。だから私がこうやって参じました」
自分も騙されている。
そういわれると続きを聞くしかない。
「……続けろ」
「まだ10の子供が必死に政治を見ていた。多少の言動の乱れなどあって当たり前です。その程度の事で執務を降りるなどあり得ません。民は全く納得はしないでしょう」
それはリグルドが取り憑いていたから。そう言おうとしたが、黙る。
「今までと比べて。それが出来るのはずっと城にいたものだけです。例え今回エウロバ様がこのまま帝国を乗っ取ったところで、五年経てば15になる今の皇帝を改めて立てる話に必ずなります」
「……私は別にそれで……」
目的は公国の廃止。帝国の統一。
エウロバが必至に戦った理由はこの歪な帝国を変えることなのだ。
「よくありません。皇帝が戻れば、また公国も戻せ。そうなりかねないのではありませんか」
部下の言葉に下を向くエウロバ。
「……だが、エリスを殺せ、など……」
「穏便な革命など不可能です。エウロバ様が皇帝を可愛がっているのは知っています。ですが、結局は血です。血が流れないと、人々は革命の覚悟が出来ない」
エウロバは部下を睨み付ける。
「……わたしに、その、判断を、しろというのか……?」
唇を思いっきり噛み、血を流すエウロバ。
だが、その部下ドクドレは堂々と
「その通りです。このたびの戦はエウロバ様の戦。決断はエウロバ様がするのです。私はその命を忠実に行いましょう」
エウロバは黙ったまま睨み付け
「……下がれ」
「は」
ドクドレは立ち上がる。
既に軍を引退した男。
既に老年と呼ばれる年だがそうは見えない姿勢の良さ。
その背中を見ながらエウロバは
「明日までに決断をする」




