理想の失われ方 その一つ ~ある弟子の独白~
聞いてください。聞いてください。
言わせてください。言わせてください。
あの人は、とてもひどい人なのです。何も、何もわかってらっしゃらない。私がどれだけ苦労をしてきたか。気が収まらない。冷たい怒りでどうにかなりそうです。
すみません。取り乱してしまって申し訳ありません。
あの人と私の道は違えたのです。どうか、あの人を追放してください。この国から。私はもう、怯えていたくはないのです。
いいえ、違うんです。私には何も、何もしていない。ひどいというのは、そういうことではないのです。何か危害を加えられたとか、そういうことでは。
事情をお話します。すべて。もちろん落ち着いて。どうか、お聞きになっていただけた後には、必ず。必ず。
あの人は、私の師です。
私は何も知らない、新興貴族の倅でした。貴族としての教養を身に着けさせるため、親が師に頼んで預けたのです。それから私は師に付いて生活しました。師と弟子の集団は祖国を離れ、戦場の閑散期を縫うように放浪の旅をしてまいりました。その間、多くのことを学びました。
息子同士が争い、その勢いのまま包囲された君主がいた国。強国に挟まれ翻弄される小国、覗きの報復として国を攻められ捕らわれた君主がいた国。部下の反乱を匂わせる歌を宴会で饗して、逆に先手を打たれて追放された君主がいた国。子の妻と密通して子に殺された君主がいた国。様々な国を、師と仲間たちと見て回ったのです。様々な教えを私たちに説きながら。楽しい旅でしたが、楽なものではありません。苦しい日々でした。
あの人は、かつて若い時分に祖国に仕えていました。下っ端ではないのです。高官です。さすがに最初からということはありませんでした。公ではないのですから。倉庫を管理する仕事、それから牧場も管理していたと言います。そうして順調に出世してきました。しかし、そんなときクーデターが起きたのです。あの人の何かがそこで外れたのかはわかりません。元々あの人は、後のクーデター派が主より驕り高ぶる様を嘆いていました。祭祀において、主君のものより彼ら自身の繁栄を願うもののほうが豪華で、舞楽の人数も多かった。そういった大小様々な行為を見て首を振っていたのです。かつて平和だった大国ではありえない序を乱すものだと、当時の様子を思い出して肩を落として語ったというのです。クーデターなど単なるきっかけにすぎなかったのでしょう。結局、あの人は祖国を出ることにしました。そうして放浪する旅に出たということなのです。
ええ、この話は関係あるのかと? はい、関係があるのです。私がお話するまでに至ったことには。
国に仕え、そして去って、放浪生活です。とても苦しく、日々の糧を得るのも大変です。それでもいいのです。私たち弟子の役目なんてそんなものですし。あの人の学問を受けとることができるのですから。ですが、世間の人の目も冷たかった。あの人はとても有能で、仕事ができて、徳を備えた立派な人です。様々な問いを聞く耳を持ったタイミングで告げてくれる。決して押し付けるわけではないのです。人を思いやることが自然で当たり前であるように。ですが、世間ではそうは見ない。生活費を工面する私たち弟子のほうを聖人、仁者だと持て囃す始末でした。私? 私が聖者などとはとんでもない。私はあの人には遠く及ばないことを自覚していましたから。ですが、日々の学問を怠ったりしてはいませんでした。一番弟子ではなかったですが、それでも誰よりも学んだものを自分の中に染み込ませてきたという自負がありました。私は一番弟子ではなかった。あの人を体現したような一番弟子には、決して敵いません。
ですが、あの人が語ることがとても素晴らしい理想であることを、私は少しも疑ってはいなかった。違うのです。違うのです。語る内容は、野にだけにあってもあまり役に立たないものなのです。それは官にあって、はじめて燦然と輝くものです。その輝きは遍く民草に降り注ぎ、かつての聖人が支配したような伝説の国ができあがる。あの人も、そして私でさえもそう思っているのです。あの人の学問に触れた人間すべてがそう思うものなのです。しかし、その官、つまり臣下のあり方がすでに失われて久しい。臣下はすでに主君を凌駕したのです。すでに主客が逆転して久しい。彼ら臣下の力は留まることを知らないのです。権力と禄の反比例が、国の腐敗を防ぐ手立てであったのに。
それを実現するための理想の学問であったのです。しかし、麒麟の拠る枕はすでに無くなってしまいました。ええ。そうです、あなたもご存じでしょう。こんな雨の降る寒々とした夜更けに、そうやって何も持たずに静かに佇んでおられるのですから。
そのことがあの人にもわかっていないはずないのです。そして、私が麒麟と重臣の狭間で揺れていることにも気づいてらっしゃったはずなのです。
私はあの人自身に高官についてもらいたかった。官を本来の道へと導くことができるのだから。
あるとき、内乱の余波からなかなか立ち直れなかった祖国からお呼びがかかったのです。早急に立て直すための人材を求めていたのです。
しかし、あの人にではありません。
彼らは小さな尊厳を気にして弟子である私を呼び寄せたのです。かの家の先代は、あの人を放逐したことを後悔していました。当たり前です。軍事、政治、祭祀、どれをとってもあの人以上の人はいないのです。隣国の栄華を極めた国の宰相の企みを見破って会談を成功させたりと、数えきれない実績も申し分ないほどにあるのです。
ですが、彼らの面子が邪魔をしたのです。あの人を捨てたのに、また拾うとは! 彼らは人を見る目が無いと天下に思われたくなかった。今更の話です。私は叫び声を上げたかった。細く甲高く鳴く鳥のようだと、乱暴者の兄弟子に馬鹿にされたこの声で。あの苦難の放浪の旅の原因自身が、何を言っているのだと。下げたくもない頭を下げ、売れるものは何でも売り、やれることは何でもやりました。弟弟子が騙され、文無しになった秋の絶望感は忘れられません。冬を越すための道具や食料、燃料が丸ごと無くなったと聞いたときの、鳩尾が絞られる感覚。慣れない肉体労働の翌日、厠にすら行けないこともありました。汚れた服を冷たい川の水で洗う屈辱と悲しみ。あいつらは何もわかってない。馬鹿にするな。馬鹿にするな。馬鹿にするな。殺してやる。根絶やしにしてやる。すべての屍を引きちぎってやろう。
すいません。取り乱しました。そうですね、落ち着いて話をしなければいけません。最初にそう申し上げたばかりなのに。失礼しました。
ですが、あの人はそんなことは構わなかった。あるのは民のため。麒麟が住まう理想の治世ため。自分のことは後回し。ゆえに、私を推薦したのです。私は最初は辞退いたしました。思うところがあった。それはもちろんそうです。それよりも私には自信がなかったのです。理想の治世を目指してあの人の学問を受けていたのに、それに反する者に仕えることが。
あの人は私を励ましてくださった。君は政治や軍事を司ることなど朝飯前だ。頭がいいからだ。でも頭で考えるところにしか限界がないんだ。その限界を自ら引いてしまうから、自信がなくなるんだよ。大丈夫。
そうです。あの人が勧めるまま、出奔したきっかけとなったクーデター派の一番重要な役割を持った、かの家に仕えることにしました。
私は考えました。この国は形が歪んでしまった。主君は蔑ろにされている。ならば元に戻せばいい。かの家で影響力を持ち、変えてしまえばいい。自分に考えられることは多くはない。けれどもあの人なら国をどうにかしてくれる。私の目標は決まりました。
私は、あの人と弟子たちと離れました。そして、かの家で働くようになりました。あの人の教えてくれたことは様々なことで役に立ちました。見る見るうちに頭角を現しました。有力者の実家への土産を持って行ったとき、あの人に多すぎると叱られたけれども。必要なことだったんです。国が富めば民も富むのですから。多少の融通は必要だったのです。譬え金持ちの家であろうとも、それに見合った付け届けは必要なものなのです。
しばらくして、一番の転機がありました。ええ。転機、好機といっていい。あの人を再び官に推薦する機会に恵まれたのです。
隣国からの侵攻でした。
私はかの家の私兵を預かる身分になっていました。放浪の身分から、軍を指揮するくらいの信用を得ていたのです。なので、そのまま、隣国からの侵攻を防ぐ命令を受けることができたのです。
有力な家は三つありました。三つは拮抗していました。この防衛戦の成否と活躍の如何で発言力が左右されることは、自明の理でした。いいえ、いいえ。左右なんてちっぽけなものではありません。成功したら飛躍的に力が増すことでしょう。私の意見が通り、あの人のを呼び寄せ、そして聖人の政治をすることだって可能でしょう。麒麟はすぐそこに来ていると、私は心躍りました。
私はこの戦に自信をもっていました。私があの人から受けたものは頭の中にすべて入っていたからです。そうです。絶対と言ってもいい自信です。失敗など微塵も考えられませんでした。もちろん三家が協力するはずもありません。そうした中で、防衛戦を立案して三家に納得させて戦線を構築しました。素直に意見を聞き入れる連中ではありません。手回し、裏工作、取引、賄賂、すべての手を打ちました。自らの限界を決めてはいけない、そう、あの人の声を思い出しながら。
戦は苛烈なものでした。相手も三つに分かれてそれぞれの軍を攻めてきたのです。連携することなどないとわかっていたのです。案の定、こちら側の他の二つの家の軍は押され、壊滅寸前にまで追い込まれていきました。
もちろん、私の指揮する兵団はそうはならなかった。敵を翻弄し壊滅に追い込んだのです。その知らせを受けた残りの敵軍も逃げ出しました。私は矛を槍に持ち替えさせ、追撃をかけました。討ちに討ちました。屍の山を飛び越えるように進んで行ったのです。
我々は多くの戦利品を得て凱旋しました。壊滅寸前だった他の二家の軍とは戦果は雲泥の差。
居並び喜ぶ高官たちの前で、私は勝てた理由を聞かれました。
そうです。この時を、私は待っていたのです。心が跳ね踊り、顔が紅潮しそうになるのを必死で抑えました。
動揺と歓喜を悟られぬよう顔を伏せがちにしたまま、私は説明しました。いかに敵が強かったか。どうやって逆転したか。攻勢を防ぐだけではなく、その後の追撃をどうしたかまで。この声で。細く甲高く鳴く鳥のようだと、乱暴者の兄弟子に馬鹿にされた声は、枯れ葉の砕けた音のようになっていました。下げたくもない頭を下げ、やれるものはなんでもやり、魂さえも売りました。周りには味方が一切いない絶望と孤独をどうにか飲み込んだ最初の冬は忘れられません。無理難題をふっかけられたときの耳が熱くなる感覚も。慣れない軍での生活で腹のものがすべて口から出て行ったりもしました。激しい戦闘の疲れで、軍袍にこびりつき凍った砂と血を洗うこともままなりません。戦に出もしないで高いところから偉そうに見下ろす高官たちを視界に入れたとき、しばらく動けませんでした。馬鹿にするな。馬鹿にするな。馬鹿にするな。でも、私は落ち着き払っていました。少なくとも見た目だけは。
彼らは私に褒美は何がいいかと聞いてきました。
そうです。私はこの時を待っていたのです。
ゆっくりと言いました。
今までのことは、すべてあの人が教えてくれたのです。あの人以上に優れた人はいません。是非、もう一度、あの人を高官に迎えて頂けますように、と。上機嫌のかの家のものたちは、嬉しそうに手を叩いて頷いていました。そんなことでいいのかと嬉しそうに。褒美が金銀土地財宝ではなかったことに喜んでいたのです。
どう思われようがどうでもいい。あの人が再び表舞台に立つことが出来るならば。
そうしてあの人は祖国に返り咲いたのです。その時の気持ちは天に昇るようでした。一番弟子ではなかったけれども、あの人の道に一番貢献したのは私です。私がいたからこそ。わかりますか。私はすべてを理想の道のために捧げたのです。何だってやったのです。かの家を盛り立てるために私は身を粉にして働きました。国を強くし豊かにするべく。
あるとき、あの人と場内で待ち合わせをしました。私はもはやそこそこの身です。多忙なので時間の約束をしなければ自分の行動さえもままならないのです。しかし政務はなかなか思う通りに行くものではありません。先の戦争にも金がかかっていました。税を上げなければならない。有力者たちのご機嫌を損ねれば他の二家に寝返られて困ることもあります。税の免除の交渉など、私がやる仕事は様々あるのです。
そのために約束の時間に遅れてしまったのです。言い訳をしようとする私を押しとどめ、あの人は私に言ったのです。私事であろう、と。咎めるようで、指摘するようで、静かに事実を言うように。国のことならば私にも相談があったはずだ。役が付いていないとは言え、主君に仕えている者だから。
私事、つまり、かの家の仕事。かの家の仕事が、国のための公事ではないと。ええ。いえ。違うのです。私は、国のために必死で働いてきたのです。あの人が、政治を司る長に、首席の宰相になれるように。
私の動揺を見透かしたように、あの人はその場を去ろうとするのを私は必死で追いすがりました。やめておけばよかった。冷静になればよかった。見た目だけでなく、内心さえも動揺を見せないように生きてこなければよかった。思い出したくない。やめてください。違うんです。
失礼、また。動揺を抑えらなければなりませんね。
私は追いすがりました。官服の袖を振り乱しながら。そして、追いついたとき、とっさに、国のための相談をしようとしたのです。内容? そう、内容。
祖国では小国を保護して配下にしていたのです。小国と言えどほぼ家臣のような立場の国です。小国のままにしていたのはその役目の重要さから。代々重要な祭祀を取り仕切っていたからです。その小国を、かの家は攻め取ったのです。小国は滅びました。祭祀は続いていますが、かの家で取り仕切るようになりました。そのことを私はあの人に相談申し上げたのです。するとあの人は、あの人は私を、さみしそうな目で見たのです。私はその目を見ていられなく、足元に目を落としました。静かに、あの人は、攻め滅ぼしたのは間違いだと言いました。
ですが、かの家の高官たちの方針だったのです。小国は守りが堅い土地でした。もし何か火種があったら後々厄介になる。それが、かの家の言い分でした。私もやりたくはなかった。ですが、私にはまだ力が足りませんでした。努力して出世したのですが、それでもかの家を取り仕切るまでの力はありません。
あの人は続けて言いました。
言い訳をするな。本当はあの土地をお前も欲しいと思ったのではないか。政治の力のために。本音はそうではなかったのか。
わかっているのです。私は身体に染み入れるように学んだのですから。ですが。ですが。はい。いいえ。そうなのです。
国家の安定は民が貧困であることより、不平等ではないことが一番大事なのだ。民の数などより、民の安心が損なわれることが問題なのだ。人心を安定させることが肝要なのだ。
そうです。私は何度も聞きました。
静かに、あの人は私を咎めたのです。
ですが。それだけではどうにもならない。かの家の権力は強いのです。先の戦でより強固になったのです。
理想だけではどうにもならない!
口を開こうとした私から目をそらし、最後にあの人は言いました。権力のために国内にさえ軍を動かすことが、果たして国の安定につながるのかと。
私はその後どう家に帰ったか覚えていません。
あの人はそれきり私の前には現れませんでした。
風の噂で耳にしました。かの家が家臣の分際で税を取り立てて、さらに富んだことを、それの手助けをした私を、あの人が非難していると。
古い臣下であった小国を攻めるなど、かの家の権力を増やすことだけが目的だったのは私にもわかっていました。税の取り立ても行いました。何かを行うには、権力が必要だったからです。他の二家を出し抜かなければならないのです。国としてではなく、かの家の力を増すために。本来ならば、いえ、それを止めるべきは臣下である私の役目だったのです。
ですが。ですが。
ですが。ですが。
聞いてください。聞いてください。
私は嫌です。あの人が嫌なのではないのです。私が嫌なのです。私自身が嫌なのです。あの人の理想のために、邁進してきました。なんでもやってきました。そうするしかなかったからです。
ですが、そのうち私は理想とはかけ離れていったのです。
理想のために。理想の政治を使って。私はかの家の人間を助け、かの家の人間のような考えになり、かの家の力になっていたのです。私は、あの人に許しを請いたかったのです。私は小さい人間だと思っていませんでした。ですが、私の行いは小さい人間そのものになっていたのです。
あの人の目に、私は耐えられそうもありません。あの澄んだ遥か高みを見つめる目に。思いやりと優しさをいつも湛えている目に。
言わせてください。言わせてください。
私は、とてもひどい人なのです。何も、何もわかっていなかった。私がどれだけのものかとわかっていなかった。気が収まらない。冷たい怒りでどうにかなりそうです。
すみません。取り乱してしまって申し訳ありません。
あの人と私の道は違えたのです。どうか、私を追放してください。この国から。私はもう、怯えていたくはないのです。
すみません。
物言わぬ石像の御方。