ぼくらのこだわり~串の話~
2022年11月開催の文学フリマ東京にて頒布した冊子に掲載した短編作品です。
高校受験が間近に迫った秋。ウグイスちゃんの提案で幼なじみ三人が勉強のためにウグイスちゃんの部屋に集まった。
女子の部屋──といってもタマヲ自身──緊張することはない。物心ついたときからここで遊んでいた。世界地図、アイドルのポスター、テディベアそして何かのトロフィーが本棚の上に飾ってある。
「秋され──秋めく──文月──立秋!」
発案者たるウグイスちゃんは昨日覚えたての季語を諳んじて見せる。得意な科目は国語と体育。そのうち高校受験に課されるのは国語のみ。韻を踏むたびに短いおさげの髪がパタパタと揺れている。
しかし三人の手元にあるのは数学の問題集。
ウグイスちゃんの正面、アコちゃんも塾の課題の問題集を広げてウグイスちゃんの暗唱に合わせて鼻歌を歌っている。時折、大きめサイズなメガネをカチャリカチャリと位置をずらしている──邪魔じゃない?
タマヲは数学の問題集は三分の一ほどをさっさと終わらせてしまった。方程式、グラフ、そして確率。考える時間より書く時間の方が時間がかかっていらいらする。
チラリ──ウグイスちゃんとアコちゃんの手元を覗き見た。それぞれ教科書の脇に置いたグラス&バイアリースのオレンジジュースの隙間から、まだ一桁のページ数しか終わっていない問題集が見えた。
なんてことない塾の宿題だし期限は今日の夕方まで。
情は人のためにならず。しかし幼なじみとしてペナルティの課題を課されるのを見るのは忍びない。
「あ、ウグイスちゃん、そこの方程式だけど────」
「でね、串の味付けは、やっぱり塩味が一番だと思うの。オトナの味でしょ」
唐突な宣言に面食らった。
「何の話?」
さっきまで季語をペラペラと読み上げていたのに。
「だーから、焼き鳥よ、焼き鳥。タマヲは好きじゃないの?」
「まあ、好きだけどさ。どうしたの急に? ウグイスちゃんはいつもいつも急転直下だけどさ」
「あはっ! それ褒めてくれた?」
タマヲは窓の外を飛んでいる雀を数えてごまかした。
ウグイスちゃんの正面──アコちゃんは手を叩いて褒めた。
「すごいすごい、ウグイスちゃん。ぱちぱちぱち。このテンポは100BPMだよ」
おっとりまったりボイス&吹奏楽部らしいいらえ。
「でねでね! 塩味なのよ塩味。夏に親戚の大人たちが集まって宴会をしてたんだけどさ。あたし、テーブルの焼き鳥をくすねたんだ。そしたらね、タレがお気に入りのスカート着いてとれなくなっちゃったの! だからそれ以来、くすねるときは塩味とカルパスだけって決めてるんだ」
ウグイスちゃんは喜々として盗み食いの目標を宣言した。本来、方程式を書くためのシャープペンシルは扇風機のようにクルクルとウグイスちゃんの指の上で回転している。
「わたしは、タレの方がいいなぁ」アコちゃんのおっとりボイス。
「えーなんでー」
そこに食い下がることはないだろうに。それにこそこそ盗み取ろうとするからスカートを汚すのであって、堂々と取ればいいのに。
「わたしはね、タレのほうが美味しいと思うなぁ。甘くてしょっぱくてほっぺたが落ちちゃいそう。フンフンフン、真っ赤なお鼻の~トナカイさんは~タレ味の串が好きなのです~♪」
アコちゃんはお得意の意味不明な替え歌を披露した。
トナカイは串なんて食べないだろうに。たしか、雪の下の苔を食べるはず。この前ナショジオのネイチャーチャンネルで見た。
アコちゃんはシャープペンシルを指揮棒に見立てて振ると、
「塩味って、どのお肉でも使えるでしょー。豚肉とか牛さんとか、アヒルさんとか、ワニさんとか──」
いろいろと突っ込みどころがあったがあえて触れないでおいた。歌うように紹介するアコちゃんに対してウグイスちゃんは真剣に聞きっている。シャープペンシルはテーブルの上に転がったまま。
「──でも、タレの味って焼き鳥だけでしょ。だから特別なの。特別だから食べたいの──」
メガネをカチャリと定位置に戻す。
「──それに塩味だったらフツーの野菜炒めと変わらないじゃん」
「そ、それは! そうじゃないの!」
いつもと同じ唐突さで、ウグイスちゃんは立ち上がって古式ゆかしい仮面ライダーポーズで立ちふさがった。短いおさげが頬に当たるのを気にしていない様子。
「あっ、仮面ライダー2号」
「確かに野菜炒めと同じよ。ダイショーの塩コショー味よ。すっごい味が薄い所もあれば濃くて塩がジャリジャリ音を立ててるところもある。でもそれがいいの。こぅ、なんというか手作り感、みたいな。ご飯3杯は食べられるから!」
確かに。一理ある。さすが陸上部だけあって食べる量も多い。それならご飯のオカズとして塩味の串を選んだということにもなる。
「でもウグイスちゃん、ネギが嫌いだったよね?」
「あう、そうあまり好きじゃない」
「食べられるの?」
「ねぎまじゃなくて、あの、ネギがない方の串があるじゃない。あれを食べるの。塩味で」
「ふふふ。わたしはネギも好きだよ。ネギがあったほうがオトナの味だから」
ネギを食べることが通過儀礼とは知らなかった。そんな単純なことでオトナになれるのなら苦労して学校に通う必要なんて無いのに。
そんなわけない。
「ま、どっちも美味しいんじゃない?」
タマヲは玉虫色な仲裁をして、テーブルに孤独に転がっているシャープペンを拾ってあげるとウグイスちゃんの手に押し付けた。
「タマヲはどっちを選ぶの? あたし? それともアコちゃん?」
「人聞きの悪い事言わないでほしいな。それをいうなら塩味かタレ味か、でしょ。そんなことよりほら、その方程式間違えているからさ。解の数があってない」
ウグイスちゃんの奔放さは昔から知っている。明るさだけが取り柄といった太陽みたいな子。軌道修正は強引にするぐらいがちょうどいい。昔飼っていた柴犬みたいな取り回しが必要だ。
「タマヲくんはどっちが好きなのかな~。略奪愛は蜜の味~♪」
抑揚をつけたアコちゃんの歌声がいんいんと流れた。そんな話、してたかな。
「アコちゃんも、ほら。三角比を間違えてる。比率、覚えてる?」
「んーと、なんだっけ。ちなみにねぎまの鶏肉とネギの比率は、ネギが多めくらいが美味しいの。オトナの味でしょ」
「大人になりたいから食べるわけじゃないでしょ。本当に美味しい方を食べればいいんじゃないかな」
アコちゃんはシャープペンを顎に当てて思案──筆記用具としての役割を失いつつある。このまま歌いだしてもおかしくない表情でフーと息を吐いた。
「タ・タ・タ・タレタレ テ・テ・テ・テリテリ~♪ タレの串歌ですよ。タマヲくん、どう?」
いいですね、と棒読みで感想を返した。
「しーお、しおしお」
ウグイスちゃんからも音の外れた掛け声が返ってきた。またしてもシャープペンが指の上でクルクル舞っている。ウグイスちゃんの悩んでいる時のいつもの癖に気づいたタマヲはさりげなくトントンと問題集を指さしてヒントを教えてあげた。
「どっちでもいいと思う」タマヲの感想「服が汚れるのが嫌だって言うなら、タレが落ちないように気をつければいいだけだし、塩味の串が野菜炒め味っていうならタレの串だって照り焼き味じゃん? 串がついているのは食べやすさ故だよ」
仲裁役として、どっちつかずな意見を述べた。これで出口のない論争は終わるだろうか。
タマヲはシャープペンを二回ノックし、消しゴムをノート右上の定位置に置くと問題集の後半、確率の問題に取り掛かった。
二つのサイコロでゾロ目が出る確率、車座に座ったときに隣り合う確率……そういえばお店で“焼き鳥ください”と言ったときにタレ味や塩味が出てくる確率はどのくらいなのだろう。
たぶん、五十%くらい? いや、レバーとかが苦手だからそれを除くと……もっと少ないのかな。
「串はね、食べやすさじゃないんだよー」アコちゃんが歌った「焼きやすさなのです~」
ウグイスちゃんがシャープペンシルの先でトントンとリズムを刻み、そしてアコちゃんが歌う。何かと気が合うふたり。
「焼きやすさ?」
「そう! 炭火で焼く時、網はくっつくし落ちちゃうし、鉄板だと油っぽくなるでしょ。だから串で焼きやすくするの」
アコちゃんらしくない理路整然とした主張は反論の隙間がなかった。
「なるほど」
「我思う故に我ありなのです!」
たぶん、間違えてる。
「アコちゃんって料理が得意だっけ? あまりそういうイメージはなかったけど」
「しないよ。この前ためしてガッテンで見たの。世界の真実に気づいてしまったのです。アハ体験、みたいな」
今時珍しいテレビっ子らしい感想だった。
「焼きやすさね。じゃあステーキも焼肉も全部串に刺してしまえばいいんだ」
「それってBBQだね~♪ 今度みんなでやろうかBBQ」
もう冬の足音が聞こえてくる頃なのに、それはちょっと辛い。
「えー嫌なの?」アコちゃんは他ふたりの表情を読み取ると「わたしがブギョー……焼き奉行をしてあげるのです。丁寧に串からお肉も外してあげるのです」
ピクリ。ウグイスちゃんの眉が動いた。
「ちょっとまったー」ほおり投げられたシャープペンシル。ウグイスちゃんは立ち上がるとまたしても変身ポーズをとった。「もしやもしや! おぬし、焼鳥の串も外しているのじゃなかろうーか」
「わーお、見事なガイナ立ち」
意に介せずパチパチと拍手でビートを刻むアコちゃん──そして沈黙。ベッドの脇に置かれた小学生向けキャラクターの目覚まし時計がもっとゆっくりしたテンポでリズムを奏でる。
「焼き鳥を、串から外して食べるってこと?」
行司のように、タマヲはアコちゃんにボールを投げた。
「うん、食べるってこと」
アコちゃんはメガネをカチャリと定位置に戻しつつオウム返しした。
何となく覚える違和感と倫理観の欠如は、ウグイスちゃんもまた同じような違和感として感じているらしい。大仰な仁王立ちのままスポーツ少女らしい直立不動な姿勢を崩さない。
「串からお肉を外すなんてジャドーもいいところよ。蛇よ蛇の道よ」
国語が得意なくせに漢字を間違えている。
「そうかなーだって串の下の方とか食べにくいでしょー」
「ふふーん。ほっぺが汚れるのを気にしているのね。タレの串はね、ほっぺが汚れるかもしれないけど塩味なら汚れないの! だから串から外さなくてもいい。どう? 完璧でしょ」
それでも食後は口の周りを拭いたほうがいいと思うが。
「でも、先月かな? みんなで食べにいたナグモ食堂の焼き鳥丼、串から外してあっても“焼き鳥”の名前だったでしょ。串から外してもいいんじゃないかな」
「ぐぬぬぬ、拙者の負けじゃ」
ウグイスちゃんは落ち武者のようにうなだれるとぺたんと元通りに座った。やっと今全速力で数学の問題週に取り掛かっていることを思い出してシャープペンを握り直した。カチカチと二回ノックして、くるくる回すことなく方程式をカリカリと記入する。
「つまり」タマヲが久しぶりに口を開いた「串から肉を外すのは?」
「ダメ!」「いいです~♪」
「じゃあ」タマヲがふたたび提案「串の一番下のお肉は食べにくい」
「うん」「うん」
今日はじめての合意。小学生向けキャラクターの目覚まし時計がカチカチと時を刻んで前へ進んでいく。これこそ相似──数学で習った似た者同士という関係。
渦が見える。集中力の渦のなかにするすると引きずり落ちていく感覚。“しよう”とか“したい”とかそういう意志とは別に雰囲気が背中から迫ってきてズルズルと引きずり込まれる。渦の中では──世界が溶けて音が消える。勉強好きな人間にとっての幸福なひととき。
問題集が右から左へページが流れる。右側の厚みが次第に新聞紙のような薄さに変わる。
カリカリ。カリカリ。
アコちゃんの手元から妙な筆記音。インクジェットプリンタのような速記術だった。しかしバヤリースの紙パックのせいで肝心な部分が見えない。
さりげなく──タマヲは首のストレッチをするふりをして右へ左へ──左に座っているアコちゃんの問題集を見た。
絵。落書きとかそういうのじゃなく美術のクラスで描くようなデッサンだった。空白な問題集とは対象的にメモ帳にびっしりとデッサンが描き込まれている。
その真正面に座るウグイスちゃんもじぃっとアコちゃんの芸当に見入っている。
沈黙と集中力の渦の正体は課題への諦めと放棄が原因だったらしい。
アコちゃんの絵は、焼き鳥のしかもかなり上手い絵だった。タレ味ということまではっきりと分かる。
「上手だね」
タマヲは称賛と皮肉を込めて言った。
「えへへぇ。上手いのはクラリネットだけじゃないんだよ」
芸術肌たるアコちゃんのいらえ。
「ねぇねぇ、次は鶏ももの串も描いてよ。ネギなしで」
サラサラとシャープペンシルの筆先が踊った。デッサンというよりは一筆書きの影が薄い串が出来上がった。
「はい、お客さん、モモ塩あがったよ!」
「大将、もーちょっと焦げ目があったほうがええなあ」
妙な声音。タマヲには誰のものまねかわからず──もしかしたらオリジナルのないおじさんボイスかもしれない。
「じゃーおまけでほい、タレ多め」
「そーじゃなくて!」
カリカリと塗りつぶされていくモモ塩の串。
「じゃあお代五千万円」
「高いよ!」
妙な掛け合いを遠くに聞きながら、タマヲはなおも集中力の渦の端っこに座ったまま証明問題の最後の仕上げを書いた。
しばし休憩。タマヲは目頭をゴシゴシとマッサージしながらアコちゃん食堂のテーブルを眺めた。放物線のグラフは放置されたまま、二次元なテーブルの上に料理が並べられていく。
「オヤジ臭くない? そのメニュー」
「ソウルフードですが、何か?」
アコちゃんは顔を上げない。カチャリとメガネの位置を修正して黒い塊と白い塊が盛られた皿を描きあげた。
「大将、それはなんですか」
「わたしはタイショーじゃないもん。女将さんだもん」
矛盾──を指摘するのは後にした。
「じゃあ女将さん、それは何?」
「ポテトサラダとからあげ。最高のサイドメニューなのです~♪ ポテポテ♫サラサラ♬ からあげくーん」
アコちゃんは韻を組んでステップを踏む。
思案。サイドメニューは、タマヲも覚えがあった。家族で行った居酒屋兼レストラン。ファミレスと違って脂っこい商品ばかりがメニューに並んでいる。食べ終わる頃には隣の人の声が聞こえないくらい喧騒に包まれている。あまり好きじゃなかった。
串だけではテーブルが茶色っぽくなるのでサイドメニューをよく見ていた。
「じゃあ、女将、うーんとチーズコロッケ」
「ないわー」
接客業以前に人としてぶっきらぼうな言動にタマヲは眉を細めた。アコちゃんはまたメガネをかちゃりとずらしてデッサンに没頭した。彼女なりの集中力の渦に呑まれているらしい。
「はい、お客さん。ぎょろっけ、どうぞ。あと飲み物もね」
思った以上にローカルなソウルフードが出てきた。
「それは?」
「ウーロン」アコちゃんはドヤ顔でタメを作ると「ぶどうジュース」
混ぜるな危険の組み合わせ。ファミレスのドリンクバーでもそんなことはしない。というかしようと思わない。
「まぜたら爆発するんじゃない?」ウグイスちゃんの超・常識的なツッコミ「ウーロン茶とぶどうジュースと別々に飲めばいいじゃん」
「へへへ。これぞオトナの味なのです」
ウグイスちゃんを惑わす言葉の群れ。
「お、女将。それについて詳しく」
またしてもシャープペンがテーブルの端に転がっていった。
「ふふふ。まずはカクテルという飲み物があるのです。ま、とーぜんわたしたちは飲めないけど、ウーロン茶とぶどう味のナニカを混ぜたカクテルがあるのです。それを真似してみたら意外とおいしい。脂っこい料理ならウーロン茶の苦さ。そして後味のさっぱりさはぶどうジュースの役割なのです」
「おおーオトナの味」
「でしょでしょ、オトナ~♪」
オヤジ臭い趣味の間違いだ──とはタマヲもあえて言わなかった。
「わたしねーポテトサラダが作れるんだよ。えへへーすごいでしょ。きゅうりは塩もみしてから混ぜるんだよ~。そうしたらモチョモチョ食感になって、隠し味はカリカリベーコンとからし! おいしいんだよ。今度作ってあげるね」
ウグイスちゃんはふんふんとうなずきながら聞いていた。聞くたびに短めのおさげがパタパタと揺れている。
「じゃあ、あたしは食べる専門! タマヲは、そうね。写真でも撮ってて」
食べちゃダメなのか。
「で、こっちが──」アコちゃんが再び二次元のテーブルをとんとんと指さした。「唐揚げ! 油が熱くて怖いからまだ作ったことないんだよね。ふたりとも唐揚げは好き? サイドメニューなソウルフードでしょ」
タマヲは文脈がいまいち分からないが、ウグイスちゃんに合わせてうなずいた。
「唐揚げに、それとこれはパセリ? 絵が上手だなぁ。でもレモンがないよ」
「んっん~♪ レモン? どうして」
「だってほら、唐揚げにはレモンをかけるでしょフツー」
アコちゃんの手が止まった。同時にウグイスちゃんの指の上でクルクル舞っていたシャープペンもピタリと手の中に収まった。
「んっん~♪ ありえないのです。ねーウグイスちゃん」
「そうそう。普通はレモンをかけないよ」
異論がふたつ返ってきた。
「おいしい──くないの?」
「くないのです! せっかくのカリカリ唐揚げがモニョモニョ唐揚げになっちゃう。もはや唐揚げじゃなくてレモン煮なのです」
「じゃあ、アコちゃんはそのまま、唐揚げに何もつけないで食べるの?」
「うんうん♪ もちろん」
そこは人それぞれ──タマヲもレモン果汁は自分の皿の上だけで使うくらいの良心は持ち合わせていた。
しかし、ウグイスちゃんはうんうんと唸って考えている。決して数学の問題について悩んでいるわけではない、というのは見て取れた。
「確かに、レモンはジャドー。蛇の道」また間違いに気づかないまま「でもねー味を変えたいってのはなんだか分かる。だって唐揚げってずっと唐揚げ味じゃん。食べているうちに美味しさがだんだん下がっていくんだよね」
味に飽きても食べ続けるあたり、さすがウグイスちゃんは食欲旺盛なスポーツ少女だった。
「マヨネーズ!」
ウグイスちゃんが高らかに宣言した。黄色くて甘酸っぱい渦潮に包まれた感覚があった。
「ちょっと整理しよう」タマヲが一旦手を上げた。「ウグイスちゃんは唐揚げにマヨネーズを付けるの?」
「そだよ。レモンみたいにベチョベチョにならない。しっとりモチョモチョな唐揚げのままだし、それだけでご飯三杯は食べられる」
またしてもウグイスちゃんの変身ポーズ。ウルトラマンだろうか。
「美味しい味付けって、もしかしてご飯がたくさん食べられるかどうかってこと?」
「そだよ。だめ? ポテトサラダは明太子を入れたらご飯二杯、唐揚げにマヨネーズをかけたらご飯三杯、カルパスでも、イケる」
さすがスポーツ少女。400m走なら普通の男子より速いだけある。
「んっん~♪ じゃあどうして太らないのかなー」
アコちゃんが腕を伸ばしてウグイスちゃんの脇腹をつつく。
「へへっ、くすぐったいって。でも動いたらお腹がすくし、お腹が空いたらたくさん食べるし、たくさん食べたらたくさん動けるでしょ。ね、タマヲ」
「そうやって話を振られても困るんだけど」
インドア派のタマヲにとっても縁のない話だった。
「それならこれでどう?」
女将ことアコちゃんは二次元のテーブルに小皿を並べていく。シャープペンの先がカリカリと紙を引っ掻いてたちまち調味料入れができあがった。
「えへへ~。そしてね、塩コショウと明太子マヨネーズとお醤油とカレー粉と岩塩とケチャップなのです♪」
サイドメニューの唐揚げというより創作調味料メニュー、という印象もあるが、アコちゃん食堂ならそれでいいのだろう。
アコちゃんとウグイスちゃんは数学の問題集をそっちのけで調味料の組み合わせを議論──それをBGMにタマヲは残り二,三ページの課題を終わらせるべく手を動かした。
ぱたん。
どうしてそんなに勉強が好きなのか、といろいろ言われる。家族にさえ言われる。
正直、楽しくもなんともないがこの問題集やノートを閉じる“ぱたん”の瞬間が好きだから勉強しているというだけの話。誰にも理解はされないので、タマヲもわざわざ口にだすことはない。
アコちゃんとウグイスちゃんの手元を交互に見比べてみた。ふたりともやっと半分が終わったくらいのページで手間取っている。あれだけおしゃべりしてたんだからしょうがない。とはいえ他人の解答を盗み見ないのはいい点だった。
「じゃあ僕はそろそろ……」
筆記用具をまとめる。筆箱のジッパーを閉じる。問題集とノートを塾用のリュックサックに納める。
「えぇぇぇぇぇー!」
どちらか、あるいは両者から非難めいた悲鳴が聞こえた。
「えーて、家が遠いんだよ。今から帰らないと塾に間に合わないし。ふたりともちゃんと宿題が終わりそう?」
ウグイスちゃんは口をとがらせたまま、アコちゃんも気を紛らわすために鼻歌を鳴らしている。
よし。
「じゃあ、また今度」
立ち上がる──部屋から出ようとドアノブに手をかけた。
「ちょっとまったー!」
ウグイスちゃんお得意の変身ポーズ。
「宿題の答えなら教えないよ」
「明日も、同じ時間にみんな集合で!」
「えーまた? まだ宿題が残ってるの?」
「宿題もあるし来週の模試の勉強もしなきゃいけないし、ね。いっしょにしよ」
逡巡。タマヲが答えを迷っているとウグイスちゃんは追加の一手を加えた。
「明日もバヤリースオレンジがあるし、あたしの部屋、エアコンがあるし」
「わ、わかったよ。わかったからそう怖い顔で睨まなくていいから」
ウグイスちゃんのガッツポーズ──アコちゃんのバンザイ。
タマヲは自宅までの一kmほどを早足で歩いた。結論のないふたりの会話は、勉強しながら聞くラジオ感覚で飽きない。飽きないけれど塾の課題が終わらずに居残り勉強させられたとき、その責任を押し付けないでと願うしかなかった。
ひなびた商店街──ウグイスちゃんの家へ行く最短コース。その道半ばくらいに肉屋があった。
普段なら買い物なんてしないのに、目を引かれる品があった。普段なら見向きもしないのに、アコちゃんとウグイスちゃんの話を聞いていたせいで目に止まった。
†
昼過ぎに再びウグイスちゃんの家へ──おじゃまします。
玄関にアコちゃんのアディダスのシューズがある。もう先に来てたのか。
最後にふたりに会ったのは昨晩の塾。案の定、課題が終わらずペナルティの居残り勉強をさせられていた。
タマヲのリュックの中はかなり軽い。筆記用具と英語の宿題が少々。あとは模擬試験に向けて過去問を少しだけ用意した。
ウグイスちゃんの部屋──寒いとも暑いともいえない晩秋の外気から一転、適度に心地よい室温だった。勉強に集中できる。
「タマヲくん、やっと来た来た来たのです♪」
いつもと同じアコちゃんの旋律。
「はいこれ、約束のバヤリース」
受け取る──200mlのオレンジジュースの紙パック。
座る──いつもの定位置。
「ところで」タマヲはタイミングを見計らう。ふたりともまだ勉強の集中の渦に呑まれていない。「どんな串が好き?」
「もちろん、タレの味なのです♪ 鶏皮も好きですよ~」
「塩味ね。つくねも塩でたべる」
タマヲはリュックサックに手を伸ばした。
「はいこれ、お土産。串カツ」
透明なプラスチックのパックに入った3本の串カツをテーブルの真ん中においた。昼ごはんの後だったので一人一本を道中にあるお肉屋さんで買ってきた。
「本当は豚肉の串カツだけだったんだけど、昨日焼き鳥の串の話をしたことをお店の人に言ったらわざわざ作ってくれたんだよ」
「ふーん、だからちょっと遅れたのね」
「ふたりともタレ味か塩味かで揉めてたけど、串カツならみんな同じが好きかな、って思って」
「ということはレモン味?」
「違うよ。でも串カツといえばみんなソースをかけるでしょ」
「ああ、確かに。ちょっと待って、台所から取ってくるから」
ウグイスちゃんは短いおさげをブンッと振り回してドタドタと部屋から立ち去った。
「えーソースを付けるの?」
アコちゃんのおっとりボイスが抗議を申し立てた。
「ふつう、そうじゃない?」
うーん、とアコちゃんは唸った後、
「タルタルソースだよ。うちはね、作るんだよ、タルタルソース。卵とマヨネーズとピクルスを混ぜるの。美味しいんだよ」
「この家にタルタルソースはあるかな。あまり冷蔵庫に入っているイメージは無いけど」
「大丈夫だよ~へへへ。わたしはオトナだからね。なんでも食べられるんだよ」
じゃあ塩味の焼き鳥でもいいんじゃない? という言葉が喉元まで出かかったがタマヲはなんとか押し留めた。
ドタドタドタ──ウグイスちゃんの豪快な足音が床板を蹴飛ばしながら近づいてきた。
「はいどうぞ! ソース」
ウグイスちゃんの手の中──半透明な容器に入ったソース。赤みがかった茶色の液体。
「それ、お好み焼き用のソースだよ」
「えっ、ソースはソースでしょ。お好み焼きも焼きそばもトンカツも、全部これ。あっカレーに入れてもイケる」
「ふつうウスターソースじゃないかな? いや僕は何でもいいんだけど」
「うーん。どうしてだろう。うちの親が広島出身だからかな、たぶん」
すとん、とウグイスちゃんは座ると波を描くようにお好み焼きソースを回しがけした。
良く言えば斬新な光景。身近なところに知らない世界は広がっているんだな、という印象。
「んっん~♪ けっこう美味しいのです」
アコちゃんはパン粉をこぼさないように器用に串カツをかじった。
「串から外してバラバラにして食べないの?」
「そんな事したらウグイスちゃんの部屋がパン粉のスプラッシュマウンテンになるのです」
なるほど。
当の家主たるウグイスちゃんは気にせずボリボリと串カツを食べている。あとで掃除するということだろうか。
「ソースがスカートに落ちない? 大丈夫?」
「たぶん、落ちない。それに落ちてもこれ、普通のジャージだから気にしない」
ウグイスちゃんはあっというまに平らげると、串をぽいっとゴミ箱にほおった。
「つまり、串料理の味付けは千差万別だし人それぞれ好みがあるのだから指摘するのは野暮ってことだね!」タマヲはゆっくりと串カツを持った。「塩味が好き、タレ味が好き、どちらも正解だし僕は唐揚げにレモンをかけるし串カツはウスターソース派だけど誰かに強要することもない。すごい! 哲学だね」
しかし──顔を見合わせるウグイスちゃんとアコちゃん。
「頭固いねー」
「カッチカチなのですねー♪」
かしましい女子二人がけらけらと笑った──楽しそう。
いつもと違うお好み焼きソース味の串カツ。予想外な組み合わせはいつもよりちょっとだけ美味しい串の味だった。
<了>




