62.情けない涙
団長室のある棟はしんと静まりかえっていた。
意味の分からない緊張感のせいで勝手に速まる鼓動の音が大きすぎて響いてしまうんじゃないかと、馬鹿みたいだけど心配になる。
走り出したい気持ちを抑えて、一歩一歩静かに歩みを進めた。
………コンコンコン
「……………誰だ?」
こんな時間に団長室を訪れる者が基本的にグレン以外いないのだろう。夜中の来訪者にセルジュの声に警戒の色が滲んでいた。
『流月です!』
声を上げたいのに、口をパクパクさせるばかりで声が出てくれない。セルジュの声を聞いたら自分でも意識していなかったぐちゃぐちゃな感情が一気に吹き出してしまった。会えることを期待して来たのに。話したくて来たのに。
名乗らない来訪者に痺れを切らしたセルジュが扉に近付いて来るのが分かる。ゆっくりドアノブが回った。
「…………流、月……」
セルジュは腰に帯刀した剣に手をかけたまま、驚き固まってしまった。扉を開けた先にボロ泣きする流月が立っていたら当然だろう。
「どうし………」
目を白黒させて状況を確認しようとするセルジュに、流月は飛び込んだ。
「うぅ〜……無事でよかったぁ………」
セルジュは流月を抱きとめながら目を見開いた。
出立の状況を思えばこうなった事は当然だろうが、それでもセルジュは冷静に会える自信がなくて、まだ会える時間であったにも関わらず流月の部屋を訪れなかった。
けれども彼女の涙を見てしまえばそんな気持ちも揺らぎ、自分の感情を優先した事に罪悪感を覚える。
「……悪い、ミラから状況聞いて満足してた。………怪我はないよ」
声を殺して泣き続ける流月を落ち着かせようと背中をゆっくりと撫でるが涙は次々溢れてくるらしい。セルジュは力を込めてしまわないよう、そっと息を吐いた。
………………
「キミは大丈夫なのか?魔力、使ったんだろ?」
団長室に常備してあるお茶をいつものマグカップに淹れ、ソファに座る流月へ手渡す。ありがとう、と受け取ると小さく口をつけた。
セルジュも自分のカップを手にしたまま、流月の向かいのソファへ腰を掛ける。
大号泣の影響はなかなか大きいようで、真っ赤な目を潤ませたまま真っ赤な鼻をスンスン言わせていた。
「平気……ロキが回復してくれたから」
山脈の無事を確認してグレンとロイの出立を見送った後、何かに気付いた様子のロキはセルジュに後を任せると一目散に王城へ帰っていったのだ。
ー あの焦り具合はコレを見越してだったか
ミラからグレンを治癒した時の様子を聞いていたセルジュはロキの行動に納得がいった。そしてロキが間に合ってくれたことに酷く安堵する。
『あの子、止めても聞かないで……ロキが来てくれなかったらきっと危なかったわ』
ミラの悔しさの滲んだ声を思い出し、重くなってしまった口を開いた。
「グレンを助けてくれて、本当にありがたいと思っている。数日休めば復帰できるってミラが言ってた。情けないけど俺では何も出来なかった…………それでも。ロキが間に合わなかったら、って思うと、俺は手放しで喜べない。喜んでいられない」
セルジュは視線を落としたまま、マグカップを握る手に力を込めた。
「あの日、自分を大切にしてくれるといったのは…………」
『自分の身を大事にしないアンタを』
言い淀むセルジュの言葉にロキの言葉が重なった。
瞬間、ロキの言いたかった事が理解できてしまった。
「……大事にしてないつもりなんてないんだよ」
セルジュが弾かれたように顔を上げる。
「私が犠牲になれば、みたいな気持ちだったんじゃないの。本当に誰にも辛い思いをして欲しくなくて、私の我が儘のために必死だっただけで……結果は同じなのかもしれないけど。それでも置いてかれるよりずっと良くて……それに、私ホントはここにいない人間だから」
そう言いながら流月はあの笑顔を浮かべた。
『消えても大丈夫』と、言っているかのような態度にセルジュは堪らず激昂する。
「ッ……今はいるだろう!もうキミの居ない生活を思い出せないくらいに!!」
荒くなった語気に流月が戸惑うのが分かった。それでも続ける。
「グレンが助かっても、アリアナが責任を感じる必要がなくても、そこにもしキミの姿が無かったら、ここにいる全員が哀しむ………たかが『長の印』のためにがんじがらめにしてしまった自分が許せなくなる……グレンが助からなくって、アリアナが嘆いたって、俺達には責務と覚悟があるんだ。誰かに置いていかれる事が辛いって気持ちを否定するつもりは無い。それでも……向こうと違って、ここには、今のキミには一緒に乗り越えられる人間が周りにいるだろう?」
セルジュは一気にまくし立てるとそのまま黙り込み、頑なに顔を上げない。静かな団長室に響くいつもより荒くなった呼吸音が不意に途切れた。
流月は俯くセルジュの元へ静かに近寄り、しゃがみ込む。アイスブルーの瞳は涙で揺れていた。セルジュは流月の存在に気付くと、乱暴に涙を拭おうとする。
「…………悪い。大人気なかっ「ごめんなさい。もうしない」
乱暴に涙を拭おうとした手を、流月が止めた。
「もうこんな事しないよ。ごめんなさい、ちゃんと分かってなくて………」
拭いきれなかった涙が一雫、意に反して流れ落ちた。
感情が昂ぶって涙を流すなど騎士隊長として以前に、大の大人として情けなさすぎる。セルジュはどうやっても流月に顔を見せたくなかったのだが。
「ていうか、私のいない生活が思い出せない、なんて反則だよ……」
上擦る流月の声に思わず顔を上げてしまった。
視線の先には目に涙をいっぱいためて、困ったようにはにかむ流月の顔があった。
「いてもいなくてもいい人間だったの。大好きな人達はもう居なくて、誰からも必要とされなかったし、迷惑かけることしかできなかった…………長の対になって、ここに居られる理由が出来て嬉しかったの。居てもいいよって皆大切にも思ってくれてて。それでも……居なくてもなんの影響も無いんだと思ってた。一人になってからそんな風に言って貰えた事無かったから……」
流月が掴んだままの指先に、自分から力を込める。
そのまま細い手首を掴み感情のまま抱き寄せた。
「理由なんか無くたってここでへらへら笑ってればいいだろ……居なくていいなんて二度と言うな」
腕の中で固まっていた体から緊張感が抜け、耐えきれなくなった嗚咽が響くのにたいして時間はかからなかった。
「誰よりも自分を大事にしてろ、馬鹿」
なんとなんと!
ランクインする事が出来ました!!
読んでくださる皆様のおかげです。本当にありがとうございます。
これからもお付き合いいただけると嬉しいです!




