5.居場所
ミラは、流月が落ち着くまでずっと頭を撫でていた。セルジュも何も言わず、そんな二人を見つめたまま椅子に座っていた。さっきまでの威圧感は嘘のように、優しい瞳を向けている。
…人前で泣いたのなんていつぶりだろう。
独りになって初めは遠縁の親戚に引き取られた。
両親が生きていた頃だって交流の無かった人達だ。子供がいないからと言って押し付けられた他人と生活する事はとても迷惑だったのだろう。
両親を想って毎日のように泣いていたが、優しく受け止めてくれる事もなく、夫婦は迷惑そうな態度を隠しもしなかった。それでも涙が止まらない時は怒鳴られる事もあった。
泣く事は迷惑な事なんだと、早々に泣く事をやめた。
数年後に母の友人が流月を探し出し自分が引き取ると言ってくれてからも、弱さを吐出すことが怖くて独りで縮こまっているばかりだった。
あの夫婦と『明さん』が全く別物だと、接する温かさの違いから頭では理解していたのだ。それでも赤の他人を生活させる事がどんなに負担になっているかを理解できる年になれば、その優しさに甘えていけないと自分を戒める気持ちと、只ひたすらに申し訳ない気持ちがどんどん大きくなっていった。
何も、誰も知らない「ここ」の人達は
正体すら証明の出来ない自分を受け入れてくれた。
「ここに居てもいい」と不器用な笑顔を向けてくれた。
負い目も意地も感じる前にそんなもの必要ないと言われたようで、こんな状況ながらも心が軽くなった。
「……落ち着いた?」
「ありがとう。ミラ…さん」
「ミラでいいわよ。あっちの怖い顔は……「セルジュだ。」
ミラを睨みながら、余計な一言を遮った。
「騎士団で面倒を見るに当たって、基本的には俺か、ミラか…隊長格の誰かと行動を共にしてもらう。今日はこのままミラの所に居るといい。早目に騎士棟内の空き部屋を調整して……?どうした?」
「たいちょー…かく…?」
聞き慣れない単語に、話が上手く頭に入ってこない。
「んーー…隊長格は竜騎士団の各隊を纏め上げる事ができる実力を持った騎士達、ってとこかな。」
「隊長格の騎士なら何があっても判断し対応できるからな」
『何があっても』とは、疑いの晴れきらない流月への対策だろう。そんな優秀な騎士を専有してしまう事に申し訳なさすら感じてしまう。
「私、さっき言ってた怪しい人達とは絶対関係ないって言い切れる!!ここの人達にも危害なんて絶対絶対加えない!!…でも、私のせいで、余計な仕事が増えちゃうなら…どっか、怖くない所に…閉じ込めておいて下さい」
「「ぶふっ!!!」」
決死の覚悟で告げた流月に、二人分の噴き出す声が重なった。
「あっははは!!!流月、悪い奴らの自己申告なんて当てにならないのよ!!んふふふ」
「閉じ込めておけなんて…要監視者のくせに…くくくっ」
ふと流月を見ると、顔を真っ赤にして涙目でこちらを睨んでいた。
「………んんっ……閉じ籠もる必要はない。暫く監視は付ける。それも騎士の仕事だ。気にしなくていい」
流月へ答える顔は、必死に笑いを堪えてはいたが、優しかった。
「めっずらしー顔しちゃって♪」
突然、別の声が医務室に響いた。
気がつくと、金髪の青年が医務室の扉にもたれかかっていた。
「グレン…」
「この子が例の子?黒い髪も目も珍しい…きれいな子だな…なぁ、セルジュ?」
「煩い」
グレンと呼ばれた青年は、にやにやと笑いながらセルジュに近づく。セルジュは顔を背け、やや不機嫌そうだ。
「そう言えば流月、火傷は平気なの?腕はすぐ治りそうだったけど、肩のは結構酷かったわよ」
漸く笑い終えたミラが流月に話しかける。グレンとセルジュのやり取りは丸っと放ったらかしだ。
「あっ、そう!不思議だったの!火傷は1箇所じゃないかな?肩のは古傷なんだけど?」
「古傷?!しっかり手当しないと炎症起こしそうな感じよ?」
「そんなハズないよ!昔の傷だから炎症どころか痛みだって…」
痛みすら感じるはずがないと、流月はぐるりと右腕を回そうとする。途端に、右肩に刺すような痛みが走った。
「あ〜…だから言ったじゃない!無理しちゃだめよ」
「なんで…?7年も前の、火事の時の傷なのに…」
気づくとセルジュもグレンも言い合いを止めて、真面目な顔で流月を見つめていた。
大丈夫。話せる。
ここへ来て心は軽くなった。意地も張っていない。
でも、喉がぐっと絞まる。
「……7年前に、家が火事になって、その時に右肩酷く火傷したの。私は、両親が庇ってくれたお陰でそれくらいで済んだんだけど……だから、今更痛くなるはずなんてないのに…」
火事のことも傷のことも、自分から他人に話すのは初めてだ。流月は力なくへらっと笑った。残念ながら上手く笑えている自信はこれっぽっちもない。
「原因はよく分かんないけど、手当ならどんだけでもしてあげるから」
ミラが流月を抱きしめた。
「ミラの手当はピカイチだから。今日はゆっくりしたら」
グレンは流月の頭を優しく撫でた。
「…部屋の手配が終わるまではミラの部屋で面倒を見てやってくれ。グレン、行くぞ」
セルジュは難しい顔でミラに依頼すると、流月と目を合わせぬままグレンを連れて医務室から出ていった。
……
「あの子の顔見ただろ?もーちょい優しくしてあげたっていいのに」
並んで歩くグレンの非難めいた呟きを無視して団長室へ向かった。
騎士棟2階の最奥の部屋、竜騎士団団長の執務室だ。
シンプルながらも質の良さそうな家具が揃えられている。いつもより幾分か乱暴に、執務席へドカッと座る。グレンはいつも通り机に腰掛けた。
「いや、見たからこその反応か…『4枚羽根』も大変だな」
「煩い」
全てを見透かすグレンに、セルジュは苛立ちを隠そうとしない。
「…………予定が狂ったが、明日には長の捜索に出かける。姫と…流月を頼んだ」
そう言いながら、執務席に積んであった書類に手をかけた。
もう話は終わったと、グレンの方を見ないようにしてはいるが、長年の付き合いで恐らくニヤついているだろう事が分かってしまう。それが余計に腹立たしい。
「仰せのままに。騎士団長さま」
「煩い!!!」