1.日常
『駄目だ辞めろ、流月』
通信器から聞こえる貴方の声が僅かに震え、掠れていた。
こんな状況でも耳元で低く響く声にかっこいいなぁ、なんて場違いなことを考えてしまい、ついつい笑えてくる。
ー ほんと、大概重症だなぁ……
『今すぐその場を離れて帰ってこい』
「ふふ、『団長命令』なら仕方なかったけどね……残念ながら私が『騎士団長』なので……」
『流月!!』
「……セルジュ一番隊隊長。一旦指揮権を預けます。魔力節約に通信切らなきゃ……必ず受け取りにいくから待ってて」
そう言ってセルジュの応答を待たず通信を切った。
深呼吸をして、指先で円を描き魔法陣を出現させる。
目の前があかく染まる。
もう何度目の経験だろう。
今は少しも怖くない。
ピンと来なかった『繋がり』を今ならこんなにハッキリと理解できるから。どんな醜い自分でも皆が迎えてくれるって思える。
『向こう』では繫がりはなかったのかな?
蓋をし過ぎた私が見ようとしていなかっただけじゃないのかな?だとしたら私、すごい酷いことしてない?
何重にもした蓋を暴いたのは優しい騎士達。
「ーーーー!!」
「ぼろぼろにしてごめん。もう一度だけ、我が儘聞いて…………貴方の全力を貸して!!!」
今となっては家族よりも近しい存在の、傷付いた手を握り締めた。私は私の意志であかを受け入れる。
閉じこもっていた無難な日常が姿を変えたあの日。
……………………
夏の風が、少し汗ばんだ額を撫ぜた。
「あつ……」
背中まで伸びた艶やかな黒髪を揺らし、高宮流月は体育教官室を後にした。
いつも通り、体育の授業を見学した代わりの教官室の掃除を終えて教室へ急ぐ。
体調が悪い訳でも怪我をしている訳でもない。
だけど夏の体育の授業は見学と決めている。
体育教官室は校舎と繋がっておらず、1度外に出る必要がある。真夏の日差しがたった数分の移動にも関わらず、遠慮なしに体温を上昇させた。
日陰のため多少涼しさを感じる校内は、生徒達の話し声で何処もかしこもざわついている。
2年の教室のある2階まで駆け上がり、窓際の自席に着いた。窓から入ってくる風が多少なりとも心地良い。
「流月ちゃーん。今日も見学だったねぇ、調子悪い??」
前の席の女の子、飯山春香が振り返って声をかける。
「あー…ちょっと貧血気味で」
何度目かの同じ問いに、流月は端切れ悪く答えた。
「そか〜。せっかくの水泳なのに残念だったね」
「泳ぐの得意じゃないから、丁度良かったけどね」
「あー?まさか、おサボり疑惑?」
「あはは、ちがうって」
他愛のない会話をしていると授業開始のチャイムが聞こえた。春香はまだ話したそうだったが、教師が教室に入ってきたため慌てて前を向く。
流月はバレないようにため息を付き、教科書を広げた。
連続して体育を休んていると、こんなやり取りはしょっちゅうだ。でも、中々本当の理由を言うことができない。
『コレ』に関しては人に本音で話すことが億劫になってしまっている。流月は春香の背を見つめ、静かに右肩を擦った。
10歳の時に火事で両親を失った。
両親と救助隊員に助けられた流月は、命に別状はなかったが背中から右肩にかけて酷い火傷を負った。
服を着ていれば気にならない場所だったのは幸いだが、お陰で袖の短い夏の体操服や水着になるのには抵抗がある。それ以来、夏の体育はずっと見学だ。
そして12歳の時、親友だと言っていた友達に傷痕を見られてしまった。
「…大丈夫?それって治るの?……ちょっと気持ち悪いね」
彼女は悪気なんてなく、ただ見たまま呟いただけだった。
今なら小学生なんてそんなもんだと思えるが、当時の流月はショックを受けてしまった。裏切られた気持ちになって、塞ぎ込んで、その子から距離を取った。
それ以来、本音を伝える事が怖くなってしまった。
……キーンコーン…
「はい、じゃあ今日はここまで」
はっと意識が浮上する。
気づけば授業は終わったらしい。
やばい、ノートが真っ白だ…机に突っ伏したい気持ちを抑え、荷物をまとめバイト先へ急いだ。
…………
駅前のカフェ。
ここが流月のバイト先だ。
こじんまりとした隠れ家的カフェだが、コーヒー愛好家のマスターの趣味でカフェメニューは豊富だ。そこそこ有名な店だったりもする。
高校入学と同時に始めたカフェのバイトが流月はとても気に入っていた。
落ち着いた店の雰囲気も好きだし、色んなカフェメニューをお試しさせてくれたり、教えてくれるマスターも好きだし、何より大学生バイトが多く、余計な事に踏み込まずに人間関係が構築できるところが気楽で心地よかった。
更衣室で制服から白シャツ、デニムのスキニーパンツに着替え、お気に入りの真っ青なハイカットスニーカーに履き替える。黒エプロンをつけ、長い髪を1つに纏めホールに向かった。
「おはよーございまーす」
「おはよ、流月ちゃん。ごめんね、今日はキッチンお願い!1人休みでさ。夜用のサラダよろしく!」
鮮やかにフライパンを操りながらキッチンリーダが流月に話しかける。
「……ラジャです!」
マスターが海外から取寄せたコーヒー豆が届く日だったのにな、と表情に出さずキッチンへ足を踏み入れた。
流月のコーヒー好きを知ったマスターがいつも新作を試させてくれるので、今日のバイトを心待ちにしていた。しょうがないけど!!!と、自分に言い聞かせながらサラダの準備を始める。
ーて言うか、古傷があるってさらっと言えちゃえばいいのに。春香はあの子とは違うのに。全部話したってきっと嫌な顔なんてしない…
黙々とサラダを作りながら、春香とのやり取りを思い出し少し凹む。
流月も春香も高校生だ。発言には気を配れるはずだし、何より、春香はいつも好意を持って流月に接してくれる。それは分かっている。
でも、駄目だった時の想像が流月の口を重くする。
その結果、立ち直る手段をあまり持っていない流月は、現状維持を選択してしまっていた。
「あ、ホットサンドちょっと見てくれる?」
「はーい」
夢中になると周りが見えなくなる所が流月の悪いところで、今も悩む事に集中した流月は、ぼんやりとホットサンドメーカーに手を伸ばす。
「っつ…!!!」
ぼんやりしすぎた流月は、軽く炎に触れてしまった。
突き刺すような火傷の痛みと共に、
突然、視界があかく染まった。