「恋がしたい」と言う婚約者に、婚約破棄をされまして 3 貴腐人王妃様の憂鬱なため息
BL風味があります。ご注意下さい。
体感的に室内の温度が下がった気がするほど、リュドミラの声音は冷たかった。手の中で扇子がミシリと音をたてる。
「陛下?」
国王はあからさまにしょんぼりした顔で、ポケットからちっこい子爵人形を取り出して、鬱陶しいくらいじめじめと現実逃避的に戯れている。
「……だって、頼って欲しくて……」
「陛下! だからといって、何故! 子爵の出国の手助けをするなどと約束をしてきたのですか!? 子爵に会えなくなるのですよ!」
「だって、公爵夫人の妨害を受けて困っているって……。だから、どこもかしこも愛らしい子爵にカッコ良く頼れるところを見せたくて、……つい」
国王は子爵に一目惚れして以来、20年間ストーカーと紙一重の見守りという名前の、微塵の自制心もなく影を鈴なりに付けまくって、こっそりひっそり子爵の身を守ってきた。
なので美しい子爵が、高位貴族によいではないかよいではないかと迫られていた時も、颯爽と助けに現れて相手を再起不能にしたし、子爵が困っている時は必ず偶然に通りかかってお悩み相談をして解決してきた。
今回も子爵の娘が公爵子息に一方的に婚約破棄をされたのに、優秀な子爵の娘を手放したくない公爵夫人がアレやコレや権力を使ってきて子爵が困っているとの影からの報告を聞き。出番とばかりに喜んで出かけて行った国王であったが。
「いくら子爵が公爵夫人の手の届かない遠い場所に行きたい、と言ったからといって他国へなんて! 自分で自分の首を絞めるようなことを何故言うのですか!?」
「どうしよう! リュドミラ!」
国王がちっこい子爵人形を大事に持ちながら、リュドミラにすがりつくように懇願する。氷の魔王と臣下から恐れられている普段からは、想像もつかない悲壮感たっぷりの姿であった。
「そうですね」
リュドミラがぱちんと扇子を閉じる。微笑するかんばせは壮絶に麗しい。
「いっそ国外逃亡の手助けをしていると見せかけて、子爵を王宮へお招きするのはいかがですか?」
…………。
欲望に直撃する言葉に国王が動揺する。言ってはいけない選手権第一位の爆弾である。
胃が捻れそうなほど煩悩に悩む国王であったが、捨てる神あれば拾う神あり。
その時なんと国王の弟が、子爵の娘に一目惚れして結婚の許しを願いに王宮にやって来たのだ。
この機に便乗と、子爵の娘をお持ち帰り計画をしている王弟を利用してリュドミラは、陛下の弟君にできて陛下にできぬはずはないと国王を焚き付けて、子爵をお持ち帰りさせたのだが。
バキッッ!!
笑顔のまま扇子を折ったリュドミラに国王は必死に弁明する。
「だって、子爵の顔を見たら愛おしさのあまり叫びたくなるのを抑えるのに忙しくて、だから思わず側近になってくれないかって、……つい」
「側近でもいいではないか、これからは毎日側にいてくれるのだぞ。愛していると言えなかったのは残念だが……」
国王の目元が赤い。背景に見えぬ花が咲き乱れて飛んでいる。
「毎日だぞ、毎日。愛しい愛しい愛しさ余って可愛いさ限界突破の子爵がおはようからおやすみまで俺の側にーー天国ではないか!」
ぽわん、と愛しい子爵との側近生活を、いい、凄くいい、もの凄くいい、と妄想し出した国王の頭を、リュドミラは新しい扇子でぽかりと叩いた。神が完璧につくりあげたような美貌の主であるがリュドミラに遠慮はない。
「……もう少しだったのに……」
ぎゅっと眉ねに皺を寄せ、国王が恨めしげにリュドミラを見る。脳内妄想でとてもイイトコロまでいっていたようだ。
秀逸な妄想力も素晴らしいとは思うが、王弟のように卓越した実行力も欲しいと思うリュドミラであった。
兄弟揃って、同じようなタイプに同じように一目惚れしているのに、王弟は獲物を巣穴に引きずり込む獣のように明後日には結婚式をあげる。まずは結婚をし逃げられないようにして、準備に時間のかかる披露宴まで蜜月を楽しむのだと、愛する幸福と愛される幸福を噛みしめるのだと、嬉しそうに言っていた。
初恋を拗らせまくり、ヘタレになった兄王とは大違いである。
むくれた猫のような表情の国王を、あやすようにリュドミラが、
「陛下、子爵は王宮にあがったばかりで心細い思いをきっとなさっていますわ。慰めてさしあげたらいかがですか?」
とにっこり目を細めると、国王はたちまち表情を引き締めて背筋を伸ばした。黄金を流して翔ぶ蝶のような金色の髪が揺れる。
「な、慰める!? い、いや無理。で、でも、そうだ、明日の予定を伝えなくてはっ!」
蝶の道を通り雌を探す雄の翅のように、花の蜜を求める蜜鳥の羽のように、国王がふわりと優雅にマントをひるがえす。典雅な調べのように品がある。しかし、右手と右足が同時に出ている姿に、リュドミラは深い深いため息をついた。
薔薇の褥は遠いわ……。
でも、陛下も子爵も30代。誰もが振り返る美形で、黄金の髪の陛下と銀色の髪の子爵が並び立つと、太陽と月が寄り添っているようで圧巻の美しさなのよねぇ。
ヘタレな陛下だけれども、万が一、億が一があるかもしれないわ。
というわけで、リュドミラは隠し通路に飛び込んだ。
もちろん行き先は子爵の部屋である。
王宮内に縦横無尽に張り巡らされている隠し通路は、リュドミラの行動に自在の自由を与えていた。
部屋には、壁のレリーフや金の縁飾りに巧妙な細工が施されていて、内の様子を隠し通路から窺うことができるようになっていた。
ーー尊いっ!
リュドミラは目をカッと見開いて、その光景に魅入った。
国王は、明日のスケジュール確認という理由で子爵の部屋を訪ねたので、話している内容は事務的なものなのだが何しろ二人とも極上に顔がいい。
スケジュールの書類を額を寄せ合うように覗き込むだけで、巨匠が描いた絵画のように問答無用で目が釘付けになってしまうのだ。
「子爵、いいだろうか?」
「はい、陛下」
単なるスケジュール確認の言葉なのに、二人の距離が近いので扇情的に聞こえる。リュドミラはごくりと息を呑んだ。
はらり、と子爵の長い銀色の髪が書類にかかる。国王が邪魔な体を装って子爵の耳にかける仕草が艶っぽく、リュドミラは覗き穴に目をビタリとくっつけた。
やわらかな耳朶をなぞり撫でるように、国王のしなやかに長い指が名残惜しげに耳から髪へとゆっくり動く。整えられた爪の先が、銀色の髪の先に爪痕を残すように絡みそっと離れた。
謝罪する子爵の頬は羞恥でうっすら染まり、国王が愛でるように微笑む。
……眼福……っ!
美しい、美しすぎるわっ! リュドミラは感動にふるふる震えた。
だが、
「子爵、髪を結ぶ飾り紐をやろう」
無造作にポケットへ手を入れる国王の姿に、リュドミラの脳内でけたたましく警鐘が鳴り響いた。
マズイ! 思った時には遅かった。
国王が飾り紐を出した拍子に、ポケットから長きにわたり国王と苦楽をともにするちっこい子爵人形が、ポテン、と絨毯の上に落ちてコロコロ転がった。
テン、と上手に止まったので、ちっこい子爵人形はちんまりお座りしていて、とてもかわいい。
とてもかわいい、が。
ざぁーーーっと国王の表情が凍る。
茫然とする子爵。
ベッキリと扇子を折るリュドミラ。
誰もが認めたくない。どうか夢でありますようにと願うカオスな状況の室内は、人生の中でもワースト3に入るだろう気まずい沈黙によって鎮圧された。
後世において、同性婚を成立させたリュドミラの評価は凄まじく高い。
「歴史をかえた王妃」「世界を動かした世界最高の美女」と讃えられるが、リュドミラが己れの趣味嗜好に邁進し突き進んだ結果であることを、後世の人間は誰ひとり知らない。
読んでいただき、ありがとうございました。