第58話 水風船と、カエル
一ヶ月も経っただろうか。
国内に新しく王子付教育係を募集するという知らせが出た。
ラムールの復帰は無いと知って国民はとても残念がったが、彼に憧れる多くの国民が我こそは新しい教育係になると意気込み、試験にエントリーをした。
その頃のライマは黙々と自室で法術大全集を読みふけっていた。
大好きな本を読むことだけが、彼女がかろうじて行えるすべてだった。
魔法で、空を飛べるようになった。
だが、見せてあげると約束した彼がいないことを思い出し、一人涙にくれた。
ライマは目を閉じた。
何も考えたくなかった――が。
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「ドノマンが? 本当か、そりゃあ?」
リビングで一夢のひどく驚いた声が、館の中に響いた。
羽織達は学校に行っていたのでその声は邪魔されることなくライマの部屋まで届いた。
ドノマンという言葉が微かにライマの意識を刺激した。
そういえば、ドノマン達はどうなったのだろう。
知らなければいけない気持ちが微かに沸いた。
ライマは扉を少し開けて、佐太郎と一夢の話に耳を傾ける。
「本当さ。 右大臣もみんなまとめて国外追放だと」
佐太郎が悔しそうに貧乏ゆすりをしながら話していた。
「どうしてだ? 暗殺未遂は? 処刑は?」
「右大臣の方はな、多少予測はついたんだ。 王位を巡って策略が張り巡らされるのは今に始まったことじゃない。 それに右大臣には王家の血が流れている。 罪を犯したとはいえ王族の血を引く者を処刑するだけの度胸のある奴はいないってこった」
「じ、じゃあ、ドノマンは? ドノマンまでどうして?」
どう考えても免除される理由が見あたらなかった。
佐太郎はコーヒーをちびちび飲みながら少し考えて言った。
「ラフォラエルのせいだ」
「あいつの? どういうことだ?」
一夢が詰め寄ったように、部屋でライマも身を乗り出した。
佐太郎はコーヒーのカップをゆらしながら続ける。
「ラフォラエルが入っていた牢は、脱獄不可能といわれた牢だ。 勿論、俺は新世が逃がしてやったんだなって分かってるけど他の奴らからはそうは思われてない」
「あいつが一人で逃げたって思われてるのか?!」
「うんにゃ。 もっと悪い。 逃げたは逃げたで間違いないんだが、ドノマンの奴がな、ラフォラエルは儂を見捨てない、って吠えてな。 必ず助けに来るってさ。 もし仮にラフォラエルが死んでいたとしても――」
「死んでいたとしても?」
「儂を殺せばラフォラエルの呪いがテノス国に降りかかるだろう、と叫んでる」
「なんだそりゃ!?」
驚く一夢を見ながら、佐太郎は面白く無さそうに首を回した。
「まぁ実際、ラフォラエルは瀕死の重傷の身でありながら、科学と魔法で守られた脱獄不可能な牢を逃げ出したって事になってるんだ。 呪われると言われりゃ信憑性もあるわな。 だから大臣から何から怯えちまって話にならない。 それで結局は未遂だったからベベロン国に強制退去でいいんじゃないかという感じに話がまとまろうとしている」
「国王は何て!?」
「あいつは優しいからな。 嫌だと拒否する家臣に無理矢理殺せと命令はできないだろう」
「……なんてこった……」
途方に暮れながら一夢が呟いた。
「それじゃ、ラフォラエルは何のために作戦をたててここまで……」
それらを聞いたライマはゆっくりと扉を閉めた。
ドノマンが国外退去処分になる。
ということは。
「カレン達が……」
ドノマンの管理から逃げたカレン達が心配だった。
ドノマンはきっと裏切ったみんなを追うだろう。
何人かは捕まり、またひどい目に遭わせられるかもれない。
そこまで考えるまでもなく、ライマは勢いよく服を脱いだ。
そして机の引き出しにしまってあった男物の人工皮膚を身につける。
服を着て、髪を茶色に染め、鏡の前に立った。
髪をきゅっと一つに結ぶ。
だが、ふと、鏡に映った自分の姿を見て、前髪を片側だけ垂らしてみた。
――ほんの少し、垂らすのがこだわり……。
オールバックにして、一部だけちょっと垂らしたラフォラエルと、垂らした長さは違うがおそろいだと思った。
今までのラムールと違う、少し大人になった自分がそこにいた。
ライマは指輪を外し、近くにあった紐に通してペンダントにした。
指輪はラフォラエルと誓ったあの時と同じで、彼の分も重ねたままだった。
紐を首にかけ、ライマは指輪をぎゅっと握りしめて頷いた。
紐に通された指輪を胸元に入れる。
ラムールはまっすぐと前を向き、扉を開けた。
階段を下りていくと、一夢達がとても驚いた表情でラムールを見た。
「……心配かけて、ごめん。 もう、平気だから」
ラムールは謝った。 寂しげな笑顔で、精一杯。
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テノス城の拝謁室では、デイと国王陛下が並んで玉座に座って、教育係の最終試験を受けに来る人物を待っていた。
試験にエントリーした者は、ここに来るまでの筆記試験や体力試験、各大臣や軍隊長、女官長達との面接等ですべて失格になっていた。
誰もこの最終試験までたどり着けないのではと思っていたのだが、急に大臣達が慌ただしく動き出し最終試験面接のセッティングが整った。
「ここまで来るとは、さぞや優秀な輩なのだろうのぉ?」
国王が尋ねると皆は頷いた。
「どう思う、デイ?」
国王はきちんと正装して隣の椅子に座る息子に問いかけた。
デイはかなりふて腐れた顔をしてはいたが、ここで新しく面接に来る輩を落とさないことには自分の教育係が決まってしまうのだ、来ない訳にはいなかい。
こっそり胸元に隠したカエルを投げつけてやろうか、天井からぶら下げた水風船の束を落としてやろうか、そんなことを考えながら相手を待つ。
拝謁室の扉が開かれ、一名の青年が中に通される。
その姿を確認した瞬間、国王陛下の顔が明るく輝き、デイは既に彼に向かって駆けだしていた。
「せんせー!!」
デイが大声でその名を呼ぶ。
ラムールは少しだけ驚いたようにデイを見て、その片手を宙に上げた。
「せんせー!」
デイがラムールに飛びついた。
その瞬間、謁見室にいた者達が奇妙などよめきを上げた。
デイがラムールの顔を見ると、彼は天井を向いていた。 それで自分も上を見ると、なんということであろうか、思わず駆け寄った時に仕掛けの紐を離してしまったらしい。 天井からぶら下げた水風船が落下してきて、デイとラムールの頭のすぐ上でフワフワと浮いていた。
「……あ、あのね、それは」
デイはしどろもどろになりながら浮かんだ水風船とラムールの顔を交互に見比べた。
ラムールの手に力が入り、デイは体を離す。
ラムールの指が小さな円を描くと空中に浮かんだ水風船は行儀良く並んで棚の上に移動した。
「せ、せんせー。 あのね」
その場をどう誤魔化そうかとデイがキョロキョロと辺りを見回す。
するとラムールはちょっとだけ片眉を上げて、デイの胸元に手をやった。
「……まったく」
少し呆れた口調でデイの胸元から一匹のカエルを取り出す。
カエルは狭い胸元から救出されて、嬉しそうにケロケロと鳴いた。
「水風船と、カエル。 これで何をしたかったんだい、デイは」
するとデイは顔を輝かせながら言った。
「せんせーじゃない人がせんせーになろうって来たら、追い返すつもりだったの!」
その真っ直ぐな心に、ラムールは思わず微笑んだ。
「せんせー、おかえりっ!!」
抱きつくデイの頭を優しく撫でた。
デイの素直な愛情が、もう二度と微笑むことがなかったはずのラムールに喜びを与えた。
――デイ。 私が守ってあげるから。
そう、ラムールは誓った。
「さて、ラムールよ」
そこに国王が歩いてやってきた。
ラムールはデイを離して床に跪く。
陛下が真面目な顔をして尋ねた。
「儂は試験の最後にはこの質問と決めておる。 そちは王子に何を教えたい?」
その声を聞いて、ラムールが頭を上げて国王を見た。
今までとは何かが違う眼差しだった。
ラムールは臆することなく答えた。
「豊富な知識はもちろん、優しさと勇気と、愛、そして――自由を」
国王陛下は満足そうに頷いた。