第57話 罰?
ラフォラエルが死んで4日後の夜、佐太郎が陽炎の館を訪れた。
佐太郎は2日間でラエル3の特効薬を作り、国へ献上してそれを用いて患者をすべて治療した。
ライマからくれぐれも宜しくと頼まれていたので一人残らず完治させた。
薬の質が良かったのと、ラエル3が人から人へは感染しなかった事などが幸いし、嘘のように奇病騒ぎは治まった。
夜もかなり更けていたので羽織達はもう寝てしまい、陽炎の館は静まりかえっている。
扉の前で、佐太郎はライマが薬の処方箋を持ってきた時のことを思い出していた。
彼女はひととおり説明を終えた後、今まで見たことのない女の子の顔つきになって、あのね、結婚したの、と、本当に嬉しそうに報告してくれた。
結婚という報告が突然すぎて、驚きのあまり佐太郎は1分くらい呼吸することも忘れて固まったくらいだ。 佐太郎は薬を作らなければならなかったので見送りをすることが不可能だったから、その場でお別れをした。
幸せになるんだぞ、困ったらいつでも頼ってこい、俺が助けてやる。
そんなはなむけの言葉に目を細めて頷いたライマ。
相手の男がどんな奴だかは知らなかったが、ライマを幸せにして欲しいと望んだ。
そして、ライマが結婚して家を出て、さぞや一夢が落胆しているだろうと考えたので、酒の一つでも持って励ましに来たつもりだった。
しかし暗く沈んだ新世と一夢に会って、予想外の出来事が起きていることを知った。
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真っ暗な闇の中、3つの小さな光が足下を照らした。
深い森の中は闇夜と表現しても足りないくらい深く黒い空間が広がる。
新世が先頭に立って進んだ。
しばらく歩くと、開けた場所に出た。
新世と一夢が並んで立って、じっとそれを見つめる。
一番最後から来た佐太郎が二人を交わして前に出た。
一夢と新世が辛そうに視線を逸らす。
「……ライマ?」
佐太郎の声にもぴくりとも反応しないライマがそこにいた。
ライマは真っ白なドレスに身を包んだまま、横たわったラフォラエルの隣でうずくまっていた。
その二人の周囲の空気が不思議に張りつめている。
「彼が死んでも、最初はずっと治癒力を放出していたわ。 でも彼に魔法は効かないから――直接触れないように今は薄皮一枚分隔てて、彼の周りの空気を消し去っているの」
それは真空にすることによってラフォラエルの亡骸の腐敗を止めている証だった。
「何を言っても、聞こえてない」
一夢がぽつりと言った。
佐太郎は恐る恐る、ライマに近付く。
ライマは髪の毛一本動かさない。
「ライマ。 ラエル3の治療は済んだ。 もうみんな平気だ。 そいつもホッとしてるだろう」
佐太郎の言葉に初めてライマの肩が動く。
佐太郎は静かに告げる。
「だから、もういい。 墓を作ってやろうや」
重々しく、ライマがやっと口を開いた。
「……ラフォーは死んでない。 だからお墓なんか作らない」
「違う。 死んでる」
「死んでない」
「いいや、死んでるっ!!」
「ラフォーは死んだりしないもんっ!!!」
「ライマ!!」
佐太郎が拳を振り上げ、それを慌てて一夢が制する。
「待て! 佐太郎!!」
「離せ一の字! ぶん殴らねぇとこいつは目がさめねぇ!」
「ラフォーを死なせたりしないもんっ!」
ライマはそう言って泣き崩れた。
そのあまりの激しさに佐太郎は拳を引く。
そして悔しそうに歯ぎしりをしながらライマを見下ろす。
「死なせない?! そうやって腐敗を止めることが死なせないってことなのか!?」
佐太郎の激しい口調にライマが鋭い眼差しで応えた。
「佐太郎には分からない! 自分より大切な人がいなくなった、私の気持ちは佐太郎には分からない!」
「じゃあ、お前が死んで、その気持ちを俺達に教えるってのか!」
「……」
ライマは返事をせず、ただ涙を流しながら睨むように佐太郎を見た。
佐太郎が諭すように告げた。
「そのまま続けてどうなるってんだ……。 飲まず食わず、いつかはお前も死ぬ。 お前はそれで満足かもしれねぇな」
「おい佐太郎」
「一の字は黙っててくれ。 ……いいか、ライマ。 お前が死ぬ。 そうしたらその男の腐敗を止める術は無い。 共に朽ち果て、骨になる。 お前はそれでも満足だろうな。 自分でそれを望んだんだから。 だけど、その後はどうなる? お前の愛する男の亡骸はお前が死んだら最後、森に住む獣の餌になるだろうよ。 体中バラバラに食いちぎられ、あちこちに骨が散乱するさ。 愛する奴の体をそんな目に遭わせて、お前本当にそれでいいか?」
ライマは黙っていた。
佐太郎の手が、ライマの頭を撫でた。
「死んだ者には何もできない。 だから墓を作ってやるのは生きている者に託された仕事だ。 死んだ者のために墓を作ってやることは、生きてる者がしてやれる最大限で唯一の事なんだ」
ライマは長い間、涙を流したまま佐太郎の顔を見つめた。
耐えきれず、佐太郎が告げた。
「……その後は好きにしろ。 とりあえずこいつの為に墓だけは作れ」
「……好きにしていい?」
「ああ」
「私が死んだら、ラフォーの体の隣に埋めてくれる?」
「……ああ」
佐太郎の返事を聞いた一夢達が顔色を変えたが、ライマはやっと頷いた。
そして4人で墓を作り――
ライマは盛り上がった土に身を寄せて目を閉じた。
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更に4日が過ぎた。
佐太郎が陽炎の館の新世達の部屋の窓から、裏の森を眺めていた。
「一の字。 ライマはまだ墓から離れないのか? 飲まず食わずで」
一夢が俯きながら返事をした。
「死ぬんだってさ。 自殺したら同じ死後の世界には行けないから、自然に死ぬまで飲まず食わずでそこにいるんだと」
握りしめた拳が自分のふがいなさを悔いていた。
慌てた佐太郎が大声を張り上げた。
「死ぬって、それでいいのか? 新世、一の字! あいつの望み通りにしてやりたいって気持ちは分かるけどあいつを死なせてしまって、それでいいのか!?」
「死ねないの」
ところが新世が静かに即答した。
「ライマはいつまでたってもあのままでは死ねないの。 だから気が済むまでと思っていた――のだけれど」
「どういう事だ? 新世」
新世がゆっくりと息を吐き、森を見る。
「最初、あの子が弱って意識を失ったらここに連れてくるつもりだった。 でもあの子……」
言葉を濁す。
「何だ? 言ってくれよ新世」
新世の瞳に悲しみと恐れが入り交じる。 そしてしばらくの沈黙ののち、口を開く。
「ライマは悲しみの中や、生命に危険が及ぶと成長するタイプの人間みたい。 何日もああしてるけど、 弱るどころか逆にどんどん法力が増大している。 無意識に体力だって回復している。 もう普通の人間レベルではないわ。 大魔導師、いいえ、翼族にも勝るとも劣らないほど成長している……」
「ちょっと待て、本当か?」
「ええ。 何かのリミッターが外れたみたいに異常に成長しているの。 このままではあの子……魔に魅入られて魔王になってもおかしくは無いくらい……」
一夢が小声で呟いた。
「ラフォラエルを生き返らせると言われたらアイツはすぐにでも首を縦に振りそうだからな」
佐太郎の表情にも焦りが現れる。
「それなら尚更、あいつをあそこから離さなきゃならんだろうが! お前達、何とかできねぇのか!?」
一夢は首を横に振った。
新世は目を伏せた。
「私にはできるわ。 でも、それはライマをもっと苦しめそうで……」
「馬鹿! んな事言ってる場合じゃない!!」
佐太郎に怒鳴られて、新世は覚悟を決めた。
そして新世がライマに会いにいった。
不思議なほどあっさりと、ライマは深夜に陽炎の館に戻ってきた。
その瞳には、なぜか強い意志の光が溢れ、彼女は自分の部屋で休んだ。
それから毎日、きちんと3食バランスよく食べ、ベットで眠り、外に出ることもなく安静に過ごした。
「やったなぁ、新世」
佐太郎が感心した。
しかし新世の顔に笑顔は無かった。
数日後にライマが再び絶望のどん底に落ち込むのは目に見えていたから。
+++
それから再び、何日が過ぎたのだろう。
佐太郎は毎夜、陽炎の館に立ち寄っていた。
羽織達は既に普通の生活に戻っていたが、ライマは部屋から一歩も出てこない。 気配さえ感じさせない。 新世が毎日食事を運び、それが唯一の接点だった。
子供達が寝静まり、佐太郎がいつものように館を訪れる。
一夢達の部屋で佐太郎は胸元から一通の書状を取り出した。
「国王陛下から預かってきた。 この前デイを叩いた件は不問にするってさ」
これで誰も処刑されずに済む。 それは嬉しい話のはずだった。
「しかも、再度教育係として雇いたいとの依頼つきだ」
それも大層めでたい話のはずだった。
しかし誰も微笑まなかった。
佐太郎がため息をつきながら言った。
「こんな話を今してもナァ……」
そのとき、階下から誰かが登ってくる床のきしむ音が聞こえた。
一夢と佐太郎が慌てて顔を見あわせ、新世はただ黙って手元のお茶を見ていた。
足音はゆっくりとこの部屋に近付き、小さなノックをした後、ライマが入ってきた。
肩が冷えないためにだろうか、ブランケットを羽織ったライマは今にも消えてしまいそうなほど儚げだった。
一歩一歩、まるで幽霊が歩むかのように進んでくる。
「ライマ、国王がお前にもう一度教育係をと……」
佐太郎が思わず雰囲気を明るくしようと口を開いた。
「辞退申し上げる、って伝えて」
ライマは小さな声で迷わず返事をする。
彼女はそのまま、ゆっくりと新世に近付く。
新世は悲しげに、何もかも分かっているような表情をして立ち上がり、ライマを待った。
ライマは新世の前まで来ると、ほろりと涙をこぼした。
「赤ちゃん、ダメだった」
これ以上に悲しい響きがあるかと思える程切り裂かれそうな小さな声だった。
「新世に、結婚したのなら可能性はあるでしょって言われたけど、ダメだった」
一夢と佐太郎が言葉を失う。
新世は黙っている。
ほろりほろりとライマは涙をこぼす。
「私ね、もしお腹に赤ちゃんが来てるなら、私が守ってあげるからって、沢山愛してあげるからって、いっぱい、いっぱい話しかけたの。 ねぇ新世。 赤ちゃんはお腹にいたのかな? いなかったのかな? 私がこんなんだから、嫌で天国に帰っちゃったのかな?」
みんな黙っている。
「新世ぇ」
ライマが寂しそうな声を上げる。
新世は黙ってライマを抱きしめた。
ライマは新世の肩に頭を寄せた。
「どうしてこんなに後手後手になっちゃうんだろう」
ライマは続けた。
「私ね、幸せだったの。 本当に幸せだったの。 ラフォーといられて、本当に幸せだったの。 でも本当はもっと早く帰るべきだったの。 ラエル3のことが分かった時に。 帰ってみんなに話すべきだったの。 なのに私はそうしなかった。 見てみないふりをした。 みんなが苦しんでるって時に、自分の幸せのために無視したの。 ラフォーのことだけ考えてたから。 他のことなんてどうでもいいって思ったから。 私がワガママだったから、自分勝手だったから。 だから罰が下ったの」
新世が首を横に振ったが、ライマは泣き続けた。
「こんな罰なんかいらなかった。 他の罰ならどんなことでも受けるから、私はラフォーに生きていて欲しかった。 ラフォーに生きていてほしかった。 生き、生きて……私の、私のせいで……」
もはや言葉にならなかった。
ライマは新世にしがみついて泣き続けた。
一夢と佐太郎はただ悲しそうに見守ることしかできなかった。
しゃくりあげながら、ライマは新世に促されて横になる。
新世の手をつかんだまま、泣きじゃくりながらライマは疲れて睡魔に襲われていった。
「……もう死ねない。 絶対すぐ後から行くって決めたのに――今から死んでも赤ちゃんが天に帰っていたら、私、ラフォーに会わせる顔が、無い……」
深い眠りに連れて行かれながら、ライマは何度もそう呟いていた。
それからのライマは相変わらず部屋に閉じこもって一歩も外に出なかった。
今更死ねないという言葉のとおり、きちんと食事はとっていた。
だが、生きているとは言い難い状況だった。
ただ息をして寿命を消化している。
それだけの毎日だった。
そして、誰も、彼女の心を動かせなかった。
いいや、一人だけ。
やはりライマの心を動かせたのは、彼女のすべてとなった、ラフォラエルだった。