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第4話  彼の名はラフォラエル

 ライマは一瞬落ち込んだが、気を取り直して周囲を見まわす。

 どうやらここはあの男の寝室らしい。 ベットが一つと、クローゼット。 さっぱりとした気持ちのよい部屋。 男が出て行った扉とは別に、部屋の奥には小さな扉が一つ。 他に誰か住んでいる気配はない。

 ライマは枕元にあった服を着た。 

 男物の黒色のTシャツと、ハーフズボン。 男物なら着慣れているが、香りが違う。 当然ながら、下着は無い。

 窓から外の景色をちらりと眺めてみる。 青々とした緑が眩しい緩やかな下り坂と、その先には岩場の海岸、そして広がる海が見えた。

 どうやらここは丘の上の一軒家のようだ。


――はてさて。


 ライマはほんの少し考える。 どうやら自分は川で薄い結界を張って流れに身をまかせたはいいが意識を失って流れに流され、ここにたどりついたらしい。

 潮流を計算していったいどの島かと予想をして、青くなる。 思い出したように扉に目を向け、確信したように頷く。


――僕がラムールで、女だって事に気づかれないようにしないと。 ……いや。 女であることは完全にばれているから……


 そこまで考えて先ほどの出会いを思い出し、少し凹む。


――ええいっ! ライマ! しっかりしろっ! ここは仕方がない。 普通の女の子を装って、そう、名前も偽ってさっさとここからいなくなる!


 頬をパンパンと軽く叩き、気合いを入れて男が出て行った扉のノブを掴む。


――名前は何にしよう。 覚えやすくて、なじみがあって……クララ、そう、僕の、いや、わたし、の名前はクララだ!!


 そう頭の中で反すうしながら扉を開ける。 隣の部屋では男が紅茶を入れ終わったところだった。

 男はライマよりも頭一つ分位背が高く、年上には間違いなさそうだ。 白いワイシャツとグレーのスラックスを着て、まるで学会に出席する学者のようにも見えた。 オールバックの髪型はきちんとワックスで固められていたが、右前髪が何本か垂れている。 彼はライマの姿を見ると安心させるように微笑んだ。


『よ。 そんな服しか無くて悪いな。 とりあえず座って茶でも飲んでくれ。 ラ イ マ 』


 ライマは面食らう。


『ラ、ラ、ライマって……』

『着ていた服に小さく刺繍があったけど?』


――新世ぇ! 羽織達じゃないんだから持ち物に名前を書かなくても良かったのに……


 ライマは計画が崩れ、ずどん、と落ち込む。 それを見て男が慌てる。


『あ、ライマにも色々事情はあるんだろうから、詮索するつもりはないからさ。 届けを出すつもりもないから安心しなよ』

『はっ?』

『せっかく助かったんだからさ。 一度死んだ気になれば、やりなおしはいくらでもきくし』

『……』


――もしかして、自殺したとでも思われている?


 ライマはどう返事をしてよいものか考えたが、身元を明らかにしたくない今、下手に何も言えず。

 男はカップを手に取りライマに渡す。


『はじめまして。 俺の名はラフォラエル。 年は18。 医者だ』

『お医者さん?』


 ラフォラエルは頷く。


『ここはロアノフ島。 俺はここで島民の往診とかして生活してる。 見てのとおり一人暮らし。 だから落ち着くまで好きなだけここにいていいよ』


 ライマは紅茶に口をつけながら頷く。

――やはりロアノフ島か。 これはまた、面倒な……


『ねぇ、今日は何日?』

『え? あ、19日』

『じゅうくっ?』


 ライマが川に流れてから2日もたっていた。


――ヤバっ! 何の連絡も無しに2日も帰ってないなんて新世達が心配してる!


『あ、あのっ、ボ、いや、わたし、別に長居するつもりは無いから……』


 ライマ的には一刻も早くこの島を出たい。 だがしかし。


『本島への舟は1日に1便しかないんだ。 今日はもう出ちゃったから明日にならないと無理だよ』

『1日1便?』


 それを聞いて呆然とするライマ。


『ま、そんな訳でどうしようもないから、とりあえず着替えを買いに行こう。 ライマの着ていた服は濡れて脱がしづらかったから切っちゃったんだ。 ごめん』

『切っちゃったぁ?』


 ライマは叫んだ。 せっかくせっかく新世が作ってくれた服だったのに、と。


『俺が見つけた時にはもう冷たくなっていたからさ。 一分一秒でも早く温めなきゃと思って……』


 ラフォラエルは申し訳なさそうに言う。 ライマは呟いた。


『……わかった』


 ライマとて馬鹿ではない。 いや、理性の方が勝っている。 こちらの事情はどうあれ善意で助けてくれたのだ。 文句を言ってはいけないだろう。

 ラフォラエルは微笑んでライマの頭をポンと撫でた。


『サンキュ。 じゃあ買い物に行こうぜ――あー……っと』


 ラフォラエルは少し戸惑いながら続けた。


『俺のことは、愛称のラフォーって呼んでいいから』

『ラフォー、ね』


 ライマはまだ、その彼の言葉が何を意味しているかは知らない。 











 陽炎の館に、一夢が体中を泥だらけにして帰ってきた。

「新世! まだライマは帰ってこないのかっ!?」


 新世は黙って濡れたタオルを差し出し、一夢はそれを受け取ると顔を拭いた。


「採掘場、裏山、ため池……とにかく事故に遭って助けを呼べない感じの所をしらみつぶしに探したけど、どこにもライマがいた形跡が無いんだ。 あいつの行きそうな所といったら残るはテノス城しかないけど、あいつは今は城に入る権限が無いし……」


 新世は黙ってお茶を出し、一夢は一気にそれを飲み干す。


「なぁ、新世! ライマ、どうしたんだろう? 何があったんだ?」


 新世は黙ってじっと外を眺めてやっと口を開いた。


「ライマが――もし危険な目に遭っているなら、きっと私の名を呼ぶから……」

「でも何も聞こえないんだな?」


 新世は頷く。


「草も木も水も、特に何も言わないわ。 ただ川で人魚族がちょっかいを出しかけたみたいだけど――」

「人魚族?! あいつらライマに何をした? 俺が今から行って締め上げてやる!」

「一夢、落ち着いて。 人魚族は特に何もやっていないのよ。 だから今、みんなに探してもらっているところなの」


 新世はそう言って屋上庭園に出る。


「大気にも悲しみは感じられないから、ライマは無事。 今はそれだけは言えるわ」


 一夢はしゃんと背筋を伸ばして立つ新世をじっと見つめた。


――みんな、か。


 そう考えながら新世と同じ方向を見る。

 すると、一羽の小鳥が飛んでくる。 新世が指を止まり木がわりに前に差し出すと、その鳥はまるで飼われているかのようにその指にとまった。

 チチ、チチ、と小鳥がさえずる。

 その声を聞いて、新世が目を丸くする。


「そう……」

「何? 何だ新世? 鳥は何て言ってるんだ?」


 一夢がせかすが新世は何も言わず数秒考えて、自分の羽のうち小指位の長さの小さなものを一本取り出すとその小鳥に差し出した。


「これをライマに渡してくれる? それだけの距離はあなたには無理だから他のみんなに引き継いで」


 小鳥は言われたとおりその羽をクチバシで掴むと、新世の指から飛び立った。

 新世はホッとした表情でその姿を見送る。


「な、なぁ、新世! どうなったんだ? 教えてくれ」


 新世の肩をゆする一夢に向かって、微笑む。


「ライマ、無事だって」

「で? いまどこに? 俺が迎えに行くから!」

「ええっとねぇ……迎えにはまだ行かなくていいと思う」


 新世が苦笑する。


「え? 何がライマにあったんだ?!」

「川で流されちゃったんだけど、無事に助かったみたいよ。 今はその助けてくれた男の人の家に二人でいるみたいよ」


 それを聞いて、一夢がポカンとした顔で尋ねた。


「……男と?」


 新世、頷く。


「二人で?」


 新世、頷く。


「何だそりゃああっ!」


 一夢の悲鳴にも似た声が、スイルビ村に響き渡った。











 さて一方。 ライマはラフォラエルと買い物を終えて帰ってきていた。 

 リビングのソファーに腰かけ、買い物袋をテーブルに置く。

 買ったものは服に下着に身の回り品。 必要最低限のものばかりだ。 


「ロアノフ島、か。 まさか隣の国まで流されるとは思ってなかったなぁ……」

 ライマは呟いた。


 ロアノフ島。 

 テノス国と海を隔てて隣接しているベベロン国の領土だ。 丁度テノス国とベベロン国の間にぽつんと点在する人口100人にも満たない本当に小さな島だった。

 よってこの島からテノス国に帰るには、一度ベベロン国に渡ってそれからテノス国に入国しなければならない。 


――潮流の関係もあるから泳いで帰る訳にもいかないし……いや、泳ぐには無理のある距離か……


 ライマはブツブツと呟く。 すると隣の台所から、


『ライマー! 砂糖は何本?』

 ラフォラエルの声が届く。


『2本!』

 ライマは返事をする。


 そう、ここが隣の国ということは。


『ベベロン語かぁ〜』


 二人が話している言語はベベロン国語なのである。

 幸い、というか当然というか、ライマは殆どの国の言語を自在に話せたので不自由はしない。 ラフォラエルと最初に話した時も相手がベベロン語で話したので無意識にベベロン語で返していた位である。


――ま、おかげでテノス国民って事はばれてないんだけど。 さっさとベベロン国民になりすまして本土に渡って帰らなきゃね。


 ライマはペロリと舌を出して買ったものを袋から出す。

 ここの島民はみんなラフォラエルと親しかった。 ライマを連れていくと、小さな商店街の全員がとても驚いて店から飛び出してきた。

 先生、このお嬢さんはどうしたんだ、イヤだねお前さん、野暮な事は言っちゃダメだよ、と大盛り上がり。 殆どが中年以上、顔色が悪い島民ばかりだったが、それでも明るく気持ちの良い人々だった。

 洋服屋の店主はここに若い女の子なんていないから、ええい持ってけ泥棒!と言って、若い女の子向けという商品をごっそりくれた。

 もらえない、とは言ってみたが、いつも先生にはお世話になっているからと言って引かない。 しかも、何なら転売すればいいとまで言われ、それじゃあベベロン国に渡ってからテノス国に帰るまでの船賃の足しにしようかと考えて受け取った。


――さって、どんなものが入っているのかなぁ?


 ライマはちょっとだけワクワクしながら貰った袋を開ける。

 まず、超ミニスカート。

 フレアの膝丈のスカート。

 総レースの白い下着セット。

 フンドシにしか思えない、きわどい下着。

 どう履けばよいか、どっちが前か後ろか分からないような下着。

 赤色のビキニの水着。 しかも結び目は、ヒモ。

 エプロン


「……」


 ライマは考えた。

 これがベベロン国の少女達の間ではやっているのだろうか。

 いやそれ以前に同じ年頃の少女達はこれを来ているのだろか。


――くれるくらいだから、きっとそうよね。 ま、僕は着ないけど。 売るからいいか。


 ライマはそんな事を考えながら商品を眺めてから袋に入れ直した。


『ところでさ、ライマ』


 ラフォラエルがココアを持ってやってくる。 ライマはそれを受け取る。


『俺、今から往診に行ってくるけどその間は暇だろ? 本でも読んでおく?』

『本?』


 本、と聞いてライマの目が輝く。 ラフォラエルは嬉しそうに微笑む。


『書斎にあるから好きなもの読んでいいよ。 書斎はこっち。 来て』

『うん行く♪』


 ライマはまるでお菓子につられる子供のように軽やかについていく。 書斎は寝室の奥の小さな扉からしか出入りができない。 そしてその扉を開けて薄暗い小部屋に入り明かりを点けると……


『うっわぁ♪』


 ライマは嬉しくて飛び上がった。

 小さな書斎だったが、天井まで本棚が並び、本がぎっしり詰まっている。 本棚に囲まれるように置いてある一人用の小さな机の上にも書類や資料がてんこ盛りだ。

 ラフォラエルが本棚の下に重ねて置いてある雑誌に手を伸ばす。


『ライマが読めそうなファッション雑誌とか小説とかはこのあたりに少ししか無いんだけ……ど』


 ラフォラエルはそこまで言って動きを止める。

 ライマが嬉しそうにかじりついている所は学術書だった。


『うっわあ♪ あ、これ、ナノテクの本。 こっちは数学集。 医学書もあるしぃっ! 物理地学力学工学魔法学、楽しそ〜♪』


 ラフォラエルは持っていた雑誌をクルクルと丸め自分の肩を叩きながら笑った。


『喜んでもらえた?』

『うんっ!』


 ライマは本当に嬉しそうな笑顔で頷く。 そしてその視線が部屋の隅の棚の上の分厚い本に注がれる。


『……あれは?』


 ライマは近づいてその本を取ろうとする。 しかし身長が足りず背伸びしても届かない。


『ちょっと待って。 狭いからそのままで』


 すると彼が近づきライマの背後から本棚に手を伸ばす。 ライマは本棚と彼の間にほんの一瞬だけ挟まれる。


『ちょっとだけゴメン』


 更にラフォラエルが手を伸ばす。狭い部屋の中、ライマは本棚に押しつけられる形になる。 沢山の本の香りと、彼の体温。 なんだかとても優しい暖かさだった。


『はい、どーぞ』


 ラフォラエルは微笑みながら、取った本を渡す。

 その本は百科事典2冊分くらいの厚みがあり、かなり古い。 そしてその表紙には――


【 法 術 大 全 集 】


 ライマがその文字を目にして驚く。


『すっごぉいっ! 幻の大全集じゃない! これ、ラフォーの?』


 ライマは興奮しながらページをめくる。

『身護りの術……魔法陣の作り方……空の飛び方……すごい! 本物ね、これ!』


 ラフォラエルが苦笑する。


『でも俺、法術って苦手だから宝の持ち腐れってヤツ。 ライマは法術を使えるの? 使えるのならあげるけど』

『ホント? ありがとう! すっごく嬉しいっ!』


 ライマ、即答。 


『いいって。 そんなに嬉しいなら本だって喜ぶさ。 んじゃ、御礼にってのは何だけど、俺が往診に言っている間、晩飯作ってくれる? 冷蔵庫に入ってるものを好きに使っていいからさ』

『……え?』


 ライマは戸惑う。 ラフォラエルはちらりと時計を見て慌てる。


『やべっ。 もうこんな時間だ。 じゃあ俺行ってくるから、飯よろしくな♪』


 書斎を出て行こうとする彼に向かってライマが言う。


『あ、あの、わたし、料理ってあんまり……』


 しかしラフォラエルは気にせず答えた。


『そこに料理の本もあるから何とでもなるっしょ。 俺、好き嫌いは無いから、なんでもいいよ!』


 そしていなくなる。

 ライマが呆然と立ちすくむ。


『り、料理……』


 自慢ではないが、作ったことなど一度も無かったのだ。

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