第36話 初めてのピクニック
突き抜けるほど澄み切った青い空。 心洗われるかのように鮮やかな白い雲。
優しく降り注ぐ太陽の光。 穏やかにそよぐ風。
翌日、ロアノフ島はこれ以上のベストな気候があろうかといわんばかりの、ピクニック日和だった。
「用意できたー?」
リュックにお弁当をつめこんだラフォラエルがライマを呼んだ。
「ばっちり♪」
ライマはピクニックらしい動きやすい軽快な服装。
水筒にお茶を入れて準備バッチリだ。
二人はロアノフ島の山をのぽる。
緑を眺め、ウサギやリスなどの小動物に目を細め、手をつないだまま楽しく話しながら緩やかな山道を登る。
そして、頂上にたどり着いた。
「いい眺めー♪」
ライマが背伸びをしてその雄大な景色に歓声を上げる。
「結構いけるだろ?」
ラフォラエルはピクニックシートを敷いて座る。
「さ、ランチにしようか」
そう言いながら持ってきたお弁当をひろげた。
ラフォラエル特製、愛情たっぷりの二段重。
「うわぁい♪ 嬉しいな」
ライマはとても楽しそうにはしゃぎながら、シートに座る。
緑と、風と、お弁当。
いつも美味しい彼のご飯も数倍美味しそうだ。
手を拭いて、取り分けて、食べる。
「おいしっ♪」
「良かった」
「ピクニックって楽しいのね」
ライマはパクパクと食べていく。
「ライマってピクニックしたことないの?」
ラフォラエルが尋ねた。
「うん。 考えてみたら初めて」
陽炎の館にいる時は新世とピクニックなんて無理な話だったし、教育係になってからはそんな余裕は無かったからだ。
「新世達とピクニックに行けたら楽しいだろうナァ」
そう言いながらライマはふと考える。
――デイは? デイもピクニックなんてしたことがないのではないか?
おそらく以前のラムールだったら「時間の無駄」としか考えなかったはずだ。 食事なんて、どこで食べても変わりはないものだと思っていたし、また、仮に山に登る事を計画したとしても、デイのためと思って、体力増強のために険しい道を進ませて時間内に頂上につくよう訓練したことだろう。
ただ穏やかに風景と会話を楽しみながら行うピクニックとはほど遠い。
ふとラフォラエルを見ると、自分と同じように風景を見ながら気持ちよさそうにお弁当を食べている。
――デイにもピクニックをさせてあげればよかったな……
美味しいお弁当を頬張りながらライマはそう思った。
そのとき、ラフォラエルが口を開いた。
「オレって、ライマの初めてを貰ってばっかりだなぁ」
「え?」
「だってライマに初めて料理させたし、初めての料理も食べた。 ピクニックも初めてなら、遭難して拾われたのも初めてだろうし――キスも初めてだったし」
「んー……。 面白くないなぁ。 なんか悔しい」
ライマは少し拗ねた。
彼の言うことは正しかったが、ライマ自身は――彼の初めてとは縁が無いのだ。 多分。
「まぁまぁ、拗ねるなって。 ライマは未経験すぎたんだから」
余裕の笑いを見せる彼が小憎らしい。 手の平で転がされているようだ。
反撃がしたい。
少し考えて、はと気付いた。
「そーいえば、初めて初めてって言うけど、よく思い出したら一昨日のキスは初めてじゃないもんね。 私」
ライマはツンとそっぽを向いた。
「ウソっ! いつ、どこで?! 誰とっ!」
ラフォラエルが顔色を変える。
「ふふーん♪ 秘密」
ライマは少し意地悪な表情で彼を見た。
「分かった! お母さんとか、新世さんとかだろ?」
「違うヨ。 男の人」
「……ほっぺとかだろ?」
「いーえ」
そこまで告げると見事なまでに彼は肩を落とす。
「……ぇえー? 初めてじゃなかったのかぁ……?」
しょぼくれる彼を見てそれなりに満足。
ライマは小さく笑った。
「だってこの島に来て気づいた時、ラフォーにキスされてたもん♪」
そう言って軽くラフォラエルの唇にキスをする。
ライマからの不意のキス。 これも実際は初めてだったりして。
「驚いた?」
ライマが悪戯っぽく笑う。
ラフォラエルは顔を赤く染めながら弁解した。
「あ、あれは人工呼吸……」
「いーえ。 気道確保されてませんでした。 キスです。 キスでした」
今とは比べものにならないほど何も感じないキスだったが。
「ったく!!」
ラフォラエルは悔し紛れにライマを押し倒した。
上におおいかぶさり、ライマに熱いキスをする。
「ん、あっ、ダメ」
しかしライマは顔をそむける。 だからラフォラエルが訊く。
「どうして?」
「だ、だって、ここ、外よ」
「先にキスしてきたのはライマだよ」
そう言ってキス。
彼女の髪を撫でながら、引き寄せるように、キス。
「で、でも恥ずかしい。 誰かに見られたら……」
ライマは逃れようとしたが。
「別にいいよ。 花も鳥も動物もみんな、ライマと俺がキスしているのを見てるけど、見せておけばいい。 ――好きだ」
そう言いながら逃さず彼女のその唇をむさぼるラフォラエル。
彼の体を押しのけようとしていたライマの手の力が弱まり、その熱い想いを受け止める。
キスをしているとそれだけで何も考えられなかった。
ひとしきり熱いキスを交わすと、少しだけ落ち着いたラフォラエルが唇を離してライマを見てニコリと笑った。
「ふふ」
勝利?を確信し、ライマのおでこに軽くキスをする。 そして額をくっつけた。
「ラフォーの意地悪」
「うん、オレ、意地悪」
そう言ってクスクスと笑う。
二人は起きあがると、肩を寄せ合い座った。
ライマは幸せだった。
「ねぇ――。 どうして急にピクニックなんて連れてきてくれたの?」
ライマは尋ねた。 特に答えが知りたかった訳ではなく。
するとラフォラエルは一呼吸おいてから返事をした。
「思い出づくり。 あと5日しか一緒にいられないから」
「えっ?」
ライマは弾かれるように体を離してラフォラエルを見た。
ラフォラエルは悲しそうにこちらを見た。
「言ったろ? ドノマンの支配から逃れる為に作戦たててるって」
それは知っている。 それは知っている。 だが――いきなり最後を告げられたような――
「6日目の朝、オレはこの島を出てドノマンと一緒にテノス国に行く。 その後……ドノマンから逃げる。 行き先は秘密だ。 追われないために」
ライマは黙っていた。
ラフォラエルは無情に続ける。
「だからその後はロアノフ島に帰ってくることもないし行き先も転々とするから、もうライマとは会えない。 一生」
一生、会えない。
その事実が胸に突き刺さる。
いつまでも一緒にいることなど不可能だと理解していたはずなのに。
ライマ自身、テノス国に帰らなければいけないことも分かっていたはずなのに。
別れがくるのは承知していたはずなのに。
一瞬。
自分も一緒に連れて行って、と口にしそうになった。
このままテノス国に帰らず、共に逃げる。
その選択肢もあるはずだった。
だが。
ラフォラエルの思い詰めた表情を見る限り受け入れて貰えない提案のようだった。
「……ライマ?」
ラフォラエルがライマの顔をのぞき込んだ。
ライマの目には涙がいっぱいたまっていた。
「……ごめん」
ラフォラエルはそう言って瞼にキスをして唇で涙を拭う。
ライマは首を横に振る。
記憶の整理なんかできない。
今が全部すぎて、ライマは何もできない。
ライマはうつろな表情のまま顔を上げ、身を乗り出してキスをした。
一瞬驚いた後、ラフォラエルはライマを抱きしめキスを返す。
ライマは何も考えずにただキスをした。
甘美な感覚にすがりつくようにキスを返した。
するとラフォラエルがそっとライマの体を倒し、二人の体は折り重なるように倒れ、緑の草が小さく揺れた。
ラフォラエルは唇を離してライマを見た。
ライマも求めるように彼を見上げた。
お互いしか見えていなかった。
ラフォラエルの片手がライマのあごのラインをなぞり、そのまま襟元に辿り着いた、その時――
「先生ー!!」
いきなり遠くからの呼びかけに二人は慌てて離れる。
そちらを見るとライマが法術治療をした外れのじいさんが、杖をつきながら山を登ってくる。
「じいさん、どーした?!」
ラフォラエルはじいさんに駆け寄った。
外れのじいさんは肩を大きく上下させながら必死に登ってくる。
「リハビリ中だろ? こんなとこまで登ってくるなんて無理しすぎだって!」
ラフォラエルはじいさんに肩を貸す。
「は、はい……」
ゼイゼイ言っているじいさんのために、ライマが近付き回復魔法をかけた。
「す、すいませんのぅ。 ひ、ひゅうう〜」
外れのじいさんは楽そうな息をついて呼吸を整える。
頃合いを見てラフォラエルが尋ねた。
「で、ここまで来たのは?」
「先生の、お・お探しのものを、見つけましたのでな。 とりあえず急いで、来ました」
「本当!!??」
ラフォラエルが嬉しそうに大声を出した。
「どこどこ? 案内してくれる?」
ラフォラエルは爺さんをおんぶした。 一分一秒も惜しむように。
「東の泉から少し入ったところでして……」
「オッケ! あ。 ライマ、ゴメン。 ちょっと用ができた。 先に帰っててくれる?」
宝物を発見したのように目を輝かせるラフォラエルにつられてライマは頷く。
「じゃあ行こう!!」
ラフォラエルはさっさと進み出した。
果たして彼が探していたものとは何なのか。
++
ライマは仕方がないので後かたづけをして一人、山を下りた。
家に帰り、荷物を片づける。
部屋の掃除もしたし、やることもないので勉強にとりかかる。
もろちん古代語の勉強だ。
暇をみては少しずつやっていたので大部分が理解できるようになっていた。 もちろん発音も、覚えている限りの彼らの会話と、話していたであろう内容を照らし合わせれば、基本らしきものが分かった彼女にとってみれば簡単なものだった。
勉強は楽しい。
楽しい。
だが――