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第32話 キス

 老師は、まさか人がいるとは思っていなかったみたいで、信じられないという顔をしながら私達に近づいた。

 母の瞳が覚悟を決めて、老師の姿を力強く見ていたわ。

 私、悪い予感が胸をよぎった。

 母は老師と向かい合うと、私を差し出した。

 老師は訳も分からず、私を受け取って恐る恐る尋ねた。


[――奥方。 どう、なさいましたかの?]

 母は私を見ながら首を横に振った。

[その子は私には育てられません]

 母の小さな返事に、老師が慌てた。

[何を……? この子はそなたの子であろう?]

[私には無理なのです!]

 母は老師の言葉を遮るように叫んだわ。

[名はライマといいます。 女の子です。 ――普通ではありえない子です]

 最後の言葉は投げ出すような口調だった。

[お渡しします]


 そう言って身を翻すと、母は今来た、すだれ状の木の枝の間をすり抜けて帰って行ったの。 母がすり抜けると木の枝は朝靄みたいに跡形もなく消えて、ただ深い森と、樹に吸収されたはずのおくるみが地面に残っていたわ。



 ***



 ライマの頬につうっと涙がひとすじ流れた。

「お母さん、私を置いて行ったわ。 ごめんなさい、いかないでって何度も心で叫んだけど、母には届かなかった。 口に出して叫べば……戻ってきてくれたのかな?」

 ラフォラエルは何も言わず、ただ優しくライマの頭を撫でた。

「それから私は、老師のもとで育てられることになったの。 そして3日後。 老師が私に告げたわ。 お前の国は天変地異で滅んだ、と」

 ライマの瞳が暗く沈む。

「だから言ったのに。 母に言ったのに。 そう思ったけど、どうしようもなかったわ」

 そしてまたひとすじ、涙を流す。


「――辛かったな」

 ラフォラエルがそれだけ言った。

 だがライマがわざと明るく返事をする。

「で、でもね、私、老師に育てられて幸せだったのよ?」

 一度、鼻をすすった。

「私、本当に、新世や一夢と一緒に暮らせて、幸せだったのよ。 新世は特に泣き方も教えてくれて私の心を救ってくれたわ。 それに沢山愛してくれたし、可愛がってくれたもの。 私が話し出した時も全然驚かなかったし、ホントに……私が思い描いていた母親みたいに……」

 しかし、最後は涙がこぼれ落ちるのに耐えきれず、ライマは言葉に詰まった。

 そして暫くのあいだ、ラフォラエルの手をしっかり握って呼吸を整えた。

 

「えっ……と、私の昔話は、これでおしまい」

 ライマはなんとか呼吸を整えるとそう言った。


 頭を撫でていたラフォラエルの手が離れる。

 ライマは不安そうに、つないだままの彼の手の感触を確かめた。


「ハイハイ、涙ふいて」

 ラフォラエルはベット脇からティッシュを一枚取ってライマの顔を拭く。

「あん、もぉ、自分でできますっ」

 ライマは軽く怒りながら涙を拭く。

 ちらりとラフォラエルの方を向くと、彼は天井を見上げて何かを考えていた。

「ラフォー?」

 ライマが尋ねたが、ラフォラエルは黙っていた。

 ライマは不安になった。

 このまま手を振りほどかれるのではと、不安になった。


 その心の不安をまるで読み取ったかのようにラフォラエルが口を開いた。

「まず結論。 キスは絶対するから」

 断定系の口調に思わずライマは目を丸くする。

 ラフォラエルが続ける。

「だからもう少し待ってて」


 そして再び沈黙する。

 ライマは黙って彼の横顔を見ていた。

 どの位たったか、彼がやっと口を開いた。

「ライマはお母さんのこと、許せないよな?」

「……よく、わからない」

「俺はドノマンの事、許せない。 絶対、許せない。 今までそう思ってやってきた。 きっとこれからもそうだ。 でもな、ライマに会って、ちょっとベクトルが変わった」

「……どういうこと?」

 ライマは首を傾げた。

 ラフォラエルは真剣な口調で続ける。


「苦しいことも辛いことも、すべてドノマンのせいだって思いながら今までやってきた。 でも俺、あいつのおかげで、いまの俺になれて、ライマと出会えて、今こうしてる。 正直、ライマと出会えてとても嬉しい。 今、ライマがここにいる事実が何より嬉しい。 あいつを許すことはできないれども、あいつがいなければライマと出会えなかったならば、俺は文句が言えなくなっちまった、って感じ」

「?」

「そのくらい、ライマは俺にとって大きな幸せの存在だってこと」

 彼の握る手に力がこもる。


「ライマが好きだ」


 そしてライマの方を向く。


「ライマの存在、全部が」


 まっすぐライマを見つめる。

 頬を染めて見つめ返すライマの頬に、ラフォラエルの空いたもう片手が添えられる。


「ライマが大好きだ」


 ラフォラエルがそう言いながらライマに唇を近づける。

 吐息がライマの唇にかかる。

 ラフォラエルがゆっくりと目を閉じ――ライマは片手で体を押して離れようとする。



「……って、ライマさんライマさん。 俺、キスしたいんですけど、どーして、腕で突っ張って拒否しますかねぇ?」

 ラフォラエルが少し拗ねた顔で目を開けた。 ライマがしどろもどろに返事をする。

「だ、だって、だだって、じ、時間がまだ……」

「あーもぉ、時間なんて、気にするなって」

「だ、だって、ここ、心の準備が、その、あの」

「……」

 ラフォラエルは笑いながらため息をついた。

 時間はあと1,2分。

「仕方ねぇなぁ」

 そう言って壁掛け時計の方を向く。

「はーい、あと1分30秒」

「か、カウントダウンなんか、しないのっ!」

「ヤダ。 我慢してんだから。 はい、あと1分20秒」

「ラフォ〜〜!」

「はい、あと1分10――っと、なぁ、ライマ。 俺さ、前に別の国の言葉で、寝ているライマに向かってある言葉を言ったんだけど、聞こえてた?」

「え? あ、ああ、うん。 何か言ってたわね」


 ライマはしっかり覚えていた。

 それは、【md6;t@<tet@yiut@;zeqgnnqsgto<ckd(Ytytorgq@ZqZweZqo<gnfs@46m4yq@e?】。


「何て言ったか、知りたくない?」

「知りたいっ!」

 ライマが目を輝かせて即答した。

 その発音と語句が分かれば、古代語のこともかなり理解できるはずだった。

 ライマの反応が予想通りだったのだろう、ラフォラエルが満足そうに頷いた。

「えっとな。 ――もし俺が、海岸に流れ着いた君を見た時から、その瞬間から好きだったって言ったら、君はどう思うんだい? ……そう言った」

 ライマが目を見開いて言葉を飲む。

「なぁ、ライマ? どう思うの? 教えて」

 ラフォラエルが優しく問う。

 ほんの少しの沈黙のあと、ライマの口がゆっくりと答えを告げた。

「嬉しい……」

 その答えを聞いてラフォラエルがライマを引き寄せる。 そしてライマに覆い被さるように上に乗る。

 ライマをまっすぐ見つめ、顔を近づける。


「ら、ラフォー」

 ライマが怯えた声を出した。

「ダメ。 もう時間です」


 ラフォラエルは優しく告げるとその唇をライマの唇に重ねた。

 少し震えながら固く閉ざされた彼女の唇に、自分の唇を閉じたまま優しく、強く、押しつける。 離し際に、下唇を軽くついばんだ。

 唇が離れたのでライマが目を開けると、そこに少しだけ意地悪く微笑むラフォラエルがいた。

「まだ3秒しか経ってないとか考えてたろ? 頭で考えてるうちはまだキスじゃない」

「な……」

 ライマは赤くなって抗議しようとした。

 だがほんの少し、唇が開いたその瞬間を逃さずにラフォラエルが再度唇を合わせた。

 今度は唇をついばんだり、舌をライマの唇にはわせてキスをする。

「何も考えなくていいから。 ただオレがするみたいに、してみてごらん?」

 愛おしそうに頬に手を当てて言いながら、ライマの舌に触れ、吸い、唇を求める。

 少しずつライマがラフォラエルの舌に応え出す。

 それはまだ稚拙であったが、ラフォラエルは満足だった。

 やがて二人は夢中になって何度も何度もキスを交わした。




 1分だなんて、時計の鐘の音の約束なんて、全く意味をなさなかった。









 そして朝、ライマが目を覚ましたのは、いつもよりかなり遅い時間だった。

 昨日までなら、目を覚ますと隣にラフォラエルの姿はなく、美味しそうな朝食の香りが漂っているのだが、今日は彼の腕の中だ。

 目を覚まして一番に目に入る、彼の首筋に妙にどきりとする。

 しっとりとした香りを放ち、時々上下する彼の喉。 ライマは視線をおずおずと上にむける。

「むにゃ……」

 ライマの視線に応えるように、ラフォラエルの手がポリポリとあごを掻く。

 気持ちのよい寝息が聞こえる。

 ライマは少し背を逸らして彼の顔を見ようとした。 彼の唇が見えた次の瞬間、ラフォラエルの腕がライマを引き寄せた。

「!」

 ライマは彼の胸に顔をうずめた形になっていた。

 柔らかな体温と穏やかな鼓動が伝わってくる。


「えへへ……」

 ライマは小さく笑って照れながら頬を彼の胸に密着させる。

 目を閉じて思い出すのはやはり彼とのキスだ。

 沢山、キスをした。

 最初はやはり握手と大差ない皮膚と皮膚の接触だと感じたが、彼の言う通り、考えるのを止めた時からそれは確かに「接触」ではなく「キス」と表現するのが正しかった。

 頬に、瞼に、鼻の頭に。 いとおしそうに唇を重ねる。

 唇と唇が優しく擦れ、舌をなまめかしく絡め合う。

 ほんの昨日まで彼に触れられた場所は、その表面が熱を発していただけなのに、今はその熱さが体の中に入って混ざっていく。


――ラフォー、だーい好き♪


 ライマはそう思いながら彼にすり寄る。 次の瞬間、ラフォラエルの体がもぞりと動いた。

「……ふぁあ」

「あ、ゴメンなさい、起こしちゃった?」


 ラフォラエルがゆっくりと目を開く。 彼は目を開けたその真ん前にライマがいる事に一瞬驚き――

「あ、別にいいんだ」

 安心したように息を吐くと、ギュッと抱きしめた。


「むきゃ」

 ライマが変な声を出す。

「おはよー、ライマ♪」

「く、苦しぃぃ」

「あ・ゴメン」

 胸の中で小さく反抗されて、ラフォラエルは腕の力を緩める。

「おはよー」

 もういちどそう言って、ライマのおでこにキスをする。

「……オハヨ」

 ライマは赤くなりながら彼を見上げた。 視線が合うと、彼が微笑む。 たったそれだけでライマの胸が相変わらずドキンと鳴る。


「ねぇ、別にいいんだ、って、何が?」

「ん? ああ。 一瞬、まだ昨日だったかなって思って」

「?」

「つまり、無意識に抱き寄せてた?って思ってさ。 でも、もう、抱き寄せても良かったんだ、って思い出した」

 そしてまたもうひとつ、ライマのまぶたにキスをする。

「理性使わなくて済んだから、おかげで爆睡♪」

 そして今度はライマの唇に。 軽く。


「よっしゃ、起きよう! 飯だメシ」

 ラフォラエルは元気よく跳ね起きる。 ライマも薬指で自分の唇に触れながら身を起こす。

 ラフォラエルが機嫌良くクローゼットから服を出してさっさと着替え始めた。 鏡ごしにライマを見ながらラフォラエルが言った。


「ちょっとライマ、ここに来て鏡を見てみ?」


「?」

 ライマは言われるがまま彼の側に行くと鏡を見た。

 鏡には自分と彼が映っている。

「そんじゃ、斜め45度になって鏡見て」

 彼の言うとおりライマは斜めになって鏡を見る。

「ラフォー?」

 思わず彼の方を向こうとするが、

「ダメダメ、ちょっとそのまま鏡の自分を見てて」

と制されてしまう。

 ライマは首をかしげつつ、そのまま鏡の自分を見た。

 鏡の中には、自分と、隣に立つラフォラエルが映っている。

 彼はじーっとライマの顔を眺めたあと――ライマにキスをした。


「!」


 鏡に、自分と彼がキスをしている姿が映る。

 映る。

 ……映る。


「よっし♪」

 元気にそう言ってラフォラエルが唇を離す。

「見た?」

 その問いに、ライマは小さく頷く。

「よっし、見たね」

 ラフォラエルが満足げに頷いて笑う。

「な? 俺から、お前に、キスをした」

 ライマはもう一度頷いた。

 嬉しかった。

 今、確かに視覚として記憶に残った。




 もう、メーションのキスを思い出しても心は痛まない。





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