第3話 出会いはベットの中で
「しっかしよ、新世や。 ライマに素のまま……っていっても、もとからコイツ、こんなお洒落したこと無いじゃないか」
佐太郎がつっこみ、一夢も頷く。
「まぁなぁ〜。 ライマは赤ん坊の頃から本ばっか読んで他に興味無かったから、服なんて着られればいい、髪型? 何それって感じだったしな」
「まぁ! ちょっと違うわ。 ライマは興味が無かったんじゃなくて、老師が無頓着すぎたのよ」
今は亡き、育ての親である老師に矛先を向ける。
「ハーフの私は着る服の制限がかかっていたからお洒落なんてできなかったけれど、ライマは別。 本当ならもっと色んな服を着たりできたはずなの。 あなたたちは、ライマの髪をただ整えて女の子の服を着せただけなのに、それだけでお洒落したって思っちゃうのがその証拠でしょ?」
確かにライマは化粧をした訳でもアクセサリーをつけた訳でもなく。
「本当は私、スカートをはかせたかったのよ」
「ああん、新世っ! スカートは流石に恥ずかしくてイヤだぁ」
ライマが赤くなる。
「なんか女装してる気分」
女の子らしからぬ台詞に新世が頭をかかえ、一夢達は笑った。
「ま、ライマは実際、教育係の試験を受けるまで髪は伸び放題だったし、服だって老師のお下がりを着ていたからなぁ。 スカートってのは俺と新世の結婚式の時が最初で最後だろ?」
「ビンゴー♪」
「ビンゴ、じゃありませんっ! ライマっ!」
「そんな怒らないでよ新世ぇ。 そのおかげで村の人達も私が女の子だって気づいてないんだからぁ」
……それが悲しいの、と新世は言いかけて止めた。
ライマがもし女の子だと最初からみんなが知っていたならば、男の教育係試験ににエントリーすらできなかっただろう。
教育係にならなければライマがラムールと名を偽ることも無く、もっと普通に生きていけたのに。
しかもその生き方を選んだ理由は、翼族の血を引くせいで迫害されている新世のため、国を変えようと思ったからだ。 誰に強制された訳でもなく、自ら、ただ大好きな彼女のために。
「と・に・か・く! ライマはこの姿で謹慎期間中は過ごすこと!」
「仕方ないなぁ。 ……ねぇ新世ぇ。 もしかしたらそのうち、僕にスカートはかせようと思ってる?」
「僕じゃなぁいっ! わ・た・し!」
「やーん、無理ぃ」
やりとりを聞いていた佐太郎がカカカと笑う。
「ま、いーじゃんかよ、ライマ。 よく似合ってるぜぇ。 せっかくだから、その姿で散歩でもして来いや。 城下町あたり」
「散歩ぉ? 何言ってんの佐太郎、僕は自宅謹慎……」
「自宅謹慎はラムールだろ? 今のお前はライマだ。 しかも女。 出て行って何が悪い?」
ライマは一瞬考える。
「それも、そっか」
そして素直に頷く。
「じゃ、行ってくる♪ 一回くらいこんな経験あってもいいよね♪」
ライマは言うが早いか部屋を飛び出した。 階段を駆け下りるライマの足音を聞きながら一夢が不安そうに言った。
「なぁ、平気かな? 女の格好してたら男に声をかけられたりしないかな?」
新世が言った。
「私はそれを望んでいるわ」
――処刑されて生涯を閉じるより、恋を知って少女にもどってほしいから
その一言は、胸に閉まった。
さてさてライマは元気に歩く。 まず城下町に行って、大好物の餡蜜屋に行くことにした。
ところがである。
ライマの鮮やかな銀髪は異常に人目を引いた。 すれ違う人、人、人。 老若男女問わず振り向いた。
――確かに私も生まれてこのかた、銀髪の人をこの国で見たことはないから仕方ないかなぁ
すると今度は男達がワラワラと、
「君、どこの子?」
「この国は初めて? 案内するよ?」
と、声をかけ出した。
ライマは正直、面食らった。 教育係をやっているせいもあって、接する相手は節度を持った儀礼的な大人ばかりだ。 こんなに気軽に話しかけられるなんて初めてだった。
――ど、どうしよう?
思わぬ展開に、ライマは思わず一言も話さぬまま身を翻してその場から逃げ出した。
待って、君!という男達の声を背中に、ライマはひたすら走って逃げた。
走りに走って、ライマはこの国で一番大きな川までやってきた。
ここまで来たら誰もいない。
「びっくりしたぁ〜」
ライマはそう言って河原に座り込む。
実際、同じ年頃の人から気軽に話しかけられるなんて、今まであっただろうか?
いや、なかった。
ライマは頭が良く自分で勉強していたので学校には行かなかった。
村には新世と一夢以外の子供はいなかったし、新世と一夢が通った隣村の学校の子供達は、新世に意地悪ばかりするので大嫌いだった。 それもライマが2歳の頃の話だ。
新世達が学校を卒業した後は、ライマが接したことのある子供の数なんてデイや羽織達くらいのもので、同じ年頃は皆無と言っても構わなかった。
村の人と会話したり、見知らぬ人でも困っていたら助けたり、買い物する時の雑談のような社交術なら多少は心得ている。
でも、それはあくまで「接さないといけない理由」があるからで。
そんな中、ただ「興味津々に近づいてきた」彼ら。
ライマは訳らしい訳もなく寄ってこられて理由が分からずに驚いて逃げ出した、ということである。
「対人スキル、低いんだなぁ、僕って」
そう言いながらひざを抱えてぼんやりと川を眺める。
この川はテノス国の重要な川だ。 この川の水を引いて村々は生活用水にしている。 いわばテノス国の命の川だ。 だが、この川はゆるやかな流れに見えても実は急流で、しかも深さがあるので異生物の人魚族が住みついている。 だからここで遊ぶ者など全くいない。
どの位黙って水面を見ていただろうか。
川のせせらぎと重なる、ニャー、というか細い鳴き声でライマは我に返った。
「猫?」
ふと辺りを見回すと上流から空き箱が流れてくる。 灰色の細いしっぽがちらりと見えた。
「流されてる?」
ライマは立ち上がりその箱を見つめた。 川の真ん中を流れていくその箱の中には猫が一匹入っている。 猫が箱に入れられて流されたのか、何かの偶然で流されているのかはわからない。 だが、このままこの急流を流されていけば、いつか箱が転覆し人魚族の餌となるか、または海まで流れ着いて漂流ののち魚の餌になるであろうことは容易に想像がついた。
ライマは川に飛び込んだ。 服を着たままで泳ぎにくくはあったが、相手は小さな猫一匹だ。 さほど労力もかかるまい。 そう考えながら水をかき分けて進む。
「ほぉら、捕まえた」
ライマは笑って箱を掴んだ。 猫が嬉しそうにニャア、と鳴く。 ライマが猫を抱こうと手を伸ばした次の瞬間。
――!
ライマの体がものすごい力で水中に引きずり込まれる。 吐いた息がゴボゴボと水を上がっていく。
ライマは足下を見た。
するとそこにはミイラのようにひからびた姿の人魚族が大勢でライマの片足を掴んで引っ張っていた。
その顔は怒りに満ちている。
――人魚族はナワバリ意識が強いっては聞いていたけどさぁ! 新世っ!
ライマが新世の名前を心で呼んだ次の瞬間、まるでその声が聞こえたかのように人魚族がビクリと反応して手を離す。
ライマは慌てて水面に出る。 そして見回して猫の入った箱を再び見つけると慌てて近づき、箱の中の猫を乱暴に掴む。
「ごめん!」
ライマはそう言うと乱暴に猫を河原に向かって投げた。 人魚族の手が猫を掴もうと水面から出るが、猫は運良くその間をすり抜け河原まで届いた。
河原に立った猫がライマに向かって、自分は平気だと言わんばかりにニャア、と鳴いた。
すると猫を取り逃がしたのが惜しいとでも言わんばかりに、川にはライマを取り囲むように人魚族の手が無数に水面から突きだされた。
「逃がさない、ってか」
ライマは立ち泳ぎしながら見回す。 再び水中の足を人魚族に掴まれライマは水中へと連れて行かれる。 ライマは息ができず水を飲んでもがく。 人魚族は底へ底へとライマを連れていく。 このまま人魚族の巣まで連れて行かれたら間違いなく命は無い。
「!」
ライマは渾身の力を振り絞って両の手から焼けるように眩しい光の魔法を放った。 人魚族は薄暗い所で生活しているので強い光には耐性が無く、思わず掴んでいた足を離してしまう。 そこでライマは慌てて水上にもどり空気を吸うが水を飲んでいたせいもあり、むせる。 そして再び河原に向かって泳ぎ出すが、やはり人魚族の手が水面から突きだしてきてライマを囲み引きずり込もうとする。 これを何度か繰り返されたら確実に体力を消耗してやがて力尽きてしまうだろう。 新世の名を呼んで空からの助けを求めようとしたが、人魚族がその隙を与えてくれるかといえば答えは否だった。
――とりあえず、この人魚族のなわばりから離れるか。
ライマはそう覚悟を決めると体の周りに薄い結界を張り、水に浮かんだ。 このまま逃げずに、まるで流木のように流されていけば人魚族を刺激しないのでこれ以上の攻撃は受けないだろう。 そして、人魚族のなわばりの外に出てしまえばそれ以上は追ってこないはずだ。
人魚族の気配が消えたなら――それから新世を呼んでも、岸まで泳いでもいい。
ライマはそう思いながらそっと目を閉じた。
自分の気配を消すために。
ライマは急流の中、どんどん流されていく。 幸い川は真っ直ぐ伸びている。 これから先は滝などもない。
ライマは、どんどん流されていく。
やがて人魚族の気配が一つへり、二つ減り。 そして完全に人魚族の縄張りから離れる。
しかし、ライマは目を開かない。
どんどん、どんどん、流されていく。
ライマは、ぴくりとも動かない。
動かない。
動かない。
ただ、流れていく。
流れていく。
どこまでも。
どこまでも。
川を過ぎて、海へと。
どこまでも。
男は海岸沿いを歩いていた。 ふと、いつもと何かが違うことに気づく。
岩場で、海鳥が集まって鳴いていた。
不思議に思い近づく。
するとそこには意識を失った少女が流れ着いていた。
銀髪輝く、少女が。
◇
ライマは過去の夢を見ていた。
デイ付教育係の最終試験。 テノス国王との面接だった。
人払いがされた部屋。 国王の前に跪くライマ。
国王が尋ねた。
「のぅ、ライマ。 いや、ラムールよ。 そちは王子に何を教えたい?」
ライマは覚悟を持って、ゆっくりと答える。
「豊富な知識はもちろん、優しさと勇気と、愛をデイに教えていきたいと考えています」
その言葉に嘘はなかった。
豊富な知識と
優しさと
勇気と――愛
そのとき、何かがライマの唇に触れた。
わずかに湿り、柔らかくて、少し硬い。
――?
ライマは僅かに目を開けた。
肌色と、黒色のまつげが見えた。
そして自分にのしかかる、ひきしまった重み。
ベットが軽くきしむ音。
唇に触れていたものがそっと離れる。 そして男の閉じていた瞳がそっと開かれ、ライマの目と重なった。
「……」
二人はお互いに目を大きく見開いた。
相手はライマより少し年上くらいの、黒髪をオールバックにした男。
ライマは視線を逸らして下を向く。
自分と相手は裸だった。
「うわぁあっ!」
『ちょ、待っ……』
ライマは叫ぶと同時に身を翻し左足で男の首を回し蹴る。 男は不意をつかれたせいもありモロに蹴りを受けベットから転がり落ちた。 ライマは毛布を体に巻き付けたままベットに素早く立ち上がる。
『痛ってーーー!!』
床に転がった男は首をさすりながらライマを見上げた。 ライマがすかさず叫ぶ。
『何したのっ! あなた誰っ!』
『何したの、って、治療!』
男も負けじと叫んだ。 ライマが首を傾げる。
『治療?』
『そう、治療! お前さんは3時間ほど前にこの島の海岸に打ち上げられてたの! 俺がそれを見つけて連れてきたって訳!』
『……う、打ち上げられてた?』
ライマは訳が分からない。
男は床に脱ぎ捨てた服を手に取って立ち上がった。
『とりあえず気がついて良かったよ。 お前の枕元に俺の服だけど着替えがある。 それを着たらこっちの部屋に出てくるんだな。 それから話をしよう』
そう言うだけ言うと、さっさと男は部屋を出る。
扉が閉められるとライマはペタリとベットに座り込んだ。
――何故かは分からないけど、僕、遭難したの?
それが事実だとすればあの男は命の恩人ということになる。
ライマは考えるときの癖で人差し指でそっと自分の唇に触れた。
そして思い出されるあの感触。
――ちょっと待てっ!
それが正真正銘、ライマのファーストキスだった。