第29話 一夜の始まり
夜になった。
その日一日、ラフォラエルはできるだけ普通に話しかけてはみたが、ライマは一切、口をきかなかった。
彼女は無視をしていたのではない。 頷いたり、首を横に振ったり、意思表示はあった。
ただ、一言も、言葉を発さなかったのだ。
まるでそれはショックのあまり口がきけなくなったかのような錯覚すら覚えさせた。
伏し目がちに落ちこむ彼女を見て、ラフォラエルは果たして自分の過去を話した事が正しかったのか不安になった。
デザートにクリームあんみつを作ってあげた時、やっと彼女は微笑んだ。
だがそれは彼が気遣ってくれている事を心遣う、偽りの微笑みだった。
だけど、今の彼女はそれで精一杯なのだと、ラフォラエルは分かっていた。
確かにライマはずっと一日中、ラフォラエルの過去の話を繰り返し考えていた。
自分が彼の立場だったら、と考えた。
確かに、彼は何もできなかったのだ。
幼かった彼、兄弟達を人質にとられたも同然の彼。
彼を責めるのはお門違いだと、ライマも理解していた。
だけど、声にならないのだ。
どう接していいか、分からないのだ。
胸の中がモヤモヤしていた。
ラフォラエルの過去と、メーションとのキスシーンを見たショックと。
ショックすぎて、何が一番ショックなのかも、分からなくなっていた。
寝る時間になった。
いつも通り、二人は同じベットの端と端に横になる。
「おやすみ、ライマ」
ラフォーがそう言った。
しかし、ライマは背中を向けたまま、返事をしなかった。
「……やっぱり、そうだよな」
ラフォラエルは寂しげに呟くと目を閉じた。
そしてそれが、二人にとって一番長い、そして思い出に残る一夜の始まりだった。
◇
闇と沈黙。 そして時を刻む針の音が耳につく夜だった。
どちらの寝息も聞こえない。 ときおり枕の位置を調節する気配がする。
ボーン、と壁掛け時計が鳴った。
「……ライマ、起きてる?」
ラフォラエルは問いかけてみたが、ライマの返事はない。
しかし、寝ている気配は全く無かった。
そしてまた時が流れる。
ボーンボーン、と時計が二度鳴った。
再び、問いかけた。
「ライマ、話がしたい」
やはり返事は無かった。
だが今度は、ラフォラエルは起きあがってライマの方を向く。
背を向けたままのライマの横顔が、窓から差し込む月光に照らされてはっきりと見える。
その瞳はしっかりと開き、じっと壁を見つめている。
ラフォラエルはため息をついた。
「――俺のこと、軽蔑しても構わないからさ、ええと、今はもう、明日だから……あと7日間は俺達の計画を誰にも言わないって約束してくれないかな?」
ライマは返事をしなかった。
ラフォラエルは構わず一気に話す。
「俺は何としてでも、ドノマンやそのお付きの奴ら全部をこの国から離したいんだ。 そして血は繋がっていないけど、酷い目に遭わされている兄弟達を自由にしてやりたい。 この計画はここに来ているタートゥン達5人の他には誰も知らない。 秘密にして、やっとここまで来たんだ」
相変わらず返事は無かった。
ラフォラエルは乞うように続ける。
「ライマが国に帰っても、たった7日間の間でいいから、俺達の計画の事を誰にも言わないでくれないか? でないと――俺」
ライマの頭が微かに動き、彼女はゆっくりと身を起こした。
ラフォラエルと向き合うが視線は逸らす。
「……言わない、よ」
ライマはそのまま返事をした。
そして二人は、また沈黙した。
どの位たったか、ラフォラエルは再度、諦めたようなため息をついてから口を開いた。
「OK。 信じる。 ライマのこと」
そして腹をくくったような表情でライマを見る。
「じゃあ、朝から船で帰るね?」
ライマの返事はない。 ラフォラエルは続ける。
「今日は行かないでくれてありがとうな。 あのまま別れたくなかったんだ。 俺は軽蔑されても仕方が無い人間なのに、ライ――」
「軽蔑なんかしていない」
そのとき、やっとライマが顔を上げてラフォラエルの顔を真っ直ぐ見た。
「ハーレムを持っていたからって、軽蔑なんかしていないもん。 だってラフォーは、大変だったんだもの。 どうにも出来なかっただけだもの」
驚いたラフォラエルの視線にライマは戸惑い、再度下を向く。
「ラフォーも、悲しんだもの。 悪くなんかない。 それに、一人で、辛かったよね……?」
するとライマの頭に、優しくラフォラエルの手が置かれる。
「ありがとな」
ラフォラエルはそう言って、優しく頭を撫で、その手に少し力を込めてライマを引き寄せようとした。
「!」
しかしライマは悲しそうな顔で、両手で突き返すようにラフォラエルを拒否した。
「ライマ?」
ラフォラエルは困惑気味にライマを見た。
ライマは困ったような、悲しいような、複雑な表情をしながら膝を抱えて座った。
「ライマ? 俺に何か言いたいことがある? 俺が子供だったから仕方なかったとか、そんな理性が働いてて言えない? 俺の話のせいでお前が苦しんでいるのなら、少しでも軽くなるように、俺に向かって思いつくままの言葉、言っていいよ? 俺は大丈夫だから」
ライマは黙っていた。
「ライマ。 バカでも最低でも何でもいいんだ。 今の気持ちを正直に言ってごらん?」
再度告げられて、ライマは膝に顔をうずめながら……言った。
「ラフォー。 ……メーションと、キスした……」
「はっ?!」
予想外の言葉にラフォラエルの声が裏返る。
「昨日、ラフォー、メーションと、キスした!」
ライマは今度はもう少し大きな声で言った。
「い、いや、違う、違うって!」
今度はラフォラエルが慌てる。
「違わないもんっ! したもんっ!」
ライマも顔を上げてラフォラエルを見て言った。
その表情はどこか悔しそうでもあった。
「いや、あれは、ライマ……」
「キスでした」
「いや、キスだけど」
「キスしたもんっ!」
ライマが拗ねるように声を荒げ、ブランケットを体に巻き付けてベットに横になった。
ラフォラエルは一瞬呆気にとられ、慌ててライマの体の側に手をついた。
「キスしたんじゃない! あれは、さ・れ・た・の!!」
ライマは背を向けたまま言い返した。
「キスだったもん」
「俺からはしてないし!」
「キスしてた、もーんっ!」
「いや、だからっ……!」
ライマはツーンとふくれて目を閉じた。
「ら、ライマ……」
困ったようにラフォラエルは呟く。
「あれは実は触れては――って、そんなウソじゃ駄目だよな……」
彼はしばし考えた。
「あ」
ラフォラエルが思わず一声漏らした。
「ライマ!」
そして勢いよくライマの肩を片手で掴む。
「確かに俺はメーションともキスしたけど、全部、相手からされたんだ。 ハーレムでだってそうさ。 俺からはやってない。 だから――俺からライマにキスする」
ライマの肩がビクリと動いた。
ラフォラエルが告げた。
「いいな?」
そしてライマの肩に置かれたラフォラエルの手に力が入る。
「い、イヤ」
しかしライマは肩越しにそう返事をした。
「そうか……」
ラフォラエルは手を離した。
「そうか、嫌なら仕方ないな……ゴメン」
そう静かに呟いた。
+
闇と沈黙。 そして時を刻む針の音が耳につく夜だった。
どちらの寝息も聞こえない。 ときおり枕の位置を調節する気配がする。
ボーン、と壁掛け時計が再び鳴った。
ライマが横になったままで言った。
「……やっぱり、する……」