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第14話 これは罠だ

 クララは馬車置き場まで近道をするために、伯爵達の事務室がある区画を横切った。 この区画は幼児立ち入り禁止なのでデイに捕まる可能性が無いのでゆっくりと歩く。

 しかし。


「クララっ♪」

「デイ王子!?」


 クララはびっくりした。 茂みの中からデイが現れたのだ。

 デイはきらきらと目を輝かせながら先日の絵本を大事そうに胸に抱いている。


「デイ王子、ど、どうしてここに?」

「ん? 今日はね、これから右大臣と一緒に遊びに行くんだけどね、用意ができるまでクローク卿の事務室にいていいって右大臣に言われて来たの」

「クローク卿が……」


 クララの胸に言いようのない不安が広がる。

 しかしデイは無邪気に小首を傾げてにっこり笑う。


「あのね、ヤン先生達にお願いしたんだ。 あさって、クララをボクのサロンに呼ぶの。 朝からだよ? その日は丸一日、クララをごしょうたいするの! その時に本のこと、いっぱい教えてあげるね!」


 クララはデイの持っている本に目を向けた。 この前は新品同様だったが、今はかなり読み込んだ感じがある。 おそらく一生懸命勉強したのだろう。


――なんてお優しくて可愛らしいのだろう。

 クララはそう思って優しく頷いた。


「ホント? ホントに来てくれる?!」


 クララが頷くや、デイはもっと期待に満ちた目で尋ねた。

 今回、デイのサロンに呼ばれる話は既にクララの上司、ローズ婦人にも話がついている。 その日のクララの予定は決まりだった。


「ええ、参りますわ」

「やったぁ!」


 それを聞いてデイは心の底から嬉しそうに飛び跳ねた。


「ねぇクララ! ボクね、ちょっとしか時間がないんだけど、せっかくだからここでちょっとだけ、この本のこと教えてあげるね!」


 デイは座って地面に本をひろげる。


「あ、あの、デイ王子。 ですが私は今、この服を――」


 クララが慌てると、デイはちらりと服を見て言った。


「そんなの、そこらへんの地面にポイって置いてたら?」

「とんでもないっ」


 クララは慌てた。 やはり子どもだ。 この服の価値が分からないとみえる。

 デイはさっさとページを開いて指さす。


「えっとねー、今日はここだけ。 これは数の数え方でね、千の次は万。万の次は……」


 デイが説明を始める。 どうやら無量大数までの数の数え方を教えたいようだった。


――これなら2,3分もあれば平気そう。


 そう思ったクララは周囲を見回す。 さすがにこの服を握りしめたまま地面に座る訳にはいかない。


「あ、ちょっとお待ち下さい」


 クララはそう言ってほんの2メートルほど後ろにある、手頃な木の枝に服をかけた。

 それからデイから無量大数まで教わる。 それはほんの数分で終わった。


 デイは顔を上気させながら本を閉じる。

「じゃあ、ボクもう行かなくちゃ!」


 デイがそう言って駆けていく姿をクララは黙って見送る。

 その姿が見えなくなっても、余韻を楽しむかのように見送っていた。


「さってと、仕事に戻らなきゃ」

 クララはそう言って後ろを振り向く。




 服は無くなっていた。




+




「無くしただぁっ!?」

 財務大臣の大声が雷のように部屋中に響き渡った。

『申し訳ございませんっ!』

 クララとパルドラが頭を深々と下げる。


「申し訳ない、じゃ、すまんのだ! さっき渡したばかりなのだぞ! それを一体どうしたら無くすことができるんだ!」 


 当然のことながら財務大臣は烈火の如く罵る。


「なぜ! どうして! どうやったら無くすんだっ! 言ってみろっ!」


 責め立てられるが状況はクララに不利だった。


「あの地区は幼児は入れない。 だから王子に呼び止められたという言い訳はきかんぞ! そうだ、お前が盗んだのではないか!?」


 クララはただ黙って唇をかんだ。

 事情はどうあれ、クララの落ち度に変わりはない。


「しかもあの服は価値があるだけじゃない、ついうっかり大臣の記章までつけていたんだ! 悪用されたらどうするのだ! どう責任を取るのだ! これは国家に対する大きな反逆罪とみなして逮捕しても構わぬのだぞ!」


 クララとパルドラはただ黙って頭を下げる。


 財務大臣はイライラしながら大声を上げる。

「ええい! 近衛兵! こいつらをひったてて服をどこにやったか拷問にかけよ!」


「お待ち下さいませ! 財務大臣!」

 そこに血相を変えてローズ夫人が入ってくる。

「確かにクララに落ち度はありますが、拷問とは行き過ぎでございます」


「ならばどうやって責任を取らせるつもりだ! クララが王子のお気に入りであることは周知の事実だが、このように危機管理に欠けた女官をお側に仕えさせることは国にとって危険極まりない!」


 ローズ婦人がクララに視線を向ける。

 他に方法は無かった。


「ならば、クララの女官職を現時点をもって剥奪いたします」

「剥奪か」

「ええ。 それで責任を取らせれば十分かと思います」


 ローズ夫人が告げた。

 財務大臣は頷く。


「かまわん。 それでいい。 さて次は――服の弁償についてだが……」


 パルドラが青くなって顔を上げた。 何か言いたそうに口をもごもごと動かす。


「パルドラよ。 あの服は相当価値がある。 当然弁償してもらえるのだろうな?」


 パルドラは黙っている。


「お前の店の一軒や二軒、売ったところで返せるかどうかわからん額だが、やはり弁償してもらわなければな」


 財務大臣は、頭を下げているクララをじろりと見て薄ら笑いを浮かべて言葉を続けた。


「とはいっても、パルドラ、お前もこんな女官を雇ったばかりに落ち度は無いのに大損だ。 クララを解雇すれば弁償の責任はすべてクララが負い、お前はおとがめ無しにするが……?」


 パルドラの顔がこわばった。

 莫大な弁償金をクララが一人で返すことは不可能に近かった。


「むろん、パルドラクリーニングの王宮への御用達権利もそのままにしておくが」

 財務大臣がたたみかけるように告げた。


 それを聞いて、ゆっくりと、パルドラが頭を深々と下げ、静かに告げる。

「分かりました」


 それを聞いたクララがパルドラの方に向き直り頭を下げた。

「今までお世話になりました。 パルドラさん。 私は大丈夫です。 ……財務大臣さまからお預かりした服の弁償は私が責任を持って……」


 それを聞いた財務大臣が鼻で笑う。

「お前のような小娘では、一日中働いて体を売ったとしても、一生、払いきれる金額ではないがな」


 うつむいたクララの瞳に涙が浮かぶ。 声をあげて泣きそうになるのを必死にこらえた。

 その時だ。 パルドラは拳を強く握りしめ、顔を上げた。


「何を勘違いされておいでですか?」

「?」

「?」


 パルドラの発した言葉の意味が分からずに、財務大臣達が顔を見あわせる。

 パルドラはしっかりと前を向き、両足を踏みしめて立った。


「財務大臣様。 お預かりした服の弁償金は、わたくし、パルドラクリーニング店が責任を持ってお支払い致します!」


 クララが息をのんでパルドラを見た。

 そこには覚悟を決めたパルドラがいた。

 驚いたのは財務大臣だった。

 財務大臣に何も言わせずパルドラが続けた。

「王宮御用達の権利を失おうと、店を売ることになろうと、わたくしが弁償いたしますっ!」


 財務大臣が口をぱくぱくとさせ、やっとのことで一言だけ声にする。

「ほ、本気か?」


 パルドラに迷いは無かった。

「本気でございます。 それでは失礼いたします。 行くぞ、クララ!」


 パルドラは言うだけ言うと、クララの手首をつかみ、きびすを返して財務大臣室を後にする。

 そして荒々しく馬車に乗り込むと王宮を出た。


「パルドラさん! いけません! 今からでも遅くないから戻って大臣に……」

 馬車の中でクララがパルドラにすがった。

 真っ直ぐ前を見つめるパルドラの瞳は怒っていた。


「何も言うな、クララ! おかしいと思ったんだ! これは罠だ!」

「罠?」

「あの服についた宝石! 偽物やガラクタ同然のものばかりだった! 二束三文の品さ! なのにどうして貴重品のようにクリーニングに出そうとするのか、俺は正直、分からなかったんだ」


 そういえば服を預かった時にパルドラが口ごもったことを思い出す。

 そしてデイが”そんなの”と言った訳も。


 パルドラが吐き捨てるように言った。

「最初から無くすために用意したものだと思えばつじつまがあう! もしクララが王宮内で無くさなかったら、クリーニングが終わって届けた時に宝石が偽物に変わっている、すり替えたなと言いがかりをつけるつもりだったんだろうよ!」

「でも、それなら、このままではパルドラさんが偽物のために沢山の弁償金を……」

「クララっ!」

 パルドラが大声を上げてクララの言葉を制した。

「商売人に一番大事なことは、商売することだ。 金や利権に目がくらんだら、それはもう商売人じゃない。 ただのクソったれだ!」


 そこでやっとパルドラはクララの方を向く。


「クララもクリーニングくらいしか取り柄は無いんだから、俺んとこをクビになったら何もできないだろうが。 それに、お前の腕は確かだ。 弁償金で買ってもお釣りがくらぁさ! それは俺が保証する。 俺は負けんぞ! また一から始めればいいだけだ!」

 パルドラは堂々と微笑んだ。 










 ライマが法術治療を始めて三日目の昼には、ほぼすべての島民への治療が終わった。

 御礼にと差し出されたお昼を遠慮無くご馳走になって、二人は家に帰る。


「ライマはすっごいな。 お前の法力、どれだけパワーアップしたんだ?」

 家に帰って、ラフォラエルがご褒美のクリームあんみつを作る。


「クリームたっぷり入れてくれたら、きっともっとパワーアップする♪」

 ライマは子どものようにスプーンを握ったまま席について答えた。


「この甘党がっ!」

 笑いながらも、クリームを多めに投入して持ってくる。


「いただきまーす♪」


 ライマは笑顔でそれを頬張る。

 その顔を彼が優しく見つめた。


「おいしい?」

「うん」

「ライマって美味しそうに食べるから作りがいがあるなぁー。 ったく」


 彼はそう言ってライマの顔にそっと手を伸ばし、そっと口の端についたクリームを親指でぬぐい、自分の口に運んだ。


「んー。 もうちょっとさっぱり系に仕上げた方が美味いかなー」

 舐めた親指を見ながらラフォラエルが呟く。

 ライマは赤くなって硬直している。


「ん? どうした?」


 尋ねるとライマは我に返る。


「こ、子ども扱いしないでよねっ」


 ライマはわざと荒々しく返事をすると、あんみつを再び食べ始める。

 スプーンを運ぶその手が、ほんのわずかに震えている。


――お、落ち着けっ! 私っ!


 ライマは目を閉じる。

 次の瞬間、ライマの手の震えは止まり、まるで何もなかったかのように平静になる。


「――なぁ、今、何した?」

 いきなりラフォラエルが尋ねた。


「え?」

「え? じゃなくて。 怒っていたのに、急に静かになった感じ。 何かしたろ?」


――よく気づいたなぁ。 ……怒ってはいないんだけど。


 ほんの僅かな変化に気付いた彼に感心したので、ライマは説明をすることにした。


「んー、簡単に言えば気持ちの切り替えをしたの。 詳しく言うなら、脳内で記憶をグループ化して分けたの」

「……なんかライマって、まるで記憶を本にファイルしてるみたいに言うのな」

「ううん、そのとおりよ。 ちょっと私の記憶方法は他の人とは違うみたい」

「人と違うって……。あ、そうか。 瞬間記憶能力持ってるんだっけ。 それってどんな感じ?」


 彼は興味をもったようだった。

 ライマは少し考えるが。


「引かないから」

 と、先に言われる。


 ならば話すしかない。


「ええっとね、私の場合。 本当に見たままのこと、聞いたこと、全部覚えているの。 そうとしか言えない。 思いだそうとしたら、その時の瞬間をそのまま思い出せるっていうの?  どんなささいな事でもね。 極端な話、一秒だって同じ姿のものはないから、10秒前のこの机と、今の机、正確に比べたら今の方が劣化に伴い色が薄くなってるわ。 と言ってもごくわずかだけど」


 言われてラフォラエルは机をまじまじと見る。

「まぁ確かに、時が経つに連れて物は色あせたりするけど、そっか。 比べて見られるんだ」


「そうなの。 そう考えると”今”とか”不変”って表現は私の感覚の中では原則存在しないものなの。 それじゃ社会でやっていけないから一般的な感覚を掴むまでは苦労したかな」

「たとえば?」

「例えば、”今”って感覚と同じで、”覚えたことを忘れる”ってことも原則は不可能なのよね。 でも、やらなきゃいけないことをうっかり忘れる、とかはあるのよ。 それとは違って、他の人は、一度見たこと聞いたことも忘れて思い出せないんだって初めて知った時は本当にビックリしたの!」

「オレにはライマの方がびっくりだ」

「うん、だから同じように私もビックリしたの。 忘れるってどんな事か知らなかったんだもん」

「じゃあ、どうやって忘れるって事を知ったの?」

「簡単。 そもそも記憶ってのは脳内の回路が繋がるから思い出すのでしょ? なら、あえてその部分に刺激を与えず回路を切ったら思い出さない、つまり忘れたって事になるわよね?」


「……」

 ラフォラエルは返事すらできない。


「だから頭の中で体験したことをファイル化して、そうそう必要がないと予測できる情報はまとめてその部分に移動して回路を断つでしょ? そうしたらね、脳内回路の合理化が進んですっごく頭が軽くなるの!」

「頭の中にファイルがあるの?」

「うんそう。 適当に新しいフォルダ作って保存していくでしょ。 そして時々それをまた分類するの」

「なんつーか、ライマ、すごいな」

「すごくないの。 逆にアナログ。 普通は私が脳内でやっている事を無意識下で高速で行っているのよ。 まぁね、私の場合は分類を自分の好みでできるからそこは便利かな」


「じゃあクリームあんみつのファイルがあるとか?」

 ラフォラエルが茶化した。


「ビンゴ♪ 正確には甘味ファイル♪」

 ライマは笑って答えた。


「あるんかっ!」

 彼も笑う。


――ラフォーのファイルもあるよ

 とライマは心で呟いてみる。


 彼が何かする度に動揺するライマは、あえてその記憶を別に分けて「保存」していた。 「保存」した記憶は開封しないかぎり、「今」の彼女を動揺させることはない。

 それが「気持ちの切り替え」だった。

 

 彼の、この笑顔も、この声も、この瞬間も、すべてそのファイルに大切に保存される。

 これは、大事な、大事な、宝物。

 法術治療は終わった。

 もう、帰るしかない。

 彼が引きとめてくれないかぎり。




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