第10話 この「感覚」と、その「症状」
それから暫くして、ラフォラエルがやっと家の側まで帰ってきた。
手には一輪の薔薇の花が握られている。
彼は何度もそれを見ながらブツブツと口の中で何やら繰り返している。
「ただいま、ライマ。 おっ。 その服はどうしたんだい。 すっごく似合うなぁ! ……いや違う、すーっごく似合……いや、すごく似合うよライマ。 ん? 似合う似合う!の方がやっぱり……」
それはまるで役者の稽古のように花を差し出すパフォーマンスを交えながら何度も。
「このバラを君に! ……バラを、君に。 バラ、君に♪」
薔薇も右に左に揺らされて大変である。
当然、これはすべて島民の御節介のたまものであって。
ラフォラエルが「どうやって褒めていいか、謝っていいかも分からない!」と白状すると、まあみんなで考えるわ考えるわ。
しかも、きちんと言えるか特訓までさせられたのだ。
そんなんじゃ真心が通じない!とか、その言い方は逆にバカにしているようだとか、もっとかっこよくとか、とにかく注文が多かった。
ラフォラエルは改めて、バラを見る。
この赤いバラも半ば無理矢理、島民達から押しつけられたものであるが、女の子は花が好きだから喜ぶわ、と女衆から言われるとそんなものかと思った。
――確かに俺も、朝は酷いこと言い過ぎたし……。 似合ってるよ位、気軽に言ってもよかったのにな。 でも、なんか、腹がたったんだよなぁ
そして朝に見た、ライマのショックを受けた顔を思い出す。
そこまで気にするとは思わなかったので、青くなって泣きそうな顔をした彼女の顔が脳裏にちらついて心が痛い。
――うん、やっぱり俺が悪かった! だからこの薔薇の花でも見て微笑んでくれたら嬉しいんだけどな……
ラフォラエルはゆっくり歩いて、家の前まで来る。
そして扉を開けようとして、動きを止めた。
「あ、やべ。 先にあっちを済まさないと」
彼は家の裏にまわる。
そして貯水タンクに近づくと鞄の中から小さな小瓶を取りだして中の液体を注ぎ込む。
「やっぱり」
背後で不意にライマの声がして、ラフォラエルはぎくりとする。
見ると柱の影に隠れて、ライマが今にも死にそうな荒い呼吸をしながら壁によりかかっていた。
「やっぱり――やっぱり、何か――薬を入れてたのね――?」
「ライ……」
ラフォラエルが青くなる。
ライマが力をふりしぼって言った。
「いったい、何をしようとし――」
そこまで言うとライマは力尽きその場にバタリと倒れた。
「ライマ!」
ライマの耳に、駆け寄るラフォラエルの声だけが届いた。
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ラフォラエルの対応は素早かった。
「しっかりしろ! 大丈夫だ!」
そう言って急いで抱きかかえ、家へ入る。 そして部屋の中を見回し、おばさんの手料理とコーヒーが少し残ったカップに視線を向ける。
「コーヒー飲んだ?」
ラフォラエルが尋ねた。 ライマは返事をしない。
「ライマ!」
ラフォラエルが大声で名を呼ぶ。 ライマの意識がほんの少し戻る。
「ライマ、コーヒー飲んだ!?」
再度の問いにライマは薄目を開けて頷いた。
ちっ、と軽くラフォラエルが舌打ちをする。 ライマを抱いた手に力がこもる。
その力強さと、鼻腔をくすぐる少し汗ばんだラフォラエルの香りがライマを包む。
ライマは顔の向きをずらして薄目のまま彼の顔を見た。
真剣なラフォラエルの表情が今の苦しみを僅かに和らげた。
彼はライマを抱いたまま寝室に連れて行きベットに寝かせ、温かいお湯とタオルを持ってくる。 お湯に浸したタオルをしっかりと絞ってライマの顔や首筋などを優しく拭く。
とても気持ちがいい。
――海で私を拾った時も、おじさんの法術治療した後に気を失った時も、同じように看病してくれたんだよね……
ラフォラエルがライマの手首や首筋に指先をあてて脈をみる。
その時ライマは、彼に触れられた部分だけが、まるで焼き印でも押されたかのように熱く敏感になっていることに気づいた。
それは、痺れるように――気持ちが良かった。
「ライマ?」
ラフォラエルがライマの耳元で話しかける。
すると彼の吐いた息がまるで熱い湯気のように感じられた。
そしてその吐息が当たった場所から、じんわりと気持ち良い痺れが周囲に走る。
「……なにこれ……?」
ライマは呟いた。 自分の体が初めて体験する感覚に、ライマは驚いた。
ラフォラエルが真剣に話す。
「安心しろ。 病名は分かってる。 悪寒、嘔吐、目まい、発熱。 そして極度の飲食物拒否――。 これがこの病気の特徴だ」
しかしライマは思った。
――違う……。 ”この感覚”は、”その症状”じゃない……
確かに彼の言った症状は、先ほど具合が悪かった時のそれと一致していた。
しかし、今ライマが感じている”感覚”とは全く別のものであると心と体が告げていた。
「病名は……何?」
ライマの問いにラフォラエルが一瞬口ごもる。
「病名……は、あれ、何だったかな。 ど忘れ。 医学書の後半に載ってい……」
「載ってない。 当てはまる項目は一個も無かったわ。 ……ここにある医学書は全部読んだのよ」
ライマが即答する。
ラフォラエルが目を丸くする。
嘘をつかれたと思ったその瞬間、ライマの胸がきりりと痛む。 無論、これも”症状”ではない。
「ライマ、全部読んだって、お前……」
ラフォラエルが怪訝そうに尋ねる。
胸の痛みとともに秘密を体の外に出したくて、ライマは覚悟を決めて言った。
「私には瞬間記憶能力が生まれつきあるわ。 一度見たものはすべて覚えているの。 だから言える。 ここにある医学書にこの症状の病気は載っていなかったわ。 ううん。 今まで見たどの医学書にもぴたりとあてはまるものが無い。 これはおそらく新種の病気」
ラフォラエルは黙っている。 ライマは続ける。
「だから教えて。 ラフォーがこの病気について知っていることすべて。 そして飲料水タンクに入れていた液体の種類と構成を。 そうしたらきっと、私は治療法を作り出せるから」
――この感覚も、原因が何か分かればきっと治せる
ライマはそう思っていた。
ラフォラエルは少し考えると、椅子を引き寄せてベットの側に座り、ライマの手を握った。
握られた手は、やはりライマにとって、奇妙な痺れと熱さを感じさせた。
でも、嫌ではなかった。 苦しくもなかった。
ライマはキュッと小さく握り返した。
二人の瞳が重なった。
ラフォラエルがゆっくりと話し出す。
「ライマは頭がいいからな。 本当の事を話したほうが話が早そうだ。 そう。 これは新種の病気。 ――いや、新種の寄生虫だ。 ライマがここに流れ着いた時には既に感染していた。 おそらく川で流された時に水を飲んで感染したんだろう」
ライマは頷いて耳を傾ける。
「症状はさっき言った通りで間違いない。 一見風邪のようだが飲食物を極度に拒否するうえに病原虫は患者の法術能力をも吸収するので、患者は次第に弱っていく。 点滴や、患者以外の者からの治癒魔法でしか体力を回復する術は無い。 しかし病原虫を根絶しないかぎり全快は不可能。 俺が貯水タンクに入れていたのは、病原虫の活動を抑え込むための薬。 そしてコーヒーは厳禁。 コーヒーに含まれる成分が病原虫の活動を活性化し、なおかつ、より強靱な病原虫へと進化させる。 だからライマは発症した」
ライマは頷く。
ラフォラエルは更に真剣な眼差しでライマを見た。
「さっきも言ったとおり、これは新種の寄生虫。 この家に遊びに来ていたウズ達が最初に発症して、俺がその寄生虫を発見、治療した。 まだ学会には届けていないので世間には知られていない。 だから寄生虫は俺が命名した。 【ラエル3】と」
「ラエル3……」
「ラエル3の治療薬の処方箋は作ったんだけど、かなりややこしい作りになっていて作るのに時間がかかる。 あと3日もあれば出来上がるから俺はこっそりその薬をライマに飲ませて、お前が知らない間に完治させるつもりだった」
「……どうして黙っていたの?」
「そりゃ、新種の奇病だって知ったら驚くと思ってさ。 俺が治せるって言ったって信じて貰えるかどうかわからないし、不安にさせるだろ? でも俺はきちんと治せるんだから、だったら何も知らせないで治した方がいいだろうなって思ってさ。 想定外だったのはライマが法術が使えたこと。 ラエル3の活動を抑える薬を投与していたけど、法術を使ったことによりライマの体力が思ったより消耗しすぎた。 でなければもっと症状は軽かったと思う。 ああ、あと、おばさんの差し入れも、だな。 この家でライマが口にしそうなものはあらかじめ活動抑制薬をふりかけておいたから」
そこまで言うと、逆にラフォラエルは妙にすっきりした表情になった。
「わかった」
ライマは言った。
「じゃあ薬の処方箋見せて。 簡略化か効率化できないか考える。 早く治りたい」
ところがラフォラエルは視線を逸らして、少し考えた。 ライマは黙って彼を見つめていた。
しばらくの沈黙の後、彼はライマを恐る恐る見て尋ねた。
「すぐ治りたい?」
ライマは頷く。
悪寒、嘔吐、目まい、発熱、飲食物拒否。 それは今も続いている。
そして彼が触れた場所がチリチリとくすぐったく熱く疼く、この感覚。
ライマは今まで病気らしい病気にかかった事はない。
たいてい具合が悪くなる前に新世が魔法で病原菌を退治してくれてたし、ライマ自身も自分の持つ知識から、この症状はどうだこうだと分かっていた。
何も分からないのは今回が生まれて初めてだった。
彼の言った症状の他に、血圧上昇、心拍数増加、皮膚感覚過敏、そして情緒の乱れ。
これは一体何の病なのか。
「すぐ治りたいぃ」
不安になったライマはまるで子供のように涙目になって呟いた。
「ああ、泣くな泣くな」
ラフォラエルが慌てて空いたもう一方の手でライマの頭をなでる。
それはとても優しい感触。 ずっとずっと、撫でていてほしかった。
触れられるたびに胸が苦しくて、心臓がドキドキと躍動して、体が甘く痺れて、でもラフォラエルが側にいることが――嬉しくて。
――嬉しい?
ライマは不意に浮かんだその語句に驚く。
「ライマ?」
ラフォラエルが不思議そうにライマの顔をのぞき込む。
――【好き】
ライマの頭脳がその語句を引き出した。
途端、ライマの中で何かがパチンとはじけた。
一気に顔が赤面し、ライマは握っていたラフォラエルの手を振りほどき、毛布を頭までかぶる。
「ライマ?!」
ラフォラエルが驚いた声をあげたが、ライマは顔を出さない。
――【好き】
毛布にくるまり顔を隠したままのライマに、その語句がずんずん迫っていた。