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てっちゃん地蔵  作者: 谷兼天慈
7/11

第6話「京子の回想1」

 夏休みが終わろうとしていたある日の事である。その日も朝からギラギラと太陽が照りつけており、京子はとてもゆううつな気分に陥っていた。

 天気だけでなく、最近の郁子の態度に戸惑いを感じていたのもその原因のひとつであった。

「いくちゃん、今日もこないのかな」

 締め切った二階の窓から、京子は通りを眺めた。

 部屋のなかは冷房がきいていて、なかなか涼しい。あまり身体には良くないと分かっていても、家に籠もっているとつい冷房を頼ってしまう自分が情けないと京子は思った。

 なんとなく身体のだるさを感じながらも、京子は窓の外を見つめる。

 郁子の姿はいっこうに見えてこない。

 彼女が外に連れだしてくれないと、また今日も京子は部屋で一日暮らさなくてはならない。そういうこともあって、軽い冷房病にかかりそうになっていた彼女であった。

「はぁ───」

 深い溜め息をつく。京子は窓から身体を放した。

 そして、しばらくののち。

──ピンポーン──

 誰かが来たようである。

「はぁーい」

 京子は声を張り上げながら、急いで階下におりた。家には彼女だけで誰もいなかったのだ。

──ガチャ……

 京子は、郁子が来てくれたに違いないと思いながら扉を開けた。

「あ……」

 その彼女の顔が、とたんに強張った。

「………」

 確かに玄関には黙ったままの郁子が立っていた。京子が待ちに待っていた人の登場だ。だが───

「ごきげんいかがかしら、小西さん」

 郁子の隣に、傲然とした態度で立つ佐伯美智子が立っていたのだ。

「さ、佐伯さん……」

 京子は郁子に視線を移した。

(なぜ?)

 明らかにそう問うた眼差しである。それは郁子にもきっと伝わったはずである。しかし郁子は目を逸らした。

「!」

 京子は驚愕して目を見張った。

(どうして目をそらすの? いったい、何があったというの?)

 京子は何か底知れぬ恐怖を感じた。

「わたしねえ、小西さん……」

 そんな京子に構わず、美智子は一歩前に進み出ると言った。

「…………」

 京子は恐る恐る美智子へと視線を戻す。

「もっとあなたのこと知らなきゃならないと思ったの」

 美智子は、これまで京子に見せたことのない微笑みを浮かべた。見たところ、まったく嫌味の感じられない微笑のようであった。

「…………」

 多少の不安はあったものの、その微笑みに京子は少し警戒心を解いた。それにしても郁子の様子が気になる───

「ね、これからちょっとわたしたちで外に出てみない?」

 美智子は手をのばして京子の手を取った。

「え……」

「お互いに知り合うには、やっぱり一緒に遊ばなきゃ、ね」

「………」

 京子は、自分の両手を包み込む美智子の白い手を見つめた。

(冷たい……)

 ひんやりとした手である。

 手が冷たい人は心が温かいという言葉もある。だが、その反対であると唱える者もいることは確かだ。冷たい身体の持ち主は、やはり冷たい心の人間なのだという───どちらにせよ、それは確実な論ではないだろう。

 そして、京子は完全には美智子の性格を把握している訳ではなかった。仮にそうしようと思ったところで、生理的に受け付けられぬ相手の性格など、どう頑張ってみても理解できるはずもない。

 だから、いわば天敵とも言える相手である美智子の──それも明らかに自分よりも強い立場の──言葉を拒むことの出来ぬ彼女は、言われるがままに美智子に連れだされていったのであった。

 そして、その間ずっと一貫して、郁子は何も喋ろうとはしなかった。

 おもてに出てみると、いかにも夏らしく暑かった。見上げる空も、いつものように真っ青で雲一つないかのように見える。だが、よく目を凝らして遠くの空を見てみれば、雲が集まりだしているのが分かったことだろう。

 ここから見れば緩慢なその動きも、だんだんとその速度を速めていくにちがいない。

 どうやら雨雲らしい。

 永い間、この地は雨が降らなかった。夏に入る前の梅雨以来であるから、もうそろそろ恵みの雨が降ってきても良いころだ。

 だが、いま京子たちが歩いているこの町の上空には、まだ雨が降る片鱗も見られはしない。

「…………」

 京子はふと足をとめて顔を上げた。片手でかぶっている帽子を軽くおさえている。

「どうなさったの?」

 前を歩いていた美智子が振り返る。同時に横を歩いていた郁子も足をとめ、わずかに顔を後ろに向けた。

「雨が降るかもしれない……」

 ぽつりと京子は呟いた。

「?」

 美智子は不可解な表情で京子を見つめた。

 その顔は「まったく何を変なことを」と言いたげだ。

 はっとして京子は我に返った。そして、美智子の不審そうな目に気づき、無意識に追従笑いをした。

「ごめんなさい。何となくそう思ったの。気にしないで」

「………」

 美智子は不機嫌そうな顔になったが、彼女としては珍しく、それ以上は敢えて何も言わなかった。それでもやはり態度には、内心の気持ちというものが出てしまうものだ。

 美智子は、いきなり身をひるがえし、さっさと早足で歩きはじめた。それを慌てて追う郁子、そして、少し遅れて追いはじめる京子であった。



 三人の少女は「森の公園」にやって来た。

 数日で夏休みが終わろうとしていたこの日は、やはり誰も近寄ろうとする者はいなかった。同じ子供たちは、まだ済んでいない宿題と悪戦苦闘している最中であろうし、平日の午後にやって来る酔狂な大人たちもいない。

 さきほどから吹きはじめている風に揺れるブランコ───

 そして木々もゆらゆらと揺れて木漏れ日を投げかけている。

 誰も座っていないベンチ。

 風に押された砂が滑り落ちる滑り台。

 雑草と雑草の切れ間には、からからに乾ききった砂地が覗いている。その砂は、折しも吹き荒れる強い風に煽られ、もうもうと舞い上がって辺りを埃にまみれた情景へと変えていく───

 樹木のある風景なのに荒れ果てた感じを与える───そんな荒涼とした公園に、美智子と郁子、そして京子は辿り着いた。

 誰もいない公園───

 一瞬、京子は言い知れぬ不安を胸に抱いた。

 だが、それでもまだ彼女は郁子という存在を信じていた。

 郁子は彼女にとっては親友であり、もっとも信頼できる人物だ。その彼女がいる限り、そんなに心配することは起きまいという確信が京子にはあった。

 絶対に大丈夫だと───

「さあ!」

 美智子の声に京子は我に返った。目の前にブランコが見える。風に揺らめき、まるで誰かが動かしているようだと彼女は思った。

「ブランコに座りましょう」

 そう言う美智子は、すこぶる機嫌が良いらしい。声の調子を聞くだけではそんな感じである。

「あっ……」

 京子は小さく声を上げた。なかば強引な感じで美智子が手を引っ張ったからだ。

「さ、どうぞ」

 京子の戸惑ったような顔を、しっかりと美智子は見たはずである。だが、彼女は意に介するふうでもなく満面に笑みを浮かべた。

「………」

 そんな美智子の顔を凝視する京子。いまだ釈然としないらしい。この高慢な少女の本心を探ろうとしているといったところだろう。

──キィ……

 ゆっくりと腰をおろしながらも、彼女は美智子の顔を見つめつづけた。

「どうしたの?」

 さらに微笑みが深くなる美智子。

「ああ…なるほどね…」

 得心がいったといわんばかりに、美智子は大きく頷いた。京子の目に、彼女のその仕種は何となく大げさに映ったようだ。ほんの僅かだが、京子の目に不審の色が浮かぶ。

「あなたはまだ疑ってるのね」

 美智子の声に微かな軽蔑がこめられていなかったか───京子はじっと見つめる。まさしく疑いのまなこで。

(なんだか怖い……)

 ひたひたと忍び寄る何者かが、自分を傷つけようとしている───そんな思いが京子の心に生まれようとしていた。

(いくちゃん……)

 京子は助けを求めるように、美智子の後ろにひっそりと控える郁子へと視線を移した。

(え…?)

 京子は少なからず驚いた。郁子は視線を逸らしている。どうやら最初から京子の方を見ていなかったらしい。

(どうして……?)

 京子の胸で疑惑の渦が生じる。

 郁子の心が分からない───京子は当惑した。

 目は時として心の窓とも言われる。

 京子は今まで、相手の動作や言動、そして目に映し出される微妙な動きなどから、その人がいま何を思い、何を望んでいるか察してきたつもりであった。

 相手が気を悪くしないように、言葉を選んで喋ったり、行動したり、そうすることが何よりも人間関係を潤滑にしていくための方法なのだと信じていたのだ。

(……なのにどうして?)

 京子は自分が間違っているとは考えたこともなかった。

 自分のわがままや本心を押し通すことはいけないことだ───それはすなわち相手に嫌われること。人に嫌われることはとても辛い───辛いし悲しい───京子は切実に思っていた。

 それはもう強迫観念のような、逃れることの出来ぬ呪縛のような、それほど強烈な思いであった。

 しかしそれは、こんな、まだ八つでしかない少女が考えるようなことではないはずだ。もっと大人になってから社会で身につくもの───そう、これこそ処世術というものなのである。

 おそらく京子は過去に、何かとても衝撃的なことがあったのかもしれぬ。

 人は他人が考えているよりも弱かったり、あるいはとても強かったりするものだ。ほんのちょっとの、本人以外の他人から見たら何気ない出来事が、その人にとっては重大なことであったりして、そのために精神を病んでしまったり、または堅固な殻で心を覆い隠してしまったりすることはよくあることだ。

 どうしてこんなことで───と他人は言うだろう。

 なぜ、そんな些細なことで心を崩壊させてしまったり、犯罪に走ってしまったりできるのか。あるいは、犯罪に走らなくとも、必要以上に他人の言動に敏感になり、己自身の自我を抑え込みすぎてノイローゼに陥り、結局は自分を殺してしまうことになるのか。

 本人以外は理解できぬことではある。

 だからこそ他人は「どうして?」と口走ってしまうのだろう。だが、それは心で思っても決して口にしてはいけない言葉なのだ。それは当人をさらに追い詰めることにしかならない。

 人はどうして問い詰めることばかりして、相手の心の叫びに黙って耳を傾けることが出来ないのか。わからないなりに、理解してみようという真摯な姿勢というものがどうして出来ないのか───いわゆる、世間の言うところの「普通の人間」という枠組みから外れた者は、きっとそう言いたいにちがいない。

 しかし、京子は一見すると、ごく普通の少女のように見える。

 だが、聞き分けのよい優等生タイプというものは、すでにそれだけで普通とは言えないのかもしれぬ。最近では、そういう優等生の子供が二重の心を常に持ちつづけ、深く傷つき病んでいるという。

 京子もまた、そんな常識では推し量れないタイプの少女らしい。

 京子の身にいったい何があったのか、その事実だけは本人には分かっていても、自分の性格がそれに起因するとは思ってもみないことだろう。ましてや、なんといっても幼い少女である。確かに普通の子供よりは賢く、世の中のことに精通しているとはいえ、正確に己の複雑な心を理解しているとも思えぬ。

 他人に傷つけられぬように自分で無意識のうちに防御体制を施している。悪い言い方をすれば「顔色を見て」物事を言ったりやったりする───だからと言って、それが悪いとは誰にも決めつけることは出来ない。

(やっぱり好きになれない)

 京子は、知らず心で呟いた。

 自分を理解してくれる相手というものは何となく分かるものだ。美智子からはイヤな感じしか返ってこない。

 それは恐らく、美智子にとっても京子の性格は我慢できないほどにイヤだと思っているのだろう。京子は知るよしもないが、実際にそうであるのは間違いないことなのだ。

(でも……どうして…?)

 美智子は演技をしている───その背後に潜むものはいったい何なのか、京子には分からなかったが、それでも美智子の不誠実さだけは身体全体で感じ取っていた。

 それを気づいたかどうか───美智子はぬけぬけと言い通す。

「何もしやしないわよ。ただ、じっくりあなたとお話がしたかっただけよ」

 しかし、すでにもう京子は、彼女をまったく額面どおりに信用してはいなかった。

「何を話すことがあるっていうの」

 思いのほか、険のある言い方だった。京子にしては思い切った態度である。

「…………」

 とたんに美智子の顔が険しくなった。今にも「なんですってえ!」と叫びそうな顔だ。

 しかし、懸命に我慢しているようである。

「そんなに冷たい言い方しないでよ」

 多少、表情は強張ってはいたが、美智子は冷静にそう言った。

 彼女は京子の隣のブランコに腰掛けた。郁子はというと、そのまま立っている。

──キィ、キィ……

 美智子はブランコを揺らした。

(暗い……)

 ふっと京子は思った。

 いつのまにか辺りは暗くなっていた。先程まで、きらきらと木漏れ日が三人の少女たちに射し込んできていたのに、それがない。

──ザワザワ……

 風はそんなに強くはない。頭上の木々をざわめかして吹いている。強くはないが、何とも気持ちの悪い感じだ。

(雨が……)

 京子は空気の流れに湿気が含まれているのを敏感に感じ取っていた。

「………」

 彼女は横でブランコを揺らす美智子をちらりと見た。少し不機嫌そうに唇を尖らせている。

(雨が降ってくるのに……)

 京子は、彼女が着ている光沢のある上等そうなブラウスに目をやった。

「………」

 それから、再び目線を顔に持っていく。

「!」

 美智子が京子を見ている。蔑むような冷たい視線だ。

 その時、京子の心に何とも言えないイヤな感覚が走った。

(教えるもんか)

 それは、もろに彼女の暗い部分が言わせる言葉であった。ほとんど無意識のうちに発せられた思考であって、おもてに出ないだけ良かったと言える。

 しかし、表情には滲み出てしまったのだろう。とたんに美智子の表情に険悪なものが浮かんだのだ。

「何だか、こわい顔をしてらっしゃるみたいだけど、どうかしたのかしら」

 皮肉たっぷりで美智子は言った。

「まあ、いいわ」

 すると、美智子は打って変わって楽しそうにくすくすと笑いだした。

「?」

 肩透かしをくらったように、京子は茫然としてしまった。

「ふふ…そういえば小西さん。幽霊を見たんですってね」

「え……?」

 京子は耳を疑った。どうしてそれを美智子が知っているのか。

(いくちゃん?)

 京子は再び郁子に目をやった。それでも相変わらず郁子は京子を見ようとしない。

 そんなとき、美智子が鼻で笑って言った。

「大丈夫かしらね。死ななければいいけど」

「あなただって見たでしょ!」

「!」

 あまりの語気の荒さに、美智子は絶句して京子を見つめた。

「佐伯さんだって、幽霊を見たって言ってたじゃない」

 京子は少し声を落とし、一語一句はっきりと喋った。

「あ…ああ、あれね」

 美智子は我に返って言葉を続けた。

「あなた、忘れたの?」

 すっかりもとの高慢さを取り戻した美智子は、つんと顎をそびやかした。

「言ったはずよ。わたしは特別な人間だってね。わたしのような選ばれた者が死ぬはずないでしょ。たとえウワサの幽霊を見たからってそんな、神さまがお許しになるはずがないわよ。わたしは絶対に死なない。死んでたまるもんですか」

 強く断言する美智子であった。

「………」

 京子は大いに不服そうな顔をしている。

「あなたは知らないでしょうけど。本当のことなのよ。幽霊を見た者は死ぬって」

「まさか……ほんとに……?」

 京子はブランコの鎖を持つ手に力を入れ、目を凝らして美智子の顔を見つめた。

──キィ……

 美智子はブランコをおりた。ゆっくり勿体つけるように動き、京子の前に立つ。

 京子は恐る恐る顔を上げた。

「…………」

 京子の目が不愉快そうに細められた。

 美智子はいつもの彼女らしい恰好で立っていた。郁子や京子よりは幾分ゆたかな胸を張り、腕を組んでいる。目は冷たく細められ、上から見下げるように京子を見つめ、口もとの歪みは先程まで浮かべていた微笑みとは雲泥の差であった。

 そんな美智子の様子に、京子は恐ろしさを感じながらも、なぜかほっとした。

 それは、ようやく居心地の悪さから解放された気分に似ている。彼女の感じていた不快感は、美智子の態度が本来あるべく姿とあまりにもかけ離れていたために感じていた、何といえぬ気持ちの悪さであったのだ。

 本当なら、自分に対して敵対しない相手というものは歓迎されてしかるべきである。それをそうとして取れないということは、常識的に見て理解できないことだろう。

 そう、それこそが京子の性質といえるのかもしれない。

 美智子は「自分を苛める相手」と定義してしまって、それ以外の要素というものを排除してしまう──つまり、美智子は京子に優しくする、というよりも優しくしてはいけない、と決めつけてしまうことなのである。

 ということは、京子自身が思い描く動き以外のことをする美智子は、京子にとって本来あるべき姿でない──要するに、美智子が京子の考えた美智子としての振る舞いをしないと不快に感じてしまう。だから、美智子がいつもの美智子に戻れば、ほっとするのだ。溜飲が下がるといってもよいかもしれない。

 そんな京子の心の移り変わりを知ってか知らずか、美智子は高圧的とも言える態度で話しはじめた。

「三十年前、てっちゃん地蔵の上で男の子が首吊り自殺したわ」

「知ってるわよ」

「…………」

 しっかりとした京子の物言いに、少し驚いて目を見張る美智子であった。しかし、そのことには触れずに続けた。

「鉄男という名前の人だった。それからしばらくして、そこを通りかかった小学生の男の子が幽霊を見たの。大人たちは、その子の見た幽霊が鉄男くんによく似ていることを知った。そして、それからまたしばらくしたある日のこと。近くの池で溺れて死んでいる少年が見つかった。それが、鉄男くんの幽霊を見た小学生だったのよ」

 美智子は少し声を落として、京子の様子をうかがった。

 すっかり辺りは暗くなってきた。美智子の後ろの方では、郁子がいまだ黙ったままで何も喋る気配がない。まるで存在感がなく、息さえもひそめているようだ。

──ザワザワザワ……

 少し風も強くなりつつあった。だんだんと梢の揺れる音が大きくなっていく。

(寒い……)

 京子はさらにブランコの鎖を強く握った。

「そのときは、その小学生の死が、鉄男くんの幽霊を見たからだという人はいなかったそうよ。その子はよく池で遊んでいたということだし、たまたま足を滑らせてしまったんだということで終わってしまった。でも……」

「…………」

 京子はごくりと唾を飲み込んだ。何となく胸の鼓動が速くなっていくのを感じる。

「そのあと、一年ごとに小学生や中学生の子供たちが事故や自殺で次々と死んでいくようになったの。その死に方はいろいろだった。交通事故や階段から落ちたり、火事でっていうのもあったし、納屋で首吊りとか、手首を切ってっていうのもあったそうよ。でも、すべての人に共通点があった……」

「きょ…共通点……」

 京子は震える声で無意識のうちに呟いた。

「そう。同じことよ」

 美智子は京子の反応に大いに満足しているかのように大きく頷いた。

「みんな死ぬ前に鉄男くんの幽霊を目撃しているのよ!」

「!」

──バサバサバサッ!

「はっ!」

 京子に美智子、そして郁子までもが驚いて上空に目を向けた。

 まったくちょうどいいタイミングに、木からカラスが飛び立ったのだ。

──カァカァカァ──

 カラスは馬鹿にしたような声を張り上げてどこへともなく飛び去った。

「ゆ…有名な話よ」

 美智子は裏返った声でそう言った。

「誰でも知ってることだわ。だけど誰もそのことは言わないの。だって、幽霊の話をすると幽霊ってよってくるっていうじゃない。最後に鉄男くんの幽霊を見たのは十年くらい前だったらしいけど……でも、この十年のうちに事故とかで死んだ人がいなかったわけじゃないし、その人が幽霊を見たかどうかなんてわからないものね。もしかしたら見たのかもしれない……」

「本当にそんなこと信じているの?」

「え……?」

 美智子は訝しそうな顔をした。

「それが本当だったら、あなただって見たんだし、それに……いくちゃんだってわたしと一緒に見たのよ」

 京子は郁子に目を向けた。

「あ……」

 ようやく郁子が京子の方を向いた。恐怖に歪んだ顔だ。

「知ってるわよ」

 すると、美智子はさらりと言った。郁子のことは何でも知っているとでも言いたげな様子だ。

「郁子もわたしも、あなたとは違うのよ。あなたみたいなよそ者を、てっちゃん地蔵が許すはずがないじゃない。死ぬのはあなたひとりなのよ」

「そんな……許すはずがって……わたしは何もしてない……」

「なんにもしてないですって?」

 美智子が笑いだした。

「よくもまあ、しゃあしゃあとそんなことが言えたものね」

 彼女は腰に手をあて仁王立ちをした。

「あなたは大嘘つきよ」

「何のこと……」

「知らないとは言わせないわ!」

 美智子は京子の言葉を遮った。

「逃亡事件は郁子のせいだと言いふらしていたじゃないの」

「そんな…わたし…言いふらしてなんか…」

「いいわけしたってダメよ。あなたは郁子の人のよさを利用して、自分から持ちかけたくせに郁子のせいにした。それなのに郁子はあなたのことをかばって自分のせいだと言ったのよ」

「だって…ほんとうのこと……」

「黙りなさいよ!」

「…………」

 美智子の物凄い剣幕に思わず黙り込んでしまった京子。

「あなた、恥ずかしくないの?」

 彼女は大きく両手を広げると力説する。

「あなたのことをかばってくれた郁子のことを、悪者のように言いふらすなんて」

「いくちゃん!」

 京子はもう我慢できずに、郁子の名を呼んだ。そして、ブランコから離れ、再び顔をそむけてしまった郁子のもとへと駆け寄った。

「どういうことなの? だって、あなたが行こうって言ったんでしょ。それが本当のことじゃないの」

 京子は郁子の身体を揺さぶった。

「…………」

 郁子は、まるで人形のようにされるがままだった。ぐらぐらと身体は揺れ、相変わらず京子とは目も合わせようとしない。

「ねえ。いくちゃん。何とか言ってよ!」

 京子は興奮して、だんだんと声が大きくなりはじめた。

「どうして佐伯さんが知ってるの? どうしてわたしたちのことを喋ったの? わたしたち親友でしょ。どうして?」

 いつもは青白い京子の顔が、興奮でピンク色に染まっていた。

「…………」

 郁子は何も言わない。顔をそらし、自分の腕をつかんでいる京子の手を見つめている。

「わたし、いくちゃんのこと大好きよ。あなたもそうだって言ってくれたじゃない」

「郁子はこの佐伯美智子が一番好きなのよ」

 京子の背後で、妙に涼しげな美智子の声が上がった。

「…………」

 ゆっくりと振り返る京子。

「なん…です…って?」

 そう呟いたまま、京子は絶句した。

──ポツリ……

 そのとき、水滴が落ちてきた。京子の帽子にあたったそれは「ぽと!」と意外に大きな音を立てた。

 次の瞬間である。

──ザザザザァァァァ──

 夕立が三人の少女を襲った。

 すると、それまで動きもしなかった郁子が突然に行動を起こしたのだ。

「みっちゃんも京ちゃんも、さあ!」

 郁子は二人の腕を取ると、公園中央にある屋根のついた休憩所に引っ張っていった。

 あまりにも突然だったので、京子も美智子も茫然としたまま、されるがままだった。

「はぁ、はぁ……」

 郁子は大きく肩で息をすると、ふたりの少女の腕を放した。

 京子も美智子も同じように大きく息をしている。

「京ちゃん、ちょっとぬれちゃったね」

 郁子の心配そうな声に京子は顔を上げ、複雑な視線を向けた。

(わからない。いくちゃんの心がわたしにはもう見えない)

 京子の白い帽子から、ぽたりと雫が落ちていく。

──ザァァァァ──

 ひっきりなしに雨は降りつづける。辺りは鬱するように翳り、まるで日が落ちたみたいだ。

(寒い……)

 身体よりも心が寒いと京子は思った。

 彼女の目に映る郁子は、なるほど自分のことをしきりに心配してくれているようだ。さきほどまでの、まるで知らん顔という雰囲気は感じられない。

 今、自分のハンカチで白い帽子から垂れている雨の雫や長袖のTシャツの肩のところを一生懸命ふいてくれている。

(やっぱり分からない。いくちゃんに何が起きたというの?)

 京子は黙ったまま、世話をしてくれる郁子をじっと見つめた。

「郁子!」

 そんなとき、美智子の怒りを含んだ声が上がった。

「わたしよりもよそ者のほうが大事なの?」

「あ……ご、ごめん……」

 はっと我に返って、郁子は慌てた。そそくさと京子の傍らを離れる。

「…………」

 京子は恨めしそうに、そんな郁子を見つめた。

 雨はまだ降り続いている。

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