第5話「京子の登場」
「私のせいなのよ……」
郁子はフェンスにもたれ掛かりながらそう呟いた。
夏の暑い風が吹いてきて、彼女の髪を揺らした。セミロングの真っ直ぐな髪である。子供のころ憧れた髪型だ。それはパーマのおかげで保たれている髪型であることは言うまでもない。
髪を揺らす風は、彼女の足もとの花束も一緒に揺らしている。
「そうよ。いくちゃんのせいよ」
郁子は驚いて振り返った。
いつの間に来たのだろう。そこには郁子と同じ年頃の女性が立っていた。
「京ちゃん!」
郁子は叫んだ。
ひどく儚げな女性だった。白い顔は痛々しいほどにこけていて、何かの病にかかっているかのように青白い。夏であるのに長袖の白いブラウスを着ていて、同じ色の鍔の広い帽子をかぶっている。淡いブルーのスカートは長めで、見えている足首は折れてしまいそうなほどに細い。もちろん手首も同じことだ。
それは間違いなく小西京子であった。
幼いころの彼女が、そのまま大きくなったかのように変わっていない。しかし、大きくなったといっても、少しばかり背が伸びたといえるくらいで、全体的に少女の頃とあまり変わりがないように見える。
彼女がかぶっている白い帽子は、色の褪せ方から見るかぎり、どうやら昔いつもかぶっていたものであるようだ。
あの頃、真っ白で輝かんばかりだった白い帽子───郁子が憧れて手に入れたがっていたあの白い帽子は、所々にシミの見える色褪せた帽子と成り果てている。
「わたしはずっとずっとこの時を待っていたのよ」
京子は言った。
「………」
郁子は震え上がっている。かすかに首を横に振っている。
京子の顔は憎々しげに歪められた。
「あなたがいったい、わたしにどんな仕打ちをしたか、よく思い出してもらうためにね」
郁子は自分の耳を塞いだ。思わずその場にしゃがみこむ。
「人間が、こんなに人を憎むことができるとはね。あなたにとって、あれはたいしたことじゃなかったのかもしれないけれど、わたしはずっとあなたを憎みつづけた」
「私…私だけじゃなかったわ……」
「確かにね」
震える声で呟く郁子に、京子は吐き捨てるように言った。
「でもね。いくちゃんをわたしは信じていたのよ。たったひとり、わたしを理解してくれるのはあなただけだと思っていたのに、あなたはわたしを裏切った───」
怒りで京子の声は震えている。
「思い出すがいい───あなたがわたしにしたことを───」
「…………」
郁子は何も言い返すことができずにいるようだった。現実から目をそむけるように耳を塞ぎ、目をギュッとつぶっている。相変わらずしゃがんだ恰好のままだ。
「わたしが話してあげるわ。全部ね」
「…………」
郁子は黙っている。
ここには彼女たちしかいない。
微かに震えている郁子。そんな彼女に冷たい視線を向ける京子。
──ヒュゥゥゥゥ───
そんな折り、強い風が吹き荒れた。それは湿気を含んだもので、むわっとした不快感を感じさせるものだった。
遠い空の彼方から、むらむらと雲が近づいてくる。遠からず夕立が襲うかもしれない。
──ヒュゥゥゥゥ───
風は京子の白い帽子を飛ばそうとするかのように吹いていた。彼女は、そうはさせじと右手でしっかりと帽子をおさえている。
彼女の視線が、わずかに郁子からそれた。
デパートの周りは、ここら辺りの繁華街となっており、様々な商店やビル群が立ち並んでいた。それらは、猥雑な感じを見る者に感じさせている。
それでも遠くには山々が連なり、ビルとビルとの間に見え隠れする緑があり、それらがここで働く人々に少しは潤いを与えてくれているのではないかと───そう思わせている感じがするが、それは希望的観測なのだろうか。
京子はそんな箱庭のように小さく感じるこの町を見つめ、さらに彼方に見える雨雲を見つめた───というよりも、彼女たちの過去を見つめているような遠い目をしていた。
「……あの日も今日のように雨雲が近づいていた……」
喋りだす京子の目に映る雨雲は、どんどんスピードを上げて青い空をおおいつくしていく───




