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てっちゃん地蔵  作者: 谷兼天慈
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第3話「郁子の回想3」

「いくちゃん……」

 それからしばらくして、暗い道を歩きながら、京子が隣の郁子に声をかけてきた。

「なに?」

 びくびくしながら歩いている京子とは違って、郁子は何でもないことのようにさっさと歩いている。聞き返す言葉もはっきりくっきりで、あたりに響きわたった。

「う…ん…あの…てっちゃん地蔵って、あのお地蔵さんのこと?」

「ああ……」

 郁子の声の調子が少し変わった。

「京ちゃんは知らないんだよねえ……」

「なんのこと?」

 郁子の腕をつかんでいた京子の手が微かに震えた。彼女の含みのある言い方に不安を抱いたようである。

「………」

 それを感じた郁子は、一瞬迷った。果たして、このことを言うべきかどうか。

 しかし、彼女は喋りはじめた。

「あのお地蔵さんは、もともと名前なんてなかったの。そりゃ昔はあったのかもしれないけど、母さんたちは知らないみたい。ただ、お侍さんがまだたくさんいた時代ごろから、あそこに立っていたんじゃないかってことは近所のおじいさんたちが話してたって。それが、今から三十年くらい前に、あのお地蔵さんの上で男の子が首吊り自殺して……」

「く…くびつり……?」

 怖がらせないようにと、郁子は淡々と話したつもりだったが、京子はすっかり恐怖に震え上がっている。郁子は溜め息をつくと頷いた。

「鉄男っていう名前で中学生だったらしいんだけど、病気がちであんまり学校に行ってなかったんだって。なんの病気なのかはわかんないけど、同じ年の子供たちはその子のこといじめてたみたい。病気をうつすなってさ」

「ひどい……」

「そうだよねー」

 郁子も、もっともだといわんばかりに大きく首をふった。

「だけどまー、いったいどんないじめだったのか知らないけど、鉄男くんにはたえられないものだったんだろーね」

「………」

 暗がりの中なので京子の表情はあまりよくは見えなかったが、じっと黙っている。

「?」

 郁子は、そんな彼女のかもしだす雰囲気が気になって、そっと京子の顔を覗いた。

 自分の腕をつかんでいる手は、もう震えてはいない。

 しかし、強さが増したように郁子には思われた。何か、いけないことでも言ったのだろうかと思いながら、郁子はさらに続けた。

「ある日、あの松の木で首を吊っている鉄男くんが見つかったの……」

──ザザッ……

 郁子と京子は立ち止まった。

 ふたりの視線の向こうに、後ろに松の木を背景にしてひっそりと佇む小さな地蔵があった。もちろん、その松だけでなく、周辺にはうっそうと生い茂る雑木林が広がっており、地蔵も彼女たちも大いなる自然に包み込まれている。

 鼻をつままれても──と言いたいところだが、なぜか月夜でもないのに、ぼんやりとあたりの様子が見える。少女たちの目が暗がりに慣れてきたせいもあろう。

「あのウワサね」

「なに?」

 京子はびくっとして聞き返した。

 すると郁子は声を落として続ける。

「幽霊を見ると死ぬっていう……」

「ええ……それが?」

「鉄男くんが死んでからなんだって、そういうウワサが立ちはじめたのって……」

「…………」

 京子は押し黙ってしまった。

「不思議だね……」

「え……?」

 郁子の言葉に、京子が小さく声を上げた。

「今まで誰も脅かす上級生がいなかった」

「………」

──ザザザァァ──

 ふいに風が起こり、足もとの雑草や頭の上の梢が揺れた。

「………」

 郁子と京子は押し黙ったまま、互いの手を握りしめた。視線は吸い寄せられるように地蔵から離れない。

「き…きっと、お地蔵さんの後ろに誰かがいるんだよ……」

「そ…そう…ね」

 京子も郁子の言うことに賛同した。

 ふたりは、ゆっくりと歩きだし、目的地である地蔵へと近づいていった。

「鉄男くんは松の木に一度で登れたわけじゃないんだって……」

 さすがの郁子も怖さを感じはじめていた。

 怖い気持ちを紛らわすために、先程まで続けていた話をしはじめたのだ。

「いくちゃん……」

 とたんに京子の非難じみた声が上がる。

 だが、郁子は構わず続けた。

「何度か失敗して、その時に、あちこち擦り傷をつくっちゃったらしいんだ」

 そして、とうとう郁子と京子は地蔵のすぐ真正面に辿り着いた。

「………」

「………」

 ふたりは、べったりと寄り添ったまま、地蔵の前に立った。いつの間にか風はぱったりとやんでいる。不気味なほどの静けさが漂っていた。

 本来なら、後続の子供たちの悲鳴やらざわめきが聞こえてきそうなものなのに、しーんとしていてあまりにも不自然だ。まったく誰もあたりにはいないみたいで、郁子と京子のふたりだけが、この暗闇で立ちすくんでいるようだ。

「と…とにかく、はやくハチマキ巻き付けよう……」

 それでも、なんとか気を奮い立たせて、郁子は身体を動かした。

「う…うん」

 京子も動いた。ただし、腕は郁子の腕に巻き付けたままだ。

 地蔵は何事もないかのように、厳かな顔で郁子たちを迎えた。かなりの磨耗はあるにせよ、優しい表情は見て取れる。

 郁子はなんとなく心が落ちついてくるのを感じた。

「苦しかっただろうな。首が締まっていくっていう気持ちはどんなだろう。こんなふうに結わえるのとはちがうんだもんね」

 郁子はハチマキを地蔵にくくりつけながら喋りつづけた。

「それにしてもこの傷……」

「傷がどうしたの?」

 京子は郁子にしがみついたままで聞いた。

「うん。鉄男くんは松の木に登るのにずいぶん失敗したんだけど、何度目かの失敗の時にざっくりとおでこを切っちゃったんだって」

「おでこ……」

 京子は知らず、ごくりと喉を鳴らした。

「そうなんだ。このお地蔵さんの傷って、鉄男くんが自殺したあとに、いつの間にかできてたんだって……」

──ザワザワ……

「!」

 ふたりは飛び上がった。先程まで無風だったのに、再び風が木々を揺らしたからだ。

「な…なんだ、風か……」

 そういう郁子の声は消え入りそうなほどに小さい。

「………」

 京子はというと、かわいそうなくらい身体を震わせていた。郁子の身体にしがみついたまま、目は地蔵に釘付けになって唇を噛みしめている。

 彼女の大きな目はさらに大きくなり、おそらく血走っているにちがいない。ホラー映画のワンシーンみたいに───

 実際には、誰かが彼女たちの詳しい様子を見ようと思っても、暗すぎて細部の表情までは見ることはできなかっただろう。ただ、ふたりの憐れな少女が、抱き合ったまま動かないのを目撃するだけだ。

 動けない───そう、彼女たちは動けないでいた。互いにきつく抱き合ったまま、恐怖に凍りつきそうになりながら、自分たちの目の前に佇む小さな地蔵を見つめている。

(どうしてこんなに寒いの……)

 郁子は心で呟いた。

(どうして……)

 風は未だに吹きつづけていた。不気味なぬるさで、彼女たちの身体をねっとりとからめとるかのように吹いている。

 それなのに、郁子はまるで氷に囲まれているような冷たさを感じていた。

 ざわざわと木々が揺れる。

「ひ…人が…何か喋っているみたい…」

 京子の言葉に郁子はびくっとした。彼女の声が、普段よく聞く声とまったく違って聞こえたからだ。

「………」

 郁子はゆっくりと京子へと視線を移そうとした。身体は金縛りにあっているように動かなかったが、首だけは大丈夫のようである。

 そのとき───

「いくちゃん……」

 京子が囁いた。何かただならぬ雰囲気を漂わせ、彼女は地蔵の方を指さしている。

「あ…あれ…なに?」

「え……?」

 郁子は視線を地蔵に戻すため、再び首を動かした。

「!」

 とたんに彼女は叫ぼうとした。だが、息を飲んだだけで声にはならなかった。

(なんなの、あれ?)

 郁子は心で呟く。

 地蔵の後ろに立つ松の木が、仄かに輝いていた。全体ではなく、地蔵の少し上のあたりがぼんやりと薄青く光っている。

「ひ…ひとだま?」

 ようやく、郁子は震える声で言った。

 その彼女の言葉に答えるように、京子はぎこちなく首を振った。

「ち…ちがうみたい…」

「ちがうって……」

 瞳だけを動かして郁子は京子を見た。

「あの光、人の形をしている」

「え……」

 郁子はもう一度その光を見つめた。

──ヒュゥゥゥゥ───

 風はまだ吹きつづけている。さほど強いものではないが、幼い郁子にも、その風がいつも感じる風でないことが、なぜかわかった。

 地蔵の後ろに立つ松の木は、太くもなく細くもなく、ごく普通のどこにでもあるような木であった。

 そして、今、その木の一部が不気味に光っている。

 いろいろといわれのある場所だ。そんな超常的なことが起こってもおかしくはないかもしれない。

 しかし、幽霊を見た者がいると聞いてはいても、郁子にはなかなかに信じられないことであった。だが───

「ゆう…幽霊……?」

 知らず呟いてしまう郁子。

「い…いくちゃん……」

 京子の声は今にも失神してしまいそうなほど悲痛だ。足は音でもしそうなほどにガクガクしていて、立っているのがやっとである。

 すると───

 光が突然動きだした。

「ひ…ひぃぃぃぃ───」

 郁子と京子は絞め殺されるような叫び声を上げた。光は彼女たちに向かって一直線に向かってくる。ふたりは思わず目をつぶり、互いに抱き合ったまましゃがみこんだ。

──ファァァァ───

(え……?)

 郁子は何かが身体を突き抜けていくのを感じた。冷たいような温かいような、なんともいえないその感じ───

(なんだろう…)

 もどかしい気持ちがわき上がる。

 そのとたん、郁子は怖さを忘れた。心の中が優しい気持ちでいっぱいになった。

「…………」

 それでも、郁子は京子と同じようにしゃがみこんだまま、顔を上げることができずにいた。

 そして───

「ひぃ───」

「こわいよ───」

「あっちいってぇ───」

 抱き合ったままの郁子と京子の耳に、すぐ近くで友人たちの声が聞こえてきた。さきほどまで、誰一人として気配や声など聞こえなかったのに、今のふたりにはしっかりと彼らの存在が感じられる。

「?」

 郁子と京子はゆっくりと顔を上げる。それでも互いに身体はぴったりとつけたままだ。

──ザザッ!

 そのとき、地蔵の後ろの草むらから誰かが出てきた。思わず、二人は飛び上がりそうになった。

「なにやってんだ」

「お兄ちゃん!」

 ほっとして郁子は叫んだ。

 草むらから出てきたのは郁子の兄だった。

「おまえら、いつのまに来てたんだ?」

 彼は懐中電灯を懐から出すと、スイッチをいれた。

「う……」

 ふたりの少女は眩しそうに目をしばたたかせた。本当ならその光は郁子たちから恐怖を取り除いてくれるものであるはずだ。

 だが、郁子はあまりにも眩しすぎて、反対に恐れを感じてしまった。それは暗闇に慣れてしまっていたからというのではなく、何というか、自分の心の奥底を照らしだし、知られたくないことをさらけ出される恐怖に似ている。

 もちろん、幼すぎる郁子には、その得体の知れぬ恐怖がいったい何なのか、そのときにはまったくわかっていなかった。

「おかしいな……」

 郁子の兄はしきりに首をかしげている。

「おれはお前たちが来ていたのに、ぜんぜん気がつかなかったぞ」

「…………」

「…………」

 郁子と京子は、彼の言葉に不安そうな表情を浮かべた。

(あれは幽霊だったんだろうか)

 郁子は兄の後ろに視線を向けた。

 郁子の目に、懐中電灯の光に照らしだされた地蔵が見えた。相変わらず穏やかな表情を浮かべ、何事もなかったかのように泰然として佇んでいる。

 郁子は目だけを動かしてあたりをうかがった。何かを探すように。

 あの青白い光は何だったのだろう。あれは人魂だったのだろうか。

 よく、心霊番組で見るような、そんな感じの光だった。だとしたら、やっぱりあれは人魂だったのだろうか。

(そんな……)

 郁子は心の中で囁いた。今更ながら、幽霊を見たかもしれない恐怖が戻ってくる。

「京ちゃん……」

 郁子は手を取り合っている京子に顔を向けた。

「いくちゃん……」

 京子も郁子を見つめる。その目は、さきほどの出来事が夢ではなかったことを郁子に告げていた。

「とにかく、さっさとスタート地点まで帰れよ。次の組が来るんだから……」

 郁子の兄は懐中電灯を消すと、再び地蔵の後ろの草むらに飛び込んだ。ハチマキを巻く子供たちを脅かすためであろう。

 しかし、それでもしばらくは彼女たちは動けずにそこにいた。

 郁子の兄がもう一度草むらから顔を出して怒鳴るまで、顔を見合ったまま、一対の銅像のように立ちつづけていたのである。



「あんな怖い目にあっても、まだここを歩けるの?」

 翌日の午後のこと。京子は郁子のTシャツを握りしめながら言った。

 彼女はいつもの白い帽子をかぶっていた。

 淡いブルーのブラウスに同じ色のふわりとしたスカートが、何だか不思議の国のアリスみたいだと郁子は思った。

「京ちゃんは、あれ何だと思うの?」

 郁子は足をとめて振り返った。京子とは違い、パンツからすらりとした足を出して、快活で野性児みたいな恰好の郁子であった。半袖の白いTシャツからにょっきり出ている腕も、未成熟で色気の感じられない太股も、夏の陽射しに焼けて、きれいな小麦色になっている。

 なんとも対照的なふたりだった。

「…………」

 郁子は、自分の問い掛けに考え込む京子の顔や姿を眺め渡した。それから、チラリと自分の姿に目をやり、気づかれないように小さく溜め息をついた。

「やっぱり幽霊でしょ」

 京子は折しも吹いてきた風に、帽子をさらわれないように手でおさえながら言った。

「幽霊ね……」

 郁子は白い帽子に目を向けながら上の空で呟いた。このとき、京子の帽子の白さが彼女の目に鮮やかに染みた。いつも見ている帽子なのに、なぜか初めて目にするもののように新鮮に感じられる。

(どうしてこんなに白い帽子が似合うんだろう……)

 郁子の心は、今や京子の白い帽子で一杯になってしまった。

(どうしてあたしには似合わないんだろう)

 郁子は初めて京子を見た時、なんてきれいな女の子なんだろうと思った。まったく自分とは違うタイプだと、幼いながらも本能的に感じ取っていた。

 自分が嫌いだというそんな自覚はなかったが、なれるものなら京子のようなかわいい女の子になってみたいと彼女は思った。京子の白い帽子が自分を変えてくれるような気がして、その思いに強くとらわれてしまったのである。

「京ちゃんみたいな白い帽子が欲しい」

 いつのことだったか、郁子は母にねだったことがあった。

 だが一蹴されてしまった。

「ああいうヒラヒラした帽子が、おまえみたいなガサツな子に似合うと思うのかい」

 ガサツな母親から生まれたからガサツな子供になるとは必ずしも言えない。

 しかし、親を見て育つ子供に、少なくとも何らかの影響を与えてしまうのはどうしたって否めない。それが、子供自身にとって受け入れることの出来るものならばよいが、親のようになりたいと思う子供は、なかなか少ないものなのだ。

 郁子も、そんな子供の一人であった。そして、本人は気がついてはいなかったが、相当に我が強い子供でもあった。

 郁子に限らず、子供というものは無いものねだりが強いものである。自分に似合おうが似合うまいが、欲しいと思った物は絶対に欲しいと思うものなのだ。

 どうしようもない欲求──諦めるということが出来ぬ性質──だが、郁子は京子と仲良くなるにつれて、その欲求というものを心の奥底に押し込めることに成功したのだ。

 郁子は京子が好きである。好きな女の子にイヤな自分を見せたくない。それは誰しも思うこと。大人に限らず、むしろ子供であるからこそ、その傾向が強い。

「いくちゃん……?」

「あ…ああ…京ちゃん……」

 ようやく郁子は自分だけの物思いから解放された。視線を帽子から無理やりそらす。

「京ちゃんは怖かった?」

「あたりまえじゃないの。いくちゃんは怖くなかったっていうの?」

 意外だといわんばかりに京子は目をまんまるくさせた。

「そりゃあ怖かったよ。幽霊なんて見るの初めてのことだし……でも……」

「でも?」

 京子は首をかわいらしく傾けた。郁子の言葉を待っている。

「………」

 郁子は、そんな彼女の顔をじっと見つめると、おもむろに歩きだした。

「あっ、いくちゃん!」

 慌てて京子も歩きだす。

「本当に行くの? 幽霊がまた出てきたらどうするつもり?」

 非難めいた彼女の言葉に、郁子はなぜだか苛立たしさを感じていた。

(どうしてこんなにイライラするの)

 今まで感じたことのない気持ちだった。なんともいえないドロドロしたイヤな感触。

 郁子はどんどん道を歩きながら、無理やり意識をその気持ちから剥がそうと必死になった。

 だが、必死になればなるほど、ちらちらと目の前に白い物が飛び交い、それが集まって京子の白い帽子に形作られていく幻から抜け出せない。

 彼女の心は、言いようのない絶望に沈み込もうとしていた。



「…………」

「…………」

 郁子と京子は再び地蔵の前に立った。

 あたりはいつもの林道で、夏の午後の陽射しが木漏れ日となってふたりに降り注いでいる。

 地蔵はいつもと変わらぬ姿で立っていた。

「だいじょうぶかしら」

 そっと郁子に寄り添いながら、京子は言った。ふわりといい香りが鼻をくすぐる。

「京ちゃん……」

「わたし、こわいわ。いくちゃん。はやくここから離れましょうよ」

 京子は郁子のTシャツの裾を引っ張った。

「やっぱり幽霊はいるのよ。きっとわたしたちを殺して連れていこうとしてるんだわ」

「………」

 そのとき、郁子の心に何かが生まれた。

(ドウシテ、ダレモカレモ、コワガルンダ)

(どうして、だれもかれも、こわがるんだ)

 彼女は京子の手を振り払った。

「いくちゃん……?」

 茫然と見つめる京子。

(ダレモワカッテクレナイ)

(だれもわかってくれない)

 郁子は次々わきあがってくる思考を無意識に反復していた。まるで、誰かに操られているかのごとく───

 郁子ははっきりと感じていた。自分の心の中に何者かが巣くってしまったのを。

 嫌な感じではなかった。むしろ、快く思った。自分は独りではない。自分の心をわかってくれる──何も言わなくとも理解してくれる──そんな存在をひしひしと感じ取っていた。

(京ちゃん……)

 彼女は今でも京子のことを好きだった。

 だが、京子は自分とは違う種類の人間だ。

 自分には無いものを彼女は持っている。喉から手が出るほど欲しいと思う資質を手にしている愛すべき京子───

 郁子はあまりにも幼すぎた。

 子供である彼女には、自分とは違うものに人は惹かれていくものであるということを知らない。たとえ知っていたとしても、彼女にはどうしようもないことだったろう。

 心というものは、なかなか自分の力でコントロールできるというものではない。それができれば誰も苦労しないだろうから。

 だから彼女の幼い心が、京子への思慕から憎しみへと変わっていくことは、あるいは仕方のないことだったかもしれない。

「いくちゃん───」

 京子の声が不安に震えている。まるで郁子の心を感じ取っているかのように。

 ふたりの少女の間を、いつかのように風が吹き抜けていく。

(冷たい───)

 こんなに暑い夏の日なのに、もう寒い冬が来たようだと郁子は思った。それでも相変わらず木漏れ日は、彼女たちと地蔵に射し込んでいる。

 ここには、少女たち以外だれもいない。

 心配そうな表情の京子──そして、よそよそしい態度の郁子──彼女たちのまわりだけ、まるで時が止まってしまったかのようだ。

 どこかで蝉が鳴いている。

 ふたりは押し黙ったまま、何も喋らない。

 そして、地蔵は静かに佇んでいた。

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