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てっちゃん地蔵  作者: 谷兼天慈
3/11

第2話「郁子の回想2」

「あっ、お地蔵さん」

 京子の嬉しそうな声が上がった。

 夏休みに入ってすぐのこと。郁子と京子はふたり連れ立って散歩に出ていた。

 彼女たちのお気に入りのコースに、丸い顔をしたその地蔵は静かに佇んでいたのだ。

「あれ。知らなかった? いつもここに立っていたよ」

 首をかしげて郁子が言った。

「気がつかなかった。かわいいね」

「そうかなあ。うーん。そう言われればかわいいかも……でも、お地蔵さんって、怖くない?」

 郁子はちょっと声を低くしてそう言った。

「え、どうして?」

 京子はびっくりした顔で郁子の顔を見つめた。

「だって……」

 郁子は膝を折り曲げてしゃがむと、地蔵の顔をのぞきこむ。

「お地蔵さんのそばには幽霊が出るって聞いたよ」

「うそっ?」

 京子は少し大きな声を上げた。おかっぱの真っ直ぐな髪が細い首のまわりで揺れる。もちろん白い帽子付きで。

「それ、本当なの?」

 心なしか京子の声が震えている。

「わかんない。あたしは見たことないもん。それに、ウワサで聞いただけで見た人なんていないみたいだよ。母さんたち大人も、あんまりお地蔵さんのそばにいっちゃいけないって……」

 郁子はおそるおそる地蔵の額を触った。

「ほら。ここに傷があるでしょ」

 確かに地蔵の額に傷が付いていた。それは縦に三センチほどの小さなもので、そう大して気にするほどのものではなかった。というのも、身体中に細かい傷が走っていたからである。ここに置かれるようになってから随分と年月が経っていたのだろう。

「この傷がね。ある日パカって開いて、第三の目が現れるんだって……」

「う、うそでしょ?」

 郁子の真に迫った声に、京子は今にも泣きそうだ。

 すると、とたんにケラケラと郁子は笑いだした。

「うそに決まってんじゃん。マンガじゃあるまいし。だいいちお地蔵さんって怖がるものじゃないんでしょ。みんな変だよ。困ったときにお祈りして助けてもらうだけで、あとは知らんぷりなんてさ」

 郁子はさっきまでの態度とはまるで違っていた。丸い頭をいとおしそうに撫でながら呟く。

「いいの。この道はあたしのお気に入りだから、だれがなんてったって歩いちゃうもん」

 それを不安そうに見つめる京子。

「でも……」

 郁子は撫でていた手をとめ声を落とした。

「え……?」

 京子は郁子の声に何かを感じたようだ。瞳が心配そうに揺れる。

「ここで幽霊を見たら必ず死ぬっていうウワサを聞いたことあるの……」

「それも嘘でしょ……?」

 京子はおそるおそるそう言った。

──サワサワサワ……

「!」

 なんとも絶妙なタイミングで彼女たちの回りの草木が風に揺れ、少女たちは飛び上がってびっくりした。

 彼女たちが散歩していた道は林の中にあった。道は何百メートルもの長さで連なっており、その道を囲むように松が中心となった雑木林がずっと向こうまで続いていたのだ。みようによっては獣道のような様相を呈していたが、もとよりここに獣が住み着いているわけではない。

 林を囲むように、ここら辺り一帯は畑や水田が広がっており、この林の中の道は、もともと百姓たちが通る道であったのだ。春先や秋口などは、ここを通る大人たちもいるだろうが、今のような夏にはいないようだ。

「夏祭になるとさ」

 郁子は怖いと思う気持ちをおさえ、なるべく明るそうに装いながら言葉を続けた。

「この道は肝試しのかっこうのコースになるんだ。上級生が脅かし役になって、あたしたち小さい子たちが、そのほかの上級生と連れ立って歩くの。今年の祭は来週の土曜日だから、京ちゃんもおいでよ。あたしと歩こうよ。かき氷も、わたあめも、お菓子の詰合せだってもらえるしさ。楽しいよ」

「ほんと?」

 普段はあまり感情をあらわさない京子が、顔を輝かせた。そんな彼女の顔を眩しそうに見つめる郁子。彼女は美智子もきれいで好きだったが、隠された美しさを持つ京子も好きだったのである。

(この笑顔はあたしだけのもの。ほかの誰にも見せないことを知ってるもの)

「約束だよ。あたしたちだけ、上級生なしで歩こうよ。あたし、京ちゃんがいてくれれば幽霊なんてこわくない!」

「うん! わたしも」

 ふたりは顔を見合わせてにっこりした。



 七月の最終土曜日、郁子たちの住む町ではこの日、待ちに待った夏祭が開催された。郁子の家の前の空き地がその開催場所で、今日もまた多くの町民たちが集まってきて賑やかだ。

 空き地の中央には、かがり火が赤々と焚かれ、それを丸く囲んだ子供たちが民謡に合わせて踊っている。日頃から子供会で練習していた成果を見せようと、子供たちは一生懸命になって手や足を動かしていた。

 かがり火のあかりに照らしだされて、みんな顔が真っ赤になっている。子供たちは踊りに躍起になってるため火照っているのであろうが、大人たちはそうではあるまい。

「おーい。こっちにジョッキ追加してくれ」

「こっちには二つだ」

 踊る子供たちから少し離れた場所に、急場ごしらえの屋台が設えてあり、どこぞの家から持ち込まれたのであろう、テーブルや椅子が雑多に置かれて、それにどっしりと座り込んでいる男たちが手を上げて叫んでいた。

「自分でやったほうが早いかもな」

 そのうち、ふらふらと立ち上がってビールの入った樽に近づく者も現れはじめた。手には空になったジョッキが持たれている。自分で入れようとしているらしい。

 とたんに、店番をしていた女が怒りだした。

「ちょっと、林さんとこの旦那さん、いいかげんにしてくださいよ。もうビール券、なくなってんでしょ。あんたの分はもうおしまいだよ」

「いいじゃんかよー。あと一杯、頼むよー」

 赤い顔をして、手にはジョッキを持ったままの男が手を合わせる。

「たつこさんや。わしの券を源さんにやるから、もう一杯だけ飲ましちゃってくれや」

 一緒のテーブルに座っていた老人が、紙切れをひらひらさせてそう言った。

「しょーがないねー。もう一杯だけだよ」

 女はブーっとふくれっ面を見せたが、老人の手から紙をひったくると、にんまり顔の男が差し出したジョッキになみなみとビールを注いだ。

 男たちだけではない。女も女同士でテーブルを囲み、つまみやらビールやらを飲んだり食べたりしてお喋りに興じていた。その中には郁子の母の姿もあった。

「靖子さんとこの弟さん、今度子供が生まれるんですってねー」

 その郁子の母がジョッキを持ち上げながら言った。

「そーなのよ。あたし、まだ嫁にもいってないでしょお。もう肩身がせまくって」

 それに答えて、大柄な郁子の母よりも一回りも大きな身体の持ち主が、大きな声を上げた。大柄も大柄、巨体といったほうがよいかもしれない。声の大きさは身体の大きさに比例する証とも言えよう。

「なに言ってんのお!」

 すると、郁子の母は大柄な身体に似合った大きな手を振り上げた。隣に座るその女の背中を叩く。顔は屈託ない笑い顔だ。

「まったく、あんたのその身体じゃあ、どこにいても狭いでしょおが」

「やーだあ!」

 とたんに、けたたましい笑い声があがる。

 ひとしきり姦しさが辺りをこだました。女たちの圧倒的な威圧感は、まわりの男どもを凌駕している。いわゆるオバサンパワーというやつか。

「かーさん」

 その時、郁子が京子を伴ってやって来た。

「なんだい。郁子」

 ジョッキをもったまま、郁子の母は顔をほんのり赤くさせて振り返った。

「お菓子の引換券ちょーだい」

 郁子は手を差し出した。

「はいよ。あら、京子ちゃんも来てたの? じゃあ二枚あげるから二人で仲良く食べてきな」

「さんきゅ!」

 にかっと笑って郁子は渡された紙切れを握りしめた。

「ありがとうございます」

 京子は深々と頭を下げた。

「なんの、なんの」

 郁子の母は、にっこり笑って手を振った。

「………」

 それを意味ありげな目で見つめるあの恰幅のいい女。彼女は郁子たちが離れるとぼそっと呟いた。

「きれーな子だけど、愛想がないねー」

 だが、ふたりの子供はしっかりと聞いてしまった。

「気にすることないよ」

「うん」

 引き換えてもらったお菓子の袋を、ふたりは仲良く持ちながら歩きだした。

「でも、あいそって何のことだろね」

「………」

 京子は郁子の言葉に答えなかった。はたしてその意味を知っているのかどうなのか、彼女の表情からは窺い知ることはできない。



 それからほどなくして、ふたりはあの林道の入口にやってきた。

 そこにはすでに、十数人の子供たちがたむろしていた。大きい子や小さな子、少年に少女が寄り集まり、きゃわきゃわと声高に喋り散らしている。

「そろそろ肝試しを始めようと思う」

 子供たちのなかで、一番体格の大きい少年がそう言った。郁子の兄であった。彼はよく通る声で続けた。

「三年生以下の子は、四年生以上の誰かとペアを組んで歩いてもらう。前の組とは三分の間をあけるように。もらった鉢巻きを『てっちゃん地蔵』の首に結んでからここに戻ってくること。さらに泣かずに戻ってこれたら、もれなくアイスクリーム券がもらえるぜ。気をひきしめて歩いてこいよ」

「アイスクリームだって」

 郁子が舌なめずりして、隣に立つ京子に顔を向けた。

「いくちゃんったら……かわいい顔がだいなしだよ」

 京子は郁子の行儀悪さをたしなめた。

 しかし、郁子は動じるふうでもなく、京子にウインクをしてみせると、手を上げてくるりと振り返った。

「はぁーい!」

「なんだ?」

 郁子の兄は妹へと目を向けた。

「ああ…郁子か」

「高林あきら児童会長にお願いでーす」

「やめろよ、茶化すのは」

 郁子のふざけた口調に気を悪くした彼は、むっとした表情を見せた。

「あたしと京ちゃんは上級生の人は要りません。めーつぶってても帰ってこれまーす」

「そうだろうよ、おまえのことだから。本物の幽霊だっておまえにゃかなわんさ」

「へへ……」

 郁子は笑った。彼の言葉にはあからさまに皮肉が混じっていたが、彼女にはそんなものは通用しないようであった。

「いくちゃん……お兄さんにあんな態度とって、悪いわよ」

「いーのいーの」

 郁子と京子は、順番待ちで他の子供たちの列に並びながらぼそぼそと言い合った。

「お兄ちゃんって児童会長になってからさ、なぁーんかエッラそーで、ヤな感じなの」

「ふぅーん……」

 顔をしかめてイヤそうな表情を見せる郁子を、京子は頷きながら見つめた。

「あーら。郁子に小西さんじゃなーい?」

 そのとき、聞き覚えのある高い声がした。郁子と京子は、さっと振り返る。

「みっちゃん!」

「…………」

 郁子は叫んだが、京子は強張った顔を見せただけで、何も言おうとしなかった。

 そこには佐伯美智子が立っていた。腕を組みながら胸をそらせている。いつもの取り巻きの少女もふたり、少し距離を保ちつつ、両脇に控えていた。

「あなたたち、肝試しに参加するのね」

 彼女の目は、面白くてたまらないといったふうに輝いている。

「どうしたの、みっちゃん。あなたの住んでる町は隣町でしょ……ああ、もしかして遊びにきたのかな?」

 あからさまにイヤそうな顔をしている京子とは違い、郁子はいたって嬉しそうである。

「だったら、みっちゃんも一緒に肝試ししようよ。楽しいよ。アイスクリーム券だってもらえるんだから」

「残念だけど……」

 美智子は、手入れの行き届いた巻き毛をいじっていた。髪を巻き付けている指も、またよく手入れされている。まるで白魚のような指だ。たぶん家でもお嬢様ということで、炊事の手伝いなどしたこともないのだろう。幼い子供にしては爪もきれいにのばされて、淡いピンク色のマニキュアが塗られている。

「もう幽霊なんか見たくないもの……」

 彼女の言葉に郁子と京子はギョッとした。

「みっちゃん見たの?」

「………」

 京子は真っ青な顔をしている。

 反対に美智子のほうは、至極なんでもないといった顔をしている。

「あんなウワサを信じているの?」

 彼女はクスリと笑う。

「わたしは死なないわ。わたしのような特別な人間が死ぬはずないでしょ」

 そして、美智子は京子へと視線を向けた。

「小西さん。お気をつけなさいよ。ほんとうに幽霊はいるんだから。あなたみたいな子がいちばん危ないのよ」

「幽霊に連れていかれたりして……」

「おお、こわ……」

 ぼそぼそと、美智子の両脇にいる少女たちが囁きあった。それを耳にした美智子は、得意そうに顎を持ち上げて京子の顔を眺め下ろす。

「…………」

 しかし、京子はじっと美智子を見つめるだけで、相変わらず黙ったままだ。

 まったくのノーリアクションに、美智子はだんだんと苛立ってきたらしく、京子をギッとにらみつけた。

「ま、せいぜいがんばることね。なんていったって、賞品のアイスクリーム券はうちのパパの寄付ですからね」

 美智子は、またもや得意そうな顔をした。

「じゃあね。郁子に小西さん」

 彼女は両脇の少女たちを、まるで侍女のように従えながらどこかへいってしまった。

「…………」

 それを不安そうな顔で見送る京子。

「そうよねー。あんなのうそっぱちに決まってるよね。みっちゃんがだいじょうぶなんだからさ」

 ほっと胸を撫で下ろす郁子であった。

「そっかー。アイスクリーム券は、みっちゃんのパパから出てんだ」

「隣町なのに……」

 絞り出すように京子が呟く。

「どうしてしゃしゃり出てくるのかしら」

「うーん……」

 郁子は首をかしげて考え込んだ。

「よくはわかんないんだけど、このあいだ母さんが言ってたよ。みっちゃんのパパ、春にセンキョしたんだって。で、お世話になったからって、いろいろと何か配って歩いているらしいよ。ほら、彼女のパパってデパートの店長さんじゃない。いろんなもの売ってるから、アイスクリーム券だってあるんだよ」

「センキョ? 児童会の役員を選ぶようなものなのかしら。でも、わたしたちは演説を聞いたりするだけで、何かもらったりするようなことってなかったよね。大人のセンキョっていいのかな、そういうことしても」

 京子も首をかしげて見せた。

「さー、どうなのかなー。大人のすることはよくわかんないよ」

 ふたりの少女は、互いに顔を見合わせた。

 それが賄賂というものであるとは、このとき子供である彼女らには知らないことであった。

 しかし、何かあまり良いことではないということだけは、心のどこかで感じ取っているらしい。

「…………」

「…………」

 ふたりは同時に肩をすくめた。

 そして、肝試しの順番を待つことにした。

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