第1話「郁子の回想1」
高林郁子が小学三年生の春に、その彼女は都会からこの土地に引っ越してきた。
小西京子───無口だが、品のある顔だちのきれいな女の子であった。
いつもしゃれた洋服を着ていて、外に出るのに、必ず帽子をかぶっていた。ふちの広い、ひらひらとした蝶々のような帽子である。
それは雪のように真っ白で、白い帯を後ろで蝶々結びしてあり、結び目のところに淡いピンクの造花がついていた。ただ、それは子供用の帽子ではなく、なぜか大人用であるようだった。
(ステキな帽子……)
初めて彼女を見た時、郁子はそう思った。
普通の子なら不似合いであろうが、その帽子は大人びた感じの京子にはよく似合っていたのだ。
春の暖かな陽射しの差し込む教室に、京子は白いブラウスに赤いタータンチェックの巻きスカートを身につけて、手には白い帽子を持って入ってきた。
郁子は一目で京子が好きになった。
田舎臭くない彼女だからというわけではなく、京子の何となく淋しそうな表情に惹かれたからであった。
だが、明らかにクラスの子供たちと異質な存在である彼女が、両極端の受入れにさらされることは避けがたいことだった。
郁子のように賛辞と崇拝の対象として接する者と、嫉妬の対象にするやからとの二派である。そして、概して、前者は後者よりも弱い立場であることが多い。
「ねえ、小西さん」
ある日のこと、ひとりの少女が京子に声をかけてきた。
髪の毛を縦ロールにし、それをピンクの大きなリボンでまとめ、フリルつきのかなり派手なワンピースを身につけた少女である。名前を佐伯美智子といった。
「なにかしら」
その日の京子は、そんな派手な恰好の美智子とは対照的で、飾りつけのいっさいない、すっきりとした襟なしブラウスと薄緑色が春らしい淡い色合いを見せているストレートなパンツ姿であった。
美智子の恰好も田舎向けではないが、京子の服装もここら辺りではあまり見ないファッションである。
「あなたのお洋服って、どちらでお求めになられたものかしら」
小学三年生の子供が喋っているとは思えない口ぶりで美智子は言った。
「お求めって……ああ、どこで買ったかってことね」
京子の黒く艶やかな髪が、窓から射し込む日の光を浴びてキラキラと輝く。肌の白さとほっそりとした体つきは、彼女を年よりもずいぶん上に見せている。
実際、喋り方を聞いていると、美智子と同じようにとても八才の子供が喋っているような感じはしなかった。
「前に住んでいたところでよ。お母さまが私にと買ってくださったものなの」
「…………」
それを聞いた美智子の顔が険しくなった。
「あ……」
京子の驚いた声が上がった。いきなり美智子が身をひるがえしたからだ。
そして、そのまま彼女は立ち去ってしまった。
「何か変なことでも言ったかしら……」
彼女は教室から出ていく美智子の後ろ姿を目で追った。
「気にすることないよ」
「あ、高林さん」
不安そうな顔をしていた京子の表情が一変して和やかなものになった。
「彼女、お金持ちのお嬢さんでしょ。京ちゃんが──あら、いいでしょ?」
京子はにっこりとして頷いた。郁子はさらに続ける。
「──京ちゃんが、都会の子が着るようなステキな服を着てるから、ちょっとやっかんでるのよ。根はいい子なのよ。許してやってね」
京子はもう一度頷いた。郁子もそれに微笑んで頷き返した。
ふたりの少女の間に、優しい風が吹き抜けていった───そんなような気が、郁子には感じられた。
そして、その感覚を、京子もきっと感じていると彼女は信じた。
しかし───それからの京子にとって学校生活は苦難に満ち満ちて、過酷なものとなっていく。
それでも、京子と郁子は仲良しになった。
ふたりの家は互いに近所で、学校の行き帰りは必然的に同じになった。
ふたりはいつも一緒だった。
梅雨があけた初夏の校庭。半袖のストレートなワンピース姿にいつもの帽子をかぶった京子と、ランニングシャツと短パンといった少年のような恰好をした郁子がブランコをこいでいた。
陽射しはジリジリと校庭の砂を焼き、校庭の隅に設置されている遊具までその熱気は届く。
だが、彼女らが乗っているブランコの頭上には、松の木の梢が揺れていた。少なくとも、じかに日光が当たることはない。
ふたりともじっと黙ったまま、所在無げにブランコの揺れに身を任せていた。
時々、風に煽られて砂は舞い、校庭は白っぽく煙っていく。それを無感動に見つめる京子。
郁子はそんな彼女をチラチラと覗き見た。
ひらひらと風に揺れながら、優しく京子の顔に陰を落とす白い帽子───布で作られた蝶々のようなその帽子の揺れと同じく、日本人形のように黒くて真っ直ぐな髪の毛が細い首の喉もとで揺れている。
校庭を見つめる目は大きく切れ長で、今は一片の感情も見られない。輝きの失われた子供らしからぬどんよりとした瞳───それが、ますます京子を無機物の日本人形のように見せていた。
(京ちゃん……)
郁子は胸が痛かった。
初めて見たときの京子は、確かに細くて病弱そうではあったが、まだ目がキラキラと輝いていた。
新しい土地、新しい学校、そして新しい友達に胸を踊らせていたに違いないのだ。まさか自分が、このような絶望に落ちていくとは思いもよらなかったことだろう。
郁子は漫然と京子の身体に目をやった。
帽子と同じ、眩しいくらいの白いワンピースの袖からのぞくほっそりとした腕も、裾からのびるあまり肉のついていない足も、着ている服と同じように白かった。さほど健康的とはいえない病的な青白さである。
健康優良児の郁子から見れば、あまりに痛々しい姿ではある。しかし、郁子は憧憬の眼差しで見つめた。彼女にとってそれはまったく関係ないことだったのだ。
(京ちゃんのようになれたら……)
郁子は無意識のうちに頭をかいた。
男の子のように短く刈り込まれた髪である。くせが強く、ごわごわとしているので、長くしようとしても手に負えなくなる。だから、一度ものばしたことはない。といっても、のばしたいと思ったところで無駄であった。髪は母親がいつも刈っていたのだ。美容院という存在を知ってはいても、郁子は一度も入ったことがなかった。そこは遠くから見つめるだけの憧れの場所、禁断の花園のような未知の場所だったのだ。
(入学式に着た服ってこんなだったよな)
郁子の目が、今度はワンピースへと移動した。
(でも、あれからスカートなんてはいたことない……)
今彼女が身につけている青いランニングも短パンも、どうみても男の子用だった。
それもそのはず、その服は三才年上の彼女の兄がもともと着ていたものだからだ。
そんな郁子の体つきもまったく少年のようであった。といっても、小学三年の女の子が少年っぽく見えることは当たり前のことであろう。まだ、男だ女だと分けるには時期が早い。
それでも郁子の場合は、髪型といい、服装といい、あまりにも少女らしさが感じられなかった。夏の強い陽射しに焼けて真っ黒になった肌も、もともとから色黒であるために不自然さを感じさせず、よりいっそう少年らしさをかもしだしている。
「ねえ、京ちゃん」
いつのまにか、じっと食い入るように見つめていた郁子は静寂を破って言った。彼女の瞳が木漏れ日に輝き、キラリと光る。
「なあに?」
ちらりと郁子の方へと視線を向けた京子の目が、うっすらと細められた。
「こんなに暑い外にいてだいじょうぶなの」
「…………」
京子は少しの間、郁子のキラキラ輝く瞳を見つめたまま黙っていた。さきほどまで無表情だった彼女の瞳に、羨望とも嫉妬とも取れそうな、何とも複雑な揺らめきが浮かんだ。
もちろん、そんな感情の存在など郁子が知るはずもない。自分が京子に向ける目に似ていると、何となく感じられるのみである。
「教室にはいたくないもの」
そっと溜め息をつきながら京子は言った。
「………」
今度は郁子が黙る番だった。
───キンコーン、カンコーン……
遠くで始業を告げるチャイムが響いた。
すでに校庭には誰もいない。郁子と京子がブランコにたったふたりで乗っているだけである。
ゆっくり、たいぎそうにブランコから腰を浮かそうとした京子に、そのとき、郁子が声をかけた。
「どっかいこっか……」
「え……?」
キキィ───とブランコが鳴った。京子の驚いた目が郁子に向けられる。
郁子は何となく得意な気分になって、足もとの砂をザザッと蹴りながらブランコから降りた。
「ふたりでどっか行こう!」
「いくちゃん!」
叫ぶ京子の声も、今の郁子には心地よい。
(なんだか楽しくなってきた……)
郁子は、自分の思いつきに酔っていた。
京子のほっそりとした手をつかむと校庭を横切って、校外へと足を進めた。
太陽はギラギラとふたりの少女を照らしている。
まるで子供たちの行動を非難するかの如く、容赦なく照りつけていた。
「だいじょうぶ?」
隣を歩く京子に郁子は声をかける。
あれから彼女たちは、学校近くにある墓場の脇の道を歩いていた。
「うん」
そう答える京子であったが、顔色は少し青ざめているようだ。
「………」
郁子は立ち止まった。
(忘れてた)
彼女は心の中で呟く。
京子は見たままの病弱な少女だった。
子供の郁子には、京子がいったい何の病気なのか知る由もなかったが、転校してきたときに先生が言っていた言葉を彼女は思い出す。
「身体が弱い小西さんを、みんなでいたわってあげましょう」
いたわる──意味が分からなかったので、先生に聞いたら「大切にすることよ」という答えが返ってきた。
といっても郁子には、病気をしたことがなく身体が弱いということがどういうものか、今一つ理解できないところがあった。
彼女に限らず、大人でさえも自分と違う種類の人間には、どうも敬遠して理解を示そうとしないところがあることは確かだ。
少し歩いただけで気分が悪くなるという気持ちが分からない───
「怠け心があるから頑張れないんだよ」
母の言葉が、郁子の耳に聞こえてくる。
郁子の母は、いつもそう彼女に言い聞かせていた。丈夫な身体の持ち主で、病気は気の持ちようでどうにでもなると、信じて疑わない人だった。
だから、頭では郁子も身体の弱い人を大切にしなくてはと分かってはいるのだが、いざという時にやっぱり忘れてしまう。一度インプリントされたものは、なかなか抜けきるものではないということだ。
病気をして苦しい思いをしてみなくては、病に苦しむ人々の本当の気持ちは分からないもの、苦痛というものは、想像ではなかなか理解できないものなのである。
「困ったな…ちょっと休めるとこがあればいいんだけど……」
郁子はあたりをきょろきょろ見回した。
いつの間にか墓場を通りすぎ、住宅地にさしかかっていた。目の前の通りはコンクリートの塀がずっと続き、路地は狭く、今のような平日の午後には通る人もいない。
「蜃気楼……」
「え?」
京子の呟きに郁子は振り返った。
彼女は道の真ん中にしゃがみこんで、じっと通りの向こうを見つめていた。
「しんきろうって何?」
「あれ……」
京子は前方を指さした。
「………」
郁子は再び振り返った。
「あの、ゆらゆら揺れているところ、道路がぬれたようになっているでしょ……あれって蜃気楼っていうの……」
「ああ、あれ……」
郁子は目を細めて見つめた。
彼女も見たことのある光景だった。
こんな暑い夏の日、アスファルトの道にそれは現れる。どこまでいっても濡れた道に辿り着けない───追いかける子供たちをあざ笑うかの如く逃げていく──逃げ水──という別名があるということを、郁子は知らない。
「逃げ水とも言うのよ」
「へぇ───」
郁子は感心した。
「京ちゃんって何でも知ってるね」
「そんなことないわよ。たまたま、テレビで言ってたのを覚えていただけよ」
京子はゆっくりと立ち上がった。まだ身体はふらついているようだったが、郁子の差し出す手をつかみながら言葉を続けた。声のほうはしっかりしている。
「わたしも、まだあれが蜃気楼という名だと知らなかったとき、あそこにはきっと海があるんだと信じて、いつまでも歩きつづけたことがあったわ」
「海……」
郁子は呟きながら、ゆらゆら揺れる遠くを見やる。彼女の目に、道を歩いていく京子の姿が見えるような気がした。
「前に住んでいたところに海がなかったわけじゃないの。でも、この町ほど海の匂いのするところじゃなかった。生まれたときから身体が弱くて、わたしは一度も海を見たことがなかったわ。だから、もちろん海で泳いだこともない。繰り返し繰り返し、絵本や海の写真の載った本を見て、いつかそこに行ってみたいと思いつづけた……」
「京ちゃん……」
郁子は、思い詰めたような京子の目に何故だか不安を感じた。
「いくちゃん……」
「え……?」
その、思い詰めた真剣な眼差しで、京子は郁子の目を覗き込んだ。
「いつまでもわたしの友達でいてね。わたしには、いくちゃんしかいないの。お願いだからわたしのこと嫌いにならないで」
「京ちゃん……」
郁子は感激して京子の両手を握りしめた。
「そんなの決まってんじゃん。あたしたちは友達だよ、いつまでもね」
ふたりの向こうで、蜃気楼はゆらゆら揺れている。
ここには誰もいない。友情に酔いしれる幼い少女たちのほか、生きているものは何も存在しないかのようなひとときだ。
感激のためか、郁子も、そして京子でさえも頬を上気させていた。
郁子は京子の、ほんのり赤くなった顔を、まるで自分の物だといわんばかりにいつまでも見つめつづけていた。
その夜、郁子は大目玉をくらった。
「なさけないよ、母さんは!」
太っているというわけではないが、大柄な郁子の母は頭ごなしに娘を叱った。
「おまえは、兄ちゃんの顔に泥を塗ったんだよ!」
「…………」
頭を下げたまま、郁子は黙っていた。
「児童会長の妹が授業をさぼったなんて、恥ずかしくて母さんも兄ちゃんも外を歩けないじゃないかっ」
「そうだぞ、郁子」
母親の横に並ぶ郁子の兄は、腕組みをして頭を垂れている妹を睨み付けた。
「しかも、京子ちゃんまでそそのかして…あんな身体の弱い子を炎天下のなか連れ回して何かあったらどうするの!」
「ごめんなさい……」
郁子は囁くように謝った。
「京子ちゃんが言ってたよ。おまえに誘われて、ついさぼってしまったってね」
「え……?」
思わず郁子は顔を上げた。
「そんなこと京ちゃんが言ってたの?」
郁子の目は驚きで見開かれている。
「林さんとこの奥さんが言ってたんだよ。京子ちゃんのお父さんがそう言ってたって」
「…………」
郁子には信じられなかった。
きっと何かの間違いだ───と彼女は思った。
確かに連れだしたのは自分だし、非があるのは認めるが、彼女がそんなことを言うはずがないという気持ちが郁子には強かったのだ。
「…………」
本人に聞いてみよう───郁子は、ともすれば崩れ落ちそうな信頼の気持ちをぐっと支えてそう思った。
明日になればすべてわかる。自分は彼女を信じよう。
「わたしそんなこと言ってない……」
明くる日の帰り道、京子は言った。
「そうだよねえ」
ほっとして郁子は胸をなで下ろした。やはり信じたとおりだった。京子は親友だ。
「京ちゃんがあたしのせいにするなんて、そんなことないよねえ……」
「………」
郁子の言葉に、京子の顔が曇った。
「?」
郁子は少し不安に思った。ではなぜ、京子の表情が晴々としないのだろう、と。
「いくちゃん……ごめんなさい……」
「え……?」
「わたし、お父さまが林のおばさまに言うとは思わなかったから……いくちゃんのせいだなんて言ってないのよ。ただ、先に言いだしたのはいくちゃんだったって……わたし、お父さまを悲しませたくなかったから……だから、わたし……」
「京ちゃん……」
郁子は少し悲しくなった。なんだか裏切られたような気がした。
しかし、京子の打ちひしがれた姿を見て、郁子はそれ以上責める気持ちは起きなかった。
「いいよ。もう。気にしてないよ。だって、あたしがさそったのは本当のことだもん。京ちゃんは悪くないよ」
「ごめんね。ごめんね」
京子は謝りつづけた。
郁子はそんな彼女の姿を見て、心の底では何か釈然としないものを感じつつも、何もかも忘れようと思った。それよりも、京子を失うことのほうが、彼女には堪えられないことのように思えたからである。
「もうすぐで夏休みだね」
ある日、郁子が隣を歩く京子にそう話しかけた。
「夏休み中に、あたし、九才の誕生日がくるの。誕生会に来てくれるよね」
「え? いいの……でも……佐伯さんも来るんでしょ」
京子は表情を曇らせた。その端整な顔には不似合いな表情ではあったが、郁子の心は複雑に揺れ動いた。なぜかはわからないが、京子の不安そうな顔が彼女にはとてもかわいく見えたからだ。
「う…ん。あ、でも気にしないで!」
とたんに泣きそうな顔を見せた京子に、郁子は慌てて手を振った。
さすがに、かわいいと思っても本当に泣きだされたら困るものである。
「だいじょうぶだよ。あたしの誕生日だよ。彼女には、いじめないようにちゃんと言うから」
「…………」
不安そうな表情はそのままだったが、京子はもうそれ以上何も言わなかった。
「あーら。ちょうちょうふじんのお通りかしら」
その時、甲高い声がふたりの後ろで上がった。
「みっちゃん!」
郁子はびっくりまなこになって叫んだ。
「………」
京子は何も言えず、強張った表情になっている。
郁子たちが振り返ったその場所に、三人の女の子がズラリと道幅一杯に立っていた。
真ん中には美智子が立っている。
彼女は、まるでモデル雑誌から抜け出てきたようなくるくる巻き毛をしていて、とても今から小学校に行きますというようないでたちではなかった。過剰なまでにフリルのついたドレスに、赤いラメの靴をはき、ブランドマークの入った黒の鞄を脇の少女に持たせている。
それとは対照的に、美智子の両脇の少女たちは、ごく普通の服装をしていて赤いランドセルを背負っていた。
「どうしたの? みっちゃんの家はこっちのほうじゃないでしょ?」
郁子は怪訝そうな顔をしてそう聞いた。
「どうしたの、じゃあないでしょ。郁子」
妙に赤いくちびるをした美智子は、幼い顔に似合わず、尊大な態度で胸をそらした。
「今日はわたしと学校に行くって約束してたじゃないの」
「え……そうだったっけ?」
郁子はちょっと考え込んだ。
すると、美智子は髪をはらりと右手ではらい、京子をにらみつけた。
「小西さん。いつもステキなお帽子を身につけていらっしゃるけど、学校に行かれるのに少し派手なんじゃないかしら?」
小さな子供であるのに、少女の口からは、相応しからぬ大人びた言葉が飛び出した。
「…………」
京子は怯えた目で美智子を見つめるだけで何も言わない。
すると、慌てて郁子が口をはさんだ。
「ああ。そうだったかもしれない。ごめん、京ちゃん、みっちゃんも一緒に登校していいかな」
郁子は両手を合わせて京子に謝った。
「謝ることはないわよ。さ、行きましょ」
美智子は郁子の腕に自分の腕をすべりこませると、さっさと歩きはじめた。美智子の両脇の少女たちも慌てて歩きはじめる。
「京ちゃん、はやく。遅れちゃうよ」
なかば、引きずられるように連れていかれる郁子は、首だけ後ろに向けて叫んだ。
ひとり路上に取り残された京子は、悲しそうな表情を見せて立っている。
───サァァァァ───
折しも風が吹きつけた。
まだ真夏と呼ぶには少々はやい時期ではあったが、京子の白い帽子を揺らすその風には、暑い夏に吹く風独特の生ぬるさが混じっていた。
もうすぐで真夏がやってくる。
子供たちにとっては一年でいちばん楽しみな夏休みがやってくるのだ。
ずるずると引きずられながら、郁子の目には京子の悲しげな顔が映っていた。
(京ちゃん……)
郁子は、その姿に何かしら妙な違和感を感じていた。
京子の立つ場所だけ、周囲の暑さとは逆に冷え冷えとしているような、そんなそら寒さを覚えた。
京子はじっと立ちすくんでいた。白い帽子に白い簡素なワンピースが、日の光のもとで眩しく映えていた。
郁子は、この日の京子を一生忘れないだろうと、なぜかこのとき思ったのであった。




