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ちょっと変な国語の先生の話

珍問珍答シリーズ その10 武田鉄矢の「よだかの星」論と、谷川俊太郎の「黄金の魚」について

作者: マボロショ

宮沢賢治の「よだかの星」について、武田鉄矢が、おもしろい解説を書いています。その文と、谷川俊太郎の「黄金の魚」という詩を比較して、感じることを書きなさい、という問題を出してみました。

その解答例を紹介します。

1年の男子クラス一つだけの取り組みでしたので、解答例も少ないし、解釈も、ちょっとズレたのもあります。

武田鉄矢が書いていたことと、「黄金の魚」に書いてあることとは、一緒なのだけれど、どこかが違う。武田鉄矢は、よだかがかわいそう、なぜよだかだけがいじめられるのか、ということを書いている。そして、よだかは星になる。「黄金の魚」は、ひとつのおきてみたいなことをかいている。おきてを守ったもの、つまり、食べられたものは、決して死んだわけではなく、その食べたものの中でいきづき、そして光へとかわっていく。同じ光でも、よだかは一つの星になったが、死んだ。しかし、魚は、光の中で生きている。そこが違う。


大きな魚は、よだかと一緒で、他の生き物を食べないと生きていけないことを知っていて、それを悲しいことと考えて、泣いている。どちらも、食う、食われるのかんけいで、苦しみがつたわってくる。


しあわせがあったら、どこかで、ふしあわせがあるというのが、ハッキリつたわってきた。


谷川さんの詩の中に、「いのちはいのちをいけにえとしてひかりかがやく」ということばがあります。僕は

命があるものこそ、光り輝くんだと思います。


よだかは、自分が虫を殺しているのをかなしみ、なげいて、死んだ。もし人間が、よだかと同じ心をもっていたら、環境破壊なんて起こらないだろう。死ぬまで行かなくてもいいから、人間は、もう少し、よだかの気持ちをみならうべきだと思う。


宮沢賢治の作品は、闇の中にも美しい光があるような、空想的で美しい作品だけど、谷川俊太郎の作品は、現実的で、生き物が生きて行くためには、何かを犠牲にしていかなければならないという、現実の悲しみをさそうような作品だと思った。


「よだかの星」と解説文は、授業で触れています。

「黄金の魚」は考査の時、生徒は、初めて見る詩に接したことになります。

私としては、実にいい出題だったと思っているんですがね。

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