正義の味方登場的なアレ
「ねぇ美栄。アンタ、廊下で騒いでいたんだって?」
放課後、HRが終わり、帰る準備をしていた時だった。まるで何か面白い噂話を聞いた様な表情で、香織が駆け寄ってきた。
「なんで知ってるの?」
騒いでいたというのは、恐らくあの事だろう。憎き新堂に当たり屋の様な真似をされた。
本気で相手にしてはいけないとわかっているのに、ついついアイツの前では感情――とりわけ苛立ちが抑えられなくなる。
あの時も多分、感情に任せて怒鳴っていたかもしれない。その声が、階数の違う香織がいる教室まで響いていたとは思っていなかったが。
「南がさっきの授業の時、アンタの声がうるさくて勉強に集中できなかったんだって」
「勉強なんかしないくせに。ただ寝れなかっただけでしょ」
その言葉を聞いて安堵した。友人の南がいた教室は、確か同じ階の一番奥だ。そこまで聞こえていたというのも驚きだが、あの時は全体的に静まっていたので無理もないだろう。
「音楽サボってたくせに、なんで廊下で騒いでたわけ?それも1人きりで」
何か見えないものと戦っていたの?と、まるで頭のおかしな人間の様に扱われ、若干苛立ちを覚えた。
「1人じゃないわよ」
「あの時間、私も南も、弥生も、高田も竜馬も……それに北枝もいなかったはずだし」
香織は次々と思い当たる友人の名を口にしては首を傾げる。
なんとなく、新堂が相手だっということは、言わないほうがいい気がしたので黙っている事にした。
謎は謎のままにしておこうと、無視して帰る支度をしていると、突然香織に肩を掴まれた。
「ちょっと、美栄!」
「うるさいわね!だからいいじゃない。別に誰だって」
「違う!後ろ」
指をさされて振り返る。するとそこには……。
「お前は何を騒いでたんだ!!指導室まで来いっ」
「あ、安西……先生」
まさか教師にまであの騒ぎを聞きつけられていたとは。
やっと帰れると思ったのも束の間。私は今日3度目の説教を受ける為、鞄を持ったまま指導室へと向かう事となった。
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連れて行かれたのは、生徒指導室という、名前ばかりの粗末な教室だった。
生徒を指導するのには日光は必要ないと言わんばかりに、日当たりが悪く薄暗い。
しかも、まともな生徒ならば滅多に近寄らない場所にあり、ある意味防音もバッチリな尋問室だ。
「いいか、識原。今日という今日は見逃したりはしない。お前が心身共に更正するまで帰さないからな」
学年主任とは名ばかりの、職員室では窓際族で、存在の小さな安西。
今は自分のテリトリーに入り、態度がでかい。
「だから、いつも言ってるじゃないですか。充分反省しています。二度としません」
今日はこれで何回目だろうか。このジーサンと顔を合わせるのは。ちょっと多すぎやしないだろうか。
「お前はいつも口ばかりだろう!大体だな、その髪色からして許せん!生徒の髪色は黒と決められているだろう!」
やけに威勢の良い声で怒鳴り、バンバンと机を叩く。
なんだろう。今日は機嫌が悪いんだろうか。いつも以上に、よく絡んでくる。
私だって馬鹿じゃない。触らぬ神に祟りなし。
この人はすでに髪はないけど、不機嫌な人間に反論するような真似はしない。
だから敢えて『髪染めが禁止されているのであって、私のは地毛だ』なんて事は言わなかった。
「今すぐその髪を染めろ!でなければ、今日は帰さんからな!」
突拍子もない事を叫ぶと、安西は突然ドアに鍵をかけてしまった。
「ちょ、ちょっと!何してるんですか!?」
その暴走には、さすがの私も焦った。
今すぐここで髪を染めろだなんて、むちゃくちゃすぎる。しかも鍵までかけるなんて、監禁だ。
「ちょっとやり過ぎじゃないですか!?今すぐここでなんて、無理に決まってるじゃないですか!」
そう叫ぶと、安西は気味の悪い笑みを浮かべ、懐からあるものを取り出した。
「準備は抜かりない。さぁ、今すぐやれ」
机の上に放り出したのは、プッシュタイプの白髪染め。
「ちょっと。冗談やめて下さいよ」
冗談にしては度がいき過ぎている。無意識に頬が引きつる。そして視線をあげた瞬間、固まった。
安西の目は、完璧にイっちゃってる。というか、まともな目をしていなかった。
「早くやるんだ。やらないのであれば、私がやってやろう」
徐に白髪染めを掴み、近付いて来る。
物凄く嫌な汗が流れ、後退る。
これはもう、冗談なんかじゃない。奴は本気だ。笑っている余裕なんてない。これは、恐怖以上のなにものでもない。
「ちょっと、本当……やめてって!正気じゃないわよ!」
その行動然り、言動しかり。安西はこちらに歩み寄りながら、何かを呟いている。
「……お前のせいだ。お前のせいで、私が今までどれだけ苦労したと思っているんだ。全て、お前のせいだ。私は、私はこんな立場の人間ではない!」
「!?」
突然大声を上げられ、ビクリと体が震えた。一体、何を言っているのかわからない。
「識原美栄!お前さえいなくなれば、私の地位も回復する!お前は学校のクズだ!お前の様な者は、我が校に必要ない!!」
そう言うか否や、白髪染めを振り上げて襲いかかって来たのだ。
「い、いやーっ!!!アンタ頭おかしいんじゃないの!?」
完全にどうかしている。寸での所でかわすと、急いでドアに飛び付く。しかし、しっかりとロックをされたドアは、ビクともしない。
「ちょっと!誰か開けて!誰かっ」
指導室は、窓際族の安西にあてがわれた唯一のテリトリー。
滅多に人が寄り付かない廊下の一番端にあり、3つ先まで全て物置だ。
このままだと殺される。手に持っているのは白髪染めなのに、この気迫からそんな気がした。
必死にドアをスライドさせようと力を入れるがビクともしない。
「観念しろ!識原っ」
「っ──!?」
突然後ろから髪を掴まれ、悲鳴にならない声を上げる。振り向くと、そこには液垂れをして自身のワイシャツの袖口をうっすらと染めた安西の姿。
「生徒は大人しく、教師の言う事を聞け!!!」
「いやぁぁっ!」
ツンとした髪染めの臭いが室内に充満している。
黒い染め液が私の頭上に降り注ごうとした時だった。突然物凄い音が響き、何が起こったのかわからなかった。
さすがの安西も、驚きのあまりに、白髪染めの容器を落とす。振り向くと、鍵がかけられていたドアが開け放たれていた。それだけでも充分なのに、そこから中に入って来た学ランの生徒を見て、さらに驚いた。
「指導も度が過ぎれば犯罪ですよ」
そう言いニヤリと笑うと、生徒はなんの戸惑いもなく、安西の頬に右ストレートをお見舞いしたのだ。
鈍い音を立て、安西の体が床に倒れる。一部始終を目の当たりにしていたが、目の前の事がどうしても信じられなかった。
「ギリギリセーフって所かな。大丈夫かい?識原さん」
そう言い、右手を差し出して来たのは──あぁ、コイツも今日で何回目だろうか。生徒会長様の新堂勉だ。
「な、なんでアンタが……」
上手く口が回らない。
どうしてコイツがこんな場所に。まばたきを繰り返していると、新堂は「起きてる?」と笑い、私の手を掴んで立ち上がらせた。
「あぁ、派手にやったな。めちゃくちゃじゃないか」
真っ黒の染液や椅子が散乱した室内を眺め、新堂は呑気に呟く。そのテンションが信じられない。
「あんた何なの……」
「何って?」
何もかもが信じられない。
パニックとは、まさにこの事かもしれない。聞きたい事も言いたい事も山ほどあるのに、口が上手く回らない。
「とりあえず、ここを出ようか。後片付けは他に任せるから」
そう言って笑うと、新堂は私の手を引き、玄関に向かって歩いていった。
「とりあえず無事で良かったよ。気をつけて」
「あ、ありがとう」
気付けば外は真っ暗になっており、下駄箱に残っている靴も疎らだ。いつの間にか下校時間を過ぎていたらしい。
「じゃあ俺はまだ仕事が残ってるから。気をつけて」
「う、うん」
なんとなく素直に頷き、靴を履く。
振り向くと、新堂は廊下の暗闇へと姿を消して行く所だった。謎な事はたくさんあるはずなのに、何も聞く事ができなかった。
「帰ろう……」
考えたって仕方ない。今は色々な事が一気に起こりすぎて、わけがわからなくなっているんだ。
そのまま私は、ふらふらと自宅に戻って行った。




