100Pよりも恐ろしい10P
「失礼しまーす。新堂さーん、いますか」
ドアを開けて中に入る。
今さらだけど、生徒会室には頻繁に出入りしていたけれど、生徒会長室というのは初めてかもしれない。
まず気付いたのは気温や湿度の違いだ。生憎今日は雨で、ムシムシしている。
他の教室よりは圧倒的に快適であろう生徒会室でも、じんわりと暑くなる程に。
だけど、ドア1枚隔てただけのここは違う。湿気がない。さらになんか涼しい。
どうやらエアコンをつけているらしい。
道理でこのくそ暑いのに、ドアを締め切ってるはずだ。
優遇差に釈然としないながらも、ふと机を見る。
確かに新堂は居た。
けど何故か机に突っ伏していて動かない。もしかしたら死んでるんだろうか。
恐る恐る近くに寄って見てみる。
「なんだ、寝てるんだ」
すやすやと寝息をたてて眠っていた。
だけど、これって絶対に仕事の途中で寝ましたって感じじゃない。
書類やらなにやらの仕事類はきちんと片付けてあるし、何よりいつもかけてるメガネも横にある。
明かに昼寝の準備万端体制。
赤井先輩達には仕事させて自分は熟睡なんて本当にイイ身分だ。
だけど、そんな身分の方でも、とりあえずは起きてもらわなきゃ。いくら天才でも、寝ながら問題は解けまい。
「新堂君。朝だよ」
とりあえず、まずは優しく。
「ねぇ新堂、起きて。勉強教えてよ~」
次は猫撫で声。
「新堂勉!起きろ!」
段々腹が立ってくる。
そりゃ熟睡してる人を起こすのは難しいのは知ってる。だけどこっちは一刻の有余もない。
こうなったら意地でも起こしてやる。決心し、色々な方法にでた。
この際、寝起きの善し悪しにはかまってられない。
まずはお馴染み、鼻をつまむ。
次は体を揺らす。
髪を引っ張る。
肩を叩く。
ついでに日頃の恨みを込めて頭も。
「なんで起きないわけ!死んでんじゃないの!?」
完全に熟睡──いや、これは爆睡だ。
こんなに殴られても起きないなんて、その無神経さはさすがだ。
起きないならもう仕方ない。もう時間もないし、素直に言って提出しよう。
諦めて離れかけた時だった。
「んん……」
新堂が呻いたと思った瞬間、体が傾いた。
「うわっ!何!?」
寝ぼけた新堂が私にしがみついてきた。
しかし、その重みに耐えきれず、私はバランスを崩して新堂に抱きしめられた状態になってしまった。
「いやぁぁ!離せ変態ッ!寝ぼけないでよ、アンタらしくない!ちょ……重い!起きろ生徒会長!バカ勉!!」
焦っているとはいえ、かり滅茶苦茶に罵倒している自覚はあった。
しかし寝ぼけているのが新堂らしくないという以前に眠るという行為自体がらしくない気がする。
コイツは不眠・不食みたいなイメージがあるから。
いや、そんな事より、今はコレをなんとかしなければ。
だけど、懸命に抵抗するのに全然動けない。
何で寝てるのにこんなに力が入っているんだろうか。
もしかして狸寝入り!?
必死になって暴れていると、また新堂の唸り声がした。
今度は何か寝言を言ってるみたいだ。
何を言ってるんだろうか。
なんとなく気になり聞き耳をたててみる。
「みさか……」
この言葉を聞いた瞬間、血の気が引いた。
『美栄』
確かにそう言ったよね、今。
「な、なんで寝言が人の名前なの!離せ!起きろ!!」
ありったけの声を出して頭を何回もひっぱたいた。大暴れしていると、ピクリと新堂が動いた。
そして──。
「一体なんだ……?」
目を覚ました。
頭が痛そうだけど、気にしない気にしない。
「織原さんじゃないか」
「この状況を見なさい!」
キョトンとしながら自分の手に注目した。
「あぁ、失礼。寝ぼけてたんだなきっと」
そう言ったものの、離そうとしない。むしろ余計に力を入れてきた。
「ちょっと、何すんのっ!まだ寝ぼけてるわけ!?」
「いや。目はバッチリ冴えてるよ。頭が痛くてね。誰かが俺を叩いたらしいな」
嫌みいっぱいの笑みで言ってきた。
「あ、そう。全く身に覚えはないわ。つーか、離してくれる?」
「残念ながらそれはお断りするよ」
「何で!」
「めったにないチャンスだから。もうしばらくこのままでいよう。寝ぼけてた俺に免じて諦めてくれ」
「なにそれ!?意味わかんない!」
「まぁ『偏見』の意味すらわからない君には意味わかんないかもね」
「う……うるさいわね!嫌味男!」
今は取りあえず、口論している余裕なんかない。
課題の提出締め切り時間はもうすぐだ。
こうなったらもう、怪我をしようが構わない。ありったけの力で暴れてやった。
「っ……!」
私の肘が新堂の鼻にクリーンヒットした。それにはさすがに驚いたのか、それとも痛かったのか。
一瞬新堂の力が弱まった。そしてその隙をついて何とか脱出に成功する事ができた。
「痛いな……。何もそんなにムキになることないだろう。別に襲ったわけじゃあるまいし」
「何バカな事言ってんのよ!!はぁ、暑苦しかった!」
お陰でうっすら汗ばんでしまった。
しばし開放感に浸っていると、新堂は大きな欠伸をしながら立ち上がった。
「そういえば、君はなにしに来たんだい?」
「あ、そうだ!」
宿題を教えてもらいに来たのをうっかりしていた。
「もしかして昨日宿題かなにか出されたのかな」
そう言い、机にある勉強道具3セットをチラリと見る。悔しいけど仕方ない。
時間もないし、ここは素直に従おう。
「6時までに出さなきゃならないの。お願い!手伝って!アンタ、勉強得意なんでしょ?赤井先輩達もわからなくて」
「まぁ不得意な教科なんてないけど。いいよ。貸してみて。あと何ページあるんだ?」
「10ページ」
「10ページなら10分もあればできるだろう」
そう言い、問題集とシャープペンシルを受け取ると、10秒ほど問題を見ていた。そして、何故か突然笑った。
「なるほど。道理で孝文達にもできないわけだ」
「なにそれ。どういう意味?」
道理でってのが地味に引っ掛かる。だけど、勉はさらりと話を流してしまった。
「いや、別に。できれば問題ないだろう?それより美栄ちゃん。この問題を解くには条件がある」
「条件?」
「そう。いくら君にでも無償ではね。それにつまらないだろ?だから、簡単な──事でもないか。君には」
「なんなのよ」
最後の方はよく聞こえなかった。
確かに宿題をやってもらうのだから、無償は都合が良すぎるかもしれない。
けど、一体何をさせる気なんだろうか。
「まずは、君はこれから俺を『新堂』や『生徒会長』じゃなくて『勉』って呼ぶ事」
「えー」
「えー、じゃない」
とうとう本人にまでそう言われる日がくるとは。
思えば鷹瞳君にも似たようなお願いをされた事があるけど、結局うやむやになっていた。
カップルなら苗字ではなく名前を呼ぶべきなんだろうけれど、私達は普通のカップルとは違う。故になんか嫌だ。
だけど宿題のためだし、そうも言っていられないだろう。
「わかったわよ。名前で呼ぶわよ。勉勉勉……」
「連呼しなくていいよ」
苦笑いされて黙り込む。なんか言い慣れないから恥ずかしい。
「あともう1つ。ただ解くだけじゃやり甲斐がないから、1問につきキス1回ね」
「き、キス!?」
「そう。俺が1問解く事にキス1回。もちろん口に」
にこりと新堂──いや、勉が笑い、無意識に青ざめる。
「いや!!なんで私がッ」
「そうかい?なら仕方ないな。ただ、これを解けるのは俺だけだからね」
「キスなんて絶対嫌よ!──で、でもやらなきゃ毎日50ページっ……」
人生最大の選択を迫られた。
勉とキスするか。
宿題を、卒業するまで毎日出されつづけるか。
どちらにしても精神的にヤラれる。しかし宿題の方は恐らく終わりはこないだろう。
「課題は1ページ5題だから50回だね」
「50回!?」
いや、こっちも終わりはなさそうな予感がする。
卒業するまでにコイツとキス50回だなんて。
途方に暮れていると、勉はニヤリと笑ってこんな提案を出してきた。
「なんなら50回のキスを一度で終わらせる方法もあるよ」
この笑み。絶対良からぬ事だ。だけど50回が一度とは魅力的。一応聞いてみよう。
「念のために聞くけれど、それは何?」
「キスよりさらに上の行為かな」
「キスより上って」
「もちろん、セッ──」
「ああぁ!いやだっ!聞きたくないっ!」
「君が聞いたんだろ」
「うるさい!!だったらキスの方がいいっ」
言ってしまってからハッとする。
「そう。なら交渉成立だな」
これは誘導尋問だろうか。いや、違うな。YESの法則?いや、これも違う。なんという名前だっけ。
最初に無理な願いをして、その後に本来の願いをし、受け入れさせるテクニック。
キス50回。しかも口にだなんて、まともな判断なら有り得ない。気の遠くなりそうな50回。
そもそも、普通のラブラブ恋人同士もキス50回もするのだろうか。
カリカリというシャープペンシルの音だけが室内に響きわたる。
勉は気分よく課題に取り組み中だ。それが終われば世にも恐ろしいキスが待っている。
キスだなんて嫌過ぎる。
しかしここで放棄すると、約束破りになってしまう。
そんな真似は人徳に反するし、勉じゃないんだから、そんな卑怯なことはしたくない。
自己嫌悪に陥っていると、奴は微笑しながら問題集を差し出してきた。
「はい、できたよ」
「早くない?」
本当に10分で仕上げちゃったよこの人。答えはちゃんとあっているんだろうか。
確かめたい所だけれど、そもそもわからないのでなんとも言えない。
「間違ってないから安心して。じゃあ早速」
肩に手を置かれ、ビクッと反応する。
「あの、私そろそろこれを出してこなきゃならないから」
「まだ大丈夫だろ。それに先に伸ばすと大変だと思うよ?そうだな。連続20回とかを1日でしなきゃならなくなるかもしれないね」
「に、20回!?」
「そう。だからチャンスは逃さない様に」
ニコリとさわやかに微笑んでいるが、私には黒い笑みにしか見えない。
ガチガチに緊張している私を見て、勉は苦笑いをする。
「どうしてそんなに緊張するんだい?まさかその年で初めてなのか」
「うるさいわね!アンタはどうなのよっ」
「初めて?それは良かった。実は俺もなんだ。じゃあお互い初めての者同士仲良くしようじゃないか」
意味がわからない!
赤くなりながら抗議しようとした時、そのまま引き寄せられてしまった。
「………!」
暖かい勉の唇が私の唇に重なる。なぜか頭の中では『初めてのチュウ』が流れていた。




